7.神の子、ララ

 レインボーローズの香りを嗅ごうと顔を近付けたとこまでは記憶がある。けど、次の瞬間には気持ちのいい天気だったはずの青空は消え失せ、辺り一面真っ暗な世界にいた。


「……え?レイ……どこ?レイッ!?返事して!」


 周りを覆い尽くすように咲き誇っていた薔薇も、沢山の薔薇の香りを運んでいた風さえも無い真っ暗闇の中には目の前にあったレインボーローズの花壇だけが残り、先程までと変わらぬ姿でたった一輪の花を咲かせている。


 すぐ隣に居たはずのレイの姿も無く、傍に居ても良いと言ってくれたのに……ずっと一緒に居てくれると約束してくれた筈なのにまたしても一人ぼっちにされてしまい、自分が捨てられたような気がして涙が溢れ視界を歪めて行く。


「黒髪の彼は貴女の良い人なの?」


 自分しか居ないと思っていた所に不意にかけられる落ち着いた声。びっくりして視線を向ければ、唯一咲いているレインボーローズの茎にもたれ掛かり、足を伸ばしてリラックスした態度で座っている仄かな光を放つ小さな人型をした何者かが私を見ていた。


「アンタ誰よ?レインボーローズの妖精?」


 スカートなのも気にせずに「よっ!」と声を出しながらも得意げな顔をして手も使わずに飛び起きたソイツは、手のひらほどの身長のくせに堂々とした態度で土の上を歩き終わると花壇を縁取る赤茶色のレンガの上に立ち小首を傾げた。


「妖精って設定も可愛いけど、精霊ね。

それで、貴女は何で泣いてるの?まさかこんなキュートな私が怖いとか言わないわよね?」


 緩いウェーブのかかった腰まである長い金髪が吹いていないはずの風にふわふわと揺れており、肩にかかったその髪をかきあげる仕草は女の私から見ても綺麗だと思える。その髪と相まって白いワンピースが闇に映え、ユルフワな感じがこの精霊の人柄を表しているような印象を受ける。

 せっかく綺麗なのでヒールでも履いていれば締まったのに、裸足でレンガの上に立つ姿がなんとも言えず滑稽に見えて来て生意気そうな態度なのに親近感を誘った。


 誰かに似てるなと感じつつも少し変わった赤い色をした瞳に見つめられながら顔を近付けると、それが誰に似てるのかやっと気が付いた。


「えぇっ?私!?」


 多少の違いはある気がするが、ほぼほぼ私自身を手のひらサイズまで小さくしたような容姿に驚いていると、精霊が両手を腰に当てて頬を膨らませ、明らかに不機嫌そうな態度へと変わった。


「私は私、貴女は貴女よ。勝手に一緒にしないでくれる?」


 自分が怒るときも人から見たらこんな風に見えるのかと不思議な気持ちになりながらも、何故だか分からないがその姿に母さんが重なり再び目頭が熱くなるのを感じてしまう。


「貴女は泣き虫ね、そんなんで生きて行けるの?あっ!もしかして、あれ?さっきの黒髪君に甘やかされてるのかしら?」


「うるさいっ!レイは私の旦那よ、甘々でラブラブなのよ!」


「泣き虫は否定しないのね」


 言い返したい気持ちは山々だったが、ここに来てからの短い間に二回も泣きそうになっている自分がいたのでそれも叶わず、唇を噛みしめるだけに終わると自称精霊が フッ と笑いを浮かべた。


「あら、思ったより素直なのね。まぁそれはいいわ、貴女の名前は?」


 こんなちっこい癖に上から物を言われて イラッ とするかと思いきや、意外にもそんな感じはまったくなくて、なんだか母さんのような、それでいていない筈の姉のような不思議な感覚が私の中に拡がりを見せる。


「リリィよ」


 それでも会ったばかりの見ず知らずの精霊と名乗る存在にはソレを悟らせないようにと素っ気ない態度で返事をするものの、そんな事は気にした素振りをしない。


「そう、リリィね。私の名前は……え、あれ?名前は……なんだっけ?」


「私に聞かれても知るわけないでしょ?アンタ、自分の名前も忘れちゃうなんてどれだけお馬鹿なの?」


 それが本気なのか計算なのかは分からなかったが、年上然としていた精霊のおマヌケぶりに呆れると、自分でも分かるほどに警戒心が軟化していく。


「だって、ずっと引き籠ってたんだから仕方ないじゃないっ。リリィが現れるのが遅過ぎるのよ?

まぁ、名前なんて知らなくても何の問題もないわ。そうね、今の私はレインボーローズの精霊だったわね……虹子ちゃんとかでいい?」


 名前って重要だと思うのは私だけ?それに、虹子ちゃんって何?レインボーローズだから虹子とか安直過ぎない?しかも『でいい?』とか適当にもほどがある。


「あら、不服そうね。じゃあいいわっ。

私の名前はララって言うのよ。遥かなる昔に創ったレインボーローズという特別な花の中に入り、私の子供達が世話を焼いてくれるのを見守ること幾星霜。運命の歯車がゆっくりと回り、時が満ちて貴女が現れるのをただひたすらに待っていた。

 消滅寸前から持ち直したこの世界の運命の鍵を握る神の血を引きし守り姫、裁断の時はもうすぐそこまで来ていますよ」


「ま、待って待って!レインボーローズを創った?神の血を引くってなに?ちゃんと最初から説明してくれないと全然分からないわっ!」


 ジトーッ とした目で私を見る私そっくりな姿をしたララと名乗るレインボーローズの精霊。さっきまでのボケボケぶりを覆し予備知識無しには理解出来ない事を ツラツラ っと言われても言葉の意味を飲み込む事が出来ない。


「人の事を馬鹿って言ったの誰だっけ?

いいこと?お馬鹿リリィ。まぁ見て分かる通り見事に私とそっくりな容姿の貴女は百パーセント間違いなく私の血を受け継いでいるわ。貴女は私の娘……じゃないわね、何だっけ……」


「子孫?」


 益々ボケなのか本気なのか分からなくなる言動だが、人差し指をコメカミに当てて首を傾げる様子に悪気が感じられず普通に助け舟を出すと ポンッ と手を叩いてにこやかな顔で人差し指を私に向けてくる。


「それよ!貴女は私の子孫で間違いないわ。それで、えーっと、えーっと……そう、私の事を話さなきゃいけないわね。

 私の名はララ。今からおよそ二千年の昔、旧世界の滅びる少し前の事、人間に転生したこの世界を創造した二人の神より生まれた四人の子供の内の一人なのよ。


 旧世界の事はミカエラの所で聞いて来たのよね?旧世界を滅ぼしたのは確かに私達の父の力である虚無の魔力ニヒリティ・シーラ、けどあの時の父様は自我を失い力だけが暴走していたわ。

 それをさせたのは母様にちょっかいをかけていた卑しいあの男。あいつさえいなければこの世界がこんな風になる事もなかった。


 この世界を助ける為に力を使い肉体を失ってしまった母様の意思を無駄にしないよう人間達に魔力の使い方を教えたのは私達兄妹四人だわ。


 私達はある程度魔法が使えるようになった人間達を率いて彼の地を去り、それぞれ別の場所で人間達が生活出来るように手助けしながら新しい生活を始めた。そしていつしか魔法に長けた私達兄弟はそれぞれの地で王として崇められるようになり、結婚して子供が産まれると王家と言うものが誕生した。それが後に残る四王家の始まりなのよ。

 つまり私の子孫である貴女は神の血を引く特別な存在って事よ」


 左手を腰に右手の人差し指を立てて「お・わ・か・り?」などと一音ずつ指を振りながら発すると、最後は可愛らしくウインクまでしてきたが一体なんのつもりだったのだろう。


「結局さぁ、貴女が私の大昔のおばあちゃんで、私が神様の子孫だってのが言いたかっただけ?

私そういう家系とか血筋とか、どうでもいいのよね。庶民だろうが貴族だろうが、王族だって神の一族だって、私が今を生きるのに関係ある?あるの?無いでしょう?

 だったらさぁ、話は聞いてあげたんだからさっさと元の場所に帰してくれない?」


 人差し指を立てたままの状態で固まり反応の無いララの小さなオデコを突ついてみれば、よく出来たお人形のようにそのままの格好で後ろに コテン 倒れ土の上に転がった。


「あれ?死んだ?もしもーしっ、死ぬなら元の場所に戻してからにしてくれるぅ?ちょっと、聞いてるの?」


 止まっていた時が動き出したように突然 ガバッ と飛び起きると、どこから取り出したのかララに丁度良い大きさの小さなオタマを手にして私を指すと眉間にシワを寄せる。


「アンタねぇっ!神の血を引いてるのよ?もっと、ほらっ、こう……『わぁ〜すごぉい!』とか無いわけぇ?」


「あるわけないでしょう?だいたいさ〜、それを知るとお金がもらえたりするの?大きな城に住めたりするの?召使いがたくさん跪いて身の回りの世話とかしてくれたりする?何にも無いわよね?

だったら今と何が変わるの?なんにも喜ぶべき要素が無いじゃない。それで喜べとか言われても無理じゃない?」


 オタマを向けたままもう片方の手を顎に当てると私の言葉を噛みしめるように考え込む──あれ?私ってそんなに難しいこと言ったかな?


「ん〜、リリィの言う通りね。何も変わら無いわ。私でも喜べないと思う。うん、そう思う」


「でしょ?そういう事で話しが終わったんなら早く帰してくれる?」


「ダメっ!」


 理解を示してくれたはずなのに、こんな何も無い場所に押し留めようとされて穏やかだった私の心にさざ波が立ち始めた。


「まだ帰っちゃダメよっ。えーっとね、アレよっアレ!そう!ご先祖様からのありがた〜いプレゼントよ、欲しいでしょ?」


「要らないから早く帰してくれない?」


「そうよね〜そうよね〜、要らないわよね。じゃあ早速……って要らないのぉ!?なんでよ!普通そこは『くれるなら貰っときます』じゃないのぉ!?」


 どんなプレゼントなのかは知らないけど、そんなものよりあの人の傍に戻りたい。せっかく手に入れた私の居場所なのにライバルが多く競争率の高いあの場所、今日は私が独占出来ると思ってたのにこんな場所に勝手に連れてこられて用が済んだというのに帰してもくれない。


「ほ、ほら、今よりもっと強くなれるし、貰っといても損はないんじゃないかしら?ねっ?ねっ?ほら欲しくなってきたでしょ?」


「要らないってば」


「そうよね、要らないわよね〜。じゃあ手を出し……えぇっ!?また要らないった言った?ねぇ、うそでしょ?ほら、簡単にドーンと強くなれるのよ?即答でくださいなら分かるけど、考えもしないで要らないとかあり得ないでしょ……」


 唖然とした表情で膝から崩れ落ちたララはそのまま両手も突いて四つん這いになると、何やらブツブツ言い出した。

 私の要求など聞く耳持たず、この何も無い空間に引き留め続ける小さな存在にイライラが積り、そろそろ限界だ。


 意識してやった訳では無かったはず。けど、知らず知らずのうちに手が動き、気が付いたら私の手の中に首だけ出た状態のララが居る。『あっ』と思ったのは一瞬で『まぁいいや』と思う方が強く、もう片方の手も添えると今度は自分の意思で握った手に力を込めた。


「つべこべ言わずにさっさと元の場所に帰しなさいよっ!」


 私の手の動きに合わせてララの首が千切れるかと思えるほどにカクンカクンと前後に揺れる様子が人形遊びをしているようでちょっとだけ面白くなり、調子に乗り何度もやっているとぐったりとし始めたので慌てて手を止めたが、それでも カクカク とひとりでに動き続ける首をただ呆然と見ていた。


「ぐふっ、よくもやってくれたな……我が血を引きし乙女リリアンヌよ。だが、我を倒しただけでは其方に真の平穏は訪れぬという事を覚えておくがよい。第二、第三の刺客が其方を狙って……」


 死にそうな顔をしてプルプル震える腕をゆっくり私に向かって伸ばしつつ、悪の魔王か何かの死に際の捨て台詞を吐き始めたララに呆れて溜息が漏れる。結局、この破茶滅茶なご先祖様は私に何の用事があってこんな所に連れてきたのだろうかと疑問にも思うけど、私の頭の中は早くレイの傍に戻りたいという想いでいっぱいだ。


「あのさぁ、そういう三文芝居はもういいから、いい加減に早く帰してくれない?」


 セリフの途中でピタリと動きを止めたララの頬が可愛らしく膨らむと、恨めしそうな顔で睨んでくる。そして私に向けられていた手から小さな茶色の何かが飛び出したかと思ったら私のオデコに当たった…………筈だったが、当たった感触が何もなくて驚いていると、目の前にいる精霊は悪戯が成功した悪ガキのような顔をしているではないか。


「くっくっくっ、呪いの種を其方に植え付けた。徐々に侵食する呪いの恐怖に……恐怖に……なんだっけ?……まぁいいか。そういうことで神の子である私をイジメた事を後悔するがいいっ。

ではサラバじゃ〜、ハーハッハッハッハッ」


 水風船が弾けるような感触がしたかと思うとララの身体が七色の光の粒子へと変わり、手からこぼれ落ちると、地面へ落ちる前に霧散して何処かに消えて行った。


 静寂が訪れると、ここにあるのは十二本の花の無い茎が植えられたレインボーローズの花壇と私だけ。結局、あの精霊は何度も言った私の願いを叶える事なく姿を消してしまったのだ。


「ちょっとぉ?どうやって戻ればいいのよ!」


「あぁ、ごめんごめん、忘れてたわ」


 空間そのものから聞こえてきたようなララの声がすると、突然、抗えないほどの眠気に襲われ、そこで意識が無くなった。



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