第86話 地形ダメージ空間
「やっと異界から脱出できたっす!」
「ミッションコンプリートや!」
コンクリートの壁から出現したチャラ夫とエルムが嬉しそうにはしゃぐ。手を取って二人して跳ねるが、元気なことだ。
つづいて現れた七海も安堵の様子だ。現れる時、前に出した手に続き、胸から現れるのは流石だ。次に現れた志緒なんて、胸が先という印象は欠片も感じなかった。
七海がエルムの隣に行く。相変わらず、亘が渡した穴あきジャケットをしっかり羽織っている。
「街の音を聞くと、なんだか帰ってきた実感がしますね」
「そやな、さっきんとこは洞窟で静かやったし、余計にそう感じるわ」
異界の第二階層から脱出した先は、街の真っ只中だった。それも駅にほど近い高架下だ。そのため、頻繁に頭上を電車が轟音をたてながら通り過ぎていく。
さらに車の走行音やクラクションに、歩行者信号のピヨピヨ音。そうした人の営みの発する音が聞こえてくるため、無事戻って来られたとの実感が湧く。
亘は出てきたばかりのコンクリートの壁をぺチぺチ叩いてみた。もうすでに普通の壁に戻っており、ここからは入れないらしい。
「ここから出てきたとは不思議だな。『石の中だ』からの脱出か、はははっ」
「あら、石でなくてコンクリートでしょ?」
「……いいんだ、元ネタが通じなくてもさ」
志緒に真顔で返され亘は気落ちした。
「あら。何か元ネタのある話だったのね。分からなくてごめんなさいね」
「その態度が余計に傷つく。黙ってスルーしてくれ」
「難しい人ね」
志緒がやれやれと首を振ってみせた。
「まあいいわ。それにしても、すっかり暗くなっているわ」
志緒は大人の女性っぽく髪をかき上げ呟いた。その言葉に亘も辺りに目をやって頷く。異界の中での体感時間は数時間程度だが、すでに半日以上が経過し宵闇が迫る時刻だ。
「思ったより中にいた時間が長かったみたいだな。入ったのは午前中なのに、もう夕方か」
高架下を足早に通り過ぎていく人も姿も多いが、誰もコンクリートから出現した亘たちに驚きもしない。認識阻害の効果が働いており、自然な動きで避けていく。
なんとも妙な気分だ。
「ふむ、異界も層が深くなれば時間の流れが若干異なる。多少のズレは仕方あるまいて」
「なるほど。そうなると、あまりに深いと浦島太郎になったりとか」
「あれも元はそうした話だからのう」
「本当か」
「そう聞いておる。我とて、一時間程度のつもりが半日経っていたことがあるでな」
「それも充分酷いぞ」
亘は藤源次と会話しながら安堵する。スオウを見逃したことで、これまでの関係が台無しになってないか心配だった。だが、どうやら杞憂だったらしい。
「ふむ。それでは、我はこれで失礼させて貰おう」
「今日は色々とすまなかったな」
「……正直納得できぬが仕方あるまいて。我は帰って上層部に報告を……いや、その前に子供らへのプレゼントを買わねばならぬ」
「子供!?」
「なんだ五条の、妙な声を出しおってからに」
「いやさ、子供がいたのが意外で」
亘はなんとか言葉を紡いだ。藤源次も自分と同じ独身だと勝手に思っていたため、なんだか裏切られた感が強い。今日一番の衝撃的出来事だった。
がっかりした亘を余所に、藤源次はどこか照れくさそうに鼻をかく。
「我とて人の子よ。二人おるが、一人はその子らと同じぐらいの歳だ」
「へー、そうかい。そりゃどーも、良かったですね」
「うむ。それでは、また何かあれば呼ぶといい。いつでも協力しよう」
歩き出した藤源次はすぐ闇に紛れ姿を消してしまった。忍者装束でプレゼントを買いに行くとは思えないが、藤源次ならやりかねない。しかし、一昔前ならともかく、今の時代ならコスプレ程度にしか思われないので問題ないだろう。
亘が少し皮肉な気分で見送っていると、背後から騒々しい声が響いた。
「じゃあ俺っちはどっか遊びに行くっす!」
「このオバカ、父さんと母さんが待ってるでしょ。家に帰るわよ」
「せっかくのクリスマスっす。今日ぐらい楽しく騒いで遊ぶっす」
「あなたは、毎日遊びほうけているでしょ!」
「志緒姉ちゃんみたいな一人寂しいクリスマスとは違うんすよ。いぎゃぁ! ギブギブやーめーてー!」
怒り狂った志緒に顔を鷲掴みにされ、チャラ夫が悲鳴をあげた。酷い仕打ちだが、チャラ夫相手なら誰だって、そうしたくなるだろう。
その魔手を逃れたチャラ夫が宣言する。
「とにかくクリスマスは遊び倒すっす!」
「あら姉ちゃんに逆らうのね、そう」
志緒が不敵に笑うが、チャラ夫も負けてはいない。
「はんっ、俺っちの方がレベルが上なんす。これから協力したげないっすよ!」
「異界へ行くのに、『闇の力を抑えるリストバンド』は装備しないのかしら」
「あいえぇ!!」
「『くっ、静まれ』とか騒いで、私が何を言っても『闇の力を持たぬ者には分からぬ』と言ってたわね、あと……」
「帰ります。帰るから、もう止めてっす!」
チャラ夫は必死に姉の背を押し帰ろうとする。エルムはニシシッと笑い、優しい七海はスルーしてあげている。なお、亘は貰いダメージを受けている最中だ。
肩越しに振り向いた志緒はイイ笑顔をしていた。
「それじゃあ皆さん、今日はこれで。色々ありがとうね」
「志緒さん、お疲れさまでした」
「ほんならなー」
姉弟が遠ざかり、立ち直った亘は肩を竦めながら踵を返した。
「じゃあ帰るかな」
「はい、帰りましょうか」
「そやねー。特にウチなんて初めてやったし、身も心も疲れとるわ」
そのまま大通りへと出る。
この地方で一番栄えた街の一番の目抜き通りだ。そこら中がイルミネーションで飾られ、赤や緑や白で彩られていた。無節操にクリスマスソングが垂れ流され浮き立った雰囲気に包まれている。
そしてなにより――大量のカップルが闊歩していた。そこかしこにイチャイチャする男女の姿がある。どこから湧いて出たと、言いたいぐらいだ。
ここは三十五歳独身男にとって地形ダメージ空間と化しており、異界を歩くよりよほど危険だ。
今も直ぐ横を大学生ぐらいの男女が通り過ぎていく。男が女の腰に手をまわして抱き寄せ、女の方もされるまま、しなだれ掛かっている。
「ホテルの最上階を予約してあるんだ。なあ、いいだろ」「もう……ばかぁ、そーいうのは黙って連れてってくれなきゃ、ダメなんだからぁ」「ごめんごめん。じゃあ行こうか」「うん」
イラっとする会話が耳に入り亘は頬をピクピクさせた。胸にドス黒い感情が沸き上がる。どうやらカップルどもにとって、聖なる夜は性なる夜らしい。APスキルに隕石召喚がないだろうか、そう本気で考えてしまう。
――いかん、いかん。
亘は深呼吸して気を落ち着けた。
羨ましくなんてない。人を妬んだところで見苦しいだけ。早いとこアパートに帰り今日稼いだDPでも数えるべきではないか。こんな魔窟はさっさとオサラバして帰ろう。
そう考え自己欺瞞を果たしていると、突っ込んできた少年たちに押しのけられ、たたらを踏んだ。
「おっと」
認識阻害の効果はもう終わっているが、その少年たちは亘などいないように突っ込んできた。文句を言う勇気はないので、精一杯の不快の意を込めジロリと睨むしかない。
けれど少年たちの方は、亘のことなど眼中にはなかった。七海とエルムの進路を阻むように立ちはだかっている。
「君ら可愛いよね、こんな時間に女の子二人ってことは、暇でしょ」
「そうそう、人数も丁度いいじゃない。俺らも二人だしさ、さあどこ行こうか」
見るからに女の子に騒がれそうなイケメンだ。着ている服もお洒落で、それをスタイル良く着こなしている。ちょっと強引に女の子を誘っても許されるタイプだろう。
様子を伺っていた亘は我身を顧みて悲しくなった。
パッとしない顔で、着ている服だって地味な色合いの年齢相応のデザインの服だ。しかも異界の戦闘で汚れ破れ、みすぼらしい。
「何、そのジャケット。せっかく可愛いんだからさ、そんな汚いダサいの着ちゃダメダメ。」
「俺が新しいのプレゼントしたげるよ。脱いで捨てちゃいなよ」
果たして七海とエルムはイケメンの誘いを断るだろうか。しかし相手は、断るにはイケメンすぎる。このまま二人が誘いにのってしまえば、残された自分はあまりにも惨めだ。しょぼしょぼと、立ち去ろうとするしかなかった。
「あー悪いけど、ウチら先約あるんで。さっ、行くでナーナ」
「そうですね。行きましょう」
そんな声が聞こえ振り向くと、エルムが七海の手を引き、イケメンどもを押しのけ亘の元へとやって来るではないか。亘の心境は、段ボール箱の中の子猫だ。拾われる寸前の期待と不安の入り混じった気分だが、それを顔には出さないよう堪える。
「えーっ、いいじゃん。そんなムサイの放っておいて俺らと遊ぼ」
「さ、いいお店知ってるからさ。ほら行くよ」
イケメンどもは思いのほかしつこい。追いすがられる七海とエルムは二手に分かれ、示し合わせたように両側から亘の手を取った。
「五条はん、行こか。今夜は長いで」
「そうですね、長いですから楽しみましょう」
そのまま挟まれて引きずられるように連れて行かれると、後ろから忌々しそうな舌打ちが聞こえた。
「えっと、いやその。そこ右に曲がろか」
背中に感じる視線が恐くて、姿を消すべく路地を曲がる。それが間違いだと気付かぬままに。
そこは煌びやかなネオンのひしめく通りだった。
下着姿のコンパニオンの写真、なんとかプレイOKとか、ポッキリ料金との看板が大量に並ぶ。ハートマークを付けたホテルの看板には『ご休憩』の文字があって、そこにカップルどもが吸い込まれるように入っていく。
「おや五条はん、やっぱ、今日の授業料の請求ですかいな」
「あいや、そのようなつもりでは」
亘の顔が赤くなったのは、なにもネオンの光が反射してだけのことではない。
そのままイカガワシイ通りを早足で通過するが、途中で散々エルムにからかわれてしまい、その先にあった小さな児童公園に入る頃には、すっかり疲れきった顔になる。
「あははっ、でも五条はんの慌てっぷり面白かったわー。あー楽しっ」
「お侍さんみたいな喋り方してましたね」
「ほんまやな」
傍らにある自販機でホットの缶コーヒーを買った亘は下唇を突き出し憮然とした。その顔を見て、少女二人から楽しげな笑いがあがっている。
それを聞きつつ、亘は缶コーヒーをあおり飲んだ。ちょっと拗ね気味だ。
「何とでも言ってくれ」
「にししっ、まあ怒らんといて下さい。そんなことより、これまでの異界のこと教えて下さい。そや、あの缶詰ちゅうのはどんな感じなんです?」
「あれか、あれはな……」
話ながら亘は気付いた。クリスマスの夜を、親以外の誰かと過ごすのは初めてだ。その相手がこの二人なら、素晴らしいことではないか。
亘は拗ねた気分を忘れ、ほんわかした気分で話をしだしたのだった。
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