49.アリサの本気

 目測で二十メートル先、俺の欲する彼女は前触れ無く空中に現れた新しい黒剣を左手で掴むと、感触を確かめるように水平に空を斬る。



──アリサは左利きなのか……



 ただの一動作だというのに、剣舞の一幕のように優雅さを感じさせる動きに合わせて踊り出す自分の心が止められない。

 得意とする剣ですら勝てないと思い知らされたばかりだと言うのに今考えるべきでは無い思考が湧き出て来て『俺の頭の中はどうなっているのやら』と自笑してしまう。


「貴方がわたくしに勝てないのには大きな理由があるの、何だか分かるかしら?」


「運命……と、でも言いたいのか?」


 黒剣を降ろしたアリサは右手を口元に当て クスクス と上品に笑う。

 ごく普通の仕草にも関わらず、その姿にドキリとした自分に『ダメだこりゃ』と匙を投げたくもなる。



──ここに来て彼女に会うまではそこまでではなかった



 確かに彼女は誰もが認めるほどに美しい女性であるのは事実だが、一時の感情から出た言葉を挽回したい想いだけで謝罪の機会を待ち望んでいた。



──でも、それだけだった



 たった数度しか会っていないというのに、以前は人並み以上に好意を抱いてくれていたのは鈍感な俺でも薄々ながらに感じてはいた。

 もしも彼女が望んでくれるのならと、未だ良い返事をくれないコレットさんを含めて七人目の伴侶となる可能性も頭の隅に有りはした。



──だが今はどうだ……



 戦いの最中だと言うのに見れば見るほど心が吸い寄せられて行くようで、彼女に向けてどんどん加速している気がする。


 俺の中での世界一の美人は今は亡きユリアーネだ。次席はと言えば、迷う事なく白髪の美女コレットさんが思い浮かぶ。



──それだけではない



 それぞれの王族の血を引くサラやリリィにエレナは言うまでもなく、貴族であるモニカやティナだって多くの人が羨むほどに美しい娘。

 そんな彼女達が俺を伴侶と認めて一緒にいてくれる中で、人並み外れて美しいからと言ってそれだけの理由でこんなにも心惹かれるものだろうか?



──彼女の言葉を借りれば、これが運命と言うヤツなのか?



「運命ではないわ」


 さっきまでの目まぐるしい戦闘が収まり、その代わりに グルグル と回り始めた思考へと剣が突き立てられた思いがしたが、完璧なタイミングで放たれた言葉は先の俺の発言を否定しただけのものだった。


「わたくしの……いいえ、わたくし達魔族の最大の強みは時間よ。

 人間は長生きしてもせいぜい八十年、ところが魔族であれば三百年生きた者もいるほどに長寿の存在だわ。貴方はまだこの世に生まれてたったの十五年、だけど過激派に属する魔族の平均年齢は百五十歳よ。


 これがどう言う意味を持つのか分かるわよね?


 人間である貴方の潜在能力は、上位種といっても過言ではない程に明確な違いがある筈の魔族を凌駕している。けど、それだけでは勝てないのは身に染みたでしょ?」


 鍛錬に費やす時間が長ければ長いほど、剣術だって魔術だって、研げば研ぐほどに磨きがかかり誰にも負けないほどに光り輝く。

 持っている能力だけで勝てる相手ならいざ知らず、同じレベルの相手ともなれば時間という決して超えられない壁が立ち塞がる事になるとアリサは啓示してきた。


「七百年生きてる化け物魔族が知り合いにいるけどな」


「そうね、そんな特異な魔族ひともいるわね」


 そんな事を面と向かって言えばどんな仕返しが待っているのか分からないが、共通する知り合い……ルミアの ムッ とした顔が頭を過れば、真剣な眼差しで説くアリサに僅かな笑みが宿ったのも手伝い少しだけ心に余裕が生まれる。


「アリサの魔法、厄介だな」


「重力とは、この世に存在する全ての物質が地面へと引き寄せられる力の事。魔族王家に相伝されるのは、この力をコントロールする為の魔法よ。

 しかしわたくしは、強力な知恵者の助力を得て長き時の中で切磋する事で、この魔法の真髄を会得するに至った。


 その者が何故そんな事を知っているのかは彼女の規格外さを考慮して深くは考えないようにしてるけど、彼女曰く、重力という言葉を掘り下げれば “引力” と言う言葉に置き換わるそうよ。


 物質同士が引き合うのが “引力”


 それの対となるのが、物質同士が反発しようとする力である “斥力”


 二つの力のほどはさっき貴方が体感した通り。 わたくしがその気になれば近付く事すら出来なくってよ?」


 地面から三センチほど足を離すと、まるでそこが地面であるかのように半歩左足を踏み込み、下に向けられたままの黒剣をこれ見よがしに向けてくる


「さぁ、お喋りは終わり、これが最期通告よ。貴方の鞄にある封印石を置いて愛する者達の元に帰りなさい、そうすれば……」


「俺を殺すんじゃなかったのか?」


 感情は表に出さなかったが、ごく僅かにだけ動いた細い眉を俺は見逃さなかった。

 最初から言動と行動の一致が怪しかったアリサは、ここに来てようやく言動の方向を変えて来たようだ。


「それが貴方の答えなのね。わたくし、そろそろ疲れたの……これで終わりにする。

 自分がどれだけ無力な存在なのかを噛み締めるといいわ」


 アリサの内に湧き上がる膨大な魔力に『疲れたなんて嘘だろう』と愚痴を溢しながらも朔羅と白結氣を握り直して再び戦闘態勢に入る。


「越えられない壁が立ち塞がるのなら壊して進んでやるのみだっ!」


 地面を蹴りアリサへと向かう身体は嘘のように軽く、一瞬にして距離が縮まる……かと思いきや現実は甘くなかった。




 振りかぶった朔羅が彼女を捉える一歩手前、前進する勢いなど無かったかのように急激に地面へ吸い寄せられると、立っている事もままならずその場に両膝を突いてしまった。


「か、はっ!」


 先程まで感じていた重力魔法とは比べ物にならない威力に、身体の全てが鉄に変わってしまったのではないかとすら思える。重くのし掛かる強烈な力に、地面にへばり付いた愛刀を持ち上げる事はおろか腕すら上げられない。


「近付く事も出来ないって言ったわよね?貴方は所詮その程度なのよ」


 声を発する事も出来ず、警戒すらしないままゆったりとした足取りで目の前まで歩いて来たアリサにせめてもと視線だけでも向け続けていれば、剣を持たぬ右手が額の前で止まり親指と中指とで輪が作られる。

 何をされるのかと緊張していれば、次の瞬間にはさして力も籠らぬ感じで軽くデコピンを食らわされて拍子抜けした。


「ごっ!ぐ……」


 直接力を加えて来た中指など触れただけのようなもの。だがその威力に耐えられずに背中から転がり、地面へと貼り付けにされたかのように指の一本ですら動かす事が出来ない。


 顔の真上に用意される逆手に握られた黒剣。


 彼女が手を離した次の瞬間に串刺しとなる絶体絶命の状況に追い込まれれば、本気で殺すつもりなど無いのではないかと思っていたのが勘違いだったと疑わざるを得ない。



「サヨナラよ、レイ」



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