閑28話(1) 様式美でやっただけ

 五条亘は診察台に横たわっていた。

 その手足は革ベルトで固定され拘束された状態だが、表情に切羽詰まった感はない。せいぜいが訝しげな雰囲気だけだ。

「この拘束って本当に必要ありますかね。いえ、別に文句を言ってるわけじゃいですよ。ただなんというか、診察するだけに必要あるのかなーと、疑問がですね」

 遠慮がち且つ申し訳なさげに尋ねられたのは小太りな男で、キセノン社の主任研究員である法成寺だった。亘の言葉に陽気な顔で笑いをあげる。

「もーやだなー、それは必要なんですよ……ふっふっふ、これより改造手術を始める。お前は我がホッジョーの手下となるのだー」

「ぶっとばすぞ……いえ、なんでもありません。あの、この状況だと洒落にならないんで冗談は止めてもらえますかね」

「そうですかー、そら残念。ちょっとだけ解剖してもいいです? 先っちょだけですから」

 信じてはいけない言葉ランキング上位に入りそうなことを言って、法成寺は期待に満ちた顔をした。そこに邪気こそないが、手には鈍色に輝くメスがある。

 亘は目を見開き、自由になる頭を左右に振った。それはもう必死に。

 ここはキセノンヒルズ内の一室で、それこそ人体実験や解剖向き設備が揃った区画である。洒落にならなさの度合いは、半端ない。

「ちょっ! DP暴走の仕組みを調べるだけって言ったじゃないですか!」

「ふっふっふ、大丈夫だよー。天井の照明を見ている間に終わるからー」

「ぬああああっ!」

 亘が叫ぶと全身に力が満ち、革ベルトがギシギシと音をたて金属の留め金が歪みだす。操身之術を発動させると冴えない男が――異界でないため絶大な力こそ振るえぬが――常識を越えた身体能力を発揮できるのだ。

「こらーっ! マスターに変なコトしたらさ、ボク怒るよ!」

 小さな巫女服姿の少女が素っ飛んでくると、草履を履いた足で蹴りを放つ。

 それはさしたる威力もないだろうに、顔面にくらった法成寺はとんでもなく痛いような仕草をした。あと、変態じみた顔で悦んでいる。

「冗談だよー。ひー、ごめんよごめんよ。許してちょー」

 空中で仁王立ちする手の平サイズの少女に小太りな大人がペコペコ頭を下げる。そのサイズ比を考えれば、ひどく滑稽な姿だ。

 呆れた亘は脱力して息を吐いた。

「まったく脅かさないで欲しいですな」

「いやー、でも今ので良い感じの計測ができたからねー。これぞ、計画通り」

「それならそうと言って欲しいですな」

「そだよ、バカやってないでさ、早く終わらせようよ。それでオヤツにしようよ」

「はいはい、それじゃ完了ー。お疲れさんねー」

 叱られ法成寺は頭をかきながら素直な返事をするが、叱られて嬉しそうだ。やに下がった顔をしながら亘の拘束を外しだす。

「やれやれ。おお痛い」

 拘束の革ベルトが外され、亘は身を起こしながら軽く痕がついてしまった手足をさする。神楽も飛んできて、せっせとさする健気さをみせた。

 法成寺はそれを羨ましげに見ている。

「ありがとね。おかげで有意義なデータが取れたよ。いやー、面白い。ほんと面白いねー」

「ねえねえ、ところでさ。マスターを拘束する必要ってあったの?」

「ないよー。単に雰囲気と様式美でやっただけだしー」

「ちょいさー!」

 呆れた神楽の跳び蹴りをくらって法成寺は嬉しそうに悶えた。もしかすると、これが狙いで亘を拘束したのかもしれない。


◆◆◆


 デスクに向かった法成寺は複数のモニターを見ながら手元のキーボードを猛烈な勢いで操作する。それは指先がぶれて見えるほどだ。

 亘は感心しながら法成寺を見直した。なにせ職場は、少し前までブラインドタッチが出来るだけで褒められたレベルなのだ。これほどの使い手は見たことがない。

「よっし! データ解析完了だー!」

 手を止め満足したように頷くと、法成寺は椅子ごと振り向く。その拍子に机の上から食べかけだった菓子屑がこぼれ落ちている。だが、本人は気にした様子もない。

 ここは法成寺の仕事部屋で個室だ。

 とても羨ましい仕事環境であるが、しかし完全に魔窟と化している。色々な資料が雑然と山となり、よく見れば全国巫女図鑑とか巫女装束パンフとかが混じっている。そして作りかけのフィギュアも多数あり、神楽は自分によく似たフィギュアに近づき不思議そうに眺めていた。

「何か分かりました?」

「うーん。まあハッキリ言いますか。五条さん、あなたの身体はね……」

「まさか何か異常が!?」

「いえ、至って正常ですよー。病気とか専門外なんで分かんないですけどー、たぶんきっとおそらく医学的には正常ですよー。医学的にはねー」

 含みを保たせた言葉に亘はゴクリと唾を呑んだ。その頭上には神楽が着地し、身を乗り出し次の言葉を待っている。

「つまりー、五条さんの身体は想定よりDP濃度が高すぎるんですよー」

「DP濃度?」

「そっ、デーモンルーラーのレベルあるでしょ。あれって使用者が吸収したDP量を経験値として表示して、そんでレベル付けしてランクを表してるんですねー」

「レベルは存在の位階で、高いほど生物としての格が高いと神楽が言ってたが……」

「流石は神楽ちゃんですぞ! 良いこと言うね!」

「えへへっ、そう? ボク凄い?」

 法成寺が手放して褒め称えるため、神楽は大いに照れた。そして嬉しげに足下をバシバシと叩く。つまりそれは亘の頭なのだが。

「体内にあるDP量が多いと、それだけ強いわけ。異界の主とか強いと得られるDPも多かったでしょー」

「確かに……で、想定より身体のDP濃度が高いってのは?」

「うん。明らかに経験値として表示されたDPの吸収量と、体内にあるDP量が違いすぎるね。なんでかなー、さっきの凄い力出したのが関係しているのかな。こんなの初めてだから分かんないけどー。でもねー、ちょっと期待してたベクトルでの感じだねー。こんな凄いデータが取れるなんて、やったね!」

 法成寺は妙に嬉しそうだ。そのままご機嫌な様子で回転椅子を小刻みに揺らし、腰をツイストさせる。

「ところでアプリにつけた『デーモンルーラー』って名前ですけどー、どんな意味だと思います?」

「ええっと、悪魔の……定規?」

「うひひひっ、こんな時に冗談言うなんて、お茶目さんですねー」

「は、はははっ。すいませんですね。まあ、あっちの意味ですよね、ええっと言葉が上手く出ないな。ほらあれ、あれですよね」

 結構本気で言った亘は笑って誤魔化しだす。頭上の神楽は、絶対嘘だと言わんばかりの眼差しだが何も言わない。マスター思いの優しい従魔なのだ。

「そうでーす。支配者ですねー」

「あーそうそう、それ支配者。やだな、なんで言葉が出なかったのかな。はははっ、それで?」

「デーモンは語呂がいいんでデーモンなんですけど意味は悪魔。でも仏教での悪魔なんですよねー」

「それは詳しくないんで教えて下さい」

 これ以上は知ったかぶりで誤魔化すことは難しいと判断し、亘は素直に教えを請うことにした。普段こうしたことを話す機会のない法成寺は、何も気にせず話を続ける。

「いいですよ。西洋のデーモンは神に敵対する邪悪な存在、つまりサタンですね。でも仏教の悪魔は人の心に問いを放つ者、つまりー、悟りを目指す者が乗り越えるべき壁なんですよねー」

「それを支配するとは……つまりデーモンルーラーを使っていると、悟りが開けるとか」

 ハッとして目を輝かせた亘だが、即座に法成寺は否定する。

「残念、違います。このアプリで想定したのはですねー、DPを吸収することで人が人の壁を越えて、そんで人類の革新とか進化みたいな感じになればいいなーと。」

「じゃあ革新して進化してる?」

 だが亘の脳裏で何かがキュピーンと光ったりはしない。直感が冴え渡るわけでも、何かが理解できたわけでもない。ただ小首を捻るだけだ。

「どうでしょうねー。でもなんにせよですね、五条さんの状態って凄い面白いね。これ解析してスキルで再現できたら、新しい機能が生まれるかもねー」

「それは、あまりして欲しくないかも」

 亘は憮然として呟いた。苦労して――というほどでもないが、せっかく手に入れた力だ。それをあっさりスキルとして再現され使用されたら悔しいではないか。

 そんな様子とは別に神楽は大欠伸だ。

「ねーあのさー。そろそろ終わりにしようよ。ボクつまんないや」

「ぬわー! それは一大事。ごめんですぞ!」

 神楽のひと言で法成寺は飛び跳ねるように立ち上がる。椅子に座る亘をそのまま部屋から連れ出そうとしだした。

 小太りな体躯が微妙なバランスで積まれた資料類に衝突する。

「あっ……」

 一つが崩れ、二つが崩れ。やがて全体が音をたて崩れていく。

「ひぃ、神楽ちゃんお逃げ下され!」

 健気にも身を挺して神楽を守ろうとする法成寺であったが、その対象は亘と共に素早く逃げ出していた。

 茫然とする法成寺は書類に埋まり、後で亘に掘り出されるのだった。

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