第292話 世界で一番時間にルーズな国

 亘は打合せというものが嫌いだ。

 忙しい者が強制的に呼び出され、つまらない議題をうだうだと話し合うなど無駄以外の何ものでもない。どうせ話し合いなどは行われず、誰か一人の影響力のある者の意見が尊重されるのだ。それであれば、最初からその者の意見で話を通せばいいのである。

 しかも、七海に気持ちよくして貰っている至福の時間を邪魔され呼び出されたのである。これで機嫌良くいられるほど人間が出来ていないし、また機嫌良いフリが出来るほど演技派でもない。

「…………」

 パイプ椅子に座った亘は腕組みし、軽く足先を上下させ誰がどう見ても不機嫌だ。ピリピリした雰囲気で――本人にその意図はなくとも――威圧感を放っている。

 さして広くもない部屋は、中央にオフィス用折りたたみテーブル四つで島がつくられている。壁際には段ボールの箱が詰まれ、窓際にはいつからあるのか雨合羽が干しっぱなし。歪んだスチール棚には色褪せたファイルが乱雑に並んでいた。

 そこに防衛隊の士官や警視庁関係の強面官僚が怯え気味に同席している。

「よろしくお願いします!」

 一文字ヒヨが入室した。

 いつものように事務服姿で、子どものような笑顔を浮かべている。そのまま席につくかと思いきや、なぜか亘の近くにやって来た。

「お疲れ様です」

「どうも……」

「でも、お疲れ様ですという言葉って何だか変ですよね。何も疲れていませんし、しかもどうして様をつけるのでしょうか」

 ヒヨは人差し指を立て、前のめり気味に尋ねてくる。別にそれで迫られている感はないのだが、ヒヨとは言えど相手は女性だ。亘は面食らいつつも怯んでしまった。

「さあ……?」

「私は、こんにちはの方が良いと思いますがどうでしょう」

「好きな方で良いのでは」

「そうですよね好きな方で……えっと、好きな方が良いですよね」

 なぜかヒヨは顔を赤らめ、古きゆかしき初心な女学生といった風情だ。

 亘としては戸惑うばかりである。これまで失礼な事を言われた――どうやら本人に悪意はないらしいが――覚えがあるため、嫌いではないが苦手感がある。

 向こうも同じ気持ちと思っていた亘だったが、今のやり取りの中で何か違和感を覚えている。けれど、それがどうしてなのか理解はできなかった。しかも、外付け対人関係判断装置の神楽も不在なので分かる筈もない。

 資料を持ってきた正中が現れ打合せの開始を告げると、少しほっとした。


◆◆◆


 やっぱり会議はつまらなかった。

「デーモンルーラーの運用にあたり、使用者の所属をNATSとすべきは、今後の為にも間違いない事で譲れませんよ」

「しかし、我々防衛隊と共に運用するのでしょう。それであれば指示系統を一本に絞りたい。防衛隊所属にする方が混乱が少なく問題も起きにくいでしょう」

「ダメですね、NATSの存在意義が問われる。こちらとしても所属は譲れないところですよ。しかも、防衛隊が取るとなれば警視庁さんも黙ってないでしょ」

 正中と防衛隊の士官が言い合いのような話を続け、話を振られた警視庁関係も肯き参戦しだし熱弁が振るわれる。

「すいません、アマテラスとしても出来れば関わりたいのですけど」

 ヒヨまで手を挙げ意見を述べている。しかも妙に張り切っている様子だ。

 それを眺めながら亘が思う事は、凄く不毛という事である。

 とにかく暇だ。

 とにかく眠い。

 デーモンルーラー運用が決まったものの、政府機関の施策であるがため例によって例の如く、走りながら運用方法を定めるという状態らしい。恐ろしい事に、所管省庁すら決まっていないグダグダぶり。

 こんな状況でいつも施策は動くため、たとえば議事録だって真っ当に残されない。その時に運悪く関わらさせられた一部職員に負担と責任が押し付けられ、個人が追い詰められるのだ。

――早く終わらないかね。

 亘は願うが、ここに集まったのは各関係機関の実務担当者レベルのトップたち。仕事に熱意があって向上心に溢れた者ばかりだ。しかも、ここで話を擦り合わせ大枠をつくり、それを所属に持ち帰る事になるので気合いが入りまくっている。

 彼らにとっては、所属に話を持ち帰ってからが本番のため、ここで少しでも優位な条件を取ろうとしている。

――よくやるよ。

 彼らは持ち帰った後で課内打合せを行い、次に部内打合せを行うなど幾つもの審議を経て、最後に委員会を行って省庁の意志決定する。極めて膨大な時間と労力を費やす筈だが、それを苦労と思っている様子はない。きっと、お偉方との接触が増えて顔が売れるぐらいに思っているのだろう。熱意は凄いが、一緒に仕事をしたくない相手である。

 亘も同じような仕事を担当した事があるが、感想としては二度とやりたくない。

 説明用資料を作り上げ、それを上層部から好き放題に言われ、作っては否定され作っては否定され、賽の河原で石を積むが如く相手の趣味に合わせ作り直さねばならず心が折れそうになる仕事なのである。

 しかし一番大変なものがQ&Aだ。

 これは想定問答集というもので、十枚の資料があれば百枚の想定問答集が必要なほど微に入り細にわたるQAを考え作成せねばならない。しかも実際に使われることはなく、ただ単に上層部の心を安んずるためだけにつくるという代物である。これまた心が折れそうになる仕事なのである。

 思い出した亘は、ゾッとなって身震いした。


――しかし、なんで昼過ぎに打合せをやるかね。

 慌てて考えを別に持っていくが、またしても愚痴である。

 これが午前中であれば、とりあえず昼食という存在によって、自然に時間制限が設けられる。しかし昼過ぎの場合は、そうはならない。何故か夕食による中断は存在しないため、ずるずる延々と打合せが続いてしまう。

 日本社会が時間に厳しいという話は真っ赤な嘘で、実際には世界で一番時間にルーズな国なのだ。それは間違いない。

 せめて煙草を吸う者がいればヤニタイムという自分勝手な中断が入るだろう。しかし、どうやらこの場に喫煙者はいないらしい。極めて残念である。だが思うに、ヤニタイムが存在するくせに、何故トイレタイムや給水タイムが存在しないのだろうか。そちらの方が遙かに重要ではないか。世の中は間違っている。

 亘は下らない事を考えつつ、しかし真面目な素振りで座っている。

――暇だ、暇すぎて死にそうだ。

 そもそも、どうして自分が参加せねばならないのかと思う。

 神楽やサキを連れて来なかったのは正解だったに違いない。こんな下らない事に参加させ時間を浪費させるなど可哀想過ぎる。

 そして亘は、七海に肩を揉んで貰った事を考え心を憩わせだした。

――あれは良かった。

 好きな相手に触れられているだけで魂が癒やされてくる。しかも揉み具合が絶妙なのだ。まるで凝っている部分やツボを熟知しているような凄さである。しかもしかも、時々後頭部に柔らかな部分が触れるのだ。男として最高のシチュエーションだったのである。

――触りたい……。

 以前に二人で移動する途中、我知らず七海の胸を揉んでしまった事を思い出す。その時の柔らかき手応えと質感重さを脳裏に蘇らせると、最高にドキドキしてきた。

 血流が強まり精神が昂ぶり生気が漲ってくる。

 もう頭の中はそれでいっぱいだ。

 恋人同士なので、それぐらいしても何ら問題ないはずで、しかし物事には段階というものがあるし。きちんと許可を取って触るべきだが、さりとてスケベな男と思われるのも嫌だ。万が一にも身体目当てと思われ嫌われでもしたら最悪で、人生終了ぐらいの衝撃で間違いなく耐えられない。大切であるからこそ丁寧大切慎重にせねばならないのだ。だがしかし、さらなる進展発達のためには避けては通れぬ道であって、次のステージに移行する前段として極めて重大なミッションである。ここはあくまでもさり気なく自然の流れの中で触れねばならぬが何と難しいことか。人類誕生より幾星霜、各地各時代の数多の男がこの課題をクリアして人類を存続させ繁栄してきたのだと考えれば、何と凄い人達であろうか。それを途切れさせかける自分は、何と駄目な人間であろうか。しかし、今はようやくチャンスが訪れ駄目人間から脱却する可能性が見えてきたのだ。ここで頑張らずして――。

「ところで五条君はどう考えるかな」

「……えっ、自分ですか?」

 声をかけられた亘が我に返ると、皆の視線が集中していた。

 心中とても驚いているのだが、それでも亘は精一杯の自制心でポーカーフェイスを保ってみせた。誰も亘が凄く馬鹿な事を考えていたとは思わないに違いない。

 全ては社会人生活で鍛えられたおかげだ。

「なにやら真剣に考えている様子だが、君の考えを教えて欲しい」

「いや別に大した事は無いので」

「そこを是非頼む」

「はあ……」

 答えはしたものの、亘は困った。

 考えていた事は七海とアレする為の方法なので、それを言うなどとんでもない。窮地に陥った亘であったが……しかし、出席する官僚共の左手薬指に光る輪を見つけ、妙な対抗心が芽生えてきた。

 ここに居る連中は幸せな家庭を持って生活をしているのだ。そして官僚として社会に認められ人々に敬われ称賛されている連中なのである。

――しかも七海との時間を邪魔した!

 いつものちっぽけなプライドに逆ギレ気味のムカつきが加味される。

「なるほど、それでは言わせて頂きましょうか」

 亘は目を大きく開き意気込んだ。元から七海とのアレな妄想をして興奮気味で、顔は血色良く生気が漲っている。

 同席する者たちから小さな感嘆の声さえあがるぐらいで、ヒヨなど瞬きさえ忘れ見入っているぐらいだ。

 もちろん亘が少し前までバカな事を考えていたとは、誰も思っていない。

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