第二十二章

第356話 わかった、にゃ?

「――と、言うわけでして。どうやら大量のDPが、キセノンヒルズに流れ込んだ状況なんです。そのまま放っておくと、かなり拙い事になるという情報もあってですね。どう思います?」

 亘は自分が見た光景について意見を求めた。

 NATSに与えられた建物の、一番奥まった場所にある手狭い部屋だ。さらに安っぽいパーティションで区切られているので、なお狭い。

 そのパーティションで囲われた狭い中は魔窟状態。

 書類が絶妙のバランスで山と積まれ、何かの学術的専門書が間に挟まっている。それと並んでアニメやマンガの雑誌もあり、ホビー玩具系のフィギュアが並ぶ。食べかけのヤキソバパン、中身が半分ほどのペットボトルのお茶。床には脱ぎ捨てられた服がパンツも含め散乱し、毛布や枕さえも転がっている。足の踏み場も無いとは、このことだ。

 足の踏み場はさておき、そちらに入りたくない亘はパーティションに手を掛け中を覗き込む状態だ。横に居る正中も同じ気持ちらしく、身を守るように両手を組んで直立している。

「拙いとは、どれぐらいなのかな」

「何もしなければ世界滅亡という拙さです。あっ、でも大丈夫です。その前にアマクニ様たちが動くそうなので。そうすれば、日本壊滅ぐらいで収まるそうなので」

 正中の顔が見る間に真っ赤になった。

 天井を見上げ、鼻から大きく息を吐いた。そして視線を亘に向け、なるほどと呟いた。腹の中に渦巻く感情を、何とか抑え込んだらしい。

「五条君。悪い情報ほど早くあげるべきと聞いたことがあると思う。今の状勢であれば、尚のこと早めにあげて欲しい。特にキセノンに関することは」

「そうなんですけど……ねえ?」

 亘は意味深に目を横に向けた。

 部屋の入り口には目付きの鋭い警備が立っている。ここで悪魔関係の最新の研究調査が行われているため、特に厳重な警戒態勢が敷かれている――と、言うのは建前。

 悪魔が氾濫した元凶はキセノン社の疑いが濃厚ということで、キセノン社関係者は軟禁状態で監視されているのだ。

 そんな時に、キセノンヒルズで見た光景を報告すれば――世の中に悪魔が溢れ、悪魔を使役するシステムをつくった会社があり、その会社にDPが大量に流れ込んでいる――個別の事実を繋げ、もはや全ての原因はキセノン社にありと断定され大騒ぎになるに決まっている。

 だが、実際には違うかもしれない。

 嘘のような偶然や、信じられない間の悪さは常に存在する。そこで勘違いが生まれると、真の犯人を見逃し取り返しのつかない事態に陥ることだってありえるのだ。

「それは……確かに君の言うとおりだ」

 察した正中は頷いた。

「報告は早い方が嬉しいが、しかし状況が状況か」

「ですよね」

 和やかに頷く亘であったが、実際には保身のためだ。

 自分の報告で変な動きが出れば、トカゲの尻尾切りという言葉があるように、後々になって自分だけが責任を取らされる危険がある。仮にそうならなかったとしても、五条亘の報告によって人々は取り返しの付かない判断ミスをした、などと記録されたら最悪ではないか。


 しかし法成寺にそんな配慮を期待する方が間違いだ。

「うーはーっ! つまりー! キセノンのビルにDPが大量に流れ込んでいると!? なるほど、なるへそ! それは凄い!」

 興奮しきって、叫ぶような声で言った。鈍感なのではなく、自分の興味あること以外は関心のない性格なのだ。

 おかげで入り口にいる警備の、ただでさえ鋭い目付きが、さらに鋭くなっている。気付いた正中は眉間を抑え、軽く頭を振った。

「すまない。ちょっとお話をしてくるよ、OHANASIをね」

 正中は警備の男の肩を抱くようにし、耳打ち状態で話をしている。何を話しているのかは不明だが、しきりに亘を指さした。すると男の様子が変わって、表情を引きつらせ正中に縋り付くような様子さえ見せていた。

 戻って来た正中は満足げな顔だ。

「これで問題ない。彼も快く協力を申し出てくれたよ」

「そうなんですか」

「そうなんだよ。ああ、彼に笑顔で手を振ってあげてくれ」

「手ですか?」

 戸惑う亘が言われた通りにすれば、男はガタガタと震えた。とてもではないが友好的な雰囲気ではない。何を言ったのか気になり問いただそうとするが、しかし法成寺が勢い込んで立ち上がった。 

「DPの流れー! 見たかったー! そんなん見えたなら、無理してでも外出して見に行ったのに! どーして誘ってくれないんですー!? もしかして仲間外れ? て言うかぁ、どんな感じの流れ? 相があれば混在があるでしょうしー、速度分布も気になっちゃうの。待って、可視化したってことは空間範囲のトラバースを全部表現して流跡線な感じ? それ超気になるー!! 教えて!」

 詰め寄ってくる姿は、以前と変わらぬ肉付きのよさで――否、むしろ少し太ったぐらいで――脂ぎった顔をしている。だらしなさは以前より酷くなって、髪の毛は寝癖が付いたままで、顔には涎の痕があって、服は食べかすが散っている。

「DPの流れなら後で絵でも書きます」

 血走った目で迫られ、絵心皆無な亘は確約した。

「それより、キセノン社にDPが流れている理由ですよ」

「は? DPが流れてる理由? まあ、元々新藤の目的はDPを集めることだったわけなんでー、そりゃ当然ってもんでしょ。やっぱ新藤がいろいろ関係してるのは事実なんで」

「いえ、新藤社長がどうこうの話ではないですが」

「でも新藤が関係してますって」

「まあ、DPの流れに限定すれば関係あるかもしれませんが……」

 亘は微妙に擁護し、奥歯に物が挟まった言い方をする。

 なぜならば、前に新藤社長に憤った法成寺を諭し考えを改めさせたことがあるため、亘の立ち位置は新藤社長の擁護派というものである。これで新藤社長を悪く言えば、首尾一貫しないどころか、ただの変節漢になってしまう。

 なんの信念もないので、だからこそ自分の意見が二転三転していないか、ということだけは気を付けているのだ。


「もーっ、五条さんは悩みすぎですってば」

 破顔する法成寺は信念を持って生きている者だ。どうやら、亘の態度から新藤の名誉を思い量って心配していると考えたのだろう。

「大丈夫。ぼきゅなりに、新藤のことを信じてますって。だって、冷静に考えてみれば新藤は何もしてなーいってのが分かるじゃないですかにゃっ」

 法成寺は両拳を頬にあてててみせた。

 もはや精神的ブラクラ光景に、亘は顔を引きつらせる。だが、ぐっと堪えてみせた。そして堪えた自分を心の中で褒めてやり、後で記憶の上書きのために癒やしを求めることを心に誓った。

「それはどうして?」

「うーん、改めて状況整理してみて下さいよ。もし新藤がやってるなら人類絶滅? それは言い過ぎでも、とっくに政府とか跡形もなくって、ひゃっはー世界になってるって思いません? そうだ、そしたら五条さんに世紀末覇王を目指して貰おうかな」

「そういうのは興味なくて。自由に生きたいので……」

「自由? だったら愛故にピラミッドつくっちゃうとか? あー、でもピラミッドよか前方後円墳の方がいいですかね?」

 確かにそれは亘も思っていた。

 否、ピラミッドや前方後円墳といった事ではない。話が大きく逸れる前のことだ。

 今の世の中は悪魔が解放されただけ、それ以上でもそれ以下でもない。もしも新藤社長が元凶と考えると、何がしたかったかも分からない。人間側が対悪魔に動きを見せても反応がなく、悪魔は野生動物のように彷徨い動いているのみ。この状況こそが狙いだったとは到底思えない。

 だから分からず判断に迷うのだ。

 亘は軽く肯き、こんな時に相応しい言葉を口にする。

「そうでしょうね。でも新藤社長にしてもキセノン社にしても、何らかの事情を知っている可能性があるとは思いますね」

「まっ、そーでしょね。気にしない気にしない。ひと段落ひと段落」

 法成寺は楽しそうに笑って、中身はないがそれっぽい言葉に頷いた。

「それよかDPの流れ。話が逸れて困りますねー、うん。DPの流れでいくと、元々新藤って、こっち滞留して蓄積されたDPを故郷に送りたかったわけじゃないですか。新藤から聞いてません?」

「そういえば、そんな話を聞いた覚えが朧気ながらなんとなく」

「でしょう。だからね、その機能があるのは当然なわけね。でもって、それが暴走してるのでしょね。いやーもう、つくった本人が言ってるから多分間違いない」

 これには正中が目を剥いた。

「なっ! 君ね! それっ!」

「まあまあ、騒がない騒がない。別に、ぼきゅは悪くないでしょ。適正な量を流せば、むしろ世界の異常気象ってーのが抑えられるはずだったんですから」

「そんな報告は一片も聞いていないが!」

「そりゃそーですよ。だって言ってないもーん」

「こっこのっ! けけけっ、けにゃーっぷ!」

 ついに正中は感情を抑えきれず奇矯な叫びをあげ、法成寺の襟首を掴んでガタガタ揺すっている。止めるべきか止めざるべきか迷う亘であったが、部屋のドアが開いて神楽とサキが入って来たので、これ幸いとそちらに逃げた。

 飛んで来た神楽の目線は不毛な争いに向けられている。

「どしたのさ?」

「気にしない方がいい。関わってはいけないことだ」

「あ、そーなの」

 しかし神楽は面白そうに見物している。

 サキは入り口で警備の男を見つめ、怯える相手に興味を失うと、今度は不毛な争いを一瞥。そちらは気にせず、パーティションの向こうを覗き込んで顔をしかめ、それから亘に呼ばれると即座に反応して駆けて来た。

 きらきらの眼差しで見上げてくる姿は純真無垢そのものだ。

「んっ、来た」

「ところで、サキに頼みがあるが。言葉に最後に、にゃというのをつけてくれるか」

「??……わかった、にゃ?」

「よしよし、今度は両手を頬に当ててだな――」

 亘は癒やしを求めるため、九尾の系譜に猫真似をさせるという暴挙を続けている

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