第362話 与えられた力に酔っている
「…………」
亘は海部を見つめる。
もしかすると悪魔が成り代わっているかと思ったのだ。その疑わしげな視線で、海部は自分がどう思われているのか察したらしい。
「もちろん私は海部で御座いますよ。ことごとぎとぎと? 小人エルゴ住む? うーん、何と言いましたかね」
「コギトエルゴスムですか、我思うが故に我ありという意味の」
「それです、五条さんが御存知で良かった」
褒められるが、亘にしてもゲームで言葉を知った程度のことだ。
「私は海部だと間違いなく断言できます。まあ、それを第三者に証明することは難しいので信じて頂けないかもしれませんが」
「信じますけど、海部さんがあんな力を持っているとは思えなくて」
亘は視線をチャラ夫に向けた。
ガルムが縋り付いてるが、とりあえず神楽が回復魔法をかけたので問題はないだろう。その向こうでサキが法成寺の足を掴んで引きずっている。避難させるよう命じておいたからだが、凄く嫌そうな顔をしている。
「素晴らしい力で御座いましょう? 実を言いますと、私自身もちょっぴり驚いているので御座います。しかし、これは素晴らしい。実に素晴らしい。私がスーパーヒーローになった気分です」
「スーパーヒーローですか……」
「おや気に入りませんか?」
「そういうのは、正義の名を振りかざして自分が気に入らない相手を倒すエゴイストにしか見えないんで」
「まっ確かにそれもそうでございますね。やっぱり、五条さんとは気が合いますね」
海部は大いに笑った。
「私はこの力を好きに使いたいので、悪役でしょうかね。本当なら悪役でも小物の、どうにもならないチンケな存在。出会って真っ先に終わる雑魚なのでしょうが……しかし今の私はそうではありません。それを証明してみせましょう」
いきなり海部が宣言した。
亘のすぐ目の前に、海部が迫った。その顔は嬉しそうに笑っていた。ごく普通の地味なグレーの背広。冴えない顔に貧弱な体型。範囲の広い額。しかしその目には力があって、気力に満ちている。
「っ――」
海部が手を上げ、握りしめた拳でパンチを放ってきた。驚くほど早い。とっさに腕で身を守れば、痺れるような重たい一撃で骨が軋む。身体ごと弾かれそうになって、後ろに蹌踉めいて踏みとどまった。
信じられない威力だ。
しかし驚く間もなく海部は掴みかかって、亘の両肩を掴んだ。その握力も驚くほどのもので、締め付けられた痛みに歯を食いしばる。
「なんて……!」
亘は集中し身体の中にあるDPを活性化させ暴走させ、その力でもって海部の腕を振り払う。海部は素早く頭突きをしてくる。その額が亘の額を打って、明滅するように目がくらむ。
ただし攻撃した海部も同じようにふらついている。
痛みと思考を切り離した亘は、身体を半自動的に動かし攻撃に転じた。拳を突き込む。ドンッと良い音。海部が悶えている。腰を落としながら腕を振り下ろす。力を込めた一撃が海部の腿に叩き込まれた。
「ぬあっ!」
海部が声をあげ姿勢を崩すが、まだ耐えている。
間違いなくDP暴走で強化された一撃であるのに、それだけの反応だった。両足の力を込め身体を起こし、今度は振り上げた拳で腹を狙う。しっかりと叩き込める。しかし手応えが固い。恐らく効いていない。
とっさに掴んで持ち上げた海部を、えいやと放り投げた。頭から自販機に突っ込んで、その筐体にめり込んでいる。
「…………」
亘は冷や汗をかいていた。
その肩にはすっ飛んできた神楽がいて、足下にはサキがいる。どちらも殺気だって敵意に満ちた目で海部を睨んで威嚇している。
だから亘は神楽とサキを少し下がらせた。
何故か分からないが、海部の身体能力は桁外れに強い。DPの暴走を使って、ようやく対抗できるぐらいの強さがある。神楽とサキが捕まれば、ただではすまないだろう。今の攻撃がどこまで効果あったか――。
「ああ、服が汚れてしまいました」
自販機を壊しながら海部が出てくるが、あまり堪えた様子もない。しかも拾い上げた缶コーヒーを開けて飲み干す余裕っぷり。甘ったるそうなそれを平気で飲むと、もう一つを放り投げた。
反射的に動くと、寸前まで立っていた位置を缶コーヒーが通過した。背後で炸裂音がする。恐らくコンクリートに激突し破裂したのだろう。
「おやおや、せっかく差し上げたのに受け取って頂けないとは……」
「コーヒーは無糖派なので」
「五条さんが冗談を言われると、少し意外ですね」
言いつつも、亘は内心傷ついていた。海部にまで面白みのない人と思われていたのはショックだったのだ。
「なにさ、マスターだって冗談ぐらい言うもん。気が向くと変なこと言って、一人で笑ってるもん。ボク知ってるもん」
神楽の主張に海部が気の毒そうな顔をして、なおショックを受けてしまう。サキが慰めるように足を摩ってくれるが、それがまたショックではあった。
海部は咳払いをした。
「いかがで御座いますか。私も結構やるでしょう」
その誇る様子は、まるで新しい玩具を自慢する子供みたいだ。
「驚きました」
「そうでしょう。実はこれ、五条さんのおかげなんですよ」
「……?」
「五条さんがDPを暴走させ引き出す力。以前に当社で身体検査されてデータを取らせて頂きまして、それを元に左文教授が再現されていたわけですがね」
「…………」
「その左文教授が残された情報を解析して、再構築しながらブラッシュアップ。今では、より洗練された使い方が出来るようになりました」
亘は思い出した。
かつて左文教授は確かにDP暴走を使っていたが、その時にデータを入手して同じ真似をしたと言っていた。つまり海部がその片棒を担いでいたのだ。
あの時に感じた、悔しさが再びこみ上げる。この力は他の人は使えないもので、そこを自負して優越感を抱いていた。他の人よりも優れたところのない亘にとって、それだけが誇れるものであった。自分の大事な居場所を奪われたような悔しさがある。
「そう、ですか」
衝撃を受けながら、感情を顔には出さない。
「ここに居ればDPは使い放題。しかも五条さんよりも、もっと効率良く使う事ができます。ああ、もちろんですがレベルも私の方が上で御座いますよ」
亘は笑う海部を見やった。
思うのは、そのレベルについてだ。
先ほどの一戦で分かったが、海部は戦い慣れていなかった。最初のパンチも拳を上に引いて放ったので防げた。掴みかかったのも肩で、亘であれば間違いなく喉を狙っただろう。しかも痛みを感じれば、痛がって行動が止まってしまう。
幾百幾千回と悪魔と戦って、時には自分よりも強い悪魔との戦いを行ってきた亘からすると、海部は間違いなく戦闘の経験に乏しいと分かる。
レベルが高くとも、与えられた力に酔っているだけだ。
「ここに流れ込むDPでレベルアップですか?」
「その通りで御座います。効率的で良いでしょ」
「どうでしょうかね……」
「この力も五条さんのおかげ。そして、ついでに言いますと。世界がこうなったのも五条さんのおかげですよ」
「は……? それはどうしてです?」
その言葉は予想外だった。
理解できずにいると、海部は楽しげに笑った。
「この計画はもっと時間がかかる筈でした。そうすれば、今とはもっと別の結果になっていたかもしれませんね。ですが貴方が大活躍して、大量のDPを集めて下さいました。全体の流入量の半分とは言わないでも、それに近い量を五条さんお一人が集められたのです」
「はぁ」
「おかげで計画が一気に加速して、このような状況になったわけで御座いますが。いかがでしょうか、御自分が原因で世界がこんな風になったというのは」
「はぁ……?」
だが、亘は困惑するだけだ。
なにせ趣味が日本刀である。日本刀は武器で利鈍を問われるが、それを鍛えた刀鍛冶は優れた斬れ味を称賛されこそ非難はされない。製造者は製造者で、人を斬るのは使用者でしかない。そういった感性がしっかり染みついていた。
だから自分の集めたDPがどう利用されようとも、それは利用者が悪いとしか思わない。むしろそんな余裕があるなら、もっと自分の取り分を増やして欲しいという感想しかなかった。
「おや!? 何とも思わないのですか? 何とも? それはどうかと思いますよ」
「いやまあ、それは……」
責められるような口調に困ってしまう。
なんだか自分がおかしい人に思われそうで、素早く言い訳を考えた。
「それを言ったら、キセノン社の製品を買った人も同じでしょう。金額の多い少ないはあっても、それが資金源になって今に至るわけですから」
「むっ……」
海部が鼻白んでいると、神楽が声を上げる。
「ふふーんだ。ボクのマスターに口で勝てるわけないもん。屁理屈言わせたらさ、とーっても凄いんだもん」
「んっ、同意」
「ねーっ」
「ねっ」
神楽は小さいが小さくもない胸を張って得意げ。サキは顎をあげ尊大な態度をとるが、結局背が低く小っこいので足下から見上げているだけ。亘は自分の評価にちょっぴり傷ついている。
そしてチャラ夫と法成寺は地面に転がっていた。
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