8.オバサン三種盛り

「夜明けと共に屋敷を出る」


 夕食の席での宣言通り今日は久しぶりに夜が明ける前に目が覚めた。一緒に寝ていたサラには本当に申し訳ないが、いくら危害は加えないと言われたからといっても訳も分からぬ内に連れ去られたリリィの事が気がかりでならなかったのだ。


「レイシュア様、サラ様、おはようございます。そろそろ定刻となりますので出立の準備をお願い致します」


 頼んでいたメイドさんのモーニングコールで眠っていたサラも重そうに瞼を上げると、サラと二人で過ごす時間のはずなのにリリィの事ばかり考えてる自分の罪悪感を消す為に唇を重ねた。


「あの精霊は約束を守るわ。リリィはきっと無事に帰って来るわよ、そんなに心配しないで。

 さっ、迎えに行く準備をしましょう?」


 “浮気” という言葉が当てはまる状況なのに嫌な顔一つしないサラの優しさに甘えて豊かな胸に顔を埋ると、柔らかな手付きで頭を撫でてくれる。心地良い感触を堪能して元気を貰うともう一度だけキスをしてリリィを迎えに行く準備を始めた。



▲▼▲▼



 朝露が青々とした葉に降りるだだっ広い薔薇の花壇の中心地、花達も眠りから覚めて顔を上げ始めた頃に一つだけの花を咲かせているレインボーローズの前へと到着した。


「一つの花なのに花弁の色が全部違うなんて不思議な花、匂いを嗅ごうとしたらリリィは連れ去られたのよね。私が連れ去られても心配してくれますか?」


 答えなど聞くまでもない事は分かってるくせに不穏な言葉を発し、俺の答えを待つ事なくサラがレインボーローズの匂いを嗅ごうと顔を近づけたその時、俺とサラとの間に違和感が発生する。


「来ますっ!」


 おっとりした性格とは裏腹に他者の気配に敏感なエレナの一言が終わらぬうちに、人の大きさ程の淡い光のモヤが現れたかと思いきや瞬く間にリリィへと早変わりした。


「おわっ!」


 目を瞑り、意識が無い様子のリリィは自分で立とうという意志は無く、そのまま崩れ落ちそうになるので慌てて手を伸ばして支えれば暖かな体温が伝わってくるのと同時に眠っているかのような安らかな呼吸が感じられ、精霊の宣言通り無事に帰ってくれた事にホッと胸を撫で下ろす。


「寝てるの?」


 俺が抱き上げたリリィを覗き込み、ティナがオデコをツンツン触ると「んっ」と声を出すと同時に眉間にシワが寄った。


「大丈夫そうね」


 様子を見に来たサラのお墨付きをもらった所で眠り姫が目を覚ますと、三人に覗き込まれているという状況が飲み込めずキョトンとした顔をしていた。やがて理解が追いついたのか片方の手を伸ばすと存在を確かめるように俺の頬に手を添えてくる。


「お帰り」

「……ただいま。なっかなか帰してくれなかったのよ、あの精霊。ちゃんと帰れて良かったわ」


 特にご立腹の様子でもなく平然としていたので、思い通り行かないときのリリィらしくないなと不思議に思うと共に一体何の話だったのかが気になった。


 だがそれは後で聞けばいい話。今は俺と同じようにリリィの帰りを待っていた人に合わせてやりたくて振り返ると、リリィの目にもその人の顔が写ったようで目を見開いて驚いていたが、そのままトーニャさんの前まで運び、降ろしてやった。


「母さん……ではないわね。母さんとそっくりな貴女は誰なの?まさかスピサ王家の生き残り?」


 リリィの母に酷似したトーニャさんの容姿に動揺したにも関わらず、俺とは違いそこまで思考が及んだ事には驚かされる。


 恐る恐るといった感じでリリィに近付いたトーニャさんは両手を広げ、壊れ物でも扱うかのようにゆっくりと抱きしめた。いつもなら「何するのよ!」と拒絶するリリィだが、やはり思う所があるようでされるがままになっている。


「私の名前はトーニャ。スピサ王国が崩壊した後に残ったこの町を統治する役割を持ったフランシス家の人間よ。でも、貴女も気付いた通り私の身体にはスピサ王家の血が流れているの。


 なんで?って話よね。簡単に言えば私の母と貴女のお爺様が姉弟だったのよ。

 スピサ王家の事、レイ君から聞いたわ。フォルテア村で起こった悲劇の事も。貴女も大変だったわね……。でも、この地で生きた私の母も違う意味で大変だった。


 スピサ王家無き後に残ったクレルトルと名付けられたこの町の統治を許されると、町の中枢機関が消滅して混乱する中を必死になって切り盛りしていたらしいわ。

 クレルトルと名前を変えたスピサ王国は変わらない平和を保ち続けている。まぁ、母の努力の甲斐もあって、私が産まれた時には今のように平和な良い町だったんだけどね。


 スピサ王家は無くなり、スピサ王国も無くなったけど、王家の血は今も変わらず貴女の身体に流れてるし、私の身体にも流れている。

 貴女の故郷は残念ながら悲劇の運命に飲み込まれて無くなってしまったけど、血の繋がった私はこの町でこうして生きている。貴女のお母様に取って代わろうとは思わないけど、それでも歳の離れた姉くらいには思ってもらえると嬉しいわ。だって、せっかく巡り会えた家族なんですもの。少なくとも私はそう感じている。


 だから、ね。時間が出来た時でいいの、何かのついでで全然構わない。またこの地に足を運んで頂戴、貴女の元気な顔を見せてくれると嬉しいわ」


 言いたい事が終わったのかリリィの両肩に手を置き身体を離すと満足げな笑顔が咲いていた。一方のリリィは俯いたままで顔を上げる事はなかったのだが、トーニャさんはリリィの返事を待ってしばらくそのまま笑顔を向け続けた。


「貴女は母さんじゃないし、母さんの代わりになんてなれないわ」


 消え入りそうな声での呟きがトーニャさんの笑顔に一瞬だけ陰りをもたらしたが、想定内の言葉だったのか、すぐに消え失せる。


「でも……そうね。こんなに似てるんだもの。母さんの妹くらいには思えるわ。だから貴女の提案通り、気が向いたらまた来るわ」


「ええ、それでいいわ。気が向いたら私に会いに来て頂戴な。

 でもリリィのお母さんの妹って事は、レイ君に最初に言われた通り “オバさん” って事になるのかぁ……はぁっ。でも、まぁ来年四十だしぃ、そろそろその単語も受け入れないとなんだよなぁ……辛いわ」


 まさかのびっくり発言に皆が驚いてリリィが顔を上げた時には、少し上を向き、顎に人差し指を当てて理想と現実の狭間で物思いに耽っている様子。だが、それもすぐに終わり視線を戻すと、自分に向けられているリリィの顔を見て何が言いたいのか悟ったようだ。


「あんまり言いたくないんだけどね、私三十九歳なのよ?見た目は若く見えるって評判だから嬉しいんだけど、年齢考えるとオバさんって言われて当然の歳なのよねぇ。そう思ってはいても実際に言われると カチンッ て来ちゃうのよね〜。貴女はまだ若いから分からないかも知れないけど、女ってそういうものよ?

 ついでだから言っちゃうけど、怒ってゴメンね、レイ君」


 小さく舌を出して俺に顔を向けて来たトーニャさんはどう見ても二十代半ばと言った感じの容姿。それを踏まえると “歳の離れた母の妹” “歳の離れた姉” と言うのは当てはまるのだが、まさかの四十歳目前だとは思いもしなかった。


 リリィの母と殆ど変わり無い歳のトーニャさんはリリィとの結婚を決めた俺にとっても親戚に当たる。

 最初に口に出た “おばさん” とも、彼女が怒りを覚えた “オバさん” とも違うが、結局のところ “叔母さん” と呼ぶべき間柄のようだ。だが彼女が口にした通り女性とはそう言う事にシビアな生き物のようなので、彼女の事を呼ぶ時は “トーニャさん” と呼ぼうと心に刻み込んだ。




 朝早いからと断ったにも関わらず『それでも』と退かなかったローランド少年と全員が一人ずつ握手してから魔導車に乗り込むという熱烈な別れの挨拶を受け、フランシス家の面々に見送られながら薔薇の公園を後にするとクレルトルを出てアンシェルへと走り出した。


「ローランドはなんであんなに俺達を気に入ったんだ?」


 隣で首を傾げるティナも「さぁ?」と言うだけだし、後ろからも答えは帰って来ない。


 エレナの事を諦めきれず涙のお別れとでもなるのかと思いきや、意外にも全員と別れを惜しむかのような感じだった。

 オドオドとした態度よりは遥かにマシだが、初対面のリリィにすら「今度はゆっくりしに来てください!リリィ姉さんっ!」と若干引いている事など知る由も無いとばかりに、人が変わってしまったかのように繋いだ両手をブンブン振りながら元気よく挨拶をしていた。


「次はいつ来れるんだろうな?」


 すぐ後ろで外を眺めて物思いに耽っていたリリィに視線を向けるが、心ここに在らずと言った感じだ。


「私が知るわけないでしょ。そのうちでいいのよ、そのうちで」


 外を向いたままで返した返事にもう一日居ても良かったかなとも思ったが今更だ。リリィがまだ残りたそうだったのなら考えたが、元々長居するつもりはなかった町だったのでそのまま出て来てしまった。


「アルはもう少し町を見たかったか?」


 魔導車の中での時間を有効に使うべく最近は常に魔法の鍛錬をしているアルは、既に目を瞑り体内で魔力のコントロールをしている様子。


「あぁ?何か言ったか?」

「あの男はロートレック家の痕跡を探さなくても良かったのかと、普段は遣えない気を無理して遣って来ているのです」


 クロエさんのフォローと言っていいのか分からない言葉で俺の意図を理解すると、フッ と笑いを漏らしたアル。


「俺の名前はアルファス・ロートレックだ。ロートレックと言う貴族家系があったらしいが、たまたま名前が一緒だっただけの話で俺とは無縁。当然の事だが、俺の居場所はあの町にある筈も無いので俺が町を見たい理由も無い。

 俺の居場所はこのクロエの隣であり、レイ、お前の隣だよ」


 そう言うと再び目を瞑ったが顔が若干にやけているのが長い付き合いの俺には分かる。あれは自分で自分のセリフに照れている……それは、無しだろ。


「アル、せっかくカッコよく決めたのにその顔では台無しだぞ?」

「ええ、まったくよね」


 臭いセリフにリリィまで振り返っていたが、アルの顔を見て呆れると再び外に視線を移してしまった。


「っせーなっ!言わなきゃ他には分かんねぇだろ?そこはスルーしとけよっ」


「だって……なぁ?」


 同意を求めたリリィはチラリと俺に視線を向けただけで何も言わなかった。思わずといった感じでこちらを見たが、もう既に興味が無いという事だろう。


「レイさん、それよりも次の町は海なんですよねっ!ダンジョンのとは違う本物の海!楽しみですっ。そうそう、忘れてはいけないのが水着ですよね!レイさんが選んでくださいねっ」


 空気を変えた方がいいと判断したのか唐突に舵をきられる話題。そんなエレナの機転に釣られて ハッ と振り返るリリィだが、そういえば彼女も本物の海はまだだったな。


「あっ、お兄ちゃんが選んでくれるのなら私もついでに買おうかなぁ」

「モニカはこの前買ったんでしょ?私のは選んでくれるんだよね?」

「ティナだってどうせ持ってきてるんでしょ?そんなにいくつもあっても着れるのは一度に一つなのよ?」

「そう言うサラさんもなんだか顔がウキウキしてませんか?って言うかですねぇ、レイさんは旦那様なのです。みんなでレイさんに選んでもらえばいいと思いませんか?

 そう思いますよね、リリィさんっ?」


 どんな妄想をしていたのか知らないが頬を赤く染めて動揺した珍しいリリィは、それを隠そうとして慌てた様子で再び外を向いてしまう。


「あれあれ〜?な〜に照れてるのかなぁ?もしかしてコレットみたいにイケナイ妄想でもしてたりして?」


「ティナ様、イケナイ妄想ではありませんよ、正常な妄想です。いえ、シュミレーションと言った方がより正確かもしれませんね。レイ様、私の水着も選んで頂けるのですよね?」


 アンシェルはクレルトルから魔導車でも一日かかる距離にあるという話だった。だがまだクレルトルを出たばかりだというのにエレナは一番危険な人のスイッチも入れてしまったようだ。


「分かった、みんなが海を楽しみにしているのはよぉ〜く分かった。アンシェルに着いたら何日か滞在して海を目一杯楽しもうな」


 そう宣言した俺は不穏な気配のする車内から早く解放されたくて周りの安全を確かめた上で魔導車のスピードを上げたのだった。



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