第19話 コンビニ弁当で十日分

 説明会が終了した。

 機種変更の希望者はそのまま待機し、希望しない者は帰宅するよう指示がなされた。けれど、ほぼ全員がそのまま座っている。無料で新機種に交換されるなら、当然だろう。

 そんな中、席を立ったのは四番の少女だった。

「あんたたち、覚えてなさい! 後悔させてやるわ!」

 捨て台詞を吐き、扉を開けようとするキセノン社の社員を押しのけ会場を出て行く。いなくなった途端に、皆の間からホッとした雰囲気が漂うぐらいだ。

「それでは、こちらの用紙に必要事項を記入して下さい。終わった方から、入り口の受付へどうぞ」

 担当者が会場内を回り資料を配付していく。データ移行に関する承諾書と、幾つかある新機種のデザインが掲載された資料が配られる。

 どのデザインにするか首ったけで悩んでいる者もいるが、亘はさっさと決めてしまう。そしてデータ移行用の書類に必要事項を記入すると、指定された受付テーブルに持って行った。

 担当者がささっと書類に目を走らせる。

「必要事項は記入されて……ますね。はい大丈夫です。それでは、今お使いのスマホをお渡し願います。データ移行後はどうされますか、当方で処分もできますが」

「お願いします」

「かしこまりました。それでは、こちらのカードをお渡しします。後で新しいスマホと引換になりますから無くさないようお願いします」

 薄いプラスチック製のカードにマジックペンで番号が書き込まれ、差し出された。

「作業には多少時間がかかりますが、館内でお待ちください。そのカードをお使い頂ければ、館内の飲食店が無料でご利用頂けます。食事などしてお待ち下さい。1時間後ぐらいを目途に、またこの場所にお越し頂けますか」

「どの店の、どのメニューでも無料なんですか?」

「はい、今日中であれば何度でも使えますよ。それでは次の方どうぞ」

 亘は目を輝かせプラスチック製の薄いカードを、有難そうにポケットへと仕舞い込む。スマホと交換だからというだけではない。なにせ館内の飲食店テナントは、京都の老舗料亭やフランス三ツ星レストラン、有名パティシエのスイーツ店など一度は食事をしたい高級店ばかりなのだ。

 それが無料で、しかも何度でも食べられる。なんと素晴らしいことか。

「どの店にしようかな」

 思案しながらエレベーターホールへ行ったが、既にエレベーター待ちの行列ができていた。

 少し待ってみたが、なかなか人が減らない。それどころか後ろから次々とやって来るため、列もグチャグチャになりだした。周囲を囲む十代の少年少女たちから物珍しげに視線をチラチラ向けられ、どうにも落ち着かない。

 嫌になった亘は周囲を見回した。

 非常階段を見つける。レストランフロアはまだ上だが、食事前の腹ごなしと思えば階段も苦でもない。ここで奇異の視線をさらされるよりは、身体を動かしていた方がまだましだ。

 決断して、金属製の非常扉を開け階段を上がりだした。

 それを見て他の参加者もぞろぞろと後をついてくる。しかも、すぐ後ろにいたのはチャラ夫だった。さらにその後ろには、七海の姿まである。

「七海ちゃんどうするっすか? マスクしたままだと食べれないっすよ」

「…………」

「まあマスクを外したって、サングラスがあれば大丈夫なんじゃないのか」

「そうですね」

 何となしに亘も会話に混ざってしまった。

 この分でいくと食事も一緒になりそうだが、別に悪くはない。特に女の子と食事できたら最高ではないか。そんな機会は、義務教育時代の給食以来なのだ。

 少し楽しみになる亘だった。


 えっこら階段をあがり、レストランフロアに到着すると亘は息切れする寸前だった。無様な姿を見せる前で助かった。

「着いたか……思ったより上だったな」

「いやあ、良い運動になったっす!」

「…………」

 チャラ夫は余裕そうだが、マスクをしたままの七海は息苦しそうだ。

 フロアには既に何人かの契約者が存在し、そぞろ歩きしながら店を選んでいる。場の雰囲気にそぐわない十代の子供ばかりなので、顔は知らずともデーモンルーラーの契約者だと直ぐ分かる。 

 混む前に店を探さねばならない。しかし、チャラ夫が近くの店を指さし声を張り上げた。

「ここっす。この洋食屋がいいっす! さあ入るっすよ」

「えっ、もう決めるのか。他の店を全然見てないけど、いいのか」

「こういうのは悩んでも仕方ないっしょ。フィーリングっすよ、フィーリング。それに俺っちの勘が、ココは美味いと叫んでるっす」

「そうか……まあ自分はいいが。小川さんはどうだ?」

「はい。私は構いませんよ」

 亘は自分からは否定できない性格だ。七海が他を希望してくれないかと期待していたが、そうはならない。

 仕方なく、チャラ夫の勘とやらに従うことにした。

 入る前にメニューボードに目をやると、ランチだけでも普段食べているコンビニ弁当で十日分の値段はある。それを見る限り悪くはないだろう。

 値段が値段のため、念のためカードを見せ、本当に無料かどうか確認してから洋食屋に入店した。


 席は七海に配慮して一番隅にしてもらう。座る位置も七海が壁を向けるようにしておく。亘は細かな気遣いができる男なのだ。

 ウェイターの椅子引きに合わせ、亘と七海はスムーズに着席した。しかし隣のチャラ夫は慣れない様子で戸惑い、しきりに礼を言っていた。見た目に反し良いヤツだ。

 おしぼりで顔を拭いたチャラ夫が感動したような声をあげる。

「いやー、凄い話だったっすね。俺っちたちは勇者っすよ勇者! 異世界転生しないとダメかと思ってたのに、凄いっすよね」

「……お子様がいたな」

「……ですね」

 ボソッと呟いた2人を余所にチャラ夫はご機嫌で、世界を救ってみせるっすと騒いでいる。

 亘も七海もあまり喋らないため、ほぼチャラ夫の独壇場だ。次々と自分の学校生活や友人のエピソードを面白おかしく喋っている。

 他の客には迷惑かも知れないが、特に話題もない亘からすると場をもたせてくれる存在はとてもありがたかった。

「おおっ、料理が来たっすよ。うはぁ、美味そうっす」

「本当です美味しそうですね」

「そうだな」

 料理が来て、七海はマスクを外した。

 こっそり目をやると、サングラスをしているので全容は分からないが、整った口元はかなり美人で可愛らしいことを予感させる。

 自分は今、こうして可愛いであろう女の子と席を囲んでいるのだ。そう気付くと、急に心臓が余計な鼓動をしだした。気を落ち着けるため、料理へと意識を集中させる。

 スペシャルなランチで、ワンプレートに河豚の唐揚げにヒレカツ、車エビのフライ、アワビのステーキ、ローストビーフなどが満載されていた。

 これにパンとスープ、さらに後でデザートとコーヒーも付く。値段に見合った豪華な食材だが、それだけでなく料理自体も素晴らしそうだ。漂う香りにチャラ夫などは荒い息して涎を垂らさんばかりの顔だ。

 ここを選択したチャラ夫の勘も、満更捨てたものではないだろう。

「それじゃあ頂きます」

「頂きっす!」

「頂きます」

 食事中もチャラ夫は、楽しそうに喋っている。料理が美味しくてたまらず、幸せ一杯という様子で人生を謳歌しているのが分かる。

 一方で、七海は食事時は静かにするよう育ったらしい。ゆっくり丁寧に食べつつ、ひと言ふた言返事をするだけだ。

 亘も簡単な相づちしか打たないが場を楽しんでいた。いつも一人で黙々と食事をしてきた亘にとって、こうして話を聞きながらの食事というのは楽しいものだ。けれど、慣れていないせいで少しばかり面倒臭さも感じてしまう。

 そうして食事するペースを合わせ箸を運んでいると、背中のフードから恨めし声が聞こえてきた。

(ボクのご飯……)

(我慢しろよ。帰りにケーキ食べさせてやるからさ)

(ほんとだよね、絶対だよ。約束だよ)

 首を傾け声をひそめて返事をすると、フードの方は大人しくなった。その声が聞こえたのか察したのか、正面に座る七海にクスクスと笑われてしまう。

 亘はバツの悪い顔で軽く頭を掻いた。食欲旺盛な神楽にも困ったものだと思いつつ、七海に対し抱いていた緊張も少しほぐれていた。

「料理も美味しいが、このコーヒーも美味しいな」

 そしてデザートも終わりコーヒー片手にお喋りをする。もちろん、チャラ夫がほぼ一人で喋っているだけだが。


 店の入り口に見覚えある姿が現れた。M型禿げの海部だ。食事に来たかと思いきや、人探し顔できょろきょろしている。

 どうしたのかと視線を向けていると目が合う。すると海部は笑みを浮かべ小走りでやってきた。どうやら探していたのは亘だったらしい。

「二十四番の方でしたね。お食事中、誠に申し訳ありませんが、少々よろしいでしょうか」

 説明会で海部渾身のジョークに反応したことが効いているのか、どうやら顔を覚えられていたらしい。

 亘は軽く頷き、ゆっくりとした仕草でカップをソーサーへと戻した。

「いいですよ。ちょうど食事も終わったところですから。ああ、もしかして機種変更が終わったのですか?」

「いえ、それとは別件になりまして、はい。実はですね、うちの社長がぜひ貴方様にお目にかかって、お話を伺いたいと申しておりますものでして……」

「社長とはキセノン社の社長さんですか?」

「そうです。それで、重ね重ねで申し訳ありませんが、今から社長室までご一緒して頂いてもよろしいでしょうか」

「……構いませんよ。それでは参りましょうか」

 亘はさして考えず承諾する。何の用事かは分からぬが、キセノン社のトップと会える機会なんて、そうそうあるものではない。会っておいて損はない。

「じゃあ、ちょっと行くとするかな」

 チャラ夫と七海に声をかけ立ち上がる。

 話が聞こえていたらしい他の客が、探る視線を向けてくる。それが気になって早足で店を出たが、レジ前を素通りするのはフリーパスとはいえ食い逃げをするようでドギマギしてしまった。

 店を出て歩き出そうとすると、海部が立ち止まって振り向く。

「申し訳ありませんが、お話があるのは二十四番の方ということですので」

 海部の視線を辿れば、ギクッとした顔のチャラ夫と、いかにも偶然同じ方向に歩いていたと言わんばかりに視線を逸らす七海の姿があった。

 どうやら社長室まで一緒に行くつもりだったらしい。

「えー、まじっすか。俺っちも社長に会いたかったっす」

「……残念です」

 キセノン社の社長といえば、超の付く有名人だ。テレビ露出も多く、バラエティから討論会にまで出演し、場合によっては事件や事故でマスコミからコメントを求められることさえある。テレビを見ていれば、一日最低一回はどこかで目にするだろう。

 だからミーハー目的で社長に会いたいという、二人の気持ちも分からないでもない。亘はとっさに思考を巡らせた。

「えっとですね、この二人はこれからチームを組む約束のメンバーなんですよ。差し支えなければ、一緒に行動したいので一緒にいいでしょうか」

「はあ、そうですか……まあ、そういうことでしたら構わないかと思います」

 海部の返事を受け、亘はにこりと笑った。

「じゃあ長谷部君に小川さんも一緒に行きますか」

「やったっす!」

「はい」

 格好いいところを見せられたかな、亘はそんな得意げな気分で歩き出した

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