46.迫られる選択

 全身に感じる倦怠感の波。だが、後頭部だけは柔らかな感触がして心地良かった。

 重いまぶたを押し上げると、待っていたのは華やぐ笑顔、極上の枕はサラの太ももだ。


「大丈夫? 身体に異変はない?」


「いや、異常事態だ。心臓が ドキドキ 言ってる」


「もぉ、ひとが本気で心配してるってのにバカばっかり言って……」


 気怠さを訴える手を伸ばして柔らかな頬に当てれば、期待した通りの感触と共により一層の笑顔を見せてくれる。


 しなだれる銀の髪、向けられるは青紫の瞳。


 愛おしき婚約者と唇を重ねたい衝動に駆られるが残念、この体勢では無理だ。


 甘くまったりとした時間、それは二人の愛を育む大切な時間とき……この、今という時を壊したくなくて仕方なしに唇に指を這わせれば、それに応えて開いた桃色が俺の指を迎え入れ甘噛みしてくる。



「お取り込み中のところわ〜るいんだけどぉ?」



「うわぁぁぁっ!!」

「ひっ!?」


 気配無く空中を漂うのは、サラと同じ銀の髪なのに全くといって良いほど手入れされていない残念感が拭いきれない少女。

 濃紫の瞳を内包する細められた目に悪意は感じられないが、自分とて朝晩愛でられていると申告したくせに羨むような気配が混じっているのは一体何故!?


「ル、ルミア……さん?」


「な〜によ、その化け物でも見るような目はっ、失礼しちゃうわね。 せっかく貴方が目覚めたようだから見に来てあげたのに、そういう態度ならか〜えろっと」


 踵を返したその手を握れば逆に捕まれ驚いてしまう。

 すると繋がる手と手の間に何か堅い物が現れ、それを認識した時には彼女の口角が吊り上がっていることに気が付く。


「綺麗な石ね」


 開かれた手を覗くサラ、そこに在るのは三日月型に整えられた虹色の石──これは、封印石。


 三百年もの昔に封じ込めた女神を解き放つ最後の鍵。俺達の旅の目的の一つが、他ならぬ言い出したはずのルミアの手から渡された。


 三つの封印石と、六つの属性竜の力。


 雑ではあるが、世界を一周した旅もこれで終わり。

 あとは忘れていた……いや、考えないように目を逸らしていた問題と向き合い、どうするかを決断しなくてはならない。



 女神を殺すのか、否か。



──姉を殺さないで……



 聞き覚えは確かにある。しかし、どこで聞いたのかはまるで記憶にない、心に染み入る儚くも美しき声音。

 その懇願は小さな棘となり俺の心に痛みをもたらす。


「そんな顔をしてるってことはまだ決めきれてないってことね」


 宿題の未完成を知られドキリとするが、それはまごう事なき事実。



 過激派の魔族が望むのは、人間社会の支配と、その地盤固めとも言える女神チェレッタの復活。それが成された日には何百万という人間達の送るささやかな平和は崩れ去ることだろう。

 我が物顔で町を練り歩く魔族、それに怯えて暮らす人々、そんな世の中は断固反対だし、そうあるべきではないのだ。


 今ある世の中が最善かといえば、それは否定せざるを得ない。

 自由を求める獣人を虐げ、平穏を求める魔族を否応無しに排除する。 その虐待ともいえる冷遇は同じ人間の間でも行われ、力ある者がか弱き者を都合の良いように扱っているのが現状だ。


 しかし、それは全体から見たらごく一部の心ない者達の所業。大多数の人々は今を楽しく、そして、より良い生活を手に入れようと日々努力して生きている。

 それと同じく魔族の全てが過激派のような横暴な考えではないのだが、積もり積もった不満と先導者たる彼等の過激な思想が、今ある不平な世の中を悪い方向へと誘うだろう。


「憂いを絶とうというのは分かるけど、何故今なんだ? 過激派の勢力が強いのなら先にそっちを叩いてから女神をどうするか決めた方が良くないか?」


 自ら過激派の一員だと明かしたガイアが近衛という国を護る重要な立ち位置に就いていることからでも分かるように、サルグレッドに巣食う魔族は相当な数だと断定できる。

 そんな中でもし彼等に助力する女神の封印を解こうものなら、火に油を注ぐことだとは子供でも分かる事実。


「過激派を叩くって簡単に言うけど、状況が正確に分かってるのか疑問ね」


「正確……に?」


 手に持つ扇子が口元を覆えば、自然と目線が彼女の目へと行く。その濃紫の瞳がわざとらしく僅かに逸らされれば、向かう先がサラだと分かるのは造作もない事だった。


 ではそれが示唆するのは何か。指摘されるまで思い至らなかったのだが、彼女の家の置かれる状況を顧みれば自ずと分かるというもの。


 近衛にすら過激派が入り込んでしまっているということは、俺の友でありサラの兄であるアレクはもちろん、義理父となる予定の現国王メルキオーレにその后であるディアナ王妃、つまるところサラの家族の喉笛に剣が突きつけられているということに他ならない。

 もっと広い目で見れば、彼等を始めとするサルグレッドに住む七万もの人間が人質に取られているという事だ。


「レイ……」


 呼ばれて視線を向ければ、サラの目は閉じられていた。長いまつ毛を有する瞼は注視しなければ分からないほど微かに震えており、形の良い眉の間には皺が寄っているようにも見える。

 ゆっくりと現れた青紫の瞳は心持ち潤いに溢れ過ぎており、それが不安からなのだとはわざわざ聞かなくとも理解できる。


「お父様もお兄様も自分達の身が危ういのは分かってらっしゃるわ。でもそれはレイが……いいえ、私達が何とかしてあげるのよね?」


「ああ。アレクは俺の友達だし、なんといってもサラの家族だしな。何があっても救い出すさ」


 サラの手前、軽々しく口にはしたが、実際のところ、言うは易く行うは難し。


 あからさまに剣を突きつけられているわけではないが、俺という存在が露見している以上、こちらから動けばその現実をまざまざと見せつけられるだろうとは容易に想像がつく。


「人質がいる以上、貴方が望む望まないに関わらず女神の封印は解かざるを得ない状況に陥るでしょう。でも、その時こそが最大のチャンス。

 長年の夢が叶い、降臨した女神に意識が集中している隙を突くのよ」


 唐突に手渡されたのは刃渡り二十センチのか細い短剣。突くことに特化した剣身には刃などと言うものは無く、まるで巨大な爪楊枝が取り付けられているようだった。


 分類としてはスティレットと呼ばれる対チェインメイルを想定した刺突専用の剣。


 だが、おかしいのは剣身の色だ。


 赤、青、黄、緑、白、黒の六色が鮮やかなマーブル模様となっており、あからさまに普通の金属ではない。 更に言えば、手に取れと差し出されているのに、それを戸惑わせるほどに感じる異様なまでの圧迫感。


「女神とは人間よりも高い次元に魂があり、通常の武器で肉体を壊そうとも殺し切ることは不可能。そこで役に立つのが貴方が集めた属性竜の爪よ」


 つまりルミアは、創造神が手掛けたこの世ならざる物質で造られたこのスティレットを使い、女神チェレッタを殺せと言うのだ。


「女神が復活して活力を得れば、対抗し得る力を持たない人間など滅びの道しか残されていない。

 人質を取られている以上、二度目は無いと思いなさい。彼女が降臨した時こそが唯一の好機であり、千載一遇のチャンスよ。

 もう一度だけ言うわ。貴方の望む平和な世の中の為に、女神チェレッタを殺しなさい」



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