37.白結氣の勾玉
それは咄嗟の閃き。ユリアーネの左耳に揺れる三日月の通信具を外して、震えて言うことを効かない手で自分の耳へと取り着けた。
赤い石へと流れ込む魔力、藁にもすがる思いで必死になって呼びかける。
「ルミア!聞こえてるんだろっ!ルミアっ!ユリアーネが大変なんだっ。怪我をしてるんだ!頼む、すぐに来てくれ!!!」
応答が無いことに苛立ちながら体温の落ちて行くユリアーネの身体を抱きしめた。その間にも傷口からは血液が溢れ出る……どんなに抑えようともそれが止まることはない。
「……なに?こっちも忙しいんだけど」
念願の通信具からの応答、しかしルミアの声はノイズが入ってて聴き取りにくい。
「ユリアーネが怪我したんだっ!ルミアっ、すぐに来てくれ!!血が、血が止まらないんだ。ユリアーネを助けてくれよぉ!頼む!!」
「……わかった。少しだけ待ちなさい」
ルミアが来てくれる!ルミアさえ来てくれればユリアーネは助かる!
どんなに願おうとも、どんなに抱き締めようとも、命の灯が小さくなって行くのをただ黙って見守るしかない。無力な自分がもどかしい事がこれほどあっただろうか。
待つことしか出来ない俺は『早く来い!』とルミアが一瞬でも早く来ることをただひたすらに祈り続けた。
どれほど待ったか分からない。しかし待ち焦がれたルミアはついに姿を現したのだが、いつもと様子が違う。背中から生えていたのは全身を包み込めるほど大きな蝙蝠の翼、それは紛れもなく魔族の証。
呆気に取られて思わず問いただそうとしたが思い留まる──今はそれどころでは無い!
「ルミア!ユリアーネを助けてくれ!!」
「怒鳴らないで……退きなさい」
言われた通りユリアーネを丁寧に地面に寝かせると、少し離れてルミアに場所を明け渡した。
すぐ隣にしゃがみ込んだルミア。唯一ユリアーネを救える彼女に全てを託しその姿を見つめていると、傷口にかざした手から白い魔力が放たれた。
「これは……」
全身を淡い光りが包み込み、赤く染まった腹部には強い光りが帯と化す。
しかし、苦い顔で額に汗を浮かべるルミアの不穏な呟き……どうした、早く治してくれよ!
その時、瞑ったままだったユリアーネの目がゆっくりと開き、宝石のように綺麗な琥珀色の瞳が姿を現した。
「ユリアーネ!ルミアが来てくれたからもう安心だ。もう少しだけ頑張れっ!」
「レィ……先生……わたし……」
消え入りそうなか細い声で俺の名を呼んだ後、
何も答えないルミアと見つめ合うユリアーネ。すると身体を包み込んでいた光が微風に吹かれて霧散して行くではないか。
『何故!?』とルミアを見れば、かざしていた手が力なく降りていく。肩の力が抜けあからさまに諦めた様子、音もなく立ち上がり両の拳を握り締めた悲痛な顔を見ればどういう状況かなど理解出来てしまう。
でも……それでも、今のユリアーネを救えるのはルミアしかいない!世界最強の男のパートナーであり魔導具の母とさえ言われる天才ルミア、彼女にかかればこんな傷ぐらい治せないはずがないっ!
「ルミア?どうしてやめるんだっ。早く治してくれよ……ルミア!」
「わたしの力では無理ね」
「そんな……そんなわけねーだろ!ルミアなら出来るって!早く治してく「無理よ」……え?」
「私ではもう無理なのよ。魔法だって……万能なわけじゃないのよ……もっと癒しが得意な人間なら可能かもしれないけど、私ではもう、どうにもならないわ……ごめんなさい」
──無理って、なんだ?
ルミア以上の魔法の使い手はこの世にいない……そんなルミアが匙を投げればユリアーネの死が確定事項となる。それを突きつけられ頭が真っ白になった。
──無理ってなんだよ!なんでだよ!!
「……じゃあユリアーネは……ユリアーネはどうなるんだよ!ルミアがダメなら、誰がユリアーネ治すんだよっ!!」
「レ……イ……もう、いいの。先生を……困らせないで」
もういいって、なんだよ……ここで諦めたらユリアーネはどうなるんだ?もし……もしもユリアーネが居なくなったら俺は……
ユリアーネの手を取り覗き込むと、正気の感じられない琥珀の瞳が見つめ返してくる。どこか焦点が合ってないような、そんな感じさえする。
一息、深く息を吐くと俺を諭すようにゆっくりした口調で話しかけてくるユリアーネ、口を動かす事でさえ辛いように普段より更にゆっくりとした口調だった。
「自分の事わぁ、自分でよく分かるわぁ……私はもぅ、助からない。でもぉ、後悔はしてない。だってぇ、レイが無事、だったんだもの」
溢れ出る涙が視界を覆い、ユリアーネの顔がボヤけて見える。
起き上がることを望む彼女の隣に座わると肩に手を回してゆっくりと抱き起こした。苦しそうに呻く声と表情とか痛々しく、スプーンで肉を抉られるような嫌な痛みが心を襲う。
「先生は私にぃ最後に言葉を話すだけの時間をくれた……それだけで十分」
ルミアの隣に忽然と現れた師匠。ユリアーネを一目見た瞬間に状況を悟ったのだろう、一瞬目を見開くものの何も言わずいつもの優しい顔で微笑みを浮かべ俺とユリアーネを見守っている。
「師匠……ごめんなさい。失敗しちゃったぁ」
「失敗はワシらを含めて万人にある事じゃ。じゃがその失敗に後悔がないのなら、それは失敗とは言わんのじゃよ。自分の行いに自信を持ちなさい」
こんな時だというのにまるで悪戯がバレたかのように小さく可愛く舌を出したユリアーネ、普段と変わりなく優しく語りかける師匠。その目は愛しい孫でも見るように穏やかなものだ。
ゆっくりと動いた視線の先は隣に立つルミア。眉根を寄せて師匠に寄りかかっていたが、自分の番だと悟ると普段通りに振る舞おうと自信溢れる立ち姿で微笑みを浮かべた。
「先生ぇ、私に時間をくれたことぉ、感謝します」
「私もまだまだ修行が足りないみたいね」
それ以上は言葉を必要としないかのように何も言わずに見つめ合う美女二人。
少し経つとルミアの方が耐えきれなくなったのか、師匠の手を取り握り締める。心なしか震えているその手は自分の力が足りなかった事を悔しく思っているのだろう。
「レイ、私は貴方に出会えて良かった。少しの時間しかぁ一緒にいられなかったけどぉ……これ以上無いくらいに幸せだったわぁ。貴方のモノになれて良かったぁ、愛してるわレイシュア。こんな私を愛してくれてありがとぅ。でもぉこれからわぁ、他の人も愛してあげてね。
だってぇ貴方はモテモテなんですものぉ。貴方に愛されたい人は沢山いる。エレナにぃ、ティナちゃん、そしてリリちゃんもぉ。今も、そしてこれからもぉ、きっとたくさんたくさん増えて行くんだろうなぁ……。
アリサの事もぉ、魔族というだけで否定しないで。悔しいけどぉ彼女は純粋にずっと貴方を想ってる。ちゃんと向き合ってあげてねぇ。
いなくなる私の事は気にしないで……レイは幸せになってね、それが私の願いよぉ。
でもぉ……でも、私の事は、忘れない、でね。こんな女だったけどぉ貴方を愛した私がいた事、覚えていて欲しい。貴方と結ばれた私の記憶を消さないで欲しい」
琥珀の瞳から溢れ出た涙は頬を伝い流れ落ちて行く。俺は何も言えなかった……するべき返事すら出てこない代わりに俺の目からも涙が溢れていく。
「……レイ、強くなりなさい。貴方ならもっとずっと、ずぅっと強くなれるわぁ。それでぇみんなを守ってあげてね、約束よぉ?」
「あぁ、わかった」
いつの間にか出始めていた止まらない嗚咽を堪えて言葉を絞り出すとユリアーネが微笑む。
「レイ……最後のお願い、聞いてくれないかなぁ?」
「なんだ……なんでも言ってくれ」
震えながらも動き出した両手、渾身の力の込められた腕はゆっくりとした動きで俺の首へと伸びてくる。
それに合わせて身を寄せると、すぐ目の前に涙で光り輝いて見える琥珀色の瞳。たとえ生命の灯火が風前だとも、その瞳は宝石のように美しかった。
「キス、して欲しい……な」
涙を流しながらも、はにかんだ笑顔で瞳を閉じキスのおねだりをするユリアーネ。愛しい思いに駆られて全力で抱きしめたい衝動を抑え、できる限り優しく抱きしめ唇を重ねた。
ユリアーネもユリアーネで力無くだが両腕に精一杯の力を込めてくるのが分かる。行動は違えど想いは同じ、身体が一つに重なりお互いの存在を、そこにある愛を確かめ合う。
どれくらいそうしていただろうか。
永遠にこのままでいたいという願いも虚しく、不意に力が抜けて俺の首から滑り落ちて行くユリアーネの腕。
幸せな感覚から一転、慌てて唇を離しユリアーネを覗き込むが目を閉じたまま動かない。
地面に降り立つ彼女の手、その姿はまるで泣き疲れて眠ってしまったかのように見えた。
だが、いくら思い込もうとしても、そうではないのだと、現実をしっかり見届けろと、付いたばかりの心の傷が、心に住うもう一人の俺により抉られ逃げるのを許してはくれない。
幸せそうな寝顔。しかし二度と目覚めることはないのだと理解すると、ユリアーネの身体を力の限り抱きしめた。
とめどなく溢れ出る熱い涙、真っ白になった頭は全ての思考を停止する。
「ユリアーネぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
無意識下、喉を枯らすほどの全力の叫びでも返事が返って来ることはない。
──彼女は、俺を置いて逝ってしまったのだ
すると仄かに光り始めるユリアーネ、異変に気が付くと泣くことも忘れて目を丸くした。
腕の中で光に包まれていくユリアーネの身体、この光りはルミアの放った癒しの魔力とは違うモノだ。
全てが光に覆われると徐々に強さを増し、眩しくて見れない程になる。
すると細かい泡のような沢山の光の粒子に分裂し、ほんわりとした優しい光り方へと変わった。
しかしそれと同時、確かにあったはずのユリアーネの重みが消えているのに気が付く。
「ユリアー……ネ?」
混乱極める頭では何も考えられず、ただただ不思議な光景を眺めて呆然としていた。
水に浮かべた泡のように空気中に拡がりゆく光の粒達。風に乗り何処かに行ってしまうかと思いきや、突然動きを反転させ地面に転がる白結氣へと流れ始める。近付くにつれ速度を早めた光の塊は、柄頭に紐でぶら下げられた白い勾玉へと吸い込まれるようにして次々と姿を消して行った。
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