44.見せられる死の淵

 水魔法で強化していて尚、激しい衝撃が背中から伝わり全身を揺さぶりかける。


「ふ、ぐっ!」


 大森林フェルニア以外では見た事がないほどの巨木を背中でへし折れば、物理法則に従い自分へと戻ってくる力に耐え切れず、意図しないままに肺の空気が漏れ出てしまう。




 物体に力を加えて押せば、物体の方からも同じだけの力で押し返されているらしい。


 机を動かそうと押した時に “自分が机を押している” と感じるのは “自分が机に押し返されている” のを感じている事が大きいようで、意識しておらずともこの力のやりとりはいついかなる場面でも行われているのが世の常だというのはララの言葉。


 棒を手に木を叩けば、当たった瞬間に手応えを感じる。それが所謂 “反作用” と呼ばれる押し返す力であるらしく、加えた力の一部は他へと分散して逃げてしまう為に等しい力が返ってくる事は現実にはあり得ないが、強い力を加えれば加えただけ相応の力が跳ね返ってくるのだ。




 望まずとも俺を吹き飛ばした魔族との実力差を骨身に染み込まされるが、余裕など皆無に等しいにも関わらず、今は役に立ちそうにないララとの会話が甦れば無邪気に微笑む彼女の笑顔が脳裏に浮かぶ。


 俺はアリサに会いに来たのに、やっとのことで話す機会に恵まれた彼女を前にして何を悠長にやられてるんだろう……


 間髪入れずにやって来た二度の衝撃に頭の中が真っ白になり意識が飛びかけるが、どうにか堪える事が出来たのは奇跡と言っても過言ではない。

 三度目にしてようやく、勢い付いた俺の身体を大森林の太い木が受け止めることに成功してくれる。だが、先程までは打ち付けられる木を破壊することで分散されていた力までもが加わり一際大きな反作用の波が全身に拡がれば、地面に投げつけられたトマトのように潰れてしまうのではないかというほどの衝撃が襲いかかってきた。


「コフッ」


 肺に残るなけなしの空気が少量の血液と共に口から漏れ出ると、今度は別の力に翻弄される事になる。

 目に写る物が霞んで見える視界の中、重力に引かれて両足が地面に着くのが目に入るものの酷使された身体はストライキを起こして言う事を聞かず、踏ん張ることすら叶わないまま尻で着地する事となった。


「どうしたどうしたぁっ!?レイシュア・ハーキース!そろそろ兄貴の元に行きたくなって来たか?あぁっっ!?」


 白結氣と同じ白い柄糸の巻かれた刀を握ったまま、肩が外れ力無く垂れ下がる左手をおもむろに掴むと、顔色すら変えずに鈍い音を立ててその肩を無理にねじ込み元に戻す魔族の男。



 俺の邪魔をするようにアリサとの間に入り込んだアゼルは今まで戦った相手の中では一、二を争うほどの力を持っていた。


 俺の中で神と位置付けている師匠ファビオラ・クロンヴァールと、それに匹敵しそうな感じのするアリサの叔父であり魔族四元帥の一人レクシャサ・エードルンドを除けば、戦いにすらならなずにけちょんけちょんにされたサルグレッド王国近衛隊長クロヴァン・ルズコートが最強だったのは揺るがない事実。

 それには及ばないまでも相当な力を秘めていそうなのは、近衛三銃士が一人ガイア・トルトレノ。再戦を約束した奴の実力は、あの憎き魔族ケネス・アールストレームの上を行っているのは確実だ。


 俺の想定するガイアに引けを取らない感の強い目の前の銀髪は、魔族の中にあっても間違いなく上位に位置する存在。

 そんな奴と対峙して無傷でいられる筈もなく、俺の服は焼け焦げて穴が開き、剥き出しとなった至る所が傷だらけで血が滲んでいる。打撲していない箇所はないのではないかというほどに全身が怠く、重く、まさに満身創痍という言葉がドンピシャに当てはまる状態にある。


「ギャーギャー騒ぐなよ、口が軽いのは兄弟揃って同じだな。お前の家には口で相手を倒せ、なんて家訓でもあるのか?」


 ミカエラをナンパしているテレンスの姿が思い起こされれば、銀髪、糸のような細い目、細身の身体が目の前のアゼルとそっくりで、既に記憶から消えかけていた奴とは本当に兄弟なのだと、どうでも良い事が思い浮かぶ。


「くくくっ、まだそんな減らず口を叩けるのか。口で相手を倒したいのはお前の方じゃないのか?そんな元気があるなら、さっさと立てよ」


 言われるまでもなく、大木を背にいつまでものんびり森林浴とはいかない事くらい分かっている。

 動きたくないと悲鳴をあげる身体に『もう少しだけだから』と嘘で言いくるめれば、鈍痛と倦怠感という抗議をしながらも渋々と指示に従ってくれる。


「ふはっ、本当に立ちやがった!しっぶてぇ〜なぁ。でも、そうこなくっちゃ俺の気持ちが収まらねぇ。

 そういう事で……早速行くぜっ!!」


 初速から突風のようなスピードで動き出したアゼルに合わせ、前方へと体重を移動させて杖代わりに地面に刺していた白結氣を自然な動きで引き抜く。

 前につんのめり、バランスを崩そうとした身体が戦闘モードに強制切替えされた。



 前に出した足に体重を載せ、人の手が加わり均された大地を踏みしめれば、鍛錬を重ねて来た肉体を経て右手の先にある全身が真っ黒な朔羅へと力が集まり、己の欲望を満たそうと襲いかかってくる白い柄糸の巻かれた刀との力比べが始まる。


 漆黒の朔羅と白い刀、純白の白結氣と朱色の刀、互いに譲る事なく己の主人の代理として打つかり合えば、彼女達の雄叫びが森の奥へと木霊する。


 剣の腕では勝る俺だが、魔族である上に肉体改造までしているアゼルには身体の造りと身体能力において比べるべくもない大きな差があるのは明らかな事。

 空気を斬り裂いて迫る刀を小手先の技でいなし、距離を取ろうと後退しながら一息で作れたありったけの火弾を撃ち込むが、数発直撃しただけで残りは奴の作り出した紫の炎に相殺されてしまった。


「ハァッ!」


 大して意味が無いのは十分承知の上。すぐさま距離を詰め煙幕で視界の悪くなった所へと斬り込んでみたものの、案の定、そんなものは奇襲ですらないように反応されてしまい再び剣戟の音が鳴り響く事となった。



──だが、それでいい



 ポテンシャルが違い過ぎるからと大人しくやられるなんて選択肢はあるはずもなく、小さいながらも蓄積してきたダメージは着々と奴の動きを鈍らせている。


 俺達以外の動物的生命感の無い静かな森に硬い鉄を打ち付け合う剣戟音が激しく響けば、何度目かも分からないほどの攻防の後、朔羅を弾いた奴の白刀が薄らとだが紫の炎に包まれる。



──来る!!!!



 続いて白結氣を押し除けた朱刀も紫炎を纏えば、初見であっても何かしら仕掛けてくるのは一目瞭然。

 だがその間、一秒にも満たない僅かな時間だ。例えそれを見定めようとも反応するのは至難の技だろう。


 すでに三度目となる大技を前に、奴の前方にいては不味いと交差して振り上げられた二本の刀が猛威を振るう直前、腰を落として膝を曲げ、全体重を右脚一本に集中させると全力で大地を蹴り横へと飛び退く。



「双牙壊撃!!」



 一瞬で爆発的に膨らんだ魔力と、殺気に混じる剣気とが入り乱れ、振り下ろす腕の動きすら見えないほどの斬撃が繰り出されれば、左右三本づつ、奴を中心に扇型に伸びる細くも深い溝が十メートルに渡って大地に刻まれた。



──そこだっ!



 “必殺” と言える強力な技の反動なのだろう、両刀を地面に着けたまま動きを止めたアゼル。

 回避に成功した俺は『そろそろ無理っ!』と泣き叫ぶ身体に『もうちょっとだけ!』と頼み込む。


 三日月形をした拳ほどの小さな風の刃を十字に交差させ、横方向に高速回転させる事で貫通能力を高めた魔法『風輪』は、エレナやティナを真似て密かに名付けたもの。

 ほんの僅かな間に出来得る限りの限界数量、六つの風輪を創りながらも、一瞬前に奴から離れる為に全力を傾けた身体を急反転させ、この一撃で勝敗を決する為に全霊をもって奴へと向かう。



「はぁぁあっっっ!!」



 だが、目を見開いて驚きを露わにするアゼルへと風輪が到達し、動き始めた朔羅が長き戦いの行方を決めようかという直前の事だった。



「っ!!くぉぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」



 こめかみから首筋へと伸びる肥大した血管が更に一回り大きく膨らみ ドクンッ と脈動したのが目に入れば、刹那の後には動かない筈の腕が振り上げられ、渾身の魔法とも言える風輪が掻き消されるのをこの目に見た。


「ゴァッ!」


 急激に流れ出す俺の視界、左の脇腹に痛みを伴う違和感を感じたのはそのすぐ後だった。

 状況が理解出来ず必死に把握しようと試みるも、衝撃に振られる頭はその事に耐えるのに必死で他に回す余力がまったく無いらしい。


「くぅぅ……カハッ」


 そんな折、今度は反対の側面に衝撃を感じれば、抜け出る空気と共に口の中が鉄臭い血の味で満たされる。


「ゴホゴホッゴホッ……ハァハァ……ハァ」



 やっべぇ、俺、死にそう……



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