第68話 怯えられている

「やっぱ、そういう関係やないですか。もー、ひどいわ」

「ええ、私たち付き合ってるんです」

 死ぬまでに言われてみたい言葉の一つが今言われ、死期が迫った気がする亘だった。

「五条はんも素直やないですな。ナーナと付きおうとるのに、このこの!」

 相変わらず怪しい言葉遣いのエルムは遠慮ない大声で、肘で亘をつついてくる。

 おかげで、教室の生徒たちから釘付け状態にある。途中から後をついてきた他の生徒たちも廊下から教室を覗きこんでくる始末なので、七海の目論見は大成功ということだろう。

 だが同時に亘の胃に深刻なダメージを与えてもいる。注目されること自体が慣れてないというのに、更に苦手な恋愛沙汰の片棒を担がされているのだ。

(ハハハッ、なんでこんなに集まってるんだよ)

(うーん、思ったより反応が大きかったですね)

(おいおい勘弁してくれよ)

 七海は自分の影響力を全く理解していなかった。けれどB組の喫茶を大行列させたぐらいで、特に男子からの注目度合いは半端ない。

 学校にグラビアアイドルをやってる女子生徒がいて、それが学園祭で売り子をするとなれば誰だって行くだろう。あわよくば上手いこと付き合えたら、と夢想して期待するに違いない。


 ただし亘も別の意味で注目の的だ。

 異界化した世界にあってレベルアップ効果の発動により、本人は大人しく立っているだけのつもりでも、周囲と一線を画した存在感と威圧感を撒き散らしている。

 その近寄りがたい凄みに、殆どの生徒は遠巻きにしかできない。ただし殆どであって、そうでない者もいる。それがエルムだ。

「ほんで、お二人の馴れ初めは? どこまでの関係なんや。もしかして……もう、アレか? アレまでいっとるんか?」

「うふふっ、内緒です」

「かぁー! 羨ましいわー!」

 まるでお構いなしの様子だ。相変わらず普通なら聞きづらいところをガンガン踏み込んで騒いでいる。答える七海はソツがないのでいいが、もし亘が聞かれでもしたら直ぐボロをだしてしまうに違いない。

 自分は黙っていようと決め大人しくする亘だが、傍からはゆったり構え泰然自若としているように思われていた。ニヤリと笑った顔は、本人が思い描いていたようなニヒルな笑みにも見えている。

 なお、亘が笑ったのは悄然とするイケメン男子に気づいたからだ。最初に見かけた感じからして七海に気があったのは間違いない。イケメンざまあと、ニヤリとしただけだった。


「ああ、そや。そないなことより聞いてぇな、大変なんやで。どうも停電になったらしゅうてな。電子レンジが使えへんのや。ほんに困ってもうたわ」

 七海を質問攻めにするエルムが、急に思い出したように別のことを話しだした。その言葉に別の生徒がスマホも繋がらないと言葉を繋げ、それを皮切りに次々言葉が上がりだす。

 それを聞けば、どうやら周辺に大規模な停電と電波障害が発生しているとの話であった。時間の問題とはいえ、まだ悪魔や化物に関する噂は出ていない。

 亘はこっそり胸をなでおろすも、駆け込んで来た生徒の言葉で天井を仰いでしまった。

「大変だ! 外に化け物が出たぞ!」

「はあ? それ何かの出し物とちゃうの、お化け屋敷やっとるクラスのおふざけやろ」

 息急き切らせた少年に対、しエルムが呆れ声を出す。周囲の生徒たちからも、何言ってるのこいつという目が向けられる。

 けれど、そんな中で少年は手を振り回して必死に説明を続けた。

「違うってば、本物なんだってば。しかも誰かが化け物と戦ってたんだってば。それに警察の人が校舎から出ないように指示してた。先生たちも、そう言ってた」

「マジかいな!? そらどうしよう」

 警察や先生という言葉で流石に騒ぎ出すが、それでも大半は半信半疑といった様子だ。この段階でスンナリ信じてしまうエルムは、それはそれでどうかと思う。

「「…………」」

 亘と七海は目を合わせコクンと頷いた。

 戦っているのはチャラ夫で、警察の人というのは志緒で間違いない。美術館の騒動で志緒は扇動のみ上手だった。今回もどうやってかは不明だが、教師を説得したに違いない。就く仕事を間違えてやしないかと思うのだ。

「なんや!」

 窓の外から複数の本気の悲鳴が聞こえ、エルムも含め生徒たちが一斉に窓へと詰め寄せた。

「おい、見ろよ! 本当だ本当に化物がいるよ……誰だ、あの鉄パイプで殴ってる奴」

「何あれヤバくない?」

「ヤバイヤバイ、ヤバいよ。あれヤバいよ」

「ねえ逃げた方がいいんじゃない?」

「でも警察と先生が中にいろって言ってんだろ、下手に動かない方がいいよ」

「うわっ! マジで殴った。あの鉄パイプ野郎、ヤバいよ」

 窓に押し寄せた生徒たちが蜂の巣をつついたように騒ぎだす。中にはヤバヤバとうわ言のように呟くだけの語彙のない生徒もいる。


 それらの声は、どこか対岸の火事を眺めるような雰囲気だった。ただ騒ぐだけで、誰も自分たちに火の粉が飛んでくるとさえ想像していない。平和な時代の、そうした生活環境で育ったとはいえ、あまりにも安全を過信しすぎだ。

(ボチボチ辺りを回って警戒してくる。七海はここにいるようにな)

(分かりました。ここは任せて下さい)

(いいか、極力戦うんじゃないぞ)

(どうしてですか。私だって戦えます)

 そっと囁いて注意すると、七海が可愛らしく口を尖らせる。だが亘はそれを真剣な顔で諭した。

(みろ、チャラ夫がヤバイと言われてるだろ。皆の前で化け物を倒してみろ、同じことを言われるだろうな)

(大丈夫です、異界を出れば記憶は消えますよ)

(記憶は消えても感情は残る。職場の同僚がそうだったからな)

(でも……)

(それに、七海自身が言われたことを覚えているだろ。ぎりぎりまで我慢してダメだったら戦えばいいさ)

(……分かりました)

(いい子だな)

 亘は軽く笑うと、いつも神楽相手にしているようにポンポンと七海の頭を叩いて教室を後にした。なお、神楽はペットか子供みたいな気分で扱っている。

 思わぬ仕草に七海は顔を赤くしていたが、ニマニマするエルムに気付く。見られていたと知ると、さらに耳まで真っ赤になるのだった。


◆◆◆


 出現する悪魔は、何度か遭遇したことがある黒い影絵のような棒人間だ。動きが遅く防御力も低いため簡単に倒すことができる。前はちょっと手間取ったが、チャラ夫も何度か倒して経験値ではない経験を積んだため、今では楽勝に倒すことができる。

 これも全て亘に言われたとおり、コツコツ倒してきたおかげだろう。

「とどめっすよ! フンヌラっしゃあ、これで四体っす!」

 気合いを入れた一撃が、棒人間を打ち倒す。叩き付けた鉄パイプ構えたまま、DP化しだすまで油断しない。光の粒子になるのを確認すると、得意げな笑顔で振り向く。

 背後には可愛い女の子がいた。

「もう大丈夫っすよ。俺っちが来たからには、もう安心っす!」

 棒人間に襲われていたところを、ベストタイミングで助けたのだ。チャラ夫は小さい頃から夢見た特撮ヒーロー気分で微笑んでみせる。

 しかし、女子生徒はまだ怯えた顔をしていた。

「あれ? もう敵は倒したっすよ。他にもいないんで、大丈夫っす」

 チャラ夫は首を捻り周りを見回すが、倒した棒人間は完全に消滅している。新しい棒人間が現れた様子もない。それなのに、女子生徒が何故怯えているのか不思議でならなかった。

「俺っちが居るから、安心して欲しいっす」

「ひっ!」

 一歩近づいて手をあげてみせると、悲鳴があがった。女子生徒は後ずさろうとして、そのまま足をもつれさせて転んでしまう。怯えた目で見つめる対象は、誰あろうチャラ夫だ。

「えっ?」

 怯えさせている存在が自分だと、チャラ夫はようやっと気づく。

 周りを見回せば、遠巻きにして様子を伺う生徒たちや、校舎の窓に鈴なりになった生徒たちの姿がある。だが、その誰もが同じように怯え恐怖する様子だった。期待していた歓声はあがらず、感謝の言葉すらない。それどころかヒソヒソと様子を窺い、話をしているだけだ。

 近づいてきた志緒にぽつりと尋ねる。

「なんでっすか?」

「……今は気にしたらダメよ。ここは私に任せておきなさい。あなた悪魔を倒すことに専念するの、いいわね」

「……わかったっす」

「チャラ夫ごめんね……えっ、ちょっと何あれ!」

 謝りかけた志緒が悲鳴のような声をあげた。それはまぎれもない恐怖の声で、チャラ夫も慌てて振り向いた。


 校門あたりに異界の境がある。その薄ぼんやりとした半透明な境から新たな悪魔が現れようとしていた。それは棒人間とは比較にならない強そうな姿だ。

 全身はゴツゴツと固そうな革に覆われている。体躯は車ほどだが、長い尾まで含めるともっと大きいだろう。その姿は鰐の口を短くし手足を太く長くしたようなもので、少し不格好だが竜と呼んでもいいぐらいだ。

 鰐と竜を足して割った姿なので鰐竜と呼びたくなる。

「マジっすか……」

 尾の一撃で銅像が破壊された光景をみて、チャラ夫の声がかすれてしまう。

 そのままノシノシと進撃する鰐竜によって、出店のテントがはね飛ばされテーブルが踏みつぶされ、段ボールオブジェが蹴散らされていく。異界のDPで忠実に再現された偽物の世界だが、祭りの場が蹂躙されていく光景は悲惨だった。

「しゃあないっすね」

 チャラ夫は鉄パイプを肩に担いだ。

 巨体が迫る様子は恐ろしさ満点だが、しかし逃げるつもりはなかった。まだ逃げ遅れた生徒が大勢いるのだ。それに、これこそが最大の見せ場に違いない。棒人間を倒しても誰も称賛してくれなかったが、この鰐竜を倒せば誰もが驚き感心するのは違いない。

 チャラ夫が鉄パイプを握りしめ、走り出す。

「チャラ夫、やめなさいっ!」

「大丈夫っすよ! 俺っちなら余裕っす!」

 姉の制止と亘から忠告された言葉を無視し、チャラ夫は鉄パイプを振りかざし走った。その心は燃え上がっており、APスキルで強化された身体は無敵の力をもたらしてくれる――少なくともチャラ夫にはそう思えていた。

「とおぉっ! やあってやるっす!」

 ジャンプによる勢いと体重を載せた振りおろしが鰐竜の頭を確実に捉える。必殺の一撃が決まった。ほくそ笑むチャラ夫だが、鉄パイプはガンッと硬い音をさせて弾かれてしまう。

 衝撃で握っていた手の方が痺れてしまい肩まで痛くなってしまう。殴った方がダメージを受けてしまったぐらいだ。しかも手の内が甘かったせいで金属パイプが手から弾き飛んでしまう。

「なんちゅう硬さっすか! って、のわぁぁっ!」

 着地した瞬間に目の端で尻尾の動きを捉え、チャラ夫は咄嗟に両腕で身体を庇う。同時に、凄まじい衝撃が襲ってきた。

 世界がぐるぐる回る。

 何が起きたかも分からないまま、一際強い衝撃で我に返ると空を見上げていた。自分がふっ飛ばされ、壁にぶち当たったところで仰向けに倒れている。そう気づくまで数秒を要した。

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