第328話 逃げたら倒す逃げなくても倒す

 逃げるつもりが、いきなりサキが突撃したせいで戦わねばならない。

 幸いにも志緒とヒヨが皆を誘導して逃がしているので、そちらを気にする必要はなさそうだ。しかし、何となく眉を寄せてしかめっ面をしてしまう。

「ダイエットするつもりの時に、大盛りラーメンを出された気分だ」

 言いながら、亘は自分の腕に抱いている柔らかさに気付いた。

 飛来物を避けた時から、ずっと七海を抱きしめたままだったのだ。馴染んで親しみがあるせいで、全く気にもしていなかったのである。遠慮をする必要の無い関係だが、それでも動揺してしまうのは亘が亘たる所以だった。

「すまない、ちょっとうっかり……」

 謝りながら慌ててしまう。

 しかも手を離した瞬間、七海がその場でへたり込んでしまったので、さらに慌ててしまう。もしや怪我でもしているのではと動揺しきっている。

「神楽! 神楽、直ぐに回復だ。大丈夫だ、直ぐに回復するから。しっかりするんだ。気をしっかり持ってくれ」

「待って下さい。神楽ちゃんを呼ぶ必要はないです。怪我はありませんので。つまりその、何と言いますか……大丈夫ですけど別方向で大丈夫じゃないだけです」

「それは本当に大丈夫なのか?」

「はい。少しじっとしていれば問題ありません。いま動くのがダメなだけです……」

 七海は目を潤ませ顔を赤くしている。

 きっと恐かったに違いない。

「分かった、無理しないようにな。動けるようになったらで構わないから、もう少し離れているようにな。あの蛇は絶対に倒すから」

 亘は宣言するなり大蛇を見やった。

 かなり強そうで、この辺りの主のような存在なのは間違いない。並の存在ではなく、異界の主と呼ばれる悪魔よりも強そうだ。それが何となく感じられる。敢えて言うなら異界の主の主といった存在に違いない。

 何らかの伝承を持つような、古くから存在する悪魔なのだろう。

 実際、サキが思ったより苦戦している。

 放たれる炎の勢いや数や、鋭く繰り出される爪の一撃など、次々と攻める様子は大蛇を圧倒しているように見える。けれど、それはそう見えるだけ。

 戦い慣れた亘は冷静に見極めていた。

 サキがそれだけ攻撃をしても倒せていない事実が、大蛇の強さを証明している。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 亘は大事な存在に恐い思いをさせた大蛇が許せなかった。

「絶対に倒すぞ」

 私怨に燃えてDPで出来た棒をスマホから引き抜く。一対一の戦いなど無意味で、さっさとサキに加勢し囲んで叩く。それこそが強い相手と戦う秘訣なのだ。

 亘は気合いを入れた。

「準備はいいか」

「もちろんなのさ」

 辺りを確認もせず、そこに居るのが当然といった様子で亘が告げる。それに対し、いつの間にか側に控えていた神楽が勢い良く返事をした。

 もちろん動きだすタイミングも計ったように同じだ。


◆◆◆


 目の前で始まった戦いに、大宮たち全員は遠くから見守り見入っていた。

 五条亘という講師に対しては、茫洋としてつかみ所がなく、どこか地味で目立たない人物に思っていた。かなりの高レベルで、戦線を一人で支えられる人物とは聞いていた。

 だが、半信半疑であったのが正直なところだった。

 それがどうだ。

 目の前で強大で巨大な悪魔と互角の戦いを繰り広げている。

 しかもどんな映画のどんなシーンでも見た事のないような大スペクタクルだ。戦いの迫力は圧倒的で、途轍もなさすぎた。

 そんな大宮たちに対し、ヒヨは人差し指を立て得意げな笑顔だ。

「どーですか五条さんは。強いですし、凄いでしょう。ぶっきらぼうで不器用な感じですけど、でも意外に優しい人なんですね。あとですね、御家は田んぼを沢山持ってますし、お米なんかも凄く持っているんですよ」

「ヒヨさん、あなたやっぱり五条さんのこと……」

「はわっ、何のことでしょうか。別に私は好きとか何とか言ってませんよ」

「私も言ってないのですけれど。へー、そーなの」

 女同士の友情に暗雲が立ち込めた様子など、誰も気付いていない。

 大宮も木屋も簀戸も老人たちも、目の前で始まった戦いを前に圧倒されている。ある者は子供の頃の憧れを取り戻し、ある者はその強さに辿り着きたいと願い、ある者はそこに辿り着けるのか不安を抱いた。または、あれが日常に紛れていたことに恐怖した者もいたり、普通に日常を送っていたことを驚愕する者もいた。

 だが何にせよ、男たちは戦いを見つめ続けている。

 そして不穏な様子だった志緒とヒヨも、不毛な諍いを止め戦いに目を向けた。


◆◆◆


「こいつ、本当に手強い」

 亘は地面を蹴って跳び上がり棒を叩き付ける。

 硬く滑らかな蛇の鱗に打撃が弾かれ、むしろ力の反動で手が痛くなるほどだ。蛇体の流れるような動きから本能的に危険を察知して全力で跳んで逃げる。それまで立っていた場所で蛇体が渦巻き、逃げねば圧殺されていたところだ。

 しかし、少し巻き込まれかけた。

「マスター大丈夫!?」

「大丈夫じゃない、服が破れた。また被服担当に怒られる」

 減らず口を叩きながら勢い良く進み、蛇体の上を走り、跳んで、DPで出来た棒を渾身の力で打ちつけた。今度は打撃が通って、大蛇にダメージを与えている。

 けれど喜ぶ間もない。

 一口で呑み込もうと迫る巨大な口をギリギリで回避。

 英雄譚やら物語であれば、ここで敵の体内に飛び込んでいき、中から攻撃をするのがセオリーだろう。だがそれは現実的ではない。呑まれた途端に四方八方から肉で押さえ付けられ、指先一つ動かせず窒息するだけだろう。あと素直に言って蛇の体内に入るなんて気持ち悪い。

「マスター、上っ!」

「むっ」

 神楽の声と同時に何も考えず横に飛ぶ。

 直後、それまでいた場所に蛇体が打ちつけられている。上手く回避したものの、轟音と共に広がる風圧が押し寄せた。思わず踏ん張って耐えると、動きが止まってしまう。

 蛇の身体は長いのだ。

 目の前の胴体とは別に、今度は尾が襲って来た。

「しまっ――」

 その一撃が避けきれないと反射的に判断し、手をかざし防御。受け止めた瞬間、ガードした腕が変な場所で曲がり、骨が砕け皮膚が裂けてしまう。勢い良く飛ばされ、地面に激突し、それでも止まらずアスファルトの上で擦られながら転がっていく。

 身体中に生じた激痛によって頭の中が真っ白で音も聞こえない。

 瞬間、亘の思考が二つに分かれる。

 一つは痛みに泣く自分、もう一つは冷静に状況を見つめ動こうとする自分。

 それは奇妙な感覚ではあっても馴染みの感覚でもあった。小さい頃に何度も酷い目に遭わされたことで、自分を守るために編みだした思考感覚だ。

 冷静な自分が機械的に状況を把握、泣き喚く自分を無視しながら冷静に判断していく。即ち――痛いのは痛いだけ。顔に苦しさを出さない。痛がる様子もみせない。次の痛みが嫌なら泣かない。泣けばもっと痛い目に遭う。泣くよりも動いて身を守らねばいけない。どうせ誰も助けてはくれない。

 蹌踉めきながら動き、次の尾の攻撃を回避。動きを止めず足を引きずり前に進もうとして、そこで優しい何かが身体に染み渡ってきた。

 優しく力を与えてくれる何かに包まれ、そして音が戻って来た。

「治癒治癒治癒ー! マスターしっかりしてよ!」

「誰? あぁ神楽か。そうか神楽がいたか……」

「サキもいるから! サキが抑えてるから!」

 目の前に泣きながら心配する神楽の顔がある。目だけで視線を向ければ、大狐のサキが大蛇に突撃し果敢に挑み立ち向かい戦っている。

 途端に二つだった思考が一つに戻った。

 追い詰められていた思考が混ざり合い、感情が入り乱れる。痛みに対する辛さ、傍に居てくれる嬉しさ、死にそうだった恐怖、苦痛への怨み、守られている喜び。

 さらに過去の記憶が混入してくる。

 それは子供の頃に押し込めていた理不尽への怒りもあれば、日常の中で気にしないフリをして無視してきた苛立ちもある。抑えていたストレスだってある。

 全ての感情が混ざり合い、一つの感情へと統合されていく。

 即ち、怒りへと。


「いろいろと、いろいろと苦しかったんだよ」

「ちょっとさ、まだ立たないでってば。マスター! マスター!?」

「我慢して耐えて辛くてな」

「まだ動いたらダメだから、動いたらダメなんだから。マスター!」

「いつも一人で泣いて、いつか楽しいときが来るって我慢して……なんでこんなに我慢したんだ。人生のどれだけを我慢しなきゃいけないんだ」

 立ち上がる途中で身体が軋むような感じがある。

 地面の砂を握りしめ、ゆっくりと立ち上がっていく。怒りが力を求めれば、身体の奥底でDPが活性し暴走したのだろう。圧倒的な力が込み上げだす。

 込み上げる怒りをぶつける相手は目の前にいる。

 辺りの空気が変わった。

 否、亘が変えた。

 人間たちは力の奔流に当てられ、思考を上滑りさせ動く事すら出来ない状態だ。あのスナガシが助けを求め木屋へとしがみつき、他の従魔は動くことを止め暴威をやり過ごすように身を縮めてるばかり。

 神楽とサキは召喚者の力に呼応し戦いに猛っている。

 志緒はヒヨに縋りながら立っているが、そのヒヨは目の前に現れた力ある存在に魅入られているばかりだ。いつも通りは七海だけで心配そうに見守っている。

 そして亘はDPの棒を肩に預け大蛇を指さした。

「今から倒す直ぐ倒す、逃げたら倒す逃げなくても倒す。DPになってしまえ!」

 地を蹴立てた衝撃で足元の地面が弾け、靴が耐えきれず壊れている。

 恐ろしい勢いで大蛇に飛び掛かり、振り上げた棒を鼻先――または上顎とも言う――に叩き付ける。衝撃が頭から尾の先にまで波打つように伝播し、途中で蛇の皮が裂け、血の代わりに黒い霧のようなものが噴き出た。

 逃れようとした蛇の胴を大狐の前足が押さえ付け放さない。

 抗うために尾が振り上げられたが、飛来した光球が命中。半ばから千切れ飛ばしてしまう。全身に怒りを宿した神楽は表情を消し、瞳を普段よりも紅くさせている。

「誰に怪我させたかわかってんの、ボクのマスターだよ。よくもよくもよくも! 消えちゃえ消えてしまえ欠片も残さず消えてしまえ」

 降り注ぐ光球が地形すら変えながら襲い掛かり、千切れ飛んだ尾の先にすら攻撃が集中し文字通り欠片も残さず消滅させてしまう。

 悶える蛇体にサキが食らい付き、渾身の力で食い千切った。

 亘が追撃し何度も棒を振り下ろす。技術もなにもない振り上げ振り下ろすだけの行動で、一撃毎に蛇体を変形させていく。

 それは戦いと呼ぶには一方的なものとなっていた。

 大蛇が地に伏し動かなくなるまで、誰も荒ぶる亘から目を離すことができなかった。

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