38.黒い力

「別れは済んだか?クックックッ、今どんな気分だ?故郷を奪われ、女も奪われた。次は何を奪って欲しいんだ?最高だな、最高に楽しいなっ!クククククッ、ハーハッハッハッハーッ!」


 不意に割り込んでくる雑音。この嫌な音は、いや、この声を忘れることは生涯ないだろう。


 奴だ、ユリアーネを殺したあの魔族!!ふつふつと沸き起こるドス黒い感情。それと共にゆっくりと顔を上げ、完膚なきまでに叩き潰し塵も残さないように消し去ってやりたい存在を直視する。



「ケネス、てめぇ……ぶっ殺してやる!!!!」



 血管が千切れるくらいに握りしめた拳、ユリアーネを奪われた怒りを胸にゆっくりと立ち上がれば、怒りとは似て非なるモヤモヤとした黒い霧が心の奥底から湧き出して来る。黒より黒い漆黒の霧、拳から体外へ漏れ出すと徐々に身体を覆い始める。

 見たことないモノに纏わり付かれているのに恐怖は感じず、むしろ力が湧き出すようで心地良い。なんだか分からないがこの力があれば奴に勝てる気がした。



──アイツを……ユリアーネを殺したケネスを、殺す!!



 意気込んだ直後に感じる強烈な衝撃、腹部を襲った一撃で倒れ込んだ先は師匠の腕だった。何故か感じる脱力感、さっきまでみなぎっていた力は一瞬で消えてなくなり、それと共に身体に纏わりついていた黒い霧もどこかに行ってしまっていた。


「今のお主じゃアレには勝てんな。気持ちは分かるが止めておくが良い」

「……私が殺るわ」


 魔法となって体外に出ていなければ見えないはずの魔力、それを四色も纏し最強の魔女が冷ややかな目でケネスを睨みつける。尚も溢れ出る力は自分に向けられていなくとも身体の至るところを滅多刺しにされたような鋭い圧力をもたらし、目の前にいる仇の事まで忘れて喉を鳴らした。


「気持ちは分かるがの、まぁ待つんじゃ。儂の可愛い可愛い愛弟子の仇じゃからのぉ、逃げられる前に一息で仕留める」


 そんなルミアの肩に優しく手を回した師匠はいつもの飄々とした口調で自分の意思を告げる。だが目は真剣そのもの。鋭い視線はケネスを逃すまいと見据えたまま片時も逸らさない。


「なんでもいいけどよっ、早く続きをしようぜ。どうせ皆殺しなんだからよぉっ!げへへへへっ」


 気持ち悪い笑いを、声を聞くだけで虫酸が走る。俺の代わりに仇を取ってくれるのならばと確実性を重んじて押さえ込んだ『叩き殺したい気持ち』が膨れ上がり、また黒いモヤモヤが心の奥底から這い上がってくる。

 だがそこは師匠の言いつけ、唇を強く噛みながら堪えていると口の端から血が流れて行く。


「それじゃあ、早速始めようかのぉ」


 さっきまで穏やかなお爺ちゃん顔の師匠だったが、封印を解いたかのように、思わず後退りたくなるほど強烈な殺気を唐突に溢れさせた。

 微笑みの消えた真剣な顔、上級モンスターなど比にならないほどの苛烈な殺気に当てられた俺が身を震わせた次の瞬間、刹那の間に強い光に包まれた師匠の姿が忽然と消えて無くなる。



「ぐぉぉぉぉぉがぁっ!」



 すると聞こえてくる悲鳴とも叫びとも判らない不快な声、さっきまで五体満足だったケネスは四肢の全てを分断されて地面に転がっていた。一瞬で傷だらけになった身体、唯一動かせる首を激しく振り回し醜く叫んでいる。


『ざまあみろ!』


 そう思うと同時に湧き上がる疑問。奴の醜態を見て多少はスカッとしたのだが、一撃で殺すと言われた筈のケネスが何故生きているのだ?


 答えは認識出来ていなかっただけで目の前に存在していた。


「お主、何者じゃ?」


 ケネスがのたうち回る更に先に立つ師匠がゆっくりと振り向く。その視線が向かう先はケネスの隣に立っている老紳士。あれはアリサと行動を共にしていた貴族風の魔族、いつの間に現れたのか分からないが、状況から察するに師匠の攻撃を止めた……のか?


「名乗るほどのものではありませんよ、ファビオラ・クロンヴァール殿。貴殿達には悪いが、アレでも大事な実験体なんでね、回収させていただく。

 伝説となるほどの剣聖に会えた事を嬉しく思いますが、なにぶんタイミングが悪かった。じっくり語り合うのはまた次の機会にと楽しみはとっておきましょう。無礼は承知だが、今日の所は私もこれで失礼させてもらう。でわ、ごきげんよう」


 言いたい事だけ一方的に終えると、もはや何を言ってるかも分からぬ奇声を上げるだけのケネスと共に姿を消してしまった。

 突然訪れた静寂の中、静かに歩く師匠の足音だけが聞こえてくる。


「なかなかの手練れだな。よもや儂の剣を防がれるとは思わなんだ。ユリアーネの仇を取ってやれなんだ……すまん」


 頭を下げる師匠を見て唇を噛み締めた。やるせない思いが腹の中をぐるぐるとしているが『師匠でも駄目なら仕方ない』と言い聞かせる。


 すると、目に入るのは地面に転がる白結氣。


 持ち主が居なくなり、俺と同じく独りぼっちとなった白塗りの太刀を手に取るとユリアーネが思い出されて涙が溢れてくる。隣に転がっていた鞘を握り締め、彼女への想いに蓋をするかのように刀身と共に押し込んだのだが、余計に寂しさが増してしまい涙が勢いを増す。


 ユリアーネとの思い出が頭を過ぎる度にボロボロと頬を伝う雫。妻という半身を失った喪失感から立っている気力も無くなり、両膝が地面に着くとそのまま動けなくなった。


「ユリアーネ……」

「レイ貴方、あの黒い魔力、何か分かってるの?」


 それでもまだ言葉を聞く気力はあったらしくルミアの声が耳に入ってくる。

 彼女が言っているのは黒い霧の事だろう。初めて見た俺には何が何だか分からないので首を横に振る事で返事を返した。


「そう……あれは今の貴方には危険な力だわ。私の魔力で封印を強化・・・・・しておく」


 目の前にしゃがみ込むと小さな手が俺の胸に触れた。そこに灯る魔力の光りは暖かな優しい光り。その光りがまた彼女を思い起こさせ、涙で濡れそぼる頬を更に濡らす。


 呼吸をするのさえ億劫に感じる鬱屈とした気分、いっそこのままユリアーネの後を追えたらどんなに嬉しい事だろう。でもそれはルミアも師匠も見過ごさないだろうし、何よりユリアーネが許してくれないはずだ。


 死んで魂だけとなり、追いかけた先で思い切りぶん殴られる。そんな彼女の姿が思い浮かべば更に涙が溢れるものの、少しだけ微笑ましく思える事ができた。


『私が身を呈して守ったのにぃ、レイまで死んだら意味ないでしょっ!』


 全くもってその通りだ、俺はユリアーネに生かされた。彼女の分まで生きなくてはならない上に幸せになる義務がある……でもねユリアーネ、君は俺の幸せを望んでくれたけど、俺の幸せは君が居ないと始まらないんだ。


 されるがままの俺の中にルミアの手を介して暖かいモノが入り込んで来る。心を包み込み、癒してくれているようで心地の良い感覚。それに身を任せて呆けていると、ルミアの手が目を開けていられないくらいの強い光を発する。


「なんなの!? レイっ!!!」


 視界を奪われ、辺り一面が光の海に変わるとルミアの慌てふためく声が聞こえてくる──あのルミアでも慌てる事があるんだな……。

 そう思い微笑んだ矢先、光の波に飲み込まれるように俺の意識は薄れていった。



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