閑50話 それを叶えてくれた者のため

――人は人と共にあるべき。

 誰も居なくなった広場を眺め、スオウは小さく息を吐く。そこに少しばかり寂しさが含まれるのは気のせいではないだろう。

 夢のような数日を思い起こす。

 気紛れで助けた小さい人間たち。少し食い物をやれば、優しいカエルさんと呼ばれドキドキした。襲い来た悪魔を撃すれば、ヒーロー扱いでワクワクした。輪になって踊れば胸がホコホコした。

 人から忌まれ恐れられ、他の悪魔から小妖とバカにされ生きてきた中で、こんなに幸せだった時は他にない。間違いなく最高の時間だった。

 その最高の思い出を胸にスオウは大きく息を吸い、止め、吐く。

「さて、もうちっとだけ助けてやるかい……なんじゃい、お主らも戦う気か。ケケッ、物好きな連中じゃ」

 リザードマンたちが集まってきた。

 こんな状況になる以前の異界からの付き合いだが、どうやら一緒に戦う気らしい。リザードマンたちなりに思うところがあるのだろう。

「しっかしなぁ、儂が人間のために戦うとはな、何が起きるか分からんわい」

 スオウは振り向き、水かきのある手をひさしにして眺めやった。

「おお、来た来た来よった。クケーッ、なんて数じゃろか。小さいのを狙っとるか、確かに肉が柔っこいからなぁ。じゃがなぁ、あいつらはなぁ――やらん!」

 押し寄せる悪魔の群れへと、リザードマン率いるスオウが突撃した。


 先頭の大柄なリザードマンが手槍を振るい飛びかかり、刺し貫いた相手に潰されながら相打ちになり、そのまま障害物となって群れの勢いを止める。足が止まった所へと、仲間のリザードマンが雄々しい叫びをあげ次々と襲い掛かった。

 相手の悪魔に比して数の少ないリザードマンたちだが、その戦意は極めて高い。手槍を次々繰り出し斬り刺し叩き、それが折れては爪と牙で攻撃し、爪が剥げ牙が欠けては尾を振るい打ち付ける。その身が傷つく事など少しも気にせず、最期の瞬間には食い付き道連れにして死んでいった。

 その先頭にあって荒ぶるのがスオウであった。

「グゲーッゲッゲッ!!」

 少しでも多くを倒し、少しでも長くを足止めしようと奮戦し続ける。

 右に左にと舌を振り張り手で弾き飛ばし、食らい付いては食い千切る。雑魚のみならず、異界の主に匹敵する存在をも撃破。幾つもの修羅場を潜り抜け生き延びてきた実力は並ではないのだ。

 戦いの中にあって戦いを忘れず、走馬燈のように過去の出来事を思い出す。

――日陰から見る世界は眩しくて羨ましかった。

 楽しそうに笑う人、語り合う人、優しい家族と共にある人、全てが羨ましく憧れた。けれど悪魔の、まして醜い蛙の姿をした自分には手に入らぬ世界だと諦め、憧れの裏返しで憎み怨みながら生きていた。人も喰らった殺した時もある。ずっと、そうして這いつくばって生きるものだと思っていた。

 それが変わった切っ掛けは一人の男の存在。

 最初は戦い殺し合い、次に会った時は気安く話しかけて来たかと思えば、その次に会った時は友とまで呼んでくれた奇妙な男。

 お陰で気づけた――自分は誰かに存在を認めて欲しかっただけなのだと。

 そして人間の小さいのを保護し助けたのだが、恐がられることも嫌がられることもなく、楽しく笑い会話をして、ついには信頼までされた。

 ならば、それを叶えてくれた者のため死力を尽くすのは当然のことだろう。

「かなりは倒した。じゃが、まだおるか……」

 どれだけの悪魔をDPに帰したか分からぬが、数百を倒した事は間違いないが倒し切れていない。引く気もなく、むしろ倒された仲間を喰らおうと集まる始末。

 最後のリザードマンが異界の主と相打ちになり、スオウは悔しげに呻いた。

「バカもん共が、死ぬまで戦うバカがおるかい。途中で逃げればいいものを」

 ついには孤軍奮闘、戦い続ける。

 悪魔たちの狙いは徐々にスオウへと移りつつある。たっぷりとDPを含み、疲れて傷ついた状態であれば格好の獲物なのだ。

「小さいのが安全になった……とは言える距離ではないわな」

 肩を深く切り裂かれる。だが、カエルさんと呼ばれた時を思いだせば痛くもない。回転蹴りで周囲ごと弾き跳ばす。

 手から先が喰い千切られる。一緒に手を取り踊った時を思い出せば痛くなどない。そのまま残った腕を叩き付ける。

 片目が潰される。周りを囲む笑顔を思い出せば痛くもない。舌を伸ばし貫いた。

「まだじゃ、まだ終わらん! 儂の意地を見るがいい!」

 かつて小妖のかつて人を殺めたスオウは、今は人のため今は大妖と互角に戦い続けた。


「まだ……まだ戦える……」

 ボロボロになり体液と血に塗れフラフラになりながら、それでも次の悪魔へと向かおうとして――その足がもつれ転倒した。ほぼ限界に近い状態だ。

 好機とみた悪魔たちが殺到し、スオウを喰らおうと襲いかかった。

 近くの木を支えに立ち上がろうと力を込めたスオウだったが、意思に反し足が身体を支えてくれない。尻餅をついて動けなくなったところに蛇のような悪魔が喰らいついた――寸前、その悪魔が消し飛んだ。

 しかも、辺りの目につく範囲の悪魔ですら消し飛んでいた。

「こりゃいった……」

「やあ、酷い姿じゃないか」

 現れたのは美しい女性だ。古式ゆかしい装束をまとい、花のように美しい。スオウにとって憧れの存在、アマクニであった。

「おおっ、桜の姫様……助かりました」

「うん酷い姿だね、このままだと君は死ぬよ」

「そのようですな」

 平然と言われた事に平然と答えが返される。

 スオウは今更ながら自分が背を預ける木が桜だったと気付いた。

「つきましては、桜の姫様にお願いが……」

「ああ、残念だが君を助ける気はないね」

 アマクニは先回りして素っ気なく言った。そこには失望が含まれている。長い生の中で、目をかけ手を貸せば図に乗り次々と要求を重ねる手合いには何度も遭遇しているのだ。やはり今回も同じだったかと不機嫌になっているのだった。

 しかし座り込んだままのスオウは静かに首を振る。

「いんや、儂でのうて人間を助けてやっとくれませんか」

「ほう?」

「伏してお願い申す、この通り」

 スオウは傷ついた身体を動かし、ふらつきながら手を突き言葉通り地に伏してみせた。身体を支える力など残されておらず、そのまま頭が地面に落ちてしまうほどだ。息遣いは荒く苦しげで、命の灯火が消えつつ。

 それでも地面に頭をすりつけるように懇願をしている。

「君が人間をね、どうした風の吹き回しなんだい」

 アマクニは興味をそそられた。小首を捻る仕草はどこまでも優雅で超然とさえしており、まるで次元の違う存在のようだ。実際にそうなのだろうが。

「こんな儂をな……友と呼んでくれた人がいて、一緒に踊ってくれた人がいる。そして、信じてくれた人も。ただそれだけですわい」

「それだけの事で人間をね」

 息も絶え絶え伝えられた言葉にアマクニは超然としたまま考え込む。だが、所詮は神という枠にカテゴライズされる存在だ。あまり興味を持った様子はない。

「それはともかく、このままでは君は死んでしまうね。仕方ない気が変わったよ、君を助けよう。そうだね特別に眷属にでもしておこうか、それなら直ぐに傷も癒えるだろうからね」

「厚遇痛み入ります……が、お断りしますわい」

 その回答にアマクニは今度こそ戸惑った。

「なにを? 助かりたくないのかな」

「まさか、そんなはずありませんわい。儂は死にとうはありません」

「だったら何故――」

 アマクニの言葉を遮らせる勢いでスオウは顔をあげた。明らかに消えゆく命の最期の輝きだ。

「だからこそ、この命と引き替えに先程の頼みを!」

「君の命に、そこまでの価値があるとでも?」

「これしかない、これしか差し出せぬ!」

 断言したカエルの悪魔はサラサラと崩れ、その姿が消え去った後に小さな髪留めが一つ残されただけだった。

 その場に佇むアマクニは何の表情も浮かべない。美しい顔は怜悧な程で冷ややかにさえ見えた。ややあって、ほっそりとした指先が髪留めを拾い上げた。

 造形は甘く出来も悪く見るからに安っぽい玩具だ。

「これがあっただろうに……いや、手放せなかったか」

 アマクニは強い強い想いが込められた髪留めを自らの髪に留めた。

「君が命より大事にしたもの、それを頂くとしよう」

 神仏は願いを叶える存在ではなく、むしろ気紛れで無慈悲な存在でしかない。人間的な可哀想といった感覚で動く事はない。

 アマクニはスオウの消えた場所から目を逸らすと、心持ち視線をあげ小さな息を吐いた。寂しさ哀しさ羨ましさ万感の思いが込められている。静かに足を進める姿が消えていき――そして桜が咲いた。


 DP飽和という悪魔が跳梁跋扈し数多くの犠牲者の出た異常現象。

 その現象について後に語られる時、必ず出る話が一つある。人々が悪魔に襲われ逃げ惑う最中、全国各地で一斉に桜が咲き誇り、その香が漂い花弁の舞う場所には悪魔が近寄れず多くの人が命拾いしたという話だ。

 けれど、その奇跡を導いた存在を誰も知らない。

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