第352話 自分はこんなじゃない
「これはどうだい?」
涼やかな声が響く。
それに反して強烈な踏み込みが道路のアスファルトを踏み割る。猛烈な一撃が、亘を吹っ飛ばした。ボールのように何度か跳ね、ガードレールに激突して止まる。
唸りながら身を起こした亘は、頭の片隅で冷静に考えていた。
アマクニ様は想像以上に強く、このままでは勝てるとは思えない。どうすれば勝てるのか――否、何故自分は戦っているのだろうか――何とか打ち倒して踏みにじりたい――自分が何を望んでいるのか分からない。分からない事が恐くて――恐いから倒さなければいけなくて。
思考が乱れる中に、清浄な声が差し込む。
「もっと自分の心を見つめなさい。己を省みることは大切だよ」
そう言ったアマクニ様は白シャツの胸元で赤いリボンを揺らし、紺のスカートの丈の長さをものともせず、軽やかな足音を響かせガードレールの上を駆け迫って来る。
亘は込み上げる破壊の衝動のまま、その足場となっているガードレールを強く殴りつけた。鈍い音と共に白く塗装された鋼材がたわみ、波打つような揺れが伝播した。
思わぬ足場の変化に、アマクニ様は軽く目を見張りつつ、それでも道路に着地して走って来る。手を後ろに逸らし、風のように滑らかな動きだった。対する亘は顔をしかめて待ち構え、そして近づいたアマクニ様へと踏み込んで迎え撃つ。
ドスンと鈍い音が響いた。
ビルの谷間に広がったその音を、固唾をのんで見ていた七海たちも聞いている。再び亘が吹っ飛ばされ、今度はビルの外壁に激突したのだ。
「こんなものではないのだろう? もっと本気を出しなさい」
「……痛い、苦しい。許さない!」
「そうだよ、生の感情でぶつかってくるといい」
亘の表情は憎悪にまみれ、解放された力の余波が身体に纏わり付き紫電のように煌めく。これまで全ての敵を容易く倒してきた力を全力で用い、目の前の敵へと襲いかかる。
そして接近した両者は互いに攻撃を繰り出し、右に左に位置を入れ替えて、離れたかと思えば近づき、近づいたかと思えば離れて動きを止めない。
アマクニ様は軽く跳び上がり、空中で身を捻って腕を振るってきた。それを受け止めた腕の骨が軋む程だ。顔をしかめた亘が殴りつけるものの、その腕に巻き付くようにして躱され迫られ、胸に一撃を貰ってしまう。
肺の中から空気が全て押しだされ後ろに押されるが、しかし亘は堪えてみせた。
「あはははっ、こういうのも久しぶりで楽しいね。そろそろ仕上がって来たかな?」
「このっ!」
大きく咆えて亘は肩から突っ込むが、アマクニ様は軽やかに退いた。逃げられたと思って追いかけた瞬間、そこに素早く前に出たアマクニ様が迫って、とんっと亘の額を突く。
「さあ、頑張りなさい」
そんな声が聞こえると同時に、亘の意識は暗転した。
◆◆◆
「ここは……?」
目を覚ますと、そこは青い空間であった。
視界が青味を帯びて、もやもやとして遠近感もおかしい。いろいろな物の断片が見えて、何が何だか分からない。ふと、その中に以前に暮らしていた賃貸のアパートの欠片を見た気がした。
途端に、辺りがアパートの景色に変わる。
そこは就職して初めて借りた築四十年の1DKアパートだ。その後にも転勤に次ぐ転勤で、あちこちで暮らしたが、ここが一番安くボロく、そして思い出深い。
視界はまだ青いが、壁紙の白さやカーテンの黒さは認識できる。
「…………」
ドアの前に立って見回せば、部屋の中央にコタツテーブルがあって、その上に飲んだままのコップや、ボールペンや目薬や本などが散らかっている。確かに間違いなく昔に見た光景で、そして――そこに自分がいた。
青味を帯びた姿は、確かに自分だ。
ただし、今よりも若い二十代半ば過ぎ。そんな自分がのそのそ動いてコンロの前に立ち、お湯を沸かしてコーヒーの準備している。もちろん安物のドリップコーヒーだ。何か古い映画でも見ているような気分の光景だった。
コーヒーを手に振り向く顔は、嫌な印象を与えるものだ。
つまらなそうで面白みはなくて、拗ねてふて腐れ疲れきった様子が色濃く、他人に与える第一印象は最悪だろう。そんな青味を帯びた顔の目は、視線を間違いなくこちらを捉えている。しかも、聞き取りにくい陰気な声で話し掛けて来た。
「座ったらどう」
「お前は……」
「もちろん、お前だよ。こう言えば分かるかな――我は汝、汝は我、心の中に存在する押し込められた感情と」
「何だか分かる。きっとそうなんだな」
「だったら、そのまま分かるだろう。お前の大嫌いな自分なんだと」
亘は青い自分と見つめ合う。
なぜか強烈な忌避感が込み上げて来た。鏡で自分を見た時とは違って、写真で見る自分に感じる気分だ。即ち自分だと分かっても自分だとは認めたくない、自分はこんなじゃないと否定したくなる。
「仕方ないだろ。これは過去に実際にそうだった自分なのだから」
「…………」
「最近は調子に乗って楽しいよな。でも、忘れるなよ。これがお前の本当なんだ。世の中を憎んで恨んだ気持ちは、今でもあるのだから」
その青い自分が言う言葉は、事実だった。
父親のせいで家は金銭苦に陥り、今は穏やかな母親もその当時は常に苛立ち怒ってばかり。そんな家族を支えるため働いて得た給料を家に入れ、周りが楽しく遊ぶ中での小遣い生活。
そうやって華やかな二十代が終わって、出遅れた自分は気付けば周りから浮いていた。こんなはずじゃなかったと思い続け、自分を保つために趣味に没頭する日々。
「面白くないよな。世の中全部が間違ってるよな。皆を同じ目に遭わせたいよな」
「そこまでは思ってない」
「本当に?」
問われた亘は何も言えず黙り込むが、青い亘は口の端を歪めて笑った。
「でも、そんな気持ちがお前の力になっているのは事実だろ。この怒りと憎しみと恨みと嫉みが、お前の力の源だ。ストレス発散と軽く言うが、自分の嫌な感情を別の相手に押し付けている。つまり自分と同じ目に遭わせているだけじゃないか」
「それは……」
「悪魔はDPから生まれ、DPは感情から生まれる。皮肉なもんだよな、性格が悪くて負の感情があるからこそ、DPを暴走させた力が使える」
「もういい黙れ、聞きたくない」
「今更なんだ? ちょっと上手く行ったからって、昔のことは全部忘れたいってのか。よせよせ、どうせまた失敗する。今までの人生だってそうだっただろ。上手く行きかけると、何かが起きて全部台無しになる。今度もきっとそうだぞ」
「黙れ!」
「誰も信じられないだろ。いつかは嫌われて離れていくに違いないと疑ってるだろ? 本性を知ったら、たとえ七海だって――」
「うるさい!」
亘は青い姿の自分を突き飛ばした。
先程のアマクニ様と戦っていた時のような力強さは無い。ごく普通の当たり前の人と同じような動きだ。青味を帯びたコーヒーをぶちまけながら倒れた自分へと、さらに拳を握りしめて向かった。
「もういい、分かった。つまりこれは試練なんだな。戦いの中で力を使いこなす方法のために、もう一人の自分と戦えっていうことか」
しかし近寄った亘の足を、青い自分が蹴りつけてきた。避けて飛び退いた隙に、そちらはテーブルの上のペットボトルをつかんで構えている。さらに顔を歪めて嘲笑っているではないか。
「世の中が酷い事になって、嬉しいよな。皆が自分と同じレベルの不幸に落ちて、嬉しいよな。自分が目立って頼られて、嬉しいよな」
「さっきから、うるさいんだよ」
亘は呟いた。自分は変わりたいと思って、前に進もうと思っている。だから目の前にいる過去の自分は、克服すべき存在なのだ。その考えが分かるのか、青い色をした自分は、手に持ったペットボトルを脅すように向けてきた。
「こっちだって、世の中をもっと不幸にしてやりたいんだ。お前を倒して主導権を貰って、思いっきり暴れてやる」
「そんな子供っぽい考えは嫌なんだよ」
亘は辺りを見回した。そして入り口の脇の小棚にまで後退ると、そこに転がっていたペットボトルを手に取って、しっかりと握りしめた。
「悪いが、今度こそ信じたいんだ。周りの皆を」
亘は気合いを入れた。この三十余年良い事もなく生きてきて、ようやく良い事に巡り会えてきたのだ。神楽とサキに出会い、チャラ夫や七海やエルムやイツキに出会って、最初は気に入らなかったヒヨも良い奴に思えてきて、その他の人とも上手く行きだした。認めてくれる人が多く現れてきたのだ。
確かにDPを集めて金稼ぎという気持ちは強いのだが、仲間を守りたい気持ちは強い。ちょっとだけだが、その他大勢の人も助けてやりたい気持ちもある。僅かだが。
亘はペットボトルを振り回した。それを避けて、青い自分が一気に迫ってペットボトルを突きだしてきた。胸に強い痛みを受けつつ、亘はペットボトルで青い自分を叩いた。そこに反撃が来る。
ペコンポコンと間抜けな音が、静かな空間に鳴り響く。
間抜けな攻防に見えても、やっている当人たちは真剣だ。パコンッと音が響いて青い自分が顔をしかめ、横に動いた拍子にテーブルに足の小指をぶつけ悶絶している。そこに亘が繰り出した拳が命中。それでも掴みかかってくるが、青い両手をはね除けた。
身体能力は並でも、これまで培った戦闘経験がある。そして目の前の相手を悪魔だと思ってしまえば、戦うことに躊躇はない。
「これで終わりだ」
亘はもう一度拳を放つ。荒い息をしながら、青い姿が引っ繰り返って床に転がる様子を睨んだ。言葉のとおり、これで勝負は完全についていた。
【お知らせ】
大人の読める気楽なファンタジー「剣聖と剣聖の娘と悪いお嬢様と」、月火木金で更新中! 好評連載中、そちらも読んで貰えるとありがたいです!
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