閑68話 何度も願って夢みた通りに

 不破為継の人生は、失意と悔恨にまみれていた。

 昔からそれほど幸せな人生でなく、一番幸せであったのが妻と結婚した直後だっただろう。それからも大したことない人生だったが、それでも幸せは感じていた。しかし急転直下して不幸のどん底に突き落とされたのは、可愛い盛りの我が子を目の前で失ったからだ。

 二人で散歩に出て横断歩道に差し掛かった時のこと、先に渡っていた息子に信号無視の車が突っ込んで、咄嗟に飛びだし引き戻そうとした為継の手は僅かに届かなかったのだ。

 直後の記憶は曖昧で、ただ断片的な記憶が何十年も為継を苦しめ苛んできた。

 それから為継は笑えなくなった。

 口の端を微かにあげることはあるが、心で笑えることはなくなった。娘の結婚式も、孫が生まれた時もそうで、息子の死は為継の笑みをも確実に奪い去ったのだ。

 支払われた多額の保険金も、それが我が子の命の値段かと思えば手をつける気にもなれず、そのまま放置して生きて来た。しかし世間は酷いもので、保険金を羨む者もいれば、それを無心する者もいた。

 それだけではない。

 事故に遭ったのが自分の子でなくて良かったと、面と向かって言う者もいた。自分なら命に替えてでも子供を守ったと、偉そうに言う者もいた。

 何を言われても堪えてきたのは、為継が息子を救えなかったのは事実だからだ。


「……さて」

 その日、為継は避難所の一角に立っていた。

 少し先に白い小さなテントがあって、防衛隊の職員が常駐しているが、入り口には『悪魔対策協力者受付場』との看板がある。ここで登録をすると防衛隊の非常勤隊員に登録され、悪魔との戦いに出る事になるため、口の悪い連中には徴兵所などとも揶揄されていた。

 そこは賑わっているが、別にこれは登録希望者によるものではない。

 張りあげられている声は「悪魔との共存を」、「政府は我々の声に耳を傾けろ」、「徴兵反対、人権侵害」、「悪魔はただの野生動物」、「デーモンルーラーは悪魔の使い」、「避難生活は違憲行為」といったもので、彼らは同じ言葉を白いシーツに手書きし横断幕よろしく広げていた。

 為継がその前に立って見つめると、彼らも黙ってみつめてきた。それを待って、大きな声を張りあげる。

「儂はこんな歳になっても死にたくないし、悪魔と戦う危険な事はしたくない」

 辺りで反対運動をしていた者たちが拍手をした。

「だけども、悪魔のせいで命を落としている者がいるのは事実ではないか。誰かが何かをしなければ、それはいつまでも続く。そして、ここの生活に文句があるならば。この避難所から出て、自分が望むように生きればいいではないか」

 周りの者たちが鼻白むが、為継は反論の機先を制し、さらに大きな声をあげた。

「儂は少しでも悪魔を減らしたい! そうせんと娘夫婦や孫どもが危ない目に遭っちまう。そのためになら儂は儂の命を使える! 人間相手に文句を言う暇などない。家族の為に悪魔と戦ってやる!」

 そして為継は黙り込んだ人々の間を通り抜け、非常勤隊員の手続きを行った。


 案内された先で金属製のバットを一振り与えられた。戸惑っていると、それが悪魔と戦う為に最適な武器と聞かされ驚いた。しかし竹槍で爆撃機に挑むよりは遙かにマシだろう。

 初日は素振りをしただけで、へとへとになった。

「お父さん、どこ行ってたのよ」

 仮設の自宅に戻ると、娘が額に眉を寄せ言った。そんな顔をされると、亡くなった妻のようだ。もちろん仕草や気配りの仕方など、些細な部分が良く似ている。あと、ぞんざいな口の利きようもだ。

「なぁに、野暮用だ。それより明日からは、お前らの貰える飯が少し増える」

「どういう事?」

「防衛隊の非常勤隊員に登録してきた」

「なんてこと! どうしてそんな危ない事を! お父さん、いい歳じゃないの!」

 予想していた通りの反応に、為継は軽く肩を竦めた。

「もしかして兄さんの事が理由なの?」

 図星の言葉に為継は、そんなことはないと否定した。だが、娘を誤魔化せたとは思えなかった。実際にその通りで、困ったような声で息を吐かれてしまう。

「誰も気にしてないわよ。今だから言うけど、死んだ母さんだって気にしてなかったわ。今だから言うけど。あれは父さんは悪くない、絶対に父さんは悪くないって。母さんは、ずうっと言ってたもの」

「…………」

「でも、そういうの言えば父さんは余計気にするでしょう。だから黙ってたけれど」

 娘の言葉に、哀しいような寂しいような、何とも言えない気持ちになった。

 どんな気持ちで妻は、そんなことを言ったのだろうか。腹を痛めて産んだ子を失って、その子を救えなかった不甲斐ない夫を憎まないはずがない。それを堪えて娘を諭した妻の気持ちを考えていると胸が苦しくなるばかりであった。


 次の日から行進や整列、合図の確認などの簡単な訓練を受けて、三日もしないで部隊に配属される事になった。そうは言っても、戦力としては期待されていないのは明らかだ。任されたのも簡単な警備や見張り、それから安全な場所での警護といった程度だった。

 遠目に悪魔を見るが、それを悪魔使いたちが倒してしまう。警護の出番はなく見ているだけだ。それで手当てが貰えて食事や待遇が良くなるので、美味しい仕事と言えるだろう。

 それでも大真面目に励む為継に、顔見知りになった非常勤隊員は苦笑している。だが、わざわざ志願した者が大半なので、真面目さは好意的に受け止められている。

「爺さんさ、チョコの一つでもポケットに入れておくといいぞ」

 古参の若者に言われ、為継は首を捻る。それが何の役に立つか分からなかった。

「ほう、何でだね」

「お守りだよ、お守り。菓子があるとね、ピンチの時に助けて貰えるって話だ」

「菓子で誰かが助けてくれるのか」

「そりゃね、小さな女神様って奴だよ。そのうち会えるかもしれないけどな。凄いぞ、可愛いを集めたような感じだからな」

 悪魔が出るようになって、世の中はますます不思議になったらしい。


 真面目に仕事をしていると、徐々に重要な仕事も任されるようになってきた。ついには非常勤隊員の仕事としては一番重要な、悪魔使いの警護を任される。

「爺さんってさぁ、今日も物々しくね?」

 警護対象である悪魔使いの少年は笑った。真面目に金属バットを握り、油断なく辺りを見回す様子が面白いらしい。この少年は小生意気な態度のため、警護をする者たちからの評判は良くない。

 だが為継は気にもしていなかった。もし息子が生きていれば、こんな時もあったかもしれないと思うのだ。そう思うと、少年の生意気さも微笑ましい。

「それが仕事なんでね」

「大丈夫だって。俺のアオラは強いからね、そこらのイキった悪魔なんか一撃」

 少年が得意そうにスマホを操作すると、傍らに青い猿のような悪魔が現れた。少し驚いて身を引いてしまうと、少年は面白そうに笑っている。

「こいつは俺の指示に従うから安心しなよ。じゃっ、お仕事お仕事」

 車に乗って、悪魔の出没する危険な郊外へと移動した。それでも為継は真面目に警護を続けた。一緒に居るのは警護の非常勤と、数人の防衛官だ。

 青い猿のようなアオラと呼ばれる悪魔は強かった。

 これまで為継は、悪魔を使うことを大した内容でないと考えていた。悪魔と悪魔がぶつかって少しばかり倒す。その程度のものだろうと考えていた。

 だが、全く違う。

 アオラの活躍は驚くほどで、群れで現れた悪魔を次々軽々と倒していく。これは悪魔問題を解決する糸口だと希望を見出せるすものだ。

「まっ、余裕余裕」

「少し離れすぎでないかね」

「この辺りの悪魔は倒したんで大丈夫でしょ」

「いんや、そうでもないぞ」

 誰かが声をあげ、全く別方向から来た悪魔の存在を警告した。疾走する姿は素早く、防衛隊の銃撃では倒しきれない。この状態に警護の皆は動揺し浮き足だつが、それを為継が一喝する。

「怯むな!」

 率先して前に出て金属バットを構えた為継の姿に、皆が我に返って次々と声をあげ悪魔を迎え撃ち、押しとどめる。危うい時も幾つかあったが、少年が呼び戻したアオラが駆け付け悪魔は倒された。

「ったく、俺を守るための人たちが前に出ないでよね。そういうの危ないじゃんか。つまり、えっと……俺が危ないって事だけどさ!」

 ぶつくさ文句をいう少年はきまり悪げな顔をしている。どうやら口は悪いが、心で思っている事は違うらしい。

 苦笑する為継が少年の傍に戻ろうとした時だった。倒したと思っていた悪魔が跳ね起き、その少年へと向かって飛び掛かったのだ。

 あまりに突然すぎて、少年も他の誰も動けない。ただ一人、為継だけは何かを考えるより前に、何十年もの悔恨が体を動かしている。

「今度こそ! 今度こそ!!」

 金属バットを投げ捨て手を伸ばし、あの時は届かなかった手を伸ばし――今度は届いた。ずっとずっとずっと何度も夢にみて悔やんで、何度も願って夢みた通りに、その手は少年に届いて引き戻し、凶刃から救ったのである。

 その代わり、鋭い爪は為継の肩から胸を深々と斬り裂いていたのだが。

「アオラ!」

 その叫びにアオラが悪魔に襲いかかり徹底的に攻撃し倒す。

 少年はそれを確認もせず、血に汚れようとも構わず、為継に縋り付いていた。生意気な態度は消え失せ、年相応の様子で大粒の涙を零し泣いている。

「爺さん死ぬな、死んじゃ嫌だ! 嫌だよ!」

「ああ、これで赦してくれや……」

 為継の口から僅かに零れた言葉の意味は誰にも分からない。

 顔を見合わせる皆だったが、この老人が単に少年を助けただけでなく、間違いなく何か成し遂げたのだということは全員が理解していた。なぜなら為継の顔には、満足しきった者のみが浮かべる健やかな笑みがあったのだから。

 その閉じられた目から、一筋の涙が伝い落ちていった。







「ふんとにもうっ、こういう怪我とかしたら駄目じゃないのさ。ボクのマスターじゃないんだからさ、もちょっと気を付けないとってボク思うよ」

 小さな姿の少女がひらりと飛んできて、淡い緑の光が傷ついた為継を包み込んだ。意識は戻っていないが、浅く苦しく途切れそうだった呼吸は、ゆったりと穏やかでしっかりしたものへと変わった。

 もはや死にかけていたと示すものは、その斬り裂かれた衣服と血痕のみである。

 そこに居た皆は手を合わせ、その小さな姿を拝んだ。

「気にしなくてもいいからさ。別にそんな、大したことしてないもん。ボク全然気にしてないからさ」

 言いながら、小さな少女は物言いたげに、ちらちら辺りを見ている。

 心得ている皆は先を争うように、次々ポケットからお菓子を取り出し差し出した。ちょこまか飛ぶ少女は喜んで受け取って、もぐもぐしだす。その姿は、まるで内緒で貰ったお菓子を親にバレないよう証拠隠滅する子供のようだ。

 目を覚ました為継は、その愛らしい存在の食事姿を目にし心から笑った。

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