25.邂逅

 視界の全てを埋め尽くした闇、だというにも関わらず目の前には先ほどまではなかった筈の巨大な魔法陣が聳え立っている。

 仄かな光を放っているものの至る処に亀裂が走っており見るからにボロボロで、これが起動しているのが不思議なくらいだ。


──起動?


 不思議と言えば先程感じていたペレや自分自身に対しての憤りも、収まってはいないものの腹の中でギュッと凝縮したように小さくなり俺の心は冷静を保っている。


 形容し難い衝動に駆られて立ち上がり、赴くままに魔法陣に近付き手を伸ばした。



ビキキキキキキッッ!



 あからさまに聞こえてはいけない音と共に、触れた箇所を中心として元々のひび割れに加えて更に細かな亀裂が拡がっていく。



──壊れる!?



 反射的に手を引っ込めつつ後退ってみるが ミシミシ と嫌な音は止むことはなかった。拡がり続ける破壊の前兆に触れてはならなかったのかと焦るものの既に遅い。

 未だひび割れで済んでいるのが奇跡と思えるほど縦横無尽に線が走り、僅かな微風でも吹けば……いや、爪の先で微かに触れただけでもあっという間にバラバラになりそうな状態。治す術などは知らずどうしようかなどと悩んでいれば魔法陣に呼ばれたような錯覚がしてきた。



──アレを壊したい



 俺の腹の中の黒い欲望が完膚なきまでに破壊しろと告げる。

 だがそんなものに屈してはいけないのだと俺の中で別の声が告げる、アレは触れてはいけないものなのだと。


 欲望と理性とがお互いを牽制し合い、心の中で戦争が始まる。

 しかしその争いは、始まった途端に呆気無く決着が着いた。


 俺の中で小さく凝縮されていた先程の憤りが元の大きさに戻るかのように徐々に大きくなってくる。

 情けない自分に、魔族であるペレに対する怒り。黒い欲望に味方した俺自身が壊しては駄目だと声高に主張する理性を問答無用で叩き潰した。



【全てを破壊しろ!】



 俺の手は自らの意志を持って風前の灯である魔法陣に触れた。



パリンッ!



 ガラスが割れるような甲高い音と共に砕け散る巨大な壁、粉々になった欠片が雨のように降り注ぐのは息を呑むほどの光景だった。


 魔法陣だった物は音も無く崩れ落ち、瓦礫として積み上がったその先から一陣の風が駆け抜ける。

 後を追いかけるようにやってくる黒い力の奔流、まるで津波のように向かい来る黒い霧に恐怖を感じないはずがない。アレは俺自身の力、自らの意思で操り、魔族を、そして大勢の盗賊共を消し去った謎の霧だ。アレに飲まれれば奴等と同じく俺も消えてなくなることだろう。

 だが感じるのは恐怖だけではなく、元々アレが自分自身であったかのような言い得て妙な懐かしさも混じる。


 その場に止まるのが正解だと言わんばかりに怖いと思いつつも落ち着いたままでいる心。となれば、やってくる黒い力をただただ呆然と眺めていた。


 ほどなくして到達した黒い波、それに呑まれれば再び視界が無くなる。


 愛する者の胸に顔を埋めて優しく抱き抱えられているかのような心地良い感覚に安堵すれば、今の今までハッキリとしていた意識が不意に途切れた。



▲▼▲▼



──今のは……夢?


 目を開けるとペレと青い髪の女が俺を見つめている。人質を取り、勝ち誇っていたペレの顔はなぜか焦りの表情いろが浮かぶ。


「てめぇ!それはなんだっ!妙な真似をするんじゃねぇよ!この女がどうなってもいいのか!?」


 妙な真似?何言ってるんだコイツは……


 落ち着いた心は波紋のない水面のようだった。何故か全身に漲る心地良い力の波動、なんだか分からないがとても気分が良い。


──おや?


 自分の手が目に入ると黒い光が纏わりついており、薄い膜のように全身を覆っていた。コレを見てペレが “妙な真似” とビク付いていたんだな。未知のものとはいえ情けない奴だ。

 でも、この湧き上がる力があれば今ならペレも一捻りで殺せそうだ。


──殺せそう?


 あぁ、アレは魔族だったな。過激派とか言うこの世の中には不要な存在。ユリアーネを俺から奪い、モニカにも傷を負わせたクソ共。それを思い出させたペレには感謝しないとな。


「あぁ、魔族を殺したい」


 無意識に漏れた一言にペレが身を震わせた。引き攣る頬に大量の脂汗、見知らぬ女だとて人質を取った有利な状況なのに何をビビっているのかは知らないが、憎き魔族に怖がられるのは気分がいいな。

 でも、魔族など目障りなだけだからもう消えろよ……死ね!


「なっ!?」


 女の胸元に当てられていた奴の剣が黒く染まった次の瞬間、最初からそこには何もなかったかのように消えて無くなってしまう。

 そして剣を持っていた右手を起点に奴の腕が黒く染まっていき、恐怖を与えるかのようにジワリジワリと身体全体を侵食していく黒色。


「ヒッ!なんだ!なんなんだよこれは!!うわぁぁ!止めろ!やめろやめろやめろぉ!」


 黒く染まった部分を先の無くなった腕で払い落とそうと叩くも触れた腕にまで黒が飛び火し、それからも逃れようと奇声を上げながら地面を ゴロゴロ と転がり回る。


「ぐぁぁぁぁぁぁっ!!!!」


 洞窟全体にペレの叫び声が木霊する中、徐々に全身を埋め尽くした黒い色。するとペレという魔族はあたかも最初から居なかったかのように忽然と姿を消し、今までの騒々しさが嘘だったみたいに静寂が訪れる。


「くくくくっ、消えだぞ、無くなったぞ!クソ魔族が!あはははっ、あの顔っ。良い顔だったよなぁ。止めてくれぇとか泣き叫んで最高だったぜ。あぁ……もう一回見たいな」


 恐怖に怯えながら消えていく姿は最高に気分が良かった。基本プライドが高い魔族が見下す人間に止めてと訴える姿、たまらなく楽しい。

 もっと奴等が苦しむ様子が見たい!もっと魔族を殺したい!


 そんな高揚した思いに駆られて視線をズラせば、未だその場に居続ける女が目に入る。

 あれ?魔族じゃなくてもあんな感じに俺を楽しませてくれるんじゃねぇ?なんで魔族である必要があるんだ?

 自分の口角が自然に釣り上がるのを感じた。


「なぁお姉さん、お願いがあるんだ。俺って君を助けたじゃない?だからお願い聞いてくれないかなぁ。大丈夫、大したことじゃないよ、簡単なお願い。ちょっとだけでいいんだ、死んでくれない?」


 微笑みを浮かべたのを了承と受け取り、黒い欲望を女に向けて注ぎ込もうと右手を向けた時にソレは現れた。



⦅レイ、やめてぇ。駄目だよぉ⦆



 一瞬にして止まる行動と思考。ペレを殺した快感も、女を殺そうとしていたことも、身体の底から湧き上がる快楽にも似た力ですらも何もかもが一瞬にして吹き飛び、目の前に現れたモノに全ての意識を奪い尽くされ大きく目を見開いたままに固まってしまう。


 崩れた祠も、壁も床も、周りの音も、ソレの背後に居たはずの女ですら視界から消え失せた。


「ユリアーネ……」


 両手を広げて俺の行動を静止しようと現れたのは紛れもなく最愛の妻ユリアーネ・ヴェリット。


「ユリアーネっ!!!!」


 光の粒子で構成された光り輝くユリアーネ。彼女はニコリと微笑むと俺に向かい両手を広げたままでゆっくり飛んで来る。

 もう二度と会えないと思っていた。でも姿は多少違えど、こうしてまた会う事ができた。これ以上嬉しいことはない。


 涙で滲む視界の中で俺に近付くユリアーネ、最愛の彼女を抱きしめようと両手を広げた。



──ユリアーネが居る!



 それ以上何も考えられず、ただユリアーネを抱きしめる事だけで頭が埋め尽くされる。


 だがしかし、ユリアーネをこの腕に抱いたと思われた次の瞬間、その身体は霧散し、かつての別れの時のように光の粒子となり俺へと降り注いだ。

 今まさに抱きしめられる!そう思った矢先の出来事に呆気にとられて理解が追いつかない。


「ユリアーネ?……ユリアーネっ!!」


 慌てて周りを見回してもその存在は何処にも無い。彼女は再び俺の前から居なくなってしまったのだと理解出来たとき、まるで魂が抜け落ちたかのように全身の力が抜けて膝が地面を突いた。



「ユリアーネぇぇぇぇぇぇっ!!!」



 俺の叫ぶ声だけが洞窟に響き渡る。せっかく逢えたと思ったのにまたしても別れが来た。二度もユリアーネを失ったような気がして何もかもがどうでもいいことに思えてくる。いっそのこと俺も死んでしまえば彼女と同じ場所に行けるのではないか、そうすれば一緒に居られるのではないだろうか。


「ユリアーネ……俺は……俺は……」


 水色が視界を覆い、柔らかな感触が俺の顔を包み込んだ。頭を撫でられる感触、背中にも暖かなモノが添えられ、耳にはトクントクンと規則正しくも安らぎをくれる音が届く。

 どういう状況かは理解していなかった。ただ感じる安心感に身を任せてされるがままに甘え、しばらくの間、ユリアーネが居なくなってしまったことに涙を流し続けた。



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