35.迫られる選択

 遠くの空で起こる無数の爆炎を眺めるケネスは自分に言い聞かせるように乾いた笑いを浮かべていた。


「誰がショボい男だって?誰が?この俺がショボいだと?アリサには吊り合わねぇと言いたいのか!あのクソガキがぁぉ!何様のつもりか知らねぇがアリサは俺の物だっ、やっと俺の物になったんだ!

 フハハハハハッ、そうさアリサは俺の物だ。俺がどう扱おうと何も言われる筋合いはない。賭けに負けたアイツはもう俺の物なんだっ!!」


 アリサがヤツの物とか気に食わない発言。しかし虚言だろうが事実だろうが、そんなのはヤツを殺してしまえば消えて無くなる事。

 オーガを片付けた俺はようやく戦えるようになった仇敵に向けて怒りを滾らせた。


「奴がケネスだな?俺達の村の仇なんだな!?」


 初めて見る魔族が仇だと分かり、抑えていた怒りを爆発させるアル。その怒りを体現するように、右手に握るセドニキスの剣が真っ赤に染まり炎を吹き上げる。


 しかし、そんな俺達の肩を掴んだのは白くて細い、良く見知った手。


「感情に飲まれたら勝てる戦いも勝てなくなる。今はその怒りを鎮めるか、捨ててしまいなさいっ!それが出来ないのなら今この場で戦う資格は無い。

 相手は手練れの魔族よ、二人共死なせるわけにはいかないの、どう?出来る?」


 いつもとは違う口調ながらもその声まで変わることはない。心に響くユリアーネの言葉、沸騰寸前だった感情が徐々に鎮まっていく。

 頭では分かっていた、戦場では冷静さを失ったら負けなのだ、と。悔しいが相手は格上と言えるほどの力を持つ魔族。ユリアーネがいるとはいえ生半可な心で臨み、無事でいられるほど甘くないはずだ。


 横から深く吐き出される空気の音が聞こえてくる。アルを見ればユリアーネの一言が大きく効いたらしく、剣の纏う炎が小さくなっていた。どうやら怒りを抑え、冷静さを取り戻したらしい。

 流石はユリアーネ、俺達の姉弟子。ここぞという時に導いてくれるのは頼り甲斐があるという言葉以外には表現が見つからない。早く肩を並べられるぐらいにならないと、いつまで経っても守ってやる事なんて出来やしない。


「ユリアーネ」


 敵を見据える真剣な眼差しが俺に向く。


 頼もしいユリアーネ、凛々しいユリアーネ……愛しいユリアーネ。今は戦闘中、だが彼女への想いが胸に広がり、堪らなくなり頬に手を当てキスをした。唇が触れるだけの軽いもの、しかしそれでも俺の心は満たされ頭がよりクリアになっていく。


『居てくれてありがとう』


 心の中で感謝の意を込めて微笑めば、ユリアーネも表情を崩して微笑み返してくれる。


「ハッ!見せつけてくれるじゃねぇか?お前にとってはその女が大事と見える。ならば故郷の次はその女を奪う、か?」



(クソがっ!!!!)



 再び沸騰しかけた俺の肩にユリアーネの手がそっと触れた。振り返れば『私は大丈夫』と言いたげな優しい眼差し。存在が認識できる、隣に居てくれる、ただそれだけで心の波は収まり挑発には乗らずに済んだ。


「ゴタゴタ言ってないで降りてきたらどうだ?それとも何か?怖くて降りられないのか?そうかそうか、だからオーガなんかけし掛けて俺達を倒そうって魂胆だったんだな?

 だが残念だったな、お前の頼みの綱は全部居なくなっちまったぞ?怖くて震えてるのなら見逃してやるからさっさと家に帰れよ」


 即座に身を翻したケネスは大きな音と共に着地すると、姿を消したオーガのように怒りの形相を浮かべて俺達を睨みつけてくる。

 一息で抜き放たれる背中の剣、一般的に使われる物と比べて遥かに大きな両手剣は身長と変わりない長さがある。剣幅も四十センチ以上あり、大きいと思ったアルのセドニキスの剣の何倍もの質量のある大振りの剣を軽々と片手で取り回し、ブレない切先を突き付けてくる。


「てめぇ、そこまで言うってことは覚悟は出来てるんだろうなぁ?あぁっ!?今更後悔しても遅いがな。まぁ、死んどけよっ」



──来る!!



 直感で構えた朔羅に走る衝撃、あんな大きな剣を持ちながら目にも止まらぬ速さで立ち並ぶ三人の真ん中にいた俺だけがケネスに押し退けられた。


「くぅっ!」


 それに合わせてユリアーネが白結氣を振り上げるものの、その時には既に空中へと逃れている。


「ハッ!遅せーよっ」


 空から降り注ぐ紫色の炎、二人を取り囲むように爆炎が上がる。


 素早く二手に別れて回避したユリアーネとアルは示し合わせたかのように同時に風の刃を放った。

 しかしケネスは踏ん張りの利かない空中にいながらも大剣の一振りで掻き消してしまう。


「なんて奴だ……」


 口をつくアルの愚痴、だが奴の実力はこんなものではないはずだ。


 爆炎を掻き分け向かった先はケネスの落下点、ふつふつと燃えたぎる怒りは朔羅に炎を纏わせた。大きく膨れ上がる刀身、その長さは従来の二倍。


「さっさと死ねよ、クソ魔族!」

「死ぬのはテメェだろぉがっ!」


 重力を味方に降りてくる大剣、横薙ぎの朔羅とぶつかり激しい金属音を響かせるが、またしても競り負けた俺が弾き飛ばされてしまう。


 身体強化をフルに活用しても今の俺ではケネスの身体能力には及ばないというのか……魔族とはこんなにも強いものなのか?

 俺もまだまだとはいえ、人間の中ではそこそこ強い方になると自負している。だが奴とのこの差は何なんだ?一対一では歯が立ちそうに無いどころか、まるで大人と子供。過激派の中にはこんな奴がゴロゴロしてるのなら、人間なんて簡単に支配出来るんじゃないのか?



「魔族なんて消え去れっ!」

「クックックッ。誰が感情を殺せと言ったんだ?てめぇが一番丸出しじゃねぇか」


 俺とは入れ違い、体勢の戻らぬケネスを狙いユリアーネが斬り込む。それをいやらしい笑いを浮かべながら余裕の表情で迎え撃つケネス。

 鍔迫り合いになり間近で向かい合うと、抑えきれない怒りにユリアーネの顔が染まっていく。


「うるさい!魔族なんて要らないっ、魔族などこの世から消えて無くなればいいのよ!!」


 動きを止めたケネスにアルが横から襲いかかる。しかしユリアーネと交差しながらも絶妙な力加減で立ち位置をズラした。

 躱すと同時に放たれる蹴り、腹部にカウンターを受けたアルは吹き飛ばされて地面を転がる。


 ユリアーネとの鍔迫り合いに力など必要もない、そんな風に軽々しく剣を立てて白結氣を止めながらもその顔をじっくり舐め回すように眺める。


「お前もなかなかの女だなぁ、叩き伏せて雌犬として服従させるのも一興か。あの男の前で屈辱を味合わせてやろうか?クククククッ」


「誰がお前になどっ!!」


 全身に迸る稲妻、ユリアーネの姿が消えた次の瞬間にはケネスの背後で激しい剣撃音が鳴り響く。

 最強の魔法である雷魔法を纏ったユリアーネの速度にすらケネスは対応してみせた……あり得ない!


 再び二人の間に飛び込むアル、手にする剣は真っ赤に燃え盛り、元々大きな剣が更に倍の大きさに膨れ上がっていた。


「ハッ!」


 それでも『だからどうした』と言わんばかりに鼻先で笑い飛ばすと、軽々しくユリアーネを押し退けアルに剣を合わせる。

 耳に響く金属の音。渾身の斬撃を右手一本で受け流し、左拳が腹部を捉えればアルの身体がくの字に曲がる。


 驚いたのは次の瞬間。一歩踏み込み剣を握っていたはずの手を伸ばすと、吹き飛ばされ、離れて行こうとするアルの首を握り締めたのだ。


「はんっ、弱いぞ。すっこんでろ」


 持ち上げたままで告げると、ゴミでも捨てるように放り投げる。手を離した瞬間、地面に刺さっていた剣を引き抜いたケネス、間髪入れずに放たれた斬撃がアルの胸を切り裂いた。


 赤い液体が尾を引きながら宙を舞う、その様子に目を見開けば抑えていた筈の怒りが間欠泉のように吹き上がる。


「アル!! てめぇぇっ!」


 即座に斬りかかるユリアーネ、白結氣を受け止めた瞬間を狙い朔羅を全力で叩き込んだ。

 しかし、まさかの事態に二人して目を丸くする。


 握り締められ動きを止めた漆黒の刃、この魔族はこともあろうか素手で斬撃を止めて見せたのだ。


「お前、なんで本気を出さないんだ?この間の力はどうした?あぁっ!?まだ俺を舐めてるのか?本気でなくともこの俺を倒せるとでも思ってるのか!! 出せよ……この間の黒い力を俺に見せろっ!!」


 朔羅ごと引き寄せられた目の前には苛つくケネスの顔、怒りをたぎらせた黒い瞳が逸れた事に嫌な予感が背中を走る。


「それともアレか?また大事な物を奪われなければ分からないか?あぁっ??それがてめぇの望みならあの女を殺してやる。

 おいっ、どうすんだ?本気出すのか出さないのか、ハッキリしろやぁっ!!女殺されてぇのかぁぁっ!?」


 ケネスに振り回される朔羅、それに釣られて宙を舞った俺は無様にも地面に叩きつけられた。

 咄嗟の水魔法も衝撃を吸収しきれず肺から空気が逃げて行く。呼吸を奪われ一瞬の硬直、その上からケネスの足が突き入れられる。


「ガハッ!」

「そこで女が死ぬのを見てるがいい。そうすれば本気にもなれるんだろ?」



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