閑26話(2) 訂正するのが忍びない
目の前に現れた相手を睨みつけ……すぐに構えを解き、肩の力を抜いた。
「……なんだ、お前か」
「小父さん酷いぜ、お前呼ばわりは酷いだろ」
目の前に現れたのは、藤源次の娘であるイツキだった。
前髪の長いショートな髪型や、袖捲りしたジャケットに膝丈のハーフパンツ姿のため、パッと見は小柄な男の子にしか見えない。もちろん、ちゃんと女の子であることは見分によって確認済みだ。どこをどう見たなんて口にできないが。
思わぬ場所で遭遇したイツキに対し、亘は目を瞬かせる。
「それで何やってんだ、こんな場所で。しかもこんな時間に」
「そりゃ鍛錬だぜ。走り込みしとかないと、身体が鈍るだろ。それでなんか悪魔の気配がしたんで様子を見に来たんだぜ」
「ああ、さっき神楽を喚んでいたからな」
「げっ! あのチビ悪魔いんの」
イツキは大袈裟に身を退くポーズをすると、辺りを不安げに見回す。散々脅されてせいで苦手らしい。なんにせよ、チビとかの呼び方を神楽に知られたら、恐いことになるのは間違いないだろう。
「安心しろ、スマホの中だ。でもな、そんな変な呼び方してるとバレたら恐いぞ。自分も二回ほど怒らせて魔法を食らったことがあるからな。あれは痛い」
「げー、契約者にも攻撃するのかよ。ナナゴンとこのアルルとは随分違うんだな」
「ナナゴン?」
「あっ、やべ。えっとなナナ姉のことだぜ。ナナゴンって言ったのは内緒にしてくれよ。それこそバレたら恐いかんな」
イツキは七海の家に居候し、そこで花屋の手伝いをしている。七海からもその母親からも弟ができたみたいと喜ばれているらしい。もちろんイツキが女の子ということは承知済みだが。
そんな話を時々七海から様子を聞いているが、しかし怪獣みたいな渾名をつけられるとは一体何があったのやら。
「しかしナナゴンか……大怪獣ナナゴン。ふふっ」
ツボに填まって亘は笑みが溢れてきた。脳裏には可愛いらしい怪獣を想像し笑い声をあげている。そんな様子をイツキは頭一つ分以上は下から不思議そうに見上げた。
「なあ、小父さんこそ、こんなとこで何やってんだ」
「ん? 仕事を終えて帰るところさ。その辺りで夕食をとろうかと思ってな」
「こーんな時間までお役目かよ。しかも今からご飯か、お役人ってのも大変だな」
イツキは頭の後ろで腕を組み、屈託のない顔で笑っている。ニカッとした笑いは歯が見えてしまうが、天真爛漫といった笑みのため好感を感じてしまう。見ていると、なんだかこちらまで元気になりそうだ。
口の端を歪めてしか笑えない亘からすると、羨ましい限りだ。
「そっかー、俺もなんか腹減ったなー」
「夕食は食べたのだろ」
「うん。でもな、ほら別腹とかって言葉があるんだろ」
思わせぶりに言って、チラッと視線を向けてくる。それは素直に要求できない子供みたいな態度で亘は思わず苦笑してしまう。
「別腹ってのは、甘い物を言うのだがな。仕方がない、ラーメンを一緒にどうだ」
「やったぁ!」
イツキは両手を握りしめ嬉しげに声をあげている。時間は遅いが、走り込みをしており何より若い。夕食後にラーメンを食べたとして、毎日でなければ問題ないだろう。
なお亘の方はと言えば、この時間帯に栄養とカロリーの偏った食事をするのは年齢的によろしくない。でも、その背徳感も美味のうちだ。
「ラーメンは食べたことあるのか?」
「うん、この前にナナ姉の母さんに食べに連れて行って貰ったぞ。あれって美味しいよな!」
「ふふん、ラーメン坂は果てしなく遠いのだ。まずは色々と食べて知ることが肝要。さて、この近辺だと……あそこにするか。よし行くぞ」
「行こう!」
イツキは人差し指で鼻の下を触って嬉しそうだ。頭の後ろで腕を組み歩く姿はヤンチャな少年みたいだが、はだけたジャケットの下でシャツの胸は膨らんでいる。
それを見て亘は目を見開き、悩んでしまった。
なにせイツキはブラジャーをつけていないのだ。ジャケットの前を閉じるよう言うべきだが、そうなるとシャツに突起が見えていることを言わねばならない。これを、どう説明すべきか悩んでしまう。
薄暗い道の外灯の下、イツキは足を投げ出すように歩く。
「それで凄いんだ、スイッチを押すと夜でも凄い明るくなるだろ。それからな、エアコンってのも凄くて冷たい風が出るし、テレビってのは――」
ちょっと興奮気味に、体験した凄いこととやらを逐一報告してくれる。感心する素振りをしつつ、けれど亘が考えていることはシャツの突起だ。すでに思考はズレており、ジャケットの前を閉じさせることより、如何にしてそれを見るかに移っている。
そもそも嫁入り希望で来ているのだから素直に頼めば見せてくれるだろう。だが、それに亘が気付くことはない。
イツキが鼻をクンクンさせだした。辺りに醤油ベースの良い匂いが漂いだし亘の腹も空腹を訴えだす。目的のニンニク醤油ラーメンの店はすぐそこだ。
邪魔な道路標識の支柱を回り込み、通りに出る。
「あ、先輩。お晩ですね」
そこで、知り合いにバッタリ出会ってしまった。相手は水田だ。
「お、おおう。水田じゃないか、そっちも帰るところか」
「そうですよ。高田係長に嫌みを言われちゃいましたけどね……ところで、その子ですけど……」
「えっとな、何と言うかな。ほら、アレだアレ。はははっ」
亘の悪い癖で都合の悪いことを有耶無耶に誤魔化してしまう。幸いにして水田はひとり合点してくれた。
「あっそうか……話に出てた子ですね。なるほど話の通り、可愛い子ですね。こんばんは」
里育ちで知らない人間が苦手だが、好奇心旺盛なイツキは亘の背から顔を出している。それに水田は優しく笑い、先輩の子供に対する態度として丁寧に頭を下げてみせた。
少し言い淀んだのは、隠し子という言葉を飲み込んだからに違いない。それは誤解だが、さりとて訂正すれば関係性が説明できない。
まさか忍者の里から嫁入り希望で押しかけてきたと、どうして言えようか。余計なことを思われる前に退散するのが吉だ。
「……はははっ、じゃあな。また明日」
「また明日もお願いします。お疲れ様です」
良識ある水田はプライベートに立ち入ろうとはしない。そのままスタスタと去って行く。もしこれが高田係長であったなら、根掘り葉掘りしつこく探りを入れ纏わり付いてきたに違いない。出会ったのが水田で助かったと胸をなで下ろす亘であった。
「なあなあ、小父さん。さっきの人に俺のこと話したのか。それも可愛いとか。へへへっ」
「……大した話じゃない。気にしなくていいから」
「分かった、じゃあ俺気にしないかんな。えへへへっ」
勘違いから勘違いへのリレーで、まるっきりの見当違いの方向に勘違いされている。だが嬉しそうなニカッとした笑顔を見ると、訂正するのが忍びない。だから黙っておくことにした。
そうして無邪気に笑うイツキを連れ、ラーメン屋にて遅い夕食をとった。グルメ雑誌に載るような店ではないが、地域に根ざしたつくり慣れた味の店だ。それを雑談しながら食べるのは美味しかった。
ただしイツキに遠慮はなく、ラーメンに炒飯に餃子にと注文するため少々予算オーバーだった。
◆◆◆
イツキと別れ、アパートへと戻る。途中まで付いてきて、今日こそ子作りがどうとか騒いでいたのを追い返しての帰宅だ。
鞄を所定の場所にやりスマホは机上に置き、脱いだ背広にハンガーを通す。そして違和感を覚えた。いつもなら勝手にスマホから飛び出し、お帰りと騒ぐ声がないではないか。
「ん?」
振り向くとコタツ机の横でサキが体操座りし、頭には同じポーズの神楽が載っている。どちらも半眼恨めしげな顔だ。思わず怯んでしまう。
「ど、どうした?」
「マスターってばさ、ご機嫌だよね。何かいいこと、あったかな?」
「ほら藤源次の娘のイツキ覚えてるだろ。あれと出くわしてな、一緒にラーメン食べてきたんだ」
「この臭い、餃子も」
サキが鼻をひくつかせている。獣並みの嗅覚は誤魔化しようがない。
「それはな。イツキが食べたがるのでな、仕方なくだな……」
「ふーん、そっかー。じゃあさ質問だけどさ。ボクとサキのご飯は?」
「……あっ」
ようやく亘は気付いた。約束していた弁当を忘れていたのだ。腹を空かせた従魔たちは、それを恨みがましい顔で睨んでいる。なんだか食い付かれそうな顔だ。
その夜、焦った様子の男がコンビニに駆け込み、弁当と饅頭とお揚げ、追加でアイスクリームまで買う姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます