第320話 いざとなったら逃げてやる

 狭い路地の左手側は民家の塀が続き、右手側は道路際ぎりぎりにまで家屋が迫っている。普通車が一台通行できるかどうかの幅しかなく、よく見れば塀には擦ったような痕がいくつもあった。

 住宅街ではあるが、人の気配はない。

 何気なく家屋の二階を見上げれば、割れた窓ガラスの向こうから引き千切れそうなカーテンが垂れ下がっている。路上に散乱しているガラス片からすると、中から誰かか何かが飛び出たのだろう。ただし、他に何の痕跡もないため結末がどうなったかは不明だ。

「…………」

 簀戸は無言で思考を巡らせていたが、それを隣の入鹿が邪魔をした。

「あかんね。あいつら偉そうすぎ。どいつもこいつも民度が低すぎ、つまり老害どもを甘やかしちゃいかんってことよ。俺の心を傷つけた謝罪と賠償が欲しいわ。ワンチャン訴えてやろうか」

 訓練に出たところ、後を追いかけてきたのだ。後は延々と愚痴を垂れ流し、たらたらした歩きで靴裏で地面を蹴り靴音を響かせている。

 簀戸が視線を向けると、入鹿は後頭部を手櫛で梳き弄りながらぼやいた。

「もうさぁ。倒してきましたーで、よくね?」

「いえ、それは如何なものかと。それに倒した悪魔のDPというものが、スマホにカウントされるそうです」

「ちょーっ、それマジで?」

「マジですね。ですから、後で確認すれば倒したかどうかは分かりますって」

 それ以前にレベルを見れば一目瞭然なのだが、簀戸はあえて触れずにおいた。

「ちくせう、このゴミシステムはクソ仕様だぜ。クソキレ散らかしてやりてぇ。だいたい悪魔倒せとか、五条とかっておっさんが言っとるだけやろ。てめぇで倒せってんだ。馬鹿馬鹿しいよな。こんな世の中とか、とっとと滅んだ方がいいな」

「滅んで貰っては困ります」

 淡々と言って、簀戸は道端にあった小さな社に気づくと手を合わせた。別に信心深いわけではないが、悪魔に殺された両親が救われるようにとの願いもある。

 しかし入鹿は遠慮無く大きな欠伸をして、左右を見回していた。


「ふぁっふぁーあーあっ、クソっやる気が出ねえ。おっ、待てよ。悪魔を十体倒して下さいってのは、お願いなわけでノルマじゃなくね? これワンチャンあるわ。俺頭いい、倒す必要ないじゃん。それでも戦えとか言われたら、パワハラでーすって訴えてやればいい。当然の権利だからな。俺は死んでも徹底抗戦してやるぜ」

「僕らは悪魔を倒すことを目的に参加して、その中で活動しています。その内容から過度に外れず、且つこの状況下において大多数の者が許容して受け入れているのであれば、それについて訴えたとしても勝ち目はありませんね」

「そうか、しゃーない訴えないでやるか。とりあえず、あの五条とかってクソ野郎を見ても、心の中でバカ野郎と思うだけにして、口には出さないでおこう。その代わり、頭の中ではめっちゃバカバカ思ってやるんだけど」

「はあ……それはそれとして、戦いませんと」

「簀戸君は真面目だな。いいじゃんか、もうそういうの適当で」

「ですが、戦うことは自分のためになることです。文句を言っても仕方がありませんよ、真面目にやりましょう」

 簀戸は注意深く周囲を観察し、さり気なく立ち位置を変える。用心深く、壁際など身を守れる場所をキープしている。

 だが、入鹿は気にもせず、道の真ん中など、ひらけた場所を歩くばかりだ。

「戦うとか、やだぷー。だって危ないやんけ」

 甲高い声で笑う入鹿を見やり、簀戸は幼稚だなと考えた。

 言動が下らなく自己中心的で目先のことしか考えていない。実に愚かで低俗だ。もし傍に居れば、自分が巻き込まれ迷惑を被る可能性が極めて高い。本格的に切り捨てるべきだが……その前に何故こんなにも戦いたくないのか不思議だ。

 簀戸は――頭の良い人の特徴として――疑問があれば確認したくなる性分だった。

「では、どうして志願したのです? 少なくとも僕は悪魔を倒すため志願しました」

「そりゃだって、特別待遇って言われたやんけ。そんなん逃す手はないじゃん。それに戦うとか言っても、はいはいって言っとけば誰かが倒して終わると思ったし」

「それはないですね。戦うのは避けられませんって」

「いいや俺は戦わないね、俺はやりたくない事は絶対やらない主義なんだ。いざとなったら逃げてやるから。だって危ない目に逢うとかバカらしいやんけ」

「こうした場合、敵前逃亡は重罪なのでは」

「なら、自分の従魔を置いて逃げときゃいいかなって思う。戦いましたがダメでしたーって言えば良くね?」


 簀戸が不思議な生物を見るように目を瞬かせた。全く以て理解の範疇外で、このような人間が――たとえ目の前に居たとしても――存在することが信じがたかった。

「言ってもダメでしょう」

「なんて、言うかね。きっと簀戸君とか、皆は頑張りますって気かもしれないけど、俺はそうじゃねえし。なんかもう、超絶面倒くせぇ。簀戸君助けてくれ、本当やだ」

「頑張るしかないでしょう」

「やだやだ、なんか頑張るとか死ぬほどダサイ。俺の趣味じゃない」

 入鹿は両手を上げ、跳びはねながら回転してみせた。

「よしっ! こうなったら、ちょっと怪我してみるのもワンチャンありだな。労務災害でーす、名誉の負傷でーす、って言えばもう完璧。それでも戦えとか言われたら、マジでパワハラじゃん。訴えても絶対に勝てるっしょ。俺は、そういうの徹底的にやるタイプだから。絶対に許さんね。ああ、俺って本当に頭いいわ」

 住宅街の貸し駐車場にさしかかり、その開けた場所を確認すると、簀戸はさり気なく位置を変え壁側をキープした。しかし入鹿は、ふざけた様子で駐車場に近づく。

 十台は駐められる駐車場に、半分ほどの車両が残されていた。

「ちょっと悪魔さん出て来て軽く怪我させてくんないですかね。悪魔どこやー」

 車体には近くの樹木から木の葉や枝が僅かに積もり、大きく凹んだ衝突痕には雨水が溜まり虫が浮かんでいた。タイヤ周りには幾つものビニール系ゴミが引っかかっている。

 そのビニールが風もないのにガサガサと音をたてた。

 入鹿は呑気に見やり、喉の奥まで見える生欠伸をした。

「ふぁぁーあ、なんじゃろね? 悪魔か? 可愛い悪魔ちゃんなら出ておいでー」

 呼びかけに応えたわけでもないのだろうが、車の陰から一体の悪魔が現れた。


 その現れた姿は小柄で痩せ細り、腹だけが膨らんでいた。ギョロギョロと目を動かし、入鹿に目線を定めると、涎を垂らしながら歯を剥き出しヨタヨタ向かってくる。

「うええっ! 何あれキモいんですけど、キモっキモっ!」

 狙われる入鹿はその場で騒ぎ立てるばかりで動こうともせず、もちろん従魔のゴミヤロも同じように騒ぐだけだ。悪魔は見る間に迫って来る。

 簀戸は深々と頷いた。

「ああ、あれはガキですね。事前レクチャーの資料にありましたね」

「マジでキモーっ! 簀戸君、やばいよ。俺を助けてくれい!」

「はいはい、それでは。ヌリ壱号、やってしまいましょうか」

 四角いブロック塊のようなヌリカベが突撃し体当たりをする。ガキが蹌踉めいたところを、繰り返し体当たりしていく。そのまま車との間に挟み込むと、動かなくなるまで押さえ続けている。

「ああ、どうやら勝ちましたね。この従魔は、なかなか使えますね」

「マジでびびった。ちびるかと思った、キレ散らかしてやりたい気分だわ。このゴミカス野郎の悪魔が、ゴミカスのくせに俺をびびらせやがって。超ムカつくわ」

 入鹿は薄れゆくガキの姿に何度も蹴りを入れた。

「今の感じであれば戦闘としては問題なさそうですね」

「もうやだ、俺は嫌だ。もう、やりたくない。こんな死にそうな目に遭って頑張る奴の気が知れんわ。簀戸君、俺の代わりに戦って強くなったら、俺を楽させてくれい」

 その言葉に対し簀戸は曖昧な微笑を口の端に浮かべ今の戦闘を思い返していた。

 敵悪魔の狙いは入鹿に向いていたが、今後も二人でいればターゲットは分散し、一人当たりの危険性は間違いなく低下するだろう。しかも、無造作に動き騒ぐ入鹿が狙われる可能性は高い。危ないとなれば囮に全てを引きつけて貰って逃走することも十分に可能――淡々と考えた簀戸は、にっこりと口の端を上げた。

「分かりました。別に今からでもいいでしょう、僕が戦いますよ。入鹿さんは一緒に居て応援でもして下されば構いません」

「おお、そうかそうか。さすがは簀戸君、心の友に認定してやる。よし、俺の為に頑張ってくれい」

 自分が戦わないですむと分かって御機嫌な入鹿を伴い、簀戸は淡々と進む。何かに付け大騒ぎする囮をしっかり活用しながら、餓鬼などの悪魔を淡々と倒していった。

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