36.戦場に響く魂の叫び

「お前が死ねぇっ!魔族!!」


 勢いを味方に付けた力強い踏み込み、絵に描いたような鮮やかな一振りと狂気に笑うケネスの大剣とが合わさり音を奏でた。


「私は故郷を奪った魔族を許さないっ!」


 白い残像を残して縦横無尽に舞う白結氣、薄ら笑いを浮かべながらそれを捌いているケネスと作るハーモニーが辺りに撒き散らされる。

 それだけを聞けば心地良い響き。しかしそこには二人分の殺気から成るドス黒い思念が溢れんばかりに混ぜ込まれていた。


「お前はレイの故郷を!母親を奪った!」


 更に速くなる白い斬撃は既に目で追うことさえ出来ない。しかしそれを受ける男の嫌らしい笑みは絶える事がなく、それどころか速度が増す毎に吊り上がった口角が更に上がったようにさえ見える。


「平和に暮らす人々の生活をっ、心を! 世界を乱すお前は、許せないっ!!」


 少し距離を置いたユリアーネは白結氣を水平に構えた。その身体を包み込む白い光、蜜柑色の髪は逆立ち無数の稲妻が全身を迸る。

 雷の化身と化したような錯覚、これほど激しい雷魔法は初めて見た。


 そのせいなのか、胸の中では嫌な予感が顔を覗かせる。



「だから……私がお前を殺す!」



 怒りの感情で埋め尽くされたユリアーネの顔──駄目だ!もっと冷静にならないとっ!


 ユリアーネの姿が消えたのと同時にケネスの周りに光の花が咲き乱れる。その正体は打ち合わされる剣撃による無数の火花と、雷魔法の残り香である稲妻。

 姿すら見えなくなった彼女の斬撃に対処するケネスはまさに化け物。傍目にはまるでケネスが雷魔法を使っているように見え、ユリアーネの存在そのものが飲み込まれて消えてしまうかのような、そんな胸騒ぎが一気に膨れ上がる。


「はっはーっ!良いぞ良いっ、もっとだ!もっと来い!もっと俺を熱くさせてみせろ!!ハーハッハッハッハッハッ」


 このままではユリアーネに良くない事が起きる気がする。怒りを打つけるだけでは駄目だと言ったのはユリアーネだっ、感情を抑えろと!

 その本人が魔族に対する積年の思いが爆発してしまい暴走とも言える行動に出てしまっている。しかも悪いことに、俺とは別次元の戦闘をしていると言うにも関わらずケネスの狂気は止まることを知らず、むしろユリアーネの怒りを糧に膨らんでいくようだ。



『嫌な夢を見たのぉ』



 聞こえるのは狂気の笑い声と剣撃の音、止めたくても止める術を持たない俺にはどうすることも出来ない。

 歯痒さを感じつつ拳を握り締めたとき、ふと思い出されるユリアーネの言葉。



『レイが私を置いてぇ何処かに行ってしまう夢』



 俺ではなくユリアーネが奴に喰われて消えてしまう、そんな嫌な予感に冷や汗が噴き出してくる。尚も人智を超えた戦いを繰り広げる二人……どうする?どうすればユリアーネをヤツの魔の手から助けられるんだ?


──その時だった


 ずっと気持ちの悪い笑みを浮かべていたケネスが突然顔をしかめた。額には脂汗が噴き出し、動きも散漫になり始める。

 ともすれば当然、未だ続いている嵐のような斬撃も捌き切れなくなり、其処彼処に口を広げた細かな傷から赤い血が溢れ出す。


「くそっ、なんだ!なんなんだっ!?」


 やって来た千載一遇のチャンス!ケネスの様子は明らかにおかしかった。

 だが時折姿が見えるようになったユリアーネも悲痛な表情をしている。魔力が尽きかけているようで、先程までよりスピードが落ちていれば剣撃の数も減っていることが俺でも分かる。



──チャンスは今、殺るなら今しかない!



 奴を止めているユリアーネが動けなくなる前にと残っている全ての魔力を身体強化に集中させ、徐々にレベルを落としてくる二人の攻防の一挙手一投足に至るまでの全てを見逃すまいと、より一層の注意を払う。


 朔羅を握りしめ、必ず訪れるその時を、今か、今かと待ち続けた。



「!!」



 骨まで達したかと思えるほど深々と腕に入り込んだ白結氣、目を丸くしたケネスが手を退きつつ顔を歪ませる。



(母さんっ!村のみんな!俺に力を貸してくれ!!)



 母さんの、爺ちゃんの、村で暮らしていた人達全ての顔が頭を過ぎった。

 みんなの魂の篭る一撃に全てをかけ思い切り地面を蹴り付ける。


「ケネス!覚悟っ!!」

「チィィッ!!」

「レイ!やめてっ、駄目ぇぇっ!!!!」


 互いに弾かれ距離を空ける白結氣と大剣、それは俺の目にも捉えられるほどのスピードの落ちたぶつかり合いだった。

 その直後を狙い大きく振りかぶった朔羅、想いの全てが詰まる全身全霊の一撃を叩き込むべく宙を滑り出す。


 しかし、その途端に膨れ上がったケネスの筋肉。それが目に入った瞬間、今までそこに見えていたはずの大剣は姿を消していた。


(あぁ……)


 いつか感じた普通ではない感覚、そう、あれはミカ兄と戦った時のことだ。


 ユリアーネの悲痛な声と共に周りの音という音が全て消え去り、目の前のケネスが止まってしまったかのように見える。

 しかし実際には時の進みがゆっくりになった奇妙な世界。俺が振るう朔羅が僅かずつケネスへと向かうもののヤツの大剣の方が圧倒的に早く動いており、俺へと到達するのは時間の問題だった。


 遅かろうが早かろうがこのまま時が進めば俺はケネスに殺される。それが分かりながら焦るでも狼狽えるでもなく、何故か他人事のような冷めた目で現状を把握し受け入れてしまっている自分がいた。


 力の……想いの全てを賭けたにも関わらず、弱ったケネスにすら一矢も報いないままに短き人生を終える俺。

 ユリアーネ……君を守ると誓ったのに、たった一月足らずで約束を破ることになるな、ごめん。

 師匠とルミアみたいに歳をとってもずっと仲良く一緒に暮らしたかった。



 ティナ、エレナ、こんな俺を好いてくれてありがとな。



 リリィ、過去の事は忘れて早く元気なお前に戻ってくれよ。



 アル、結局お前には勝てなかったけど、リリィの事、頼んだぞ。



 師匠、ルミア、魔法すら満足に使えない不出来な弟子で悪かったな……ありがとうございました。



 致命的な一撃が入る確信を得て口の端を吊り上げたケネス。大剣が間近に迫り、いよいよ最後の時かと思われた時、目が眩むほどの眩い光が差し込んでくる。


 視界が奪われ一瞬何が起こったのか理解出来なかった。しかし程なくして光量が弱まればそれが一筋の稲妻だと分かる。

 まるで転移でもしたかのように俺とケネスとの間に突然現れた女の背中。両手を広げて俺の前に立ちはだかると、蜜柑色の髪が風に踊る。



 駄目だ、駄目だ、駄目だっ!!

 そこをどけ!ユリアーネっ!!!!



 ゆっくりと進む不思議な世界で、ユリアーネの柔らかな腹部にケネスの大剣がぶつかった。



 ユリアーネェェェっ!!!!



 いくら心で叫ぼうとも声は出ず、手を伸ばそうとしても身体が動かない。

 柔肌を切り裂き、外へと飛び出す真っ赤な液体。大剣はそれをものともせず我が物顔で更に奥へとめり込んでいく。



 ユリアーネ!ユリアーネっ!ユリアーネェ!!!



 ゆっくり、ゆっくりと進んでいく悲劇は止める事が叶わなければ、目を逸らす事すらさせてもらえない。長い時間をかけて愛する人が傷付くさまをまじまじと見せつけられる……これほど残忍な拷問が他にあるのだろうか?


 気が狂いそうになるほど一心不乱に彼女の名前を叫んだ、すると圧力いきおいに押されて俺へと倒れ込んでくるユリアーネの身体。ぶつかり、仰け反ることで見えた彼女の顔には力が……いや、生気そのものが無くなっていた。

 同時に見えたのは『死』という言葉、そして何故か驚愕するケネス。ユリアーネを斬った筈の奴は何かに弾かれ後ろに倒れ始めていた。



「うぉぉぉぉぉっ!!」



 不意に聞こえるケネスの叫び、あっという間に遠くに飛んで行けば時間の流れが元に戻ったことを理解した。

 身体を投げ出し寄りかかっているユリアーネ。その感触は今朝も感じたモノと遜色なく、目を瞑り、まるで寝てしまっているかのよう。


「ユリアー……ネ?」


 崩れ行く身体を支えて地面に座り込んだ。今見たのは夢や幻の類いだとの淡い期待を胸に恐る恐る声をかけてみるが反応はない。

 その変わりに感じる生暖かい感触、確認するまでもなくソレがユリアーネの血液だと認識すれば、慌てて身を捩り傷の具合を確かめる。


「ユリアーネ!しっかりしろ!ユリアーネ!ユリアーネっ!!」


 中程までを切り裂かれた腹、大きく開いた口からは生命いのちそのものが流れ出ている。

 咄嗟に手で塞ごうと試みるも上手くいくはずもなく、水袋を斬ったかのように止めどなく溢れ行く血液が地面に吸い込まれて赤いシミを作る。それでも彼女を救うには血を止めるのが必須で、止められないと分かりながらも必死になって傷口を押さえた。


「ユリアーネ、死んじゃ駄目だっ!ユリアーネ、ユリアーネっ!俺を置いて逝かないでくれ!」


 見る見る青白くなって行くユリアーネの顔、どれだけ叫ぼうとも反応のない人形のような姿に押し退けていた『死』の文字が脳裏に浮上する。

 途端に震え始める俺の腕、視界をぼかす液体がユリアーネとの思い出と共に流れ落ちていく。ユリアーネを失う事に恐怖し鳴り止まない奥歯、力一杯噛み締めようともそれが薄れることはなかった。俺に出来ることはユリアーネの魂が死神に吸われていく様を黙って見届けることのみ、戦慄く唇にしょっぱい味が染み込んでくるのを受け入れるのみだった。



「ユリアーネ!駄目だ、逝っちゃ駄目だ!一緒に居てくれ!ユリアーネっ!ずっと一緒だと誓ったじゃないか……君を守ると誓ったのに、俺は……俺は……ユリアーネ!

ユリアーネェェェェェェェェェ!!!!」



 震える声でせめてもの抵抗を示す。最愛の妻も守れず、置いて逝かれる事への恐怖から虚しく泣き叫ぶ哀れな男の声だけが、戦場という名の舞台にこだまして行った。



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