31.葛藤

「あれあれ?こんな所で会えるなんて奇遇よねっ!やっぱりわたくしが見た運命は本物ってことですわね」


 お腹も満たされ鉱山の前で寛いでいると、良く通る女性の声が静かな森に響く。

 聞き覚えのある声に顔を向ければ薄藤色の髪を靡かせる美女が空から舞い降りて来た。


「お久しぶりね、レイ。元気だったかしら?」


──アリサだ。


 彼女は皆の注目を集める中、機嫌良さげな笑顔を浮かべ木陰に座る俺へと歩み寄ってくる。だが、それとは対象的に俺の心の中にはざわざわと細波が立ち始め、穏やかではいられなくなっていた。


『魔族』


 その言葉が重くのし掛かり嵐のように吹き荒れる風となる。そしてフラッシュバックするあの日の光景。

 壊れた家、血を流す村の人々、二人の母の無念そうな顔……ユリアーネのお陰で乗り越えたと思っていた。でもそうじゃない。押し寄せる悲しみと憎悪の感情。黒いモノが心を塗りつぶし、再び自分が無くなってしまうような言い知れない恐怖に思わず両手で頭を抑える。


「どうしたの?どこか体調悪い?」


 心配そうに覗き込むアリサには悪いが、俺の心は魔族というだけで拒絶を示した。身体の中にある全てのモノを吐き出したくなるような不快感、しかしアリサは何も悪くない。

 あの時、森で聞こえた会話からしたら寧ろ村に攻め込むのを反対していた。だがそれを分かっていても、あの日、村を襲った光景が頭を支配しアリサですら受け入れようとしない。


「寄らないでっ!レイが怯えているわっ!!貴方は……いえ、貴方達魔族がレイの村にした事、分かってるでしょう? レイはあの時、自分を見失うほどのショックを受けたわっ!あれ以来大丈夫だったのに、貴方を見た途端にこれよ。もう私達に関わらないでっ!」


 視線から守るように俺を抱き寄せたユリアーネは敵意剥き出しの目で彼女を睨みつける。


「え?どういう……レイの……村?」


 不意に投げつけられた情報はアリサを困惑させた。少しだけ悩むとすぐに思い当たる事へと行きつき、血色の良い綺麗な顔からみるみる内に血の気が引いていく。


「まさか……まさかケネスが言っていた人間の男って……レイの事なの!?それであんな言い方を!あぁぁ…………あの村がレイの故郷だったなんて……ごめんなさい、わたくし……わたくし……もっと、ちゃんと止めていれば……わたくしが止めていれば……」


 それとは逆にユリアーネの温もりで少しだけ落ち着きを取り戻した俺。未だ居座る黒い感情を堪えて立ち上がると、両手で顔を押えて震えだしたアリサと向かい合った。


「あの時、アリサが村に攻め込むのを反対してくれてたのは知ってる。やったのはケネスだ。だから俺の村が滅びたのはアリサのせいではないのも分かってはいるんだけど……けど、俺の心がそれを否定する。

 フォルテア村を焼き、ユリアーネの故郷を二度も焼いた魔族。俺はそれを受け入れることは出来ないのかも知れない……ごめん」


 顔から手を離したアリサは泣いていた。紫の瞳からは大粒の涙、流れ落ちる雫の群れが白い頬を濡らしている。


「わたくしが魔族だからいけないのね……ごめんね、魔族でごめんね。故郷を、村を滅ぼしてごめんね。

 そうよね……こんな魔族の女、受け入れたく……ないわよね……ごめんなさい、レイ。ごめんなさい、もう、近付かないわ…………サヨナラ」


 俯いたままに背を向け、足取り重く歩き出すアリサ──俺が選んだ道は……これで良かったのか?


 アリサはずっと俺に好意を持って接してくれていた、最初に屋台で出会ったあの時から。


 初めて出会った魔族、人間と変わりなどはなく、ユリアーネとはまた違った意味で凄く綺麗な大人の女性。扱う魔法も凄ければ持っている知識も計り知れず、襲ってきたケネスから守ってくれたことだってあった。


──そんな彼女が一体何をしたというのだ?


 ただ故郷を滅ぼした奴と同じ種族というだけ……もしも村を滅ぼしたのが同じ人間だったなら、俺は全ての人間を恨みし、復讐しようとするのか? ユリアーネでさえ否定するというのか?


 答えは否、そうではないだろう。


 だったら何故? 俺は何故アリサを否定するんだ?



⦅信念が捻じ曲がると後で後悔することになるかもしれないわ⦆



 頭に響くのはあの女の声、黒フードに顔を隠した赤い唇が脳裏に浮かんでくる。



⦅信念を貫きなさい⦆



 信念って何だよ!? そんな事より今は……


「アリサっ!」


 自分で自分がどうしたいのか分からない。分からないけどこのままでは駄目だと気が付けば、立ち去ろうとする彼女の手を咄嗟に掴んでいた。


 ハタと振り返る彼女、濡れそぼる紫の瞳。だがその瞬間、アリサに触れたまさにその瞬間から心の底で黒い闇が濁流のように吹き出し、握りしめたはずの手を反射的に引っ込めてしまう。


「…………」


 悲しみと絶望とが混在する目を向け唇を噛み締めるアリサ。 俺の軽率な行為は彼女に付けた傷に塩を塗り込むものだった。


「魔族は六日後、王都の南、ゾルタインの町で魔石による大規模な実験を行うわ。指揮官はわたくしよ、止められるかしら?」


 涙を拭った彼女は感情のない人形のような顔へと変わっていた。それはあたかも “好意を寄せてくれていた一人の女性” から “敵対する魔族” に変わってしまったかのよう。


「それはどういう……実験?魔石ってまさか!」


「今度会うときは敵同士ね、手加減はしないわよ……じゃぁ、ね」


 言葉の終わりと共に姿を消したアリサ。去り際に向けられた紫の瞳からは感情を殺してなお、悲しみの色が漏れ出していた。


 消えゆくアリサの感触。最後に触れた手をどれだけ見つめようとも、そこには後悔しか残されていなかった。

 例えそれを握りつぶしたとて何の罪もない彼女を傷付けた事実が消えることはない。


 なぜ俺はあんな事を……

 なぜ俺は手を……

 なぜ俺は……なぜ俺は……


 なぜ、何故、ナゼ…………


 胸の中では “魔族は拒絶しろ” という心と “アリサに罪はないんだから受け入れろ” という相反する二つの感情が渦巻き、火花を散らせていた。



▲▼▲▼



 気が付けば光の球が大きくなりルミアが転移してくるところ、どうやら呆けている間にユリアーネが通信具で連絡したらしい。


 散々世話になっておいて申し訳なかったが、生憎時間がない。

 親方達との別れは簡単に済まし、転移で家まで戻り事情を説明すれば、アルと師匠も「手伝うに決まってる」と当然のように言ってくれた。


「私も頑張りますよぉっ!」


 なぜか張り切ってくれるエレナだが相手は魔族、戦う力の無い彼女を連れて行くわけにはいかない。

 ましてや大規模な実験とアリサは言っていた。大量のモンスターが出てくる可能性が高い上にケネスのような強者がきっと来るだろう。そんな奴相手に守ってやる自信などは無い。


「エレナ、よく聞いて欲しい。君にしか頼めない事だ。 師匠もルミアも家を空ける、するとこの家にはリリィしか残らなくなってしまう。今のアイツには誰かが付いててやらないと駄目なことくらい知ってるだろ?だから頼む、リリィを見ていてやって欲しい」


 最初は激しく首を振り「置いていかれるのは嫌!」と言っていたエレナも、今のリリィをほったらかすのは忍びなかったのだろう、根気よく何度もお願いすると意見を曲げ始めたのだが……面倒な事を言い出す。


「ちゅ〜してくれたら言うこと聞いてあげます。早くぅ!ちゅうっ!ちゅうっ!ちゅ〜うっ!」


 お願いをしている立場もあり仕方なくオデコにチュッとしてやると、不満ありありの顔で冷たい視線を叩きつけ、更なる要求を突きつけてくる。


「口にしてくれなきゃ嫌ですぅ〜。駄目ですぅ〜。はい、やり直しぃぃ。ちゃんと口にしてくださぃぃ〜っ」


 口を尖らせそっぽを向く。偉そうに腕まで組んでキスをせがむ姿は可愛らしいが、それでもソコは譲れない場所なので軽いデコピンのお見舞い。


「俺の唇はユリアーネが先約済みだ、残念ながらお前にはやれない。諦めてオデコで我慢しろよ」


 痛くもないオデコを両手で押さえ怨しそうな顔をするも、どうやら何か良からぬことを思いついたらしい。

 表情は一変し、目にはキラリと光る怪しい光。口角を吊り上げ “これから悪戯します” と言わんばかりの悪い顔へと早変わりした。


「それならぁ、帰ってきたら二人きりでデートしてください!約束ですからねっ!」


 あまりの雰囲気に悪い予感しかしなかったが、それくらいならばとユリアーネに目配せをする。


 小さい子の駄々でも見るように、困惑しながらも苦笑いでの了承。これ以上何か言い出す前にとエレナと指切りをして留守番を了承させる。

 本当ならリリィが一緒に来てくれれば心強いのだが、未だ故郷を失ったショックから立ち直れていない今の彼女を戦いに誘うわけにはいかない。


 明るく、面倒見の良いエレナならリリィを任せても安心だ、頼んだぞ?



 日程的にはギリギリだが、俺とユリアーネはベルカイムから乗り合い馬車でゾルタインへと向かう。もしかしたら俺達がその時までに辿り着けるようアリサが計算していたのかもしれない、そんな思いが頭を過ぎる。


 師匠とアルは俺達が着いたらルミアと共に転移で来る手筈。ルミアに約束の金力石を手渡すと足早に家を出て、ユリアーネと二人、ベルカイムへと向かった。



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