第309話 外見で判断することは難しい
エルムとイツキの食事――なぜか神楽とサキがまた一緒に食べている――が終わったところで火を消した。後片付けをしているが、七海とエルムは作業服姿。小柄なイツキは合うサイズがないため普段通りにシャツに半ズボンだ。
それぞれの従魔が堂々と辺りを動き回っていて、今では当たり前のような光景ではあるが、少し前の平穏な時代では考えられない光景とも言える。
「これから全員のレベル上げをしようか」
亘は提案するように言うと、エルムが軽くふざけた様子で手を挙げた。
「やっぱし、うちらもレベル上げするん?」
「指導する側だからな。ちょっとでも強くなっておいた方がいいかと思う」
「そらそうやけど。話に聞いとるようなテングと戦うんやろか。それちょーっと不安なんやけど。つまり強敵すぎやせんかってことで」
「安心してくれ。そんな危険なことはさせない」
亘はきっぱりと言った。
言外にテングとの戦闘が危険だったと認めているようなものだ。もしここにチャラ夫が居れば、たいそう憤慨して文句を言ったかもしれない。だが居ないので、誰も憤慨しなかったし文句を言うこともなかった。
サキが金色の髪をなびかせ、子供のように走り回っている。きっと、これからする悪魔退治に興奮しているのだろうが、突進されて頭上を跳び越えられる雨竜君などには、いい迷惑というものだ。
「適当に強そうなのを引っ張ってくるからな。最初は強く当たって流れで攻撃しておけばいい。後は神楽とサキの攻撃で一掃すれば、レベルもサクッと上がるだろう」
「はあ、いつもの五条はんらしくない方針やんな」
「そうか?」
「だって、いっつも効率とかより地道に戦えって言うやないの」
「しっかり基礎が身について実力があるなら効率良くやるさ」
亘は自分で言った言葉に自分で頷く。
ややもすると独り言のような態度となっているのは、効率ばかり口にする連中を思い出しているからだ。
現実を見えていない奴に限って、やたらと効率という言葉を口にする。
しかも目先の面倒を嫌うためだけに言う場合が多いので、いつまでたっても実力が身につかず、やがて理想と現実のギャップに押し潰され病んでしまうことが多い。
軽く頷いた亘は三人に目を向けた。
いずれも戦闘経験は十分で、現実も分かって実力もあるので問題はない。
「と言うわけで、いつものようにサキが悪魔を呼び寄せる。アルルとフレンディが攻撃した後に神楽とサキが追撃する。すり抜けて来た相手を皆で倒すから雨竜君と、そっちの……」
言いかけて亘は、はたと困った。
そこに白サバ虎模様の猫がいる。やや大柄な猫と言える姿なのだが、実際には猫ではなく由緒正しき白虎だ。イツキの足に纏わり付き、すっかり懐いているので天然の従魔のような状態となっている。
「そちらさんの名前は決めたのか?」
「まだ決めてない。そうだ、良かったら小父さんに名前をつけて欲しいぞ」
「おっ、そうか。名前名前か……」
亘は静かに呟いた。
真剣に考え込んでいる様子だが、延文白虎とか六股白虎とかソハヤ白虎など自分の趣味から名前を思い描いている。当の本人である白虎は、妙な方向性で考えられているとは少しも気付いていないだろう。
危険に気付いているのは神楽と七海、それに勝手に名付けられた雨竜君ぐらいだろう。その中で危険を阻止しようとするのが誰なのか分かりきったことだった。
「マスターに決めさせるなんて、一番ダメだってボク思うよ」
「ダメとはなんだ、ダメとは」
「だってさ、ボクとサキの名前を決めたところで全部使い果たしたって思うもん」
神楽が言えばサキも深々と頷き、ついでに雨竜君も別の意味で頷いている。
「そんなことはない。そうだな、たとえばシロタなんてどうだ」
憤慨した亘は、案外とまともそうな名前を口にした。
「ちょっと可愛いな。でもどういう意味なのか知りたいぞ?」
「白い狸でシロタという意味だ」
「狸……なんで?」
「ほら狸っぽいじゃないか」
亘は白虎の腹を指さしながら言った。その腹はたるみがあって、タプタプしている。ぽっちゃりに見える姿から白い狸と連想したのである。
もちろんそれは、猫科の生物特有のルーズスキンと呼ばれるものだ。俊敏な動作に必要であるし腹部を守るための大切な機能があるもので、決して肥満によるものではない。しかし見た目は見た目だ。
「あのさマスターってばさ……」
神楽は頭痛でもあるように額を押さえている。何か言いたい事を幾つも幾つも呑み込んだ様子で、それからようやく口を開いた。
「いろいろ言いたいけどさ。そもそも、どーして狸なのさ」
「何と言うかな。狸はぽっちゃりして鈍臭くて、狐はスマートでスラッとして敏捷とか。そういうイメージってあるだろ」
「そなの?」
「そうだろ」
亘が言い切ると、サキが後ろに手を組みながらやって来た。嬉しそうに身を捩らせ、笑って見上げる。金色の髪がさらりと揺れ、天使の如き具合だ。
しかし亘は気付かない。神楽も気付かない。サキの頬は膨れた
「マスターのイメージとか、どうだっていいけどさ。女の子に失礼だよ」
「いや待て、女の子って……この迫力ある面構えで?」
「あのさマスターさ、そういう言い方って凄く失礼だよ。デデカシーがないよデデカシーが」
きっとデリカシーと言いたかったのだろうが、亘は指摘する状態になかった。
「そうか雌なのか」
「女の子! そんな言い方しないの! ほんっとマスターってば失礼すぎなのさ。ほらさ、落ち込んじゃったじゃないのさ!」
「虎のくせに意外とメンタルが弱い」
「マスター?」
神楽の声が軽く低くなる。
教育的指導の攻撃がなされそうな気配に亘は震えた。ようやく状況を察すると、自分が悪いとは思わず、自分の分が悪いと判断した。なにせ周りは女性が多いのだ。
何度か咳払いをして言い訳を考えだす。
「すまない。何と言うか種族的な違いで、性別とかが分かり難いんだ。発言が不適当だったのは確かだな、うん。悪かった、謝るよ」
まず謝る。後は同じ男を巻き込んで話を逸らしにかかる。
「こうなると男は雨竜君と二人だけか。二人仲良くやるとしような」
白虎を慰めていた雨竜君だが、いきなり呼びかけられ戸惑った様子だ。直立歩行をする鰐のような顔が振り向き、何度か瞬きをしている。どう答えてよいのか分からないといった感じで、困っている雰囲気らしい。
「あのさマスターってばさ、何言ってんのさ」
神楽は呆れた様子で両手を腰にあて、顔を近づけるようにして叱ってくる。
「雨竜君にそんなこと言ったら失礼じゃないのさ」
「失礼ってのは何だ。別にいいだろ、男二人で仲良くやるぐらいは」
「だーかーらーさ、失礼なんだよ。女の子に男だとか言っちゃってさ、本当にもうマスターってばダメダメなんだから」
「……?」
亘は理解出来ず目を瞬かせた。認知的不協和によって混乱してしまい、ようやく神楽の言葉を理解した後も、聞き間違いではないのかと考えてしまう。
「白虎でなくて雨竜君に言ったのだがな。つまり男二人という話のことなんだが」
「それぐらい分かるもん」
「あー、と言うことはだな。つまり神楽は、この雨竜君が女の子と言いたいのか?」
「さっきからそー言ってるじゃないのさ」
「またまた、ご冗談を」
「マスターこそ何を言ってんのさ。ちゃんとした女の子じゃないのさ」
「雨竜君が……?」
まじまじと雨竜君を見つめる。
その鰐顔からは女の子らしい要素は一欠片も感じ取れやしない。上から下までを何往復も見ると、照れた様子で両手を身体の前で合わせている。その様子だけは女の子らしいが……とりあえず、竜の性別を外見で判断することは難しいと思った。
「いや、髭があるじゃないか」
「だって竜だもん、当然じゃないのさ。猫だって女の子は髭があるじゃないのさ」
「……まあ、そうなんだが」
混乱する亘に七海が声をかけたのはフォローのためだろう。
「えっとですね。雨竜君と名付けたので、もしかしてと思ってましたけど……やっぱり雨竜君が女の子だって気付いてませんでした?」
「七海は気付いていたのか!?」
「仕草や雰囲気とか、それに普段の行動から。それに、顔だって優しい感じですよ」
「優しい……?」
「ほら、目だってぱっちりしてます」
大きく丸くぎょろっとした感じだ。
「口元だって優しげです」
悪魔をひとのみ出来そうな感じだ。
「体だってスマートです」
少し丸い筒のような感じだ。
「ねっ、女の子っぽいですよね」
「そうだな、七海が言うなら間違いないな」
何気なく呟やいた言葉に、神楽が不機嫌そうになった。
それは仕方なかろう。さんざん自分が説明しても信じて貰えず、それでいて同じ事を他の人が言ったら簡単に信じてしまったのだ。いろいろ事情や人間関係を知っているから理解できるとは言えど、感情として納得できるかは別物だ。
神楽は白い小袖を翻し勢い良く飛び蹴り――まさに飛んで蹴る――を放った。小さいとは言えど爪先の一点に力を集中させたそれは、けっこうな威力だ。
「痛っ! こいつ蹴った、なにするんだ?」
「当たり前なのさ。マスターは配慮が足りないのさ、何でボクが怒ってるのか。そーいったとこを、よく考えるべきだよ」
「……お腹が空いたのか?」
怒り心頭の神楽は亘の耳に食い付いた。
さらにサキまで混ざって噛みつきだすため、亘は声をあげ両方を引き剥がそうとしている。レベル上げがどうこうといった状況ではない。
「なんやら、らしいって言えば五条はんらしいわ」
「よくある光景ってやつなんだぜ」
「他の人には見せられんなー」
「まあ、他の人の前ではやらないと思うぞ……たぶん」
エルムとイツキは顔を見あわせ呆れ顔だ。しかし七海は両者なりのスキンシップと分かっているので笑顔で見守っている。
雨竜君は状況が理解出来ず戸惑うばかり、そして白虎は有耶無耶のうちに命名の話が立ち消えたことを心の底から安堵しているばかりだった。
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