25.全身全霊を込めて

 猛然と突っ込んで来る焦げ茶色の塊を大きく避けると、すぐ間近の床が鋭い爪で抉られる。そんなものに気を取られている間に次の塊が迫り、避けざるを得ない状況に考えるよりも早く飛び退けば、またしても当たるか当たらないかギリギリのところで床が粉砕される。


 次はその腕を断つ!そう意気込むが相手も考える事の出来る動物だ。三度も同じ事はなく、視界にもう一頭が居ない事が分かると慌ててその場を飛び退いた。

 間髪入れずに天井から降ってくる黒い影、地響きと共に落下した巨体。その姿を憎らしげに睨みつけるもののそんなことで怯む相手ではない。


 視界の隅に先程の二頭がタイミングを合わせて同時に向かって来るのが見える。


「チィッ!」


 到着まで三秒足らず。それまでに判断し、準備を整えなくてはならない。空から降って来た一頭も着地の衝撃を緩和し、獲物の姿を確認すべく首を回し始めたところ。



──二頭を躱しても次がすぐに来る。



 挟み込むような間隔を空けて迫る二頭のグランオルソ。どちらにしようか刹那の迷いの末、傷の目立つ方に剣を向けて重心を移動し斬りかかろうとすると、それに反応して二頭が動きを修正する。



──早いよっ!!



 愚痴を言っても始まらない事くらい分かっているけど、やはり三頭相手では思うように動けない事に苛立ちを覚える。しかも思ったより連携の取れた動きは余計に相手が強く感じる要素となり、『助けなど要らない』と言った事を少しだけ後悔した。

 だが、いつまでも誰かに頼っていては強くなどなれはしない。



“一人だけお荷物は嫌だ!”



 久々に会ったモニカはいつのまにか凄い魔法を身に付けていた。冒険者をしてる事は聞いていたけど、あんなに強くなっているのは、きっとあの人の影響。


 サラも王女として魔法の教育は受けていたのだろうけど実践なんて踏んでなかった筈。でも、あの魔法の凄さは何なの?まだまだ慣れてない感じだけど間違いなく一級クラスの威力がある魔法を最も簡単に操っていた。


 一番ショックだったのはエレナだ。ついこの間まで戦う術など持たなかった彼女は師匠とルミアの元で急成長を遂げていてびっくりした。クロエに稽古を付けてもらいながらコソコソと冒険者をして強くなって来た私とは大違いで、いきなりあんなに強くなってて焦ったのだ。

 それに加えて、ここに来てからの更なる成長。師匠のとこで一緒に修練していた時でも負けてたのに、追いつくどころか突き放されてしまった。



──私だけ弱いままなのは嫌!



 強くなる為には強い相手と、ギリギリ勝てるかどうかという瀬戸際の相手と戦わないとみんなには追い付けない。


 だから私は、コイツらを倒して自分の壁を超えてみせる!




「はぁぁぁっ!」


 剣を突き出しつつ重心を更に右側に寄せると、グランオルソの爪と剣とがすれ違う瞬間を目を見開き見極める。



──ここっ!



 爪の先端を切っ先で押し、踏み込んだ右足を軸に左足を振り子のようにして背中回りで半回転……よしっ!突進を上手く躱す事が出来た!

 もう一歩踏み込んだ勢いのままに更に半回転すると、遠心力と共に渾身の力を込めて大きな背中へと剣を叩き込む。


「グォォッガァアァッ!」


 茶色の絨毯から血を吹き出し、雄叫びを上げながら痛みで仰け反る二・五メートルの巨体。



──そこだぁっ!!



 ジャンプして後頭部に迫ると、首の付け根、頸椎と呼ばれる急所に向かい剣を突き出す。

 隙だらけのグランオルソは避ける事もなく、喉から剣を生やすと ビクビクッ と一瞬震えた後に立ち上がったまま動かなくなった。



──よし!一匹っ!



 斜めになりながらも立ち竦む巨体に足を着けると、突き刺した剣を逆手に持ち両手で引き抜こうと構えた。しかしその時、地面とは水平になった頭上に別の個体の気配がする。

 慌てて視線を向ければ大きく振り上げた片方だけの手を今まさに振り下ろす直前……ヤバっ!間に合えええっ!!!


「タァァァァッ!」


 気合いと共に引き抜かれた筋肉に締められていた剣。すっぽ抜けた勢いのままに迫り来る腕の付け根を目掛けて一直線に振り抜かれ、片腕だったグランオルソの残りの腕も吹き飛ばした。



──あと一つ!



 盛大に飛び上がったまま空中で残りの一頭を探すと、落下地点を狙い走り寄る姿が目に入る。



──うへっ、まぁず〜〜いっ!どうしよう!?



 エレナのように空を飛べるわけでもなく、リリィのように結界が張れるわけでもない。くっそぉっ……。


 左手をグランオルソに向け火の玉を飛ばすが、走りながらも最も簡単に撃ち落とされてしまう。しかもそれは悪手だったようで爆煙によりグランオルソの姿が見えなくなってしまった。



──それなら、一か八かよ!



 落下地点に佇む爆煙に隠れた最後の一頭に向け、落下の勢いを味方に身を捻りながら斬り込んだ。

 だが世の中そんなに甘くないのか、煙の向こうで微かに何かが光ったように見えるとそれが私に向かい迫って来る。



──あれは……避けなきゃ!



 重心を傾け少しでも軌道を逸らそうとするが、大した効果は無いままに光るものがすごい速さで迫ってくる!



──あぁ……無理。私、死ぬわね



 そう思いつつも、どうせ死ぬのならアイツも道連れにしてやるという思いが湧いてきた。


 なんでこうなった?私はまだ死にたくないよ。

せっかく念願叶ってレイの傍に居られるようになったんだ。


 まだ……まだ死ねないっ!!



「はぁぁぁぁぁっ!」



 剣を突き出しつつも必死になって身を逸す。爆煙の晴れ間からグランオルソの赤く鋭い目がこっちを睨んでいるのが見えたと同時、長い爪が一直線に伸びてくるのが見て取れる。


 完全に捕らえられた私の頭を目掛けて迫る爪。やっぱりもうダメねと思ったその時、グランオルソの爪が突然現れた透明な何かに当たる。ゆっくりとしたカーブを描きながら軌道が逸らされ、私に当たらないモノへと変わって行く。



──アレはリリィの……これならばっ!



 スレスレながらも必中だったはずの爪が私の横を通り抜け、すれ違う風圧に片目を瞑った時、私の剣がグランオルソの眉間を捉えた。

 ズズズッという嫌な感触がして根元まで突き刺さると、渾身の力を込めていた私は何の抵抗も出来ぬままグランオルソの首元に思い切り打つかり、そのまま地面に落下した。


「は、ぐぅぅッ……」


 着地も受け身もあったものではなく、二・五メートルの高さから無防備に落下する事になり、肺の空気が抜けて体が動かなくなってしまった。背中から落ちたのに頭を打たなかった事は不幸中の幸いだったが、まだ戦いは終わってはいなかった。



「グルル、グォォッォォッ!」



──嘘……もう動けないよぉ。



 両腕を無くしたグランオルソが床に転がる私を見つけ、今まさに突進して来るところ。

 両腕が無くとも踏み潰されるかもしれない!噛み殺されるかもしれない!


 だが武器もない上に、あったとしても体に力が入らない。逃げられないのなら後は魔法に頼る他はないが、下手くそな私の魔法など効きはしないだろう……それでも、やらないよりはマシ!


 重い身体を何とか反転させてうつ伏せになると、床に寝転んだままに両手を突き出し火の玉を作り出して放った。

 真っ直ぐ向かって来るグランオルソに向けて真っ直ぐ向かって行く火玉、外れる要素など何も無く二つはぶつかり合うと ドンッ と音がして爆煙が上がる。


 火玉が当たった場所は焦げ茶色の体毛が無くなり、肉が抉れて焼け爛れ、真っ赤な血が ボタボタ と流れ出しているのだが、一瞬怯んだだけですぐに態勢を整えるとそんな事は関係ないとばかりに突き進んで来る。


 効いていないわけではない、ただ威力が足りないだけ。


 グランオルソの居た場所が少しだけ離れており、距離があったのが幸いした。一撃で止まらないのなら二発目、三発目を撃てばいいっ!



「ああああぁぁぁぁぁぁあぁっ!」



 何度も何度も火玉を打ち込んだ。モニカやサラのようには早く撃てないけど、それでも懸命に火魔法を操り、向かって来るグランオルソに『止まれ!止まれ!』と心の中で叫びながらぶつけ続ける。

 その度に爆煙が上がり、血が吹き出して床を汚して行くが、徐々にスピードは落ちて行くものの一向に歩みが止まらない。


「なんでっ!なんで止まらないのよっ!?……来ないで……お願いだから来ないでよっ!!」


 いったい何発撃ったか分からないくらい火玉を撃ち続けた。焦げ茶色の体の殆どが赤い血で染まり、汚れていない場所を探す方が困難になっている。

 身体中ボロボロになり、見た目だけなら死んでいると判断されてもおかしくない状態。それなのに未だグランオルソの闘志は消えず、ゆっくりとした足取りで今にも倒れそうになりながらも一歩、また一歩と、確実にこっちに向かって来る。



──なんで死なないのよっ!!



 元々魔力の多くない私は、魔法の撃ちすぎで徐々に視点がぼやけてきた。今にも飛びそうな意識が朦朧としているのは自分でも分かる。だが、今ここで気を失ったりしたら確実にアイツに殺される。


「お願いっ……もう……」


 悔しくて涙が出てきた。私じゃ勝てないの?私はここで死ぬの?あと……あと少しなのにっ。


 更に一発、もう一発と、火玉を撃ち出す度に全身の力が無くなって行くのを肌で感じる。

 グランオルソと私の意地の張り合い、根比べ。

負けたくない……負けるわけにはいかない!


 気合いで集めた魔力を使い精一杯大きな火の玉作り出すと『負けない!』と強い意志を込めて撃ち出した。迷う事なく真っ直ぐに飛んで行くと一際大きな爆発が起こり、ゾンビのように動き続けていた熊は、とうとうその歩みを止めた。


 霞む視界の中で目を細め、今までの人生の中で最大の敵を睨みつけると、今ある全ての力を絞り出した最後の魔力を使い全身全霊を込めて風の槍を作り出した。

 それは師匠の元で散々戦ったエレナの武器、結局一度も勝てなかった私にとっての凶器。



──エレナ、貴女の武器を少しだけ貸してっ!



 放つと同時に全身の力が根こそぎ無くなった感覚になり地面に突っ伏した。

 床を叩く頬、指の一本ですら動かせないまでに疲弊した私の身体、それでも視線だけは宿敵に向けられたままでいる。


 無数の火魔法を全身で受け止め、焼け焦げ、血を滴らせて立ち竦むグランオルソに向かい解き放たれた風の槍が力強く飛んで行く。



ズシュッ!



 鈍い音を立てて眉間に撃ち込まれた風の槍が貫通して風穴が開くと、ビクッ と大きく痙攣した後、傷だらけの全身が光に包まれた。


 それを見届け勝利を確信したと同時に、もはや限界だった意識の糸が プツリ と切れた。



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