2.夫婦の行く末
朝食を終えるとトンプソン夫妻、シャンブール夫妻も俺達が帰るという連絡を受けていたようでわざわざ見送りに来てくれた。
サラ、モニカ、ティナの三人がイオネと抱き合い別れを惜しむと、俺も彼女と握手を交わす。
最初は俺を誅すると息巻いていたイオネも、今では常識を逸脱する俺達の事を認めてくれたようでにこやかに微笑んでくれる。この笑顔を裏切らない為にもサラ達の事をしっかり愛そうと心に刻み彼女の手を離した。
手渡した五センチ程の透明な球体を不思議そうな顔で見る獣人三人に使い方を教えると、アンシェルの面々に見送られながら師匠の家へと転移した。
突然帰って来た俺達を暖かく迎えてくれた師匠とルミア。帰った直後からチラ見していたが、小一時間ほど喋った辺りで「ウサギちゃんが二匹……」とか怪しげな目付きで呟き始めたルミアから逃げるように師匠に「行ってきます」と告げてベルカイムまで歩き、そこからレピエーネまで魔導車を走らせた。
ティナを迎えに来てから二月も経っていないのになんだか懐かしく思えるのは、それほど濃密な時間を過ごしているという事なのだろうか。
「やぁ、お嬢様。元気そうで何よりだね。もう家が恋しくなったのかい?」
玄関で迎えてくれたのはテーヴァルさん。相変わらずのハンサムぶりにアリシアの目が輝いたが、すぐ後ろに控えていたジェルフォに脇腹を突つかれ強制的に現実に引き戻されていた。
──だがそんな彼女にも最愛の夫がいる
コーーーンッ、カラカラカラッ
金属の器が床を叩く音で皆の視線を集めたのは他ならぬライナーツさんだった。
目を見開きアリシアを見つめたままに固まった彼は、自分の奥さんの事を信じられない物を見る目でただただ見つめるばかりで声すら出ない様子。
彼女へのサプライズでもあった二人の再会、そんな彼を見るアリシアも目を見開き口元に両手を当てており、目に涙が溢れ始めてようやく ヨタヨタ と赤子のような足取りで近寄って行く。
「ライ……ナーツ」
その声がライナーツさんの硬直を解く鍵だったとでも言うように、彼もまた覚束無い足取りでアリシアへと歩き始めた。
「アリシア……アリシアなのか?アリシア!?」
お互いの頬に両手で触れ合いそれが幻ではない事を確かめると、十何年かぶりの再会を喜び、力の限り抱き合った。
「あぁ、ライナーツ!!ごめんなさい、私……私……」
「アリシア、無事で良かった。元気そうで、本当に……良かった」
二人の感動の再会に目を奪われていて、気が付いた時にはランドーアさんが微笑ましげに立っている。その隣にはハンカチで目頭を押さえるクレマニーさんの姿が。
「ティナ、レイ君、お帰り。よく来たね。 今は二人きりにしてやろう」
クレマニーさんの背中を押し、歩き始めたランドーアさんに続こうと振り返ればエレナは言うまでもなく涙でクチャクチャになった顔で鼻を噛んでおり、モニカもリリィもティナもハンカチを手に持って赤い目をしていた。
ただ一人サラだけは王女としての教育で感情のコントロールが身に付いているのか涙を我慢している様子が伺える。
もらい泣きとはいえ、そっとしておいた方が良いだろうと、モニカを見上げる雪を抱き上げるとランドーアさんの後に続き食堂へと向かった。
「…………と言う事情もあってアリシアは大森林へ連れて行かなくてはならないのです。もしライナーツさんが一緒に行きたいと言うのであれば許可してもらえますか?」
ここを出てからの俺達の行動と、ライナーツさんの奥さんであるアリシアを連れてくることになった経緯を話したのだが、そうかそうかと頷くばかりのランドーアさん。
「ライナーツは彼自身の希望でこの家に留まっているだけだ。獣人登録がされているわけでも無いし彼は自由なのだよ?
彼がこの家を出ると言えば、それを止める権利は私には無い。それに、やっと再会した奥さんと再び引き離すなど、私が出来ると思うのかね?」
「旦那様、私の我儘をお許し頂けるのですか」
タイミングよく扉を開けて入ってきたライナーツさんとアリシアは、二度と離れたく無いという意志の元に指を絡ませた手が固く握られ二人を繋いでいた。
「許すも何も、今言った通りだよ。君は私の所有する獣人ではない。
ティナを救ってくれたエレナ嬢の父親である君が希望すればこの屋敷で働くことも認めると言うもの。しかし、その意志が他に移るのなら私が止めるのはおかしな話だろう?
まぁ正直なところ、優秀な君が居なくなるのはカミーノ家にとっては痛手にはなるが致し方ない。君の用事が終わり、またここに戻る意思があれば、その時は歓迎するよ」
深々と頭を下げたライナーツさんに倣い ペコリ と頭を下げたアリシア。獣人の国に戻った先はどうなるか分からないが、大森林から一度出たら戻ることは許されないという掟のあるらしい彼等にとって、人間の世界だろうとも帰る場所があるというのはどれほど心強い事だろう。
尤も、二人は俺の嫁であるエレナの父母。義理とはいえ俺の父母にもなるわけだから、放っておくなどということはあり得ないのだけど、な。
▲▼▲▼
「ちょっと出掛けるよ」
一通りの話は付いたので、この町にいる彼女の元へ出掛けようと席を立つ。
「どこ行くの?」
「決まってるだろ?彼女の元へ、だよ」
ニヤリと笑った俺にティナとサラ、それにリリィはピント来たようで納得したが、モニカとエレナは俺の堂々たる浮気発言に怒らないティナ達を見て小首を傾げている。
「一緒に行く人〜っ」
「トトさまっ、はいっ!」
珍しく雪が主張し、椅子から飛び降りて俺の元まで駆けてくるので抱き上げると窓の側に歩み寄る。
「夕方迄には帰るよ」
「結局、お兄ちゃんはどこに行くの?」
「気になるなら、モニカも来いよ」
答えを貰えず小首を傾げるばかりのモニカだったが、それでも席を立ち俺の方へ歩いてきた。
一緒に出掛けるとなれば場所などどこでもいいのだろう。ただ、他の女に会いに行くというのがひっかかっているみたいだが、まぁそれは俺がそういう言い方をしたのだから仕方がない。
隣に来たモニカの腰に手を回すと、三人を包むように風の魔力を纏わせて宙に浮かんだ。その様子に驚くカミーノ家の面々の顔を確認したところで窓から飛び出し、町の南にある厩舎へとレピエーネの空を散歩した。
「空の旅、とても気持ちが良かったです!」
興奮冷めやらぬ顔で俺を見上げる雪に「また帰りにな」と頭を撫でると嬉しそうな顔で「はいっ!」と元気の良い返事が帰って来た。
隣にいるモニカも空中散歩をしている最中は楽しそうにしていたが、着地と同時に辺りをキョロキョロし始める。
「モニカ、まだ分かってないの?会わせたことはないけど話はしたろ?シュテーアだよ、ここにいる俺の彼女」
尚も分かってない様子でこめかみに人差し指を当てるモニカの手を引き厩舎横の柵の中を見回すと……ほ〜らいたっ!
指笛を鳴らすと俺に気が付いたシュテーアは隣にいた真っ黒彼氏をほっぽり出して全力で駆けてくる。
ブヒュッブルルルルルッ
「シュテーア、久しぶりっ!元気にしてたか?彼氏とも上手く行ってるみたいだな」
「トトさま!大きいですね、この方がシュテーアさんなのですね?初めまして、雪と申します。トトさまの娘をやらせて頂いておりますので、どうぞお見知り置きをお願いします」
丁寧な挨拶を聞き終わるとシュテーアも返事を返すようにブルルッと短く鳴いて雪に顔を擦り付けて来た。
「あははっ、雪の事は気に入ってもらえたみたいだぞ?良かったな。そうだ、お土産あるんだけど彼氏君も食べるかな?おーーいっ!」
手を振り呼んで見ると、俺の言うことが分かったらしく喜んで駆けて来くるとシュテーアと仲睦まじく並んで柵から顔を出す。
艶々とした真っ黒の毛並みはシュテーアと並んでも見劣りはせず、盛り上がった筋肉は馬体が健康な事を物語る。彼女と同じく鼻筋に白いラインが入っているのが特徴で、あとは全身真っ黒黒助だ。
「やぁレイ君、よく来たね。聞いたよ?お嬢と婚約したんだってねぇ。やっとお嬢の想いが叶って良かったが、その娘達は一体誰なんだい?」
毎度お馴染みのオーバーオールを着て現れたのはこの厩舎を管理しているウォルマーさん。相変わらずの優しそうな顔でシュテーアと、その彼氏の首を慣れた手つきで撫でながらチラリと視線を向けてくるので俺の返事を待っているらしい。
「雪ですっ、トトさまの娘です」
「えっ!?」と驚くウォルマーさんを畳み掛けるようにモニカもニコリと微笑むと自己紹介に踏み切った。
「モニカ・ヒルヴォネンと申します。ティナとは昔からの親友で、今はお兄ちゃんの妻です」
「はぁ!?」と顎が外れるほどに口を開けて驚くので、俺の婚約者と妻を名前だけだが紹介すると柵にもたれ掛からなければならないほどに驚いてくれたので、立ち直るまでにと鞄から出したお土産のリンゴをシュテーアと彼氏君に食べさせてあげる。
ついでにと思いお皿も一枚取り出すと、買ってきたリンゴの皮を剥いて芯を取り除くと雪とモニカの口に入れてやった。腰を抜かすほどに驚いてくれたウォルマーさんにもお裾分けすると「うん、美味い」とシャリシャリ食べてくれ、幾分落ち着いた様子になる。
「君の事は大分昔から知ってるつもりだったが、そうか……そんな大きな男になっていたのだな。まさかこんな大きな娘までいるとは驚きだよ。
驚かされた仕返しと言っちゃあ何だけどな、実はシュテーアも母親になる事が決まったんだぞ?」
「はぁぁぁぁっ!?」
ブルルッと誇らしげな顔をする彼氏君に首をすり寄せるシュテーア、彼らの主張するようにどうやらシュテーアの旦那様はこの黒い馬で間違い無いようだ。
この間来た時に彼氏君との仲を躊躇うシュテーアの背中を押しはした。だがこんなに急展開で母親になるなど、誰が想像しただろう。
「まぁ、人間よりも動物達の方が子供は出来やすい世の中だ。性格の相性も良ければ身体の方の相性も良かったって事だな。後は無事に産まれて来る事を祈るばかりだよ」
一頻り二頭との触れ合いを堪能した俺達は、シュテーアに「頑張れよ!」と激励を送り、遅くなり過ぎない内に帰路に就いた。
「お兄ちゃん、私も赤ちゃんが欲しい」
俺の肩に頭を預ける雪を腕に抱き、モニカと寄り添いながら長閑な町中を歩いて行けば突然そんな事を言い始める。
“愛する人の子供が欲しい” そう思ってくれるのは大変嬉しい事だが、今は目的のある旅の途中。俺としては旅が終わって落ち着いてからの方が望ましく思うが、そんなことはモニカも分かっていることだろう。
「じゃあ、子供が出来るようにいっぱいしないと、な?」
「お兄ちゃんが言うと、どっちが目的なのか分かんないよね〜」
冗談だと分かりつつも拗ねた素振りをしてやれば「わぁ〜っ、うそうそっ、嘘だってばっ!」と慌てて俺のご機嫌を取り始める。
そんな俺達夫婦が意思疎通を深めていると、ムクッ と起き上がった雪がボソリと一言呟いた。
「カカさまに赤ちゃんが出来たら、私はお姉ちゃんになるのですね。楽しみです」
言いたい事だけ言うと ポフッ と再び顔を沈めて寝息を立て始めた我らの愛娘──モニカとの子供かぁ、モニカに似た可愛い女の子がいいな、なんて考えながら隣を見ると、そんな俺を見上げるモニカの視線があった。
「雪の為にも頑張るかっ」
「やだ、お兄ちゃん。変な気合い入れるのは良いけど今日はサラの番なんだからね?頑張るのは明日でお願いしまーすっ」
プッ と笑い合った俺達はどちらからともなく口付けを交わすと、夕焼けに染まり始めたレピエーネの町を和やかな気分で二人寄り添って散歩し、ゆったりとした足取りでカミーノ邸へと向かった。
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