45.傷だらけの勝利
『吐血は身体の中にある器官にダメージを受けた証拠。見た目では分からないけど外に出来る傷よりよっぽど深刻なの。もし身体の中に傷を負ったらすぐに私の所に来て、約束よ?』
人差し指を立て、そう忠告をして微笑むサラの笑顔が思い起こされたが『後で怒られるんだろうなぁ』と思えば、心配と、怒りと、呆れの共存する複雑な表情へと変貌してしまい乾いた笑いが心の中で漏れる。
そんな状況にありながらも、ふと、強い奴と言えばまだいたなと嫌な相手を思い出した。
四元帥の一人ジャレット・ソレフマイネン。してやられた苦い記憶の新しいアイツも底知れぬ力を持つ強者。と、なれば、同じ肩書きを持つアリサも相応の実力者だという事に他ならず、こいつを倒した後にもそんな相手と戦う事になるのかと意識が遠のく。
我に返れば『今すぐ起きなければ殺られる!』と遅過ぎる理解が進み、嫌がる身体を無視して気合だけで瞼をこじ開けるがそこに奴の姿がない。
次の攻撃に対応出来るか否かは一先ず置いておくとしても、今、奴を見失うのは致命傷となり得る危機的事態。
──だが焦る心とは裏腹に、運命の女神はまだ俺の事を見捨てた訳ではなかったようだ
首すら動いてくれない身体で視線だけ回せば、白刀の切先を地に着け、地面に突き刺した朱刀を支えに動きを見せないアゼルの姿を確認出来た。
その姿は俺と同じく満身創痍。
白い物が見えるほど抉られた右肩は焼けただれ、血が流れた跡がくっきり残っている。そんな状態でも離すことのない愛刀は、柄に巻かれた白い紐が赤く染まっており、刀身を伝う液体が流れ出た血の量を物語っている。
恐らく防ぎきれなかった風輪に肉を持っていかれた為に出血が止まらず、止血の為に自らを焼くという荒療治に出たのではなかろうか。
左の脇腹にも傷を負っているらしく、破れた服の間から見える赤い肉と、同じ色に染まりつつあるズボンとが奴の負傷具合を教えている。
──殺るなら動けない今が絶好のチャンス!
だが動くのを拒否するのは俺の身体も同じで『立て!』と命令してもピクリとも反応が無い。
つまり、お互い満身創痍ではあるが、肩で大きく息をしながらも大地を踏み締めている分だけ奴の方が優勢だということ。
もしも今、ゆっくりでも奴が動き出したのなら、これまで歯を食いしばって戦ってきた時間の、いや、今まで生きてきた全てが無駄になる。
フォルテア村で競い合うように鍛錬に明け暮れた時間も、師匠の家でユリアーネと共に過ごした時間も、モニカと……コレットさん、サラに、ティナに、エレナに、リリィ、みんなと過ごしてきた全ての時間が俺の命と共に無に還り、二度と戻る事は無い。
──そんなのは駄目だ!
──それは許される事では、ないっ!!
行き着く想いとは裏腹に、それでも動こうとしない身体へと唯一の味方である魔力を流し込み、身体強化という鞭で思い切り叩く。
「ゴッッフォ!ゴホゴホッゴホッ……」
身体を伝い耳へと響いてくる “全身の悲鳴” を無視してどうにか立ち上がると、呼吸に伴い込み上げた血を吐き捨てて汚れた口元を袖で拭った。
「知ってるか?紳士なら待って当然、女性を待たせるのは失礼に当たるんだぜ?
目の前に居るとはいえ、いつまでもほっぽり出してると、せっかくのデートもフイにされかねねぇ。お前との遊びも終わりの時間だ」
「ハッ!んなこったぁ知った事じゃねぇよ。
地位も、名誉も、金も、男も女も、今となっちゃぁどうでもいい。
ただ一つ、俺が欲するはレイシュア・ハーキース、お前の命だけだ」
そのまま倒れるかと言うほどに フラリ と揺れたアゼルが朱刀を大地から引き抜くと、これまでとは明らかに違うゆったりとしたスピードで魔力が高まって行く。
両手に在る刀を確かめるように持ち上げれば、見るも痛々しい傷を感じさせ無いほど ピシッ とした構えを取った。
そんな奴に釣られて負けじと見栄を張り、悲鳴を挙げ続ける身体を更なる身体強化の魔法で黙らせると、奴に応えて朔羅と白結氣を構える。
無音のままで時が経つ事しばし、何かしらの合図があった訳ではない。
「うぉぉぉぉおおぉぉぉっっ!!」
「はあぁあぁぁぁぁああっっ!!」
自分を鼓舞する雄叫びと共にお互いが駆け寄れば、言葉を発せず身動ぎすらしないままに、ただ黙って二人を静観し続けたアリサの目の前で俺達は交差した。
「ハッ!」
「クッ!!」
「せいっ!」
「フッ、ンッ!」
静寂の支配する森に幾度とない剣戟の音が鳴り響く。
だが気力だけで動く二人がそれほど長く打ち合える筈もなく、既にお互い息は切れており苦しい攻防が続いた。
「チィッ!」
当たる角度がほんの僅かにズレた白結氣が大きく弾かれれば、そんな隙を逃すはずもなく、時を待っていたアゼルの刀に渾身の紫が塗りたくられた。
「……死ね」
──瞬時に振り上げられる二刀
勝利を確信し、ほくそ笑む奴の顔が見えたのは横目だったが、それを見て逆に笑みを溢した俺の顔は奴には見えない角度だった。
物体に力を加えるということは、その物体からも同じだけの力を加えられるということ。様々な条件により完全に等しい力が返って来る事は無いが、加えた力が強ければ強いほど、加えられる力、つまり自らに跳ね返ってくる力も強くなるのが世界の理。
「双牙壊撃!!」
左手に嵌るのは、透明な六つの石の連なるアリサに貰ったブレスレット。
その石の一つに内包された赤い光に働きかけて秘められた力を引き出せば、叫び声を上げながら身悶えしたくなるほどの、身体の内側から燃えてしまうのではないかとすら思える熱いモノが全身に流れ出す。
「はぁ!?ぐっ!」
火竜であるサマンサの魔力を扱えるようにと俺の魔力と融合させた、この上なく強力な力を前に歯を食いしばり、右腕を中心として全身を強化する命令を下す。
奴の左手から発生する力に飲み込まれぬよう半歩分だけズレるように身体を捻りながら、握り締めた朔羅を紫に染まった白刀の軌道へと力の限り振り上げた。
互いを壊し兼ねないスピードとパワーで打つかり合う二つの刀。その戦いは轟音となって耳の奥底まで入り込み、疲れ切った脳を否応無しに刺激する。
──勝ったのは勿論、俺の朔羅、それは至極当然の結果だった
超級の破壊力を持つ奴の技と、それに対抗した火竜の魔力で強化された朔羅の一撃。凄まじい力の打つかり合いは “反作用” により、お互いの身体へも影響を及ぼす。
気力だけで無理矢理動かされている奴の身体は脆く、抉れた肩ではその力に耐え切れないのは必至で、身体強化にも力を割いた俺とは違い愛刀と別れを告げることとなった。
「っ!?」
獲物を捕らえ損ない、三本の線を描いただけの朱刀を地面に付けて力一杯目を見開くアゼル。
そんな隙を逃すはずもなく、身体の回転と共に向きを変えた白結氣を振り抜けば、行き場を無くして彷徨っていた右手の肘から先が肉体を離れて赤い液体と共に宙を舞った。
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