51.いくら力を得ようとも

 小鳥のさえずりすら聞こえない静まりかえった森の中に佇む一軒の小屋。生活感などまるで無いというのにこれ以上手を加えずとも快適に暮らせそうなほど丁寧な造りをされており、ベッドはおろか、その上に敷かれた寝心地の良い柔らかな布団まで用意されていた。


 すぐ隣にある二人がけのテーブルにはいつでも手に取れるよう朔羅と白結氣が立て掛けてあり、そのすぐ横には殺風景な室内を彩るように一房の君影草が可愛いらしい花をこちらに向けている。



──こんなに綺麗なのに可愛いとか、反則だろ



 落ち着きを取り戻し、規則正しく上下する胸へとかけられた薄い布へと手をやれば ピクリ と反応してくれることが堪らなく嬉しい。

 その様子にほくそ笑むと、既に乾いた汗で細い肩へと張り付いた髪をそっと外してやった。


「ん、ぁっ……わたくし、寝ていた? だとしたら逃げ出すチャンスだったのではなくって?」


 切れ長の目が開き紫の瞳に光を写せば、現状を思い出し、かけてあったシーツを引き上げ美しい顔を半分隠す。

 小さく丸まり、隣に横たわる俺へと上目遣いで向けられる恥ずかしげな視線……。



──やべー! 可愛い過ぎるっ!



 寝ている姿もさる事ながら、そんな仕草にノックアウトされたのは内緒にしておこう。


「寝ている女の子を一人で放り出すような薄情者じゃないよ」


「そう……」


 まじまじと見つめてくるアリサはそれ以上何も言わず、暫くして満足したのか、恐る恐るといったゆっくりとした動作で俺の右腕に抱き付くと頬を寄せてくる。


 単刀直入に言おう。俺は命令に従い彼女を抱いた。


 腕全体に感じるスベスベとした肌の質感と女性特有の柔らかな肉の弾力とがつい先ほどのまでの事を思い起こさせ、満足するまでした筈なのに行為の再現を求める欲望が湧き起こる。


「アリサ……」

「どれ位寝てた?」


 顔を見たくて頬に指を当てるものの、俺の意思は伝わらなかったのか彼女は動かずそのままだ。


「十五分くらいかな?」

「そう……時間、無駄にしちゃった、な」


「別に無駄じゃないだろ?俺はアリサの可愛い寝顔が見れて満足だよ」

「ふふふっ……そう……」


 何を思ったのか突然首を動かし始め、抱き付いた腕へと額を グリグリ 擦り付けて来る。


 そんな事をすれば身体も動くのは当然の事。腕に当たる胸の感触に堪らず欲望を解放しようと思った矢先、それを拒絶するかのように ビクリ と身を震わすので慌ててブレーキをかける。


「アリサ……」

「ごめ、んなさい……」


 突然の謝罪に訳が分からず『何が!?』と混乱したのも束の間、再びアリサの身体が ピクリ と動いた。


「こんな筈じゃなかったの……ごめんなさい……」


 プルプルと小刻みに震え出したのは泣いているからか?


「なんで謝る必要があるんだ?……アリサ?」

「っっ……」


 俺がちょっかいを出したのならまだしも先程より強くしがみ付いた身体が ビクリ とすれば、いかに鈍感な俺といえども様子のおかしさに気が付きもする。


「ちょっ、アリサ? どうした?何処か痛むのか?」


 しがみ付く力が徐々に増し、腕から離れようとしないアリサは固く目を瞑り何かに耐えているようにも見える。ついさっき溢れ出た欲望など瞬時に吹き飛び、言い知れない不安に突き動かされて『顔をみせろ』とばかりに彼女の頬を軽く叩いた。


「っ!……何でもない、と言いたい所……んっ!だけど、本当にごめんなさい……」


「なんで謝る!……アリサ!?」


 俺へと向いた彼女の眉間には何かを我慢する為の皺が寄っており、何らかの苦しみが身体を支配しているのが目に見えて分かる。


「はぁぁっ、くっ!……こんな姿、見せるつもりなかったのに、ダメね、わたくし。はぐっ!……優しい貴方の事だもの、知れば必ず負い目を感じてしまう……分かってたのに、ダメだと知ってたのに……貴方と過ごす時間が余りにも心地良くて、つい長居してしまった……本当にごめんなさい」


 時折来る苦痛の波に身を固くしながらも、弱々しい光を灯す紫の瞳は俺を掴んで離さない。


「一緒に居たいのなら居ればいい。なんで謝る!? 何がいったいどうなってるんだっ!」


 状況が分からなければ対処もしようがない。

理由は分かっているだろうに説明しようとしないアリサを問いただそうと空いてる左手でか細い肩を掴んだ時、さっきまで気が付かなかった違和感を感じた。



──これは……光と闇の魔力? 幻影の魔法、か?



 右の上腕を覆うように薄い魔力の膜が貼ってあるのを見つけた瞬間、嫌な予感が胸を突く。



──この位置、この感じ、まさか……



 俺の予測など勘違いであって欲しいと願いながらも恐る恐る自分の魔力を込めて幻影魔法を相殺させれば、そこに現れた痣が無情にも現実を知らしめる。


「女の秘密を暴くなんて、くぅぅ……イケナイ人ね」


 三重になった円に収まる六芒星、それは間違いなくルガケーアの刻印。三人の魔力によって執り行われた “約束事” こそがアリサの身体を蝕む原因だったのだ。


「あいつか……アリサをこんな目に合わせたのはアイツなのかっ!!」


 〈ルガケーアの書〉は二者間の取り決めを第三者が認証し、その証として受け手側の腕に魔法陣を刻印する強制力のある契約書の一種。

 だが不思議な事に、アリサに刻まれた魔法陣からはアリサともう一人の魔力しか感じられ無いのだが、そのもう一人分の魔力の波長に確信と言ってもいいほどの心当たりが思い浮かぶ。


 腹の底からドス黒い “殺気” という名の感情が噴き出した。



「ジャレットぉぉぉっ!!!」



 怒りのあまり思わず叫び声を上げた俺の手を握り小さく首を振るアリサ。


「まって!確かに話を持ち出したのは……っ!はぁっ……彼で間違いないけど、一概に彼が悪い訳ではないわ。

 わたくしは魔族王家の人間。思うところがあって過激派の組織で使われているけど、元々は対立する穏健派の筆頭なのよ。だから四元帥となった後でも常に監視の目が光っていた。

 貴方との仲を疑われたのは仕方のない事なのよ。ジャレットが言い出さなくても他の誰かと同じ契約をしてた……はぐぅ……筈だわ」


 腕の魔法陣を隠していた幻影魔法を取り払ったからだろう。魔法陣を中心に稲妻のような黒い線が身体の隅々へと拡がり、赤黒い不気味な色で明滅を繰り返している。



──殺す! 殺してやるっ!!!



 光を発する度に身悶えするアリサを見ているだけで胸が締め付けられ、何も出来ない自分にまで怒りが湧いて来る。それと共に奥底から噴き出すドス黒い魔力、全てを無に返す最強の力も頭の中で【殺せ】と煩く叫び散らすだけで何の役にも立たない。



──助ける方法は……何かないのか!?



 頭をフル回転させたとて出て来る答えに変わりはない。


 ルガケーアの誓約は、契約を交わした相手の許可が無い限り解除される事はない。つまり、今のアリサの苦しみは憎きあの魔族にしか止める事が出来ないという事。


「はぐっ!……レイ……わたくしは戦いに勝ち、貴方を手に入れた。っぅ……そう、よね?

 下僕となった貴方に二つ目の命令を下すわ」


 己の無力さが悔しく悔しくて堪らず、噛み締めた唇から鉄の味が滲み出てくる。


 間隔の短くなった明滅に歪む顔を引き締めると、紫の瞳で真っ直ぐ俺を見つめながら静かに告げた。



「キス、して……貴方の腕の中で逝きたいの」



 分かってはいた……でも、考えたくなかったからすぐに訪れるだろう現実から目を逸らしていた。


 希望的観測──ただ苦しめるだけで終わる事などあるわけないのに……


 ルガケーアの書の誓約を破った罰は【死】だ。 通常であればすぐに訪れる贖罪がゆっくり近寄って来ているのは、あの男のイヤらしい性格ゆえなのだろう。


「レイ、お願い……わたくしの、最初で最後の我儘を聞いて頂戴……お願い」


 俺の首に手を回し、キスをせがむその顔には大量の脂汗が噴き出している。それに混じって流れ落ちる大粒の涙は、彼女が死を望んでいない何よりの証。



 また俺は何も出来ないのか……あれからどれだけの力を手に入れた?何のために!!この力は愛する者を護るためのものじゃないのか!?

 いくら力を手に入れようともユリアーネの時のように、愛する者が死に追いやられるのを黙って見守るしかないのか!!!!


 このままではアリサは死んでしまう……やっと一緒になれたのに……ずっと一緒にいられると思ったのに……俺にはただ……ただ、彼女の最後を看取る事しか出来ないのか?



 キスなど、生きていればいくらでも出来るだろう。朝でも、昼でも、何処ででも、何度でも……。

 だが、死を目前にした彼女の搾り出した言葉は既に命令などではなく懇願。それはつまり、自分の生の終わりを容認してしまっているのだということ。


「……レイ」


 視界に写る赤い唇が、少し高めのこじんまりとした鼻が、人より小振りな両の耳が、形の良い細い眉が……宝石のように綺麗な紫の瞳が、水の膜でも張ったかのようにボケてしまいハッキリ見る事が出来なくなっていた。


「アリサ……愛してるよ」


 最期だとばかりに高速で明滅する全身の痣など無視してゆっくり顔を近付けると、そっとキスをした。

 唇が触れ合えば伝わってくる暖かな体温と、微かに感じる甘い花の香り。


 この時が永遠に続いて欲しいと願う俺の背中を、二本の腕が力強く抱き寄せる。



──死ぬなっ!もっと一緒に……ずっと一緒にいよう、アリサ!!!!



 その時だ……


⦅仕方ないなぁ⦆


 アリサでいっぱいの頭の中に流れ込んできた囁き。



 突如として背中から流れ込む黒い魔力。虚無の魔力ニヒリティ・シーラと同じく漆黒だというのに、アレとは違い全く嫌な感じはなく、寧ろ暖かみのあるような、何故か懐かしい感じ。

 全身を駆け巡り、体内に散らばる魔力という魔力を掻き集めながら胸の真ん中に集結し、一塊になって膨れ上がる。



「!!!!!」



 自分の魔力で身体が弾け飛ぶのではないかと思われた次の瞬間、胃から口へと食べた物が逆流するかのような強烈な感覚を覚えた矢先に意識が暗転し、俺の記憶はそこで途絶える事となった。



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