4.契約書

 食堂へと通された俺達を残しトーニャさんは何処かに行ってしまった。

 メイドさん達がお茶の準備を始めたところ、当然の如く立ち上がり手伝おうとするコレットさんを「いいから座ってて」と俺とメイドさん達で宥めにかかる。そんなタイミングで整えられた口髭の似合うダンディーな男の人を伴ったトーニャさんが戻って来た。


「コレット様はメイドという職かもしれませんが、今は私の大切なお客様です。そのお客様に給仕などさせたとあってはこのフランシス家の名折れ、そのような事は私共に任せゆるりと旅の疲れを癒してください」


 その一言で諦めが着いたのか、大人しく席に座ったコレットさん。メイドとして見てないと言いつつも俺達しかいない時は彼女とエレナに食事の用意などを頼ってしまっているのがいけないのだろうな……。



「いやはや、トーニャの友人と聞きましたがお美しいお嬢様ばかりですな。私はトーニャの夫でこの町の領主をしておりますヴァンスと申します、以後お見知り置きをお願いします」


 貴族の割にそこそこ鍛えてそうながっしりした身体付きは、肩までの癖の強い茶髪に端正な顔と合わせて世の女性にはモテるだろうなと安易に想像が付く容姿。そのヴァンスさんに背中を押されて現れたのはお父さんそっくりな目をした金髪の男の子だった。


「こ、こんにちわ。ぼ……わっ、私はフランシス家長男のローランドと申します、今年九歳になりました」


 九歳と言えば来年には冒険者登録の出来る歳、つまり一人前とはいえなくともそれなりに働けるような歳だ。その割にはオドオドとした態度が気になるが、貴族の一人息子と甘やかされて育ったのだろう。田舎育ちの俺や庶民の子供達とは一緒にしてはいけないのかもしれないな。


 そんなローランドだが俺達を見回していた目がピタリと止まったかと思うと一点で釘付けになる。母親であるトーニャさんと同じ赤い瞳が見る見るうちに輝きを増すと、それに気が付いたヴァンスさんが苦笑いを浮かべた。


「はっはっはっ、どうやらローランドはそちらの獣人の女性に一目惚れのようだ。どうだろう、隣に座らせて頂いてもよろしいかな?」


 隣でトーニャさんが更に苦笑い顔をしたのも気にせず自分の息子の為に申し出たヴァンスさん、どうやら父親のこの甘さが今のローランド少年の性格の原因のようだ。息子が可愛いのは分からなくはないが、可愛がるのと甘やかすのとは違うということくらいは俺でも分かる。だがそれと同時に甘やかしてしまう気持ちも分からなくはないと思い雪に視線を移すと、そんな俺の思考が分かったかのようにニコッと微笑んでくれる。


 エレナは俺のだぞと思いつつも彼女自身が「かまいませんよ」とにっこり微笑んだので隣に座るくらいなら良いかと了承すれば、さっきまでのオドオドとした態度は何だったんだと言わざるを得ないような元気っぷりでエレナの隣まで走って行くと自分の席はココだと主張するように自分で椅子を引き腰掛けてしまう。


 そんな息子の様子を見ながらトーニャさんとヴァンスさんも席に座わり、お茶の準備が整うと人払いをしてくれたようでメイド長以外のメイドさんは部屋から出て行った。


「改めてまして、ようこそフランシス家へお越しくださいました。先程レイに指摘された通り、このフランシス家は旧スピサ王国を治めていた王家の血を引く一族です。


 六十五年前の悲劇の大戦の少し前、スピサ王家は待望の男児に恵まれた事により、長女であった私の母であるビクトリアは友好貴族であったフランシス家へと嫁ぎました。

 そのお陰でスピサ王国滅亡の際には当時フランシス家が治めていたジョルケーラという町に居り難を逃れたのだそうです。


 祖国の悲劇を知った母は居ても立ってもいられなくなりフランシス家の許しを得てサルグレッド王にスピサ王国の後に残った町の統治権を求めると、王家の復興はしないという条件を飲まされながらもクレルトルの町を造り統治する事を許されたのです。

 その後生まれたのが私であり、父も母も今では亡くなり、跡を継いで今現在この町を治めているのが私の夫であるこのヴァンスになるというのが我が家のあらましです。


 それで教えて頂きたいのですが、あの時現れたレインボーローズの精霊は王家の血を引く娘を預かると言いました。あれは一体どういう事なのでしょうか?」


 俺を見つめるトーニャさんの目は真剣そのもので誤魔化しが効く様子は無い。ここに招待されたという事は当然聞かれるだろうとは思っていたが、一番興味を持ったのがソコとは思わなかった。


「エレナ、ローランド坊ちゃんがこんな話を聞いていても退屈なだけだろう。メイド長さんと一緒に先に屋敷を案内してもらって来てくれないか?それと悪いけどコレットさん、リリィが居ない今頼れるのは君しかいないんだ。屋敷内で何かあるとは思えないけど二人の護衛をお願い出来る?」


 俺の意図を察してくれた二人が立ち上がると、それに釣られたご機嫌なローランド君に手を引かれて四人が部屋を出て行った。

 出された紅茶を一口飲んで喉を潤すと、アルと目が合い『いいのか?』と無言で問いかけてくる。それに笑って応えるとフランシス夫妻にも分かりやすいように右手を挙げて魔力を放出し部屋全体に風の結界を張った。


「風魔法で結界を張らせてもらいました。これで俺がこの魔法を解かない限りこの部屋への出入りは出来ない上にここでの会話が外に漏れる事はありません。

 その上で改めてお聞きしますが、先程の質問の答えを本当にお望みですか?」


 俺の身内以外の完全なる人払いをした上で外界と遮断までされれば踏み込んではいけない話しなのだと理解するのは容易いだろう。それでも聞く姿勢を崩さないトーニャさんだったが、ヴァンスさんはというと自分にはあまり関係の無い事だと思っている様子で乗り気には見えない。


「サラ、ルガケーアの書の造り方はルミアに習ったんだよな?悪いけど最上級の物を一枚描いてくれないか?」


「最上級なら先生と共に描いた物があります。ですが、そこまでする必要がありますか?」


《ルガケーアの書》とは契約を交わす際に魔法陣を介すことで契約が破られた時に自動でペナルティを執行するというものだ。


 一番軽い物だと、契約が破棄された事が相手方に伝わるだけの口約束程度の物もあれば、俺の要求した最上級の物ともなると契約の際に課すペナルティを自由に選択する事が出来る。もちろん契約の際に相手の同意が必要にはなるが、ほとんどの場合コレを使うという事は “約束を違えれば死ぬ” という事を示している。


「コレは俺とリリィ個人の問題じゃない、サルグレッド王家にも影響を与える問題だ。更に言えばこの平和な世界に亀裂を生じさせかね無い問題だ。

 スピサ王家の血を引く事を明かしてくれたトーニャさんならいざ知らず、先程会ったばかりのヴァンスさんまで俺は信用することが出来ない。かと言ってトーニャさんにだけ俺の話を聞いてもらっても、二人が夫婦という関係ならば聞き出されてしまう可能性は否定出来ない。


 ヴァンスさん、奥さんであるトーニャさんに引く気が無い以上、ルガケーアの書にサイン戴けますね?」



「あなた、お願い……」


 机の上に置かれた古びた紙に書かれた小さな魔法陣を見て生唾を飲み込んだヴァンスさんは、トーニャさんの懇願する眼差しに負けて大きな溜息を吐く。そして俺に視線を移し、諦めたように渋々と頷いた。


「では、こちらにサインをお願いします」


 サラに渡されたペンで魔法陣の中にヴァンスさんが名前を書き入れ、俺も書き終わると、サラが困惑したような変な顔で見詰めてくる……いや、言わなくても何が言いたいかは想像がつくのだけれどもね。


「レイ……全部の文字をとは言わないけれどサインくらいはカッコよく書いて欲しいわ。今夜にでも練習しましょうね」

「…………はい」


「それでは魔法陣の外側の縁に書いてある文字に人差し指を乗せて少しだけ魔力を流して下さい」


 クスクス笑うみんなに見守られながらも俺とヴァンスさんの間に置かれた魔法陣に魔力を流す。三重に書かれている外円の真ん中の線が仄かな光を発し始めたかと思うと、内側の線もヴァンスさんの魔力を受けて光を灯し始めた。


「これで準備は出来ました。魔力は止めてもらって構いませんが、レイの話しが終わるまで指はそのままでお願いします。

 それではレイ、契約に従い秘密にする話しをどうぞ」


 再び生唾を飲み込んだヴァンスさんを尻目にトーニャさんに視線を送ると力強く頷くので、質問の出ない程度になるべく完結にまとめ、フォルテア村の成り立ちから俺達三人の素性を説明していった。



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