第69話 特撮物の主人公
「がはっ……」
身体を動かそうとするだけで、全身がミシミシと痛むほどだ。チャラ夫はやっとのことで身を返し、うつ伏せになった。それだけでもひと苦労だ。
APスキルで防御が強化されてなければ、死んでいたかもしれない。さらに助かったのは、とっさに腕で庇ったおかげだろう。代わりに腕の骨が逝ってるぽいが。
しかし助かったことを安堵する間はない。顔を上げるチャラ夫の目に最悪の光景が飛び込んできた。
鰐竜の巨体がズシズシと音を立てて進む先に、女子生徒を庇うように抱きかかえた志緒の姿がある。
「……し、志緒姉ちゃん逃げ、て」
叫ぼうとするが、声はかすれてしまうだけだ。
痛む身体は力を入れようにも無駄。痛みによって力が入らず、立ち上がることすらできない。それでもなお身体に喝を入れ動こうとするが、這うだけしか出来なかった。
そして絶望的なまでの距離と状況だ。どうあがいても姉を助けるには間に合わない。間に合ったところで、武器もなく敵いもしないだろう。
それでもチャラ夫は這いずって前に進もうとする。口喧嘩しようがなんだろうが、本当は自慢できる大好きな姉を守りたかった。
「そんな奴いいから、早く逃げ、お願いやめてっ」
だが、どれだけ願おうと間に合わない。
無力感に涙するチャラ夫の前で、鰐竜の顎が大きく開かれる。剥き出しになった赤黒い口内に黄色みを帯びた白い列が遠目にも見えてしまう。
それが自慢の姉に喰いついた。
――ズンッ!!
重く鈍い音が轟いた。
全てが静止した光景の中、鰐竜の脳天に一本の黒い棒が生えていた。それが頭から顎下まで斜めに貫き、地面にまで突き立っている。
鰐竜の鋭い牙は志緒の頭を噛み砕く寸前で止まっていた。本当に触れるか触れないかぐらいだ。姉の無事な姿にチャラ夫の頬を涙が伝う。
「あっ……」
その姉の傍らに何かが落ちて来た。いや、飛び降りて来たのだ。
ドンッと着地する。片膝と片手を地面につき着地した背広姿の男が立ち上がり、鰐竜を蹴飛ばしながら、黒い棒を軽々と引き抜いている。
チャラ夫は我知らず声を洩らしていた。
「あ、あ、ああっ」
「遅くなって悪かったな。まあ、間に合ったんで勘弁してくれ」
「兄貴ぃ!」
チャラ夫は涙を流しながら反省していた。
自慢げに自分の力を見せつけ、皆に誉められ賞賛されようとした自分が何と愚かで浅ましかったことか。誰も評価してくれないのも当然だ。本当に凄い人は、その凄いことを平然として当たり前のようにしてみせるに違いない。
「あとは任せろ」
新たに現れた鰐竜に向かい駆け出した背広姿の背中を、チャラ夫はひたすら涙を流しながら見送った。
◆◆◆
何気に危ないところだった、と亘はこっそり呟く。
この異界に現れるのは、どうせ棒人間程度だと高をくくっていたのだ。どうせ楽勝な相手だと、トイレに行ったのが拙かった。
用を足しすっきりして何気に外を眺めると、何やら鰐と竜を足した強そうな悪魔が出現していたのだ。
しかもそれがチャラ夫をふっ飛ばしたかと思うと、突進して志緒へと襲い掛かっていった。腹を立てていたとか関係なく咄嗟にDPアンカーの棒を投擲すると、それが鰐竜を貫いた。仕留められたので良かったが、少しでも遅かったり命中してなければ志緒が死んでいたのは間違いない。
冷や汗ものだ。
急いで三階の窓から飛び降り駆けつけると、よほど恐い思いをしたのか亘を見るなり志緒と女子生徒が抱き合いながら泣きだしてしまう。
もの凄く気まずい。
さらに棒を回収していると、ふっ飛ばされた場所で這いつくばっているチャラ夫までもが泣いていた。
ますますもって気まずい。
トイレに行って遅れましたなんて、笑って誤魔化せる雰囲気ではなかった。
「遅くなって悪かった。まあ、間に合ったんで勘弁してくれ」
謝ってみせると、何故だか志緒と女子生徒にチャラ夫までもが、ますますボロボロと涙を流してしまう。
あまりの居たたまれなさに亘が視線を逸らすと、校門から今しがた倒した鰐竜がさらに二体出現するのが見えた。
「あとは任せろ」
それでグッドタイミングだと逃げ出したのだった……。
校門に向かって走り、鰐竜に近づくにつれ亘は自分の判断を後悔した。
相手は自動車サイズの巨大な鰐型悪魔だ。爬虫類の無機質な目、黒味を帯びてゴツゴツした堅そうな皮膚、グバッと開く大口に並んだ硬そうな牙、地面を踏みつける鋭くぶっとい爪。
そんな悪魔が突進してくる。こんなのに平然と向かっていけるのは、頭のネジがぶっ飛んでるか英雄志願のバカだけだろう。ごく普通の感性の亘が怯むのは無理なかった。
しかしだ。
走りながら気づいてしまったが、崩れたテントの下に逃げ遅れた生徒が何人か残っている。白い厚手ビニールのテント幕の下でもがいているが、二体の鰐竜が来るまでに抜け出すことは到底無理そうだ。そして背後には逃げ遅れた、否、逃げようともせず見物する大勢の生徒がいる。
さすがにこの状況で逃げ出せるほどの度胸は亘にはない。
「ほら、こっちだ!」
ギリギリまで近寄り鰐竜の鼻先を棒で殴っていく。
注意とヘイトが自分に向いたと確認するや、そのままグラウンドへと走る。もちろん怒り狂った鰐竜が猛然とした勢いで追いかけてくるのを確認しながらだ。
レベル16になってAPスキルの強化が二段階目だろうが、恐いものは恐い。
「くそっ、学園祭なんて来るんじゃなかったよ」
ドスドスと足音を響かせる鰐竜がグラウンド駆けると、真砂土が跳ね上げられ土煙があがる。その爆走する様子は迫力満点だ。恐いので逃げだしたい。
「周りは騒々しい連中ばっかりだし」
程よくグラウンドの中心で亘は足を止めた。足元には砲丸投げのイベントでもしていたのか、丸い線が引かれている。なんとなく、その丸の中で立ち止まった。
振り向けば校舎の窓や屋上に鈴なりとなった生徒の姿が見えた。その百人は居るだろう生徒たちが見つめてくる。ここで逃げたら大勢の人から失望され、そして嫌われてしまう。そう考えるだけで胃が痛くなってくる。
結局人に嫌われるのが恐いのだ。
「志緒にはあんなこと言われるし。こんな悪魔を相手にすしなきゃいけないし……くそっ!」
ドスドス迫る鰐竜を見やりながら、だんだんと腹が立てていく。
難儀な自分の性格に対してもだが、遠巻きに見物する生徒たちにも腹が立つ。危険だというのに避難さえしない。きっと映画でも見ているような気分で眺めているに違いない。ジャンルは差し詰め動物パニックもので、亘なんて最初に襲われるモブ犠牲者役だろうか。
「なんか、ムカついてくるなあ!」
怒りで恐怖を抑えていくと、さして恐れる必要のない相手に思えてくる。爬虫類面にびびっていたが、これぐらいの相手は何度も倒してきたのだ。やってやれないことはない。
横に神楽が居ないのが不安だが、大きく息を吸い込み気合いを入れる。
「行くぞっ!」
棒を構えタメをつけると、前傾姿勢で地面を蹴りつけた。背広の裾をはためかせ、爆発的速度で鰐竜へ突き進んでいく。
そのまま鰐竜に突進するのではなく、無理矢理斜めに跳ぶ。棒で地面を削りながら速度を調整しながら地面の上を滑るように駆け、そのまま一気に襲いかかる。
ぐんぐん迫る鰐竜。そこにある爬虫類の目は亘を向いているが、身体までは反応がない。腰だめに構えた棒を全ての勢いをのせて突き込む。突き込む瞬間に手首を捻り、螺旋状に回転を与える。
ドズッ、と分厚い革を貫き肉を穿つ手応えがあった。
――グギャアァ!
一拍遅れ大きな悲鳴が上がった。首元から横腹までを串刺しにされれば苦しんで当然だろう。
棒の殆どを肉の中に押し込むと、それを手放す。ゴツゴツした硬革に手をかけ、跳び上がり突起のある背の上を軽々と飛び越していく。
空中で懐の中からスマホを取り出し、着地すると同時に貫通した棒にスマホを近づけDPアンカーの回収機能を作動させた。
「回収、そして起動っと」
光の粒子となった棒をスマホへと吸収させ、肉に食い込んだ棒を一瞬で回収する。続いて再度DPアンカーを機動させ棒を取り出してみせる。
我ながら頭がいいと亘がニヤリとしていると、頭上に巨大な影がかかる。
「おっとおっ!」
もう一体の鰐竜がジャンプしてボディプレスを放ってきていた。瞬時に反応した亘は持っていた棒を地面に突き込み、その反動でもって地面を転がり回避した。
――アギャアアア!
数度回転して立ち上がると、地響きと同時に悲鳴があがった。
DPのみで構成された棒はそう簡単に折れたりはしない。鰐竜のずっしりとした巨体を受けても平気な丈夫さがある。狙ったわけではなかったが、鰐竜が串刺しになっていた。
「……まあ、倒せたからいいか」
二体の鰐竜はしばらくジタバタしていたが、手足の動きが鈍くなりDP化しだした。あれだけ恐ろしく思っていた割に、やってみれば簡単に倒せてしまったのだ。拍子抜けの気分である。
「DPアンカーのお陰だな。法成寺さんにお礼をしないといかんな……食べるの好きそうな体型だし、何か食べ物でも差し入れておくかな」
もし法成寺が聞いていたら、そんなことより五分でいいから神楽とお話しさせて下さいと願うに違いない。けれど、そうと知らない亘は再び棒を回収すると、お礼をどうするか考えながら校舎に向かって歩きだした。
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