閑34話 まったりと過ごす夜

 サキはそっと目を閉じ心持ち顔を上げた。

 一糸まとわぬ肌は健康的な色合いの白さを帯び、淡く光を反射するほど透明感がある。長い髪は金の滝の如く流れ落ち、背からお尻までを覆う。ほっそりとした体つきはまだ肉付きが薄いものだ。

 横にかがむ亘は意を決すると手を伸ばし――風呂桶のお湯を注ぐ。それは水弾きの良い肌に一瞬も留まることなく流れていった。

 たっぷりの湯を浴びたサキが頭を振り水気を跳ね飛ばす。長い髪は腰やお尻に張り付くものの、短い髪から飛んだ水気が辺りへと降りかかる。

 間近にいた亘は水滴をもろに浴びてしまう。

「おい止さないか、後で風呂掃除が面倒になるだろ」

「ぶうっ」

 条件反射の動作を咎められてしまい、サキは口を尖らせながら動きを止めた。

 異界での約束を守るため風呂で洗っている最中である。

「ほら椅子に座るんだ。頭を洗うぞ」

「ういっ」

「シャンプーは目に染みるからな、ちゃんと目を閉じるんだぞ」

「んっ、閉じた」

 細々と言いながら、亘は手に取った原液をまずしっかりと泡立てる。それから金色の髪に載せ、頭を揉み込むように洗ってやる。

「力加減はいかがでございましょうか、お嬢様」

「んっ、もっと強く」

「へいへい」

「強すぎ」

「へいへい」

 調子に乗ったサキは座ったまま足をばたつかせ嬉しそうだ。ご機嫌取りでした約束のため、亘は唯々諾々と従うしかない。そして浴槽に目を向けた。

「湯加減はどうだ」

「そだね、熱めでいい湯だよ」

 神楽が浴槽の縁に掴まりながら湯につかっている。浴室の小窓から流れ込む外の空気に、湯でのぼせた顔で目を細め心地良さげだ。

 波を起こさぬよう注意し、風呂桶でお湯をすくいサキにかけてやる。何度か繰り返し、長い髪から泡を全部落とす。水気を手で挟みながら拭い取ると、今度はリンスをまぶし、また湯をかける。濯ぎ残しがないようにしっかりと洗っていく。

「身体洗って」

「へいへい、仰せのままに」

 腕から肩に鎖骨までをタオルで擦っていく。バンザイさせ胴まで洗っていくが、さして起伏もなく肋骨の位置も分かるぐらいだ。そんな途中で、脇腹を軽く指で挟み肉付きを確認した。

「ふむ……明日からご飯を減らすか」

 たちまちサキは目を怒らせた。

「太ってない!」

「冗談だ。そうも怒るな」

「マスターってばさ、冗談にしても言ったらいけないよ」

「ご飯を減らすとかぐらいの事で大袈裟だな」

「そじゃないよ、デリカシーの問題なんだよ」

「ああそう。デリカシー、デリカシーね」

 最近の神楽ときたら、どこで覚えたのかデリカシーなるものを説いてくる。言葉自体は繊細さや心配りといった意味だが、どうにも神楽の意味するところは違う。特に女性に対し言ってはいけないこと、ぐらいのつもりのようだ。

 亘はやれやれと頭を振り、サキの長い髪を前にどけ背中を流してやる。

 人が誰しも見たことのないものを見たがるように、男である自分と違う部分に興味はあるが、亘の興味はそこまでだ。

 性的衝動をリアルとして感じるには亘の心は育っておらず、なにより食指が動くにはサキの姿は幼く絵画的美しさがありすぎた。


◆◆◆


 風呂を終えてさっぱりしてから、パジャマに着替えると、洗面台の鏡を見ながら髪を乾かす。熱い湯からあがった直後のため、額には水のような汗が次々と浮かぶ。タオルを手に取ろうとして、下着姿のサキが鏡に映る。

 まさにお子様といったシャツに白のパンツだ。ソロソロと足を忍ばせながら通り過ぎようとしていたが、もちろん逃がすはずもなく捕まえる。

 両足に挟んで保定すると、きゅうきゅうとした悲鳴などお構いなしで、長い髪に熱風を浴びせていく。聴覚が鋭いためドライヤーの駆動音が苦手らしいが、容赦はしない。髪の先まで完全に乾燥させた。

「ほれ完了だ。行って良し」

「次、ボクね」

 解放されるなりサキは脱兎の如く逃げ出し、代わりに神楽が飛んで来る。

 ドライヤーを向けるとギュッと目をつぶり、外ハネしたショートの髪が逆立ちデコだしの髪型になる。リボンや背中の御幣飾りが風になびいて揺れ、本人も嬉しそうに笑って楽しんでいる。

「はい完了」

「えーっ、もうちょっとやってよ」

「遊びじゃないんだ」

 素っ気なく言って亘は自分の髪に熱風を向けた。生乾きが頭皮トラブルの元になると小耳に挟んだため、念入りに乾かしている。

 全て完了させるとリビングに行き、適当に腰を下ろす。

「まだ時間があるな。休みの日にのんびりするのも良いもんだ」

「んっ、確かに」

 サキはテーブル代わりのコタツに顎と腕を載せ、まったりしていた。

 その頭に手をやり、髪束をつまんで指の腹で擦り合わせた。金を梳いた絹糸のような髪は、サラサラしながらしっとり滑らかでもあり手触りが素晴らしい。

 世話焼きな神楽は櫛を持って来てサキの髪を梳かしてやったりしている。

 満ち足りた時間だ。

「毎日さ、こんなだといいよね」

「そうだが仕事に行かないと生活に困るだろ」

「でもマスターならお仕事なんてしないで、異界で戦えばいいじゃないのさ。それでお金になるしさ」

「ふむ……」

 少し考え込んでしまう。

 買い物して料理をして楽しく食事をする。異界で適度な運動をした後に風呂で汗を流す。それだけしても、まだ時間が残っているのだ。こんな日々が続けば、きっと満ち足りた人生が送れるに違いなかろう。

「いやダメだな。異界での戦闘が仕事になってしまって、つまらないじゃないか」

「マスターってば……ひねくれ者?」

「趣味は趣味だから楽しくて。仕事の合間に時間を見つけてやるからこそ燃えるんだ。そういう感覚って分からないか」

「うーん……そっか! こっそり食べるお菓子が一番美味しく感じるのと同じってことだね!」

「全然違う。というか、こっそり食べていたのか。ほほう、なる程」

 亘が唸ると神楽は視線を逸らし曖昧に笑っている。そしてサキは片目だけ開け、寝たふりをしていた。

「あっ、マスターってば汗かいてるね。拭いたげるよ」

「誤魔化そうとしても無駄だぞ」

 しかし、一度は乾いた額にまた汗が浮いてしまうのは事実だ。タオルを持って来た神楽がせっせと拭きだした。

「汗かくならさ、冷たいもの食べたらどーかなって、ボク思うんだけどさ」

 思わせぶりな言葉に、期待するような顔だ。それはサキも同じで顔をあげ、ジッと見つめている。二体の従魔は固唾を呑んで反応を待ちだした。

 亘は目を閉じ考え込む。あくまでもフリでしかない。神楽とサキをたっぷり焦らせると重々しく頷く。

「アイスでも食べるか」

「やったー!」

「やたっ!」

 二体の従魔は小躍りしだした。その姿に苦笑しながら亘は冷蔵庫に向かう。その冷凍室で買い置きを探せば、カップアイスが二個発見できた。

 それをガラスの器に分けだせば神楽が飛んできて――文字通り本当に飛んでくる――固唾をのみ、その分量を凝視しだす。サキもまた流し台に掴まり背伸びしながら真剣な眼差しを向ける。

「ボク思うに、こっちのが多いよ」

「へいへい、仰せのままに」

「それ、少ない」

「へいへい、仰せのままに」

 こっち、そっちと文句が出て取り分けている内に時間がかかり、アイスが少し溶けだしてしまう。これでは本末転倒だ。

「んもうっ、溶けてるよ。ほらさ、早く」

「そうだそうだ」

「文句ばかり言うからだろ……よし、ここまでだ。以降の文句は受け付けない」

 亘は作業を終えるなり、さっと自分の分を取った。一番盛りの少ないものだ。

 一方で神楽とサキはこれと思うものを選び、相手の選んだものと見比べ確認をする。それは、まるで普段から貰ってないような様子であった。なお、これは両者の食い意地によるものであって、普段からちょくちょく食べている。


「くーっ!」

 亘は冷たいアイスに頭をキンキンとさせ、額を叩きながら少し悶えた。期せずして神楽とサキも同じような仕草をする。本当に頭が痛いのか、真似しただけなのかは不明だ。

「しかしだな、このところDPの収入が減ったのは痛いよな」

 それは、とある異界の竜と戦えなくなったことに起因する。

 雑魚を蹴散らし出てきたところで挨拶をして倒す。そうやって毎週のように大量のDPと経験値を荒稼ぎしてきたのだが、禁止されて久しい。

「この間も遊びに行ったのにな……残念だよな……」

「あの時ってばさ、見てて気の毒だったよ。可哀想だったもん」

「んだんだ」

 二体の従魔は遠い目をしながら、その時を思い出す。

 亘は約束を守り竜に攻撃はしない。

 しかし、不本意で残念そうな顔で周りをウロウロはする。あげく態とらしく背中を見せたり、武器を落としてみせたり――つまりは、襲われたところを返り討ちにしようと――油断する小芝居を演じていたのだ。

 正当防衛なら問題なしとの考えである。だが、竜は溜め池から顔だけ出すだけで、ひたすら恐怖に身を震わせているばかりであった。

「あの臆病者め。人は失ってから、その大切さに気付くと言うが。本当にその通りだよな」

「あのさボクさ思うけどさ。そんなこと言うのってさ――」

「式主だけ、思う」

 神楽の言葉をサキが引き継き、仲良く顔を合わせる。だよねっ、と揃えた声があがるが亘は聞いちゃいない。都合の良い耳をしているのだ。

「こんなことになるのだったら、もっと……」

「そだよ、優しくしたげるべきだよ。今更でもさ、気付いただけでも偉いよ」

「違うそうじゃない。もっとコンスタントに倒しておくべきだったな。ほら、途中で行かなかった時もあっただろ。しまったな、あの時も行っておけばよかったな」

「あのさあ……」

 反省の色もない様子に神楽は言葉すら続かない。この人おかしい、と自らの契約者のことを呆れ返るばかりであった。

 亘はアイスを平らげると、器を傾け溶けた分まで飲み干してしまう。食い意地のはった従魔の契約者に相応しい行動だろう。

 そんなまったりと過ごす夜であった。

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