第八章 遠回りこそが近道

1.モンスター

 オーキュスト邸に戻ってから五日、エレナとアリシアの奪われた時間を取り戻すために屋敷に留まった。それはいわゆる浮気をした俺が婚約者達に謝罪して回る為に必要な時間だったとも言える。


 一応の納得をしてもらい『どうせまたすぐするんでしょ?』とお小言を戴くが反論の余地は恐らく、無い……。

 何故ならば今回の事件である事を学習したからだ。


 俺は虚無の魔力ニヒリティ・シーラにより人の心を無意識に惹きつけるという他人が羨む能力を持っている。それに加えて俺自身が惚れやすいという極めて相性の良い……俺から言わせたら最悪な相性の特性を持っており、気が付いたら嫁の人数が百人を超えてましたなんてことにもなり兼ねない。


 だが今回、それを悟れて良かったと自分に納得させることにした。

 だから女の勘が危険だと告げた時には遠慮無しに止めてくれと嫁、婚約者一人一人にお願いをしたのだ。他力本願ながらもこれで多少なりとも事故を未然に防ぐ事が出来ることだろう。


 しかしながら、足元に転がる爆弾を見逃していた事を思い出したのは、次の日にオーキュスト家を出ようと決めた晩の事だった。




「今日はレイさんと寝るからお母さんは一人で寝てね?」


 オーキュスト家に帰って来た日、順番的にエレナと夜を共にするはずだったのだが、十何年ぶりに会った母との時間を優先し辞退していた。


「じゃあ、親子三人、川の字で寝ましょう」


 両手を ポン と胸の前で合わせたアリシアは自分で出した名案に自分で賛同してにこやかに微笑んだのだが、新婚ホヤホヤな俺達としては冗談は程々にして欲しいと思うばかりだ。


 だが困った事にアリシアからすれば本気も本気。冗談など微塵も無いことは彼女と一週間も同じ時間を過ごせば自ずと分かる事で、俺達よりも更に彼女の事をよく知るジェルフォが深い溜息を吐くのも無理はない。


「アリシア様、エレナ様とレイ殿は新婚なのですよ?夜くらい二人きりにしてあげなくてどうするのです?」


「ジェルフォ、私はもう王族でもなんでもないわ。昔みたいにアリシアって呼んでって何度も言ってるじゃない」


 アリシアは獣人の国の現国王の一人娘、獣人王家の本家本元のお姫様。


 アリシアが年頃になると当然のように時期国王たる婿様が決められる。

 だが父親の決めた相手が気に入らず、当時密かに想いを寄せ合っていたライナーツと駆け落ちをして大森林を出たらしい。


 更に聞けばジェルフォとアリシアとライナーツは幼馴染なのだと言う。

 実はジェルフォも昔からアリシアに想いを寄せていたらしいのだが、これは流石にアリシア本人には秘密にしてくれと告げられた。


 自分とは種別の違う王家の人間との恋など叶わぬモノだと悟った彼はアリシアを諦め、幼馴染二人の行く末を見守る為に自分は王国を守る為の騎士になろうと決意した矢先に二人で大森林を出て行ってしまったものだから、なんとも遣る瀬無い思いに駆られたと笑いながら話してくれた。


 しかし、彼が大森林を出てまでアリシアを探そうとした理由というのが聞き捨てならない。


 アリシアの父親、つまりは獣人の国の国王の健康状態がよろしくないらしく、このままではアリシア以外の者が国を継ぐことになる。それを快く思わなかったジェルフォは国王の許可を得て大森林を飛び出したのだそうだ。


 結果として大森林を出てすぐ捕まりかなりの時間を浪費したものの無事アリシアとは再会出来た事に感謝をされたが、俺はアリシアを迎えに行っただけで特に何もしていないんだけど、な。

 つまり、彼の目的の為にも早々に大森林へ向かわなくてはいけなくなったという事もあり、明日の朝食後に師匠の家へと戻る事を決めたのだった。




「ただいま戻りました」


 夕食も食べ終わり寛いでいた所に、朝からエアロライダーに乗って出かけていたコレットさんがようやく帰って来た。


「お帰り、遅かっ……」

「お姉さまーーーっ!」


 一緒に入ってきた娘は目標を確認するや否や、コレットさんの脇をすり抜けて俺達や机などひとっ飛びに越えると、勢いそのままに満面の笑顔で飛びかかる。


 だがそうはさせじとすかさず動く影。


 両手を伸ばして今まさに抱き付こうとする娘とその目標との間に滑り込んで顔面を鷲掴みにすると ポイッ と後ろに放り投げた。


「貴女のお姉さまではありませんっ。わ・た・し・のっ!姫様です。何度言ったら分かるの?脳みそ無いんじゃないの?鳥女!」


 ユカに投げ飛ばされた娘は、片翼だけでも人の身長程もある大きな翼を一煽ぎすると空中で姿勢を戻し、何事もなかったかのように軽やかに着地するが、その表現は先程とは違い立ちはだかるユカに対し敵意を露わにしている。


「また出たわね、私とお姉さまとの障害でしかない人間のメスブタ。今日こそ決着をつけてあげるから覚悟しなさいっ!」


「ハッ!鳥女風情が私に勝てるとでも思っ……ぁ痛ぁっ!!」


 食堂などという狭い場所で喧嘩が始まろうとしたとき、仲裁に入ったのは我らの頼れるイオネ姫だった。

 手刀を叩き込まれ頭を押さえて蹲るユカに溜息を吐くと、喧嘩相手のマルグンテを手招きして近くに呼び、逃げられないように両手で頬をガッシリと捕まえる。


「お前はユカと喧嘩をする為にここに来たのか?」


「ちっ、違うのっ!違うのよ、お姉さまっ!……けどっ、そのメスブタが……」


「マルグンテ、これはユカだ。決してメスブタなどではない。

 良いか? ユカも、お前も私にとって大切な存在なのだ。その二人がいがみ合うのなら私は二人共に元居るべき場所に戻ってもらわねばならなくなる。お前達はそれを望むのか?」


 マルグンテは男爵邸の地下に囚われていた有翼種の獣人だ。そこから救い出したイオネを一目見て気に入り、大森林へ帰るのではなくオーキュスト家で暮らす事を希望したのだ。


 だが、有翼種という前代未聞の種別が密猟されて来たとあっては大騒ぎになるのは仕方のない事。それでも本人の希望が通り彼女の獣人登録をとなったのだが憶測が憶測を呼び時間が掛かってしまったらしい。

 五日かかってようやく書類が出来上がり、晴れて “イオネの所有物” となったのでコレットさんが一人で迎えに行ってくれていたという訳だ。


 一方のユカはというと、先日の密売事件の際にたった一日で獣人登録証明書の裏付けをやり切った功績のご褒美としてパーニョンからオーキュスト邸への職場移動を果たしたそうで、めでたく大好きな姫様の傍で働ける事となったらしい。


「あんたが大人しくしてれば私は何も言わずに済むのよ?鳥お……マルグンテ」

「ふんっ!私はここに居たいのよ。仕方ないから仲良くしてあげるわっ、メスブ……じゃなかった、ユカ」


 オデコの当たるような距離で平静を装いながら睨み合う二人に苦笑いを浮かべるイオネだったが、叱られたくらいですぐに仲良くなる方がおかしい事くらい分かっているのだろう。

 今はそれで良いといった感じで二人を引き離しユカを隣に座らせると、反対側にマルグンテを座らせた。




 そんなやり取りに目を奪われていると、コレットさんがエレナの首元に手をやり何やらやっている。


「コレットさん?」


 俺が呼びかけると一拍おいてエレナの前から スッ と身を退いた。

 すると嬉しそうな顔をしたエレナは、奴隷の証として首に巻かれたチョーカーにぶら下がる小さな金のコインを指で触って『見て!』とアピールしている。さっきまでは陛下から貰った俺が騎士伯である証の銀のコインが着いていたと思ったんだけど……。


「えへへっ、新しくなっちゃいました。似合いますぅ?」


「レイ様はサラ様とご婚約なされた事により貴族証が銀から金へと変わりました。早急に手配しなかった私がいけなかったのですが、今回お時間がありましたのでパーニョンにてレイ様の貴族証を作らせました。表にはレイ様が家紋にと選ばれた桜の花が、裏には騎士伯を示す紋が刻まれております。

 大変遅くなり申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げるコレットさんに「ありがとう」と告げると顔を上げてニコリと微笑み、今度はアリシアのチョーカーにも同じ物を付け始めたので、今更だったがアリシアもジェルフォも俺の所持する獣人となっているのだと気付かされた。



▲▼▲▼



「はぁ、お母さんにも困っちゃいますよね〜。折角レイさんと二人きりの時間なのに、まさか三人で寝ましょうとか言うとは思わなかったです」


 不満を訴えながら背を預ける俺の肩に首も預けて来たエレナの頬にキスをすると、膨れっ面が綻んで行くのが目に見えて分かる。


「それだけエレナの事を愛してるって事だろう?十年以上も離れてたんだ、少しくらい暴走してもそれは我慢してあげないといけないんじゃないのか?」


「それは……そうかもしれませんけど、我慢してもいい時と、譲れない時がありますっ!久しぶりのレイさんと二人の夜なんですもの、今夜はいっぱい愛してくださるんですよね?」


 湯船から上げた手を俺の首へと絡ませると今度はエレナが頬にキスをして来たので、それに応えて口へとキスをし返してやる。恍惚とした表情で嬉しげに見つめてくる蒼い瞳は、既に今宵行われる愛の儀式へと意識が行ってしまっているようだ。


 そんなエレナだったが、突然ウサ耳が ピンッ と立ったかと思うと俺から滑り降りて湯船へと身体を沈め、不機嫌そうな顔を伸ばして風呂場の入り口を見つめる。



シャーーーーーッ!

「あっ!こんなところでラブラブしてるっ!私も入っちゃおうかなぁ〜」



 勢い良く開け放たれたカーテンから顔を覗かせたのはアリシアだ。

 娘と二人で風呂に入るのならどうぞお好きにと言えるものの、今は旦那である俺も一緒に入っている。


 母親とは思えないほど若くて綺麗なアリシアが裸で乱入……歯止めが効かなくなりそうなので勘弁して欲しいところだ……って言うか、容姿に関係なく夫婦水入らずのところに、水どころか熱湯を注ぎ込むような事は止めてください!


「アリシア様!駄目だと申し上げているでは……あ、すっ、すみません!」


 お前ワザとだよな?と突っ込みたくなるように顔を覗かせたのはアリシアを止めに来たジェルフォ。エレナの顔を見た瞬間に目を逸らしつつ手で覆っていたので勢い余ってだとは思うが、それでも恥ずかしかったのかエレナの顔が湯船に沈んで行く……。


「ちょっと!ジェルフォっ、離してよ!私もレイ君と一緒にお風呂に入るんだからっ」


「それが駄目だと言っているのではありませんかっ、いい加減に聞き分けてください!貴女にはライナーツがいるでしょう?奴がそんな事を知ったらどう思うんですかっ!」


「黙ってればバレやしないわっ、いいから離しなさい。私もお風呂入るのっ!レイ君と一緒に寝るのぉっ!エレナ〜、助けて〜っ!」


『助けねぇよ』と声に出さずに俺達二人が呟いたのは、ごく一般的な常識があれば当たり前の事だろう。


 拉致があかないと踏んだジェルフォはアリシアの腰に手を回して持ち上げると、強制的に部屋から運び出してくれる。

 この時ほど彼が頼もしいと思えた事は無いくらい大胆な行動に、既にここからは姿が見えなくなった彼の健闘を讃えて二人して親指を立てた。


「ちょっと!ジェルフォ!?どこ触ってるの!嫌ぁ〜スケベ!変態〜!犯される〜っ!もぉっ、離してよぉ!レイく……」



パタンッ



 扉が閉まる音を最後に静寂が訪れる。静かな夜がこれほどまでに素敵なモノだと十五年程生きて来たが初めて感じる事が出来た。



 それにしても、だ……アリシアの狙う対象はエレナじゃなくて俺かよっ!



 たった何分かの騒動ではあったが精神的に疲れたのか、髪が濡れるのも気にせず俺の胸へと倒れ込むエレナ。その頬には『もう嫌』そう書かれていたが残念ながらアレは君の実の母親なのだ。


「なぁ、エレナ」

「はい」

「明日、屋敷を出たらさっさとライナーツさんの所に連れて行こう」

「はい、お願いします」


「なぁ、エレナ」

「はい」

「今夜は結界張っていいか?」

「はい、お願いします」


「なぁ、エレナ」

「はい」

「アリシアと仲良くな?」

「……努力します」



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