35.別れのとき

 眺めていただけの後ろ姿が闇へと消えると、再び頬に当てられた手により顔の向きが変えられララの顔が重なる。

 口の中へと押し入って来る舌へと自分の舌を絡ませ胸を突く苦痛から逃れようと一心不乱に貪れば、その口からは悩ましげな声と共に甘い吐息が漏れ出す。


「今日は私を抱いてくれるの?」


 夢見心地のトロンとした目で俺を見るララをこのまま押し倒したくなるが、勢い余ったとはいえ俺が愛して求めるのはララでは無くリリィだ。セレステルの事は忘れろと気遣ってくれたのには感謝しているが、それとこれとは話が別だった。


「お前さぁ、キスを受け入れたのは俺が悪いよ。でも、今の今セレステルを振り払ったのに妻ではないお前を抱けって?いくらなんでもそりゃないんじゃない?」


 見せつけるように盛大な溜息を吐き出すと俺の胸を枕に首に手を回して抱きついて来る。

 そうなると彼女の表情が読み取れないのだが、しばらくそのままでいたララは諦めたように力無い小さな声でそっと囁いた。


「少しくらい甘えてもいいじゃない……でもセレステルの事は仕方ないでしょ?アンシェルでみんなで決めた約束を貴方から破っていては合わせる顔が無いんじゃないの?協力してあげたご褒美としてさっきのキスは正当な報酬だと主張しておくわ」


 その肩を抱き胸へと寄り添う金色の長い髪を撫でる事で返事を返すと、多少は満足してくれたのか、少しだけ強張っていた身体の力が抜け全ての体重を預けてくる。


「でも……でもね、私ももうすぐリリィとなるわ。そしたら……いいでしょ?」


 理解の追いつかない言葉にララの肩を両手で掴むと引き離し、少しだけ頬を染めて微笑む彼女の薔薇色の瞳を覗き込んだ。


「どういう意味だよ。ララはララ、リリィはリリィだろ?ララがリリィになるって意味わかんねぇよ」


「私が何の為にここにいるのか忘れちゃったの?

アイツに戦いを挑む運命を背負わされた貴方の力になれるよう、貴方を支える運命の元に産まれたリリィに私の持てる全ての力を渡す、それが私が決めた私の役目。

 その役割が終われば私など不要な存在、消えて無くなるって言わなかったっけ?


 でもこの時の為だけに二千年も待ったんですもの、ただ消えるだけなんてあんまりだわ。私は貴方の愛しい妻であるリリィの中に溶け込むの、そうしたら私も晴れて貴方の妻リリィって訳、おわかり?」


 何の憂いも感じさせない晴れやかな笑みを浮かべて俺の鼻を指で突つくと立ち上がり、軽いステップで クルクル と楽しげに三回転しながら離れ、背を向けて動きを止めた。


 ここはザモラ山脈の中腹に聳える城の城壁、その上に造られている通路の外縁。ある程度の幅があるとはいえ踏み外そうものなら数十メートルの高さから転落することになる。

 危ないぞと声を掛けようとした正にその時、両手を広げてポーズを決めたままで止まっていたララの身体がゆっくりと、でも確実に速度を速めながら傾いて行く……


「ララ!?」


 予想外の出来事に歩みを止めていた思考。現実を現実と受け止め何が起こったのか理解すると同時に一歩を踏み出し倒れゆく彼女を抱き留めたのだが、その身体には力が入っておらずに咄嗟に勢いを止めることが出来ないまま二人して座り込んでしまった。


「……レイ? 私を外で抱きしめるなんてアンタにしては珍しいわね」


 何事もなかったかのように背後から抱きしめる俺の顔を見上げて微笑む。頬へと伸ばされた手が存在を確認するようにそっと添えられた。


「リリィが嫌がるから俺も遠慮してるだけだぞ?」


一瞬だけ キョトン としたがすぐに穏やかな笑顔に戻り、少しだけ頬を赤らめる。


 無事、事なきを得たのは良かったが俺の心臓は『やめてくれよ』と言わんばかりに早鐘を打ってる。人を驚かせるのも大概にしてもらいたいものだ。

 しかし、やってくれたのはララだ。リリィではない。


 どうやらあの瞬間にララからリリィへと入れ替ったらしい。

 文句を言うべき相手が居ないことに思うところはあったが、せっかくの良い雰囲気。これを壊すまいと平然としながら彼女の問いに答えを返せば、今日は二人とも甘えたい気分だったようで、リリィもリリィで珍しくしおらしい。


「嫌なはずないわ。ただ、レイに寄りかかる私を見られるのが恥ずかしいだけ、それだけよ」


「なら今度からもっとイチャイチャしていいんだな?」


「むりっ!それは勘弁して……」


 想像が至り顔全体を赤く染めた可愛いリリィへと唇を重ねれば、先程のララとのキスが思い出され『もうすぐリリィとなる』と言ったのが頭の中で響く。



『役目が終われば消える』



 以前言われた言葉と矛盾していると思えて消化仕切れないままにグルグルと頭の中を回り続けていると、リリィ方から差し入れられた舌の熱さに今はララの事は片隅へと押しやる事にした。


「部屋に戻ろうか」


 耳元で囁きかけると「もう少しこのまま……」と、みんなの前でのリリィらしからぬか細い声で返事が来るので、彼女の意思を尊重し、しばらくの間イチャイチャしながら夜空に煌く星を二人で眺めた。



▲▼▲▼



 夜明け前に朝食を済ませると予定通り出立する為、ここパラシオで俺達の世話を妬いてくれた数人のサラマンダーに連れられて闘技場へと向かった。


 レッドドラゴンの中でも一際大きな身体を持つギルベルトの竜体は遠目に見ても迫力があり、地に伏せた凶暴そうな顔の前で三人の女性が楽しげに話しかけているのが違和感満載だ。


「あっ、レイシュア様!おはようございますっ」


 最初に気が付いたのは、俺達の前ではお澄ましを辞めた年相応に元気一杯のリュエーヴだ。朝日を浴びてキラキラと輝く鮮やかな朱色の髪を揺らして走り寄ると両手を上げ、断りも無しに飛びついて来る。

 だがしかし、もう既に慣れたもので、右腕一本で抱きかかえれば向かい合う水色髪の少女と手を合わせて微笑み合う。


「せっかくお友達になれたのにもう帰ってしまわれるのですね。貴女と過ごした時間は私の大切な宝物です。いつでも構いません、またいつの日かこの地を訪れてくれるその日を楽しみに……」


「リューちゃん、リューちゃん。私も貴女とお友達になれたのはとても嬉しい出来事でした。でも、せっかくの美しい別れの挨拶なのですが、貴女のお母さまが何やら言いたげにしてらっしゃいますよ?」


「はい?」


 雪の視線に促されるように先程自分の居た場所へと顔を向ければ、苦笑いを浮かべるミルドレッドの隣に立つ彼女の二十年後を思わせる女性、オレリーズが呆れている。


「今から一週間の後、獣人の国ラブリヴァで重要な会議が行われます。私はサラマンダーの代表としてそれに出席する予定なのですが、次期族長候補である貴女とその付き人としてミルドレッドには同行してもらうつもりでいます。

 そしてその会議を主催されるのはそちらにみえるアリシア様です。当然その娘であられるエレナ様もご一緒される事でしょう。

 私の言う意味が分かりますね?」


 首をぐるりと回し、自分を指差して小首を傾げるエレナを見ると、一度俺を見た後で再びオレリーズへと視線が戻った時には言われた意味が分かったようだ。


「つまり一週間後には雪ちゃんに再会出来る……と?」


 二人は年も近いこともあり顔を合わせてすぐに仲良くなったらしい。別れを惜しんでの挨拶だったようだが気持ちが入り過ぎて少々フライングしてしまったようだ。


「そう言うことね」

「リュー……恥ずかしいわ」


「お母様酷いっ!なんでそういう事はもっと早くに教えてくださらないのですか!?ミル姉様も知ってらしたのね?お別れだというのにあんまり平然としてらっしゃるからレイシュア様の事は諦めたのかと思ったら、そういう事なのねっ。あーもー!恥ずかしいっ!恥ずかしいです!!」


 最初に見た “中将“ 姿からは想像が付かない駄々っ子パンチで俺の胸をポカポカと叩きまくるが俺も今初めて聞かされた事実。


 この三日、欠かさず朝食を共にしていたセレステルの姿は今日は無く、このまま挨拶も無しにお別れとなるのは俺のせいだろうから仕方ないかと諦めていた。

 だが俺が踏みそうだった地雷をリュエーヴが身を挺して踏んでくれた事に少しだけ感謝すると、何も言わずに彼女の憤りを受け入れ胸を叩かれ続けていたときだった。



「はぁはぁはぁっ、お、遅くなりました!」



 居合わせた全ての者の視線を一身に浴びながら膝に手を当て乱れた呼吸を整えるのは、砂埃を巻き上げながら凄い勢いで滑り込んで来た一人の女。その慌てる理由は何箇所にも渡りあらぬ方向へと飛び出る赤茶色の髪を見れば分かるとおり “寝坊した” のだろう。


「セレステル、お前の出立はオレリーズ達と同じ一週間後だと伝えただろ。その腰に付けた鞄は一体何のつもりだ?」


 普段通りのホットパンツの上に巻いた太めのベルトに通された普段は身に付けて無かったはずの三つの鞄、ギルベルトに指摘され目をパチクリさせながら『何か変?』と言いたげに身を捩って視線をやるがキョトンとしたまま顔を戻した。

 寝起きで頭が回っていないのか、そこでようやく言われた意味を理解すると、ニヤリとした悪い目付きへと変わっていく。


「強くなるという目標を得たクラウス様は放っておいても一日中トパイアス様とお戯になるでしょう。どっちにしてもラブリヴァに行くのであれば一週間後でも今でも変わりはありませんよね?それならば私はレイシュア様と共に今から向かいます。何か不都合でもありましたか?」


 盛大に鼻から息を吐き出したギルベルトは今の彼女に何を言っても意見は変わらない、そう判断したのだろう。悩ましさがありありと伝わるほど重たげに首を持ち上げるとそのまま立ち上がり「行くぞ」と低い声で告げたのだった。



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