40.策略

「ハーキース様でございますか?サラ王女殿下がお呼びです。こちらにどうぞ」


 誰も居ない廊下で待っていたのは一人のメイドさん──こんな夜更けに?

 可笑しな感じはしたものの言われるがままに着いて行けば、二階の廊下から外に出られるバルコニーのようなものがあり庭を見渡せるようになっていた。


 月明かりを浴びて銀色に輝く髪の乙女はバスローブのようなタオル生地のガウンを身に纏っているだけなので、その上からでも形の良いお尻のラインが丸わかりになっていた。

 完全なる部屋着。とても人と会うような服装ではなかったが、俺を待っているというサラ王女はぼんやりと星空を眺めていた。


「そんな格好では風邪をひきませんか?」


 呼ばれはしたが驚かせてはと思い、俺なりに丁寧に話しかけてはみたのだが、バッと音がしそうな勢いで振り返ると目を丸くして硬直し、言葉も出ないほど驚いている様子。


「なっ、なんでここにいるのですかっ!?ここは後宮ですよ!……貴方、ご自分が何をしてるのか分かっているのですか?」


「メイドさんが貴女が呼んでいると言われて連れて来られたんですけど、お呼びでないのなら戻ります。失礼しますね」


 何かの手違いかな?時間が違ったとか?

まぁよく分からんが、早く帰ってモニカを補給しないと本気で倒れそう。慣れないことの連続で今日のストレスは半端なかった。


「あっ、あの!……せっかくなので少しお話ししませんか?……こちらに、いらしてください」


 回れ右で帰ろうとしたら呼び止められた──なんでやねんっ!


『真剣に考えてやって欲しい』


 さっき言われたばかりの言葉が過り、帰りたい思いを押し殺して心の中だけで溜息を吐いた。


 どこか遠慮がちに俺を見るサラ王女、その印象は昼間のテラスの時とは別人のように自信がなさげだ。

 彼女の格好もそうだが、誘われたからといってこんな人気のない場所での夜更けの時間帯。不用意に近付く訳にもいかず、近すぎず遠すぎずの距離を空けた手摺りにもたれ掛かれば、ポツリポツリとだけ浮かぶ街の灯りが明るい場所から見る星空のようだった。

 その代わり本物の星空は、キラキラ とした粉でもぶち撒けたかのように数えきれない瞬きが世界の半分を埋め尽くしていた。


「空、綺麗ですね。こうして見上げるのもなんだか久しぶりだ」


 いつ以来だろう?記憶を辿れば偶然にも王都での夜、あの時隣にいたのはサラ王女ではなくティナだった。王都のカミーノ家の屋敷、ティナと二人でマントを羽織り見上げた星空。

 ずっと距離を置いてきたティナはこんな俺でも受け入れるのだろうか?


 俺からのティナへの思いが無いわけではない。貴族の娘らしくなく自分の思うがままに行動する、むしろ出会った時から惹かれていた気がする。

 彼女の家で一緒の時を過ごしていくうちにその想いは強くなっていった……だがそれは受け入れてはならない想いだと胸の奥に仕舞い込んだ。


 たまにしか会えなくなれば、その想いが強くなることはなかった。自分自身が強くなることが楽しかったからなのか、ちゃんと割り切れていたからなのか、もしかしたらユリアーネが側に居たからかもしれない。


 だが今は、散々突っぱねといて言えた義理ではないのは分かっているのに、ティナを受け入れたいと、俺を受け入れて欲しいと願う自分がいる。

 だがそれには、あちこちに魔手を伸ばそうとするような輩を受け入れてくれるのかという不安が付き纏う。


「貴方は本当にティナの事が好きなのですか?」


 思考の海に沈んでいた俺のすぐ隣には、形の良い膨らみに片手を乗せる魅惑的な格好の乙女。

 まっすぐに見つめてくる青紫の瞳には星空を写し撮り、思わず喉を鳴らすような情景に無意識のうちに頬に触れていた。


「あっ……」


 赤ちゃんの肌の様に柔らかくスベスベとした感触、もっと触りたい欲求は後から後から湧いてくる。しかし、吐息にも似た弱々しい声に我に返ると呆然とした様子で固まる彼女──王女に何してるんだ!?


 慌てて手を引っ込めるが禁断の果実に触れた事実は変わらない。


「ご、ごめん。つい……」


 どうして良いか分からず、何はともあれ謝らねばと出た言葉にそっぽを向く事で応えたサラ王女──あ〜あ、怒らせちゃったな。


「ティナの事は昔から好きだったと思うけど、長いこと自分の気持ちに蓋をしてきた。だから本人に会ってみないとなんとも言えないのが現状ですね。

 サラ王女には想い人は居ないんですか?」


 陛下やアレクが言っていた事を確かめて見たくなりちょっとカマをかけてみる。もしも、俺のこと想うようならやめて欲しかったからだ。

 家に戻れば更に増えるかもしれない俺の女性関係。そんな男が好きだと言えば彼女が、ひいてはサルグレッド王家そのものの恥となるだろう。一時的な気の振れならば、胸に秘めてしまえば誰かに知られる事もなくそのうち忘れるだろう。


「お生憎様、貴方のことが好きだなんてありえませんからっ。私の事など良いのです」


 やはり怒らせてしまったようだ。来ては行けない場所みたいだし、もう帰ろう。


「そうですよね、俺なんかが知るべき事ではない。夜も遅いので失礼しますね」


「あっ!あの……」


 歩き始めた俺にまたしても声をかけてくるサラ王女。今度はなに?早くモニカの所に帰りたいんですけど……。


「えっと……その……貴方は、本当にモニカもティナも二人同時に愛せると思っているのですか?」


 その話はしたと思ったけどな。まぁいいや、早く帰ろう。


「俺は俺を愛してくれる人の事を決して裏切らない。サラ王女、例えその相手が貴女だったとしてもです。

 夜の外は冷える、お身体に障りますよ。部屋に入った方がいい。それではおやすみなさい」


 まだ何か言いたげだった王女を残し背中越しに右手を挙げると足早に立ち去った。


 これ以上長居してなるものか!モニカ〜〜っ!





 急ぐ気持ちと共に早まる足取り。無限回廊かと思うほどに長い廊下だが、多分方向は間違っていないと思う。似たような部屋ばかりなので自分の部屋が判らなかったらどうしよう……少しの不安が頭を過ぎる。


「ハーキース卿?何故この様な所においでなのですか?此処がどのような場所かおわかりなのか?」


 またしても現れた行く手を塞ぐ障害物。苛つく思いを乗せて聞き覚えのある声に視線を向ければ、脇の通路から現れたのは近衛三銃士のバルダニロ・エスクルザ。騎士の中の騎士を体現する鎧姿はタキシードなんかより断然似合っている。

 晩餐会の後だというのに夜間見回りをしなくてはならないとは、三銃士という重役でありながらご苦労なことだ。


 すると連れていた騎士二人が俺の背後に回り込み、まるで犯罪者を囲うかのように持っていた槍を床に突く──なんだ……なんなんだ?俺は早く部屋に帰りたいだけなのに、なんで邪魔されなきゃならないんだ!

 あからさまな感情を乗せた視線を向ければ、正面で陣取る男が落ち着いた声を放つ。


「貴方が居たのは後宮ですぞ?此処は夜間、王族とそれに準ずる者以外の入場は認められていない。たとえ貴方でもルールを破れば罰せられるのです。

 もう一度お聞きします、何故このような所に居られるのですか?」


「メイドさんの手違いで連れてこられたんだ、サラ王女が呼んでいると言われてね。実際、彼女には会えたが不思議そうな顔をされたよ。それで帰ってきた、それだけだ。やましい事は何も無い。

 俺は部屋に帰りたいだけだ。そこをどいてくれないか?」


 残念そうな顔で首を横に振るバルダニロさん。


「ハーキース卿、貴方は嵌められたのかもしれません。ですが禁忌を破ったのは事実、大人しくご同行願います」


 呆気に取られていると俺を囲っていた騎士二人が近くに寄り、両側から腕を取る。歩くように促してくるので仕方なく指示に従うしかなかったが、俺は何処に連れて行かれるのだ?嵌められたって、一体誰に?


「なぁ、俺はどうなるんだ?」


「後宮は昔、王の囲う女性達の住処でした。夜間、そこに侵入するということは貴方にも想像がつくでしょう。

 今では王族の住居となっておりますが当時の名残があり、夜間侵入には厳罰が下される事と決められています」


 連れて行かれたのは目指していた自室ではなく、城の地下にある薄暗い牢屋。弁明や釈明は聞き入れてもらえず、求めて止まなかったモニカに会えないまま収容されることとなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る