23.独りぼっち

「お、お兄ちゃん……?」


 視線を落としたまま歩く俺には、モニカの声ですら右から左に抜けて行く。みんなに拒絶されるという事がこれほど堪えるものだとは知らなかった。

 別に本気で俺のことを軽蔑してる訳ではないだろう、半分遊びなのだとは理解出来ている……が、寂しい。


「お兄ちゃん、怒ってるの?」

「……怒ってない」



「グルルルッグルァアォオッ!」



 モニカの問いに力なく応えると同時に灯りに照らされて現れたのは鋭い四本の爪の生えた床まで届く長い手を持つ大きな熊、体長二メートルを超える巨体は長い両手を広げるとその体が更に大きく見える。

 牙を剥き先頭にいる俺を威嚇する素振りを見せるが、心の荒んだ今の俺には何の効果もない。


──ただ、行く手を塞ぐ奴がそこに居る


 白結氣しらゆきを抜き放つと左手に持ち替え朔羅さくらを抜いた。二刀流だからといって両手で抜く必要などないだろうと言う師匠の意見で気が付いた抜き方、理にかなっていると俺は思う。左手で抜けないのなら、その手では抜かなければいい、たったそれだけの事なのに答えに至らなかった自分が恥ずかしいと思えた。


 敵意丸出しの手長熊を前にして歩くペースはそのままに、顔も上げずにトボトボと近寄って行く。


「拗ねたわね」

「ええ、拗ねましたね」

「アレくらいで拗ねられてもねぇ」

「面倒くさいのです」


 武器を手にしたくせに戦う気が無さげの、様子のおかしい相手に首を傾げていた手長熊だったが、それでも近付いて来る俺に向け『ヤル気あるのかよ!』とばかりに再度咆哮を浴びせてきた。

 それでもやはり俺の心には響かず、そのまま手長熊の前まで辿り着くと『もういいから死ね』と言わんばかりに長い手が振り上げられる。


 手長熊の殺気が膨れ上がり、ふと顔を上げると、今まさに振り下ろされようとしている毛むくじゃらの長い手。



──お前も俺をイジメる気なのか?



 たかが熊のくせに!と、イラっとし、俺を狙う長い手を目掛けて、溜まった憤りを打つける為に両手を振った。

 風魔法による身体強化の効果にまかせて朔羅と白結氣を何度も交互に振ると、一瞬にしてバームクーヘンのように輪切りとなって空中でバラバラになる太い腕。


「グォォォォッ!」


 怒りとも痛みとも区別のつかない鳴き声を上げると一歩退がりやがったので『今更逃げるんじゃねぇっ!』と逆に俺は一歩前に踏み込み、もう一本の腕も輪切りにする。

 動きの止まった熊などただデカいだけの的、再び叫び始めたその眉間に容赦なく朔羅を叩き込んだ。


「八つ当たりね」

「熊ちゃんかわいそう」

「タイミング悪かったわね」

「八つ当たりはダメなのです」


 五月蝿かった鳴き声がピタリと止み、ゆっくりと倒れて行く両手の無くなった手長熊。朔羅がひとりでに抜けると大きな地響きを立てて倒れた巨体がゆっくりと床に吸い込まれて行く。


「レイ……怒ってるの?」

「怒ってないよ……」


 そう、怒ってるわけではない……だが、何故だか分からないがイライラが膨らんでいく。

 八つ当たりなどと見っともない真似をしたくないので今はみんなの傍には近寄りたくないと思い、一番先頭にある光玉の真下、一歩先の暗闇を見つめて再び歩き出した。


「どうしよう、怒ってるよ」

「え〜、あれだけでぇ?」

「ちょっとからかっただけじゃない」

「それでも嫌だったんじゃないですか?」

「そういうもん?」

「人のツボって分からないものですよ。ちょっとした事で笑ったり、泣いたり、怒ったり……でも、それが人間の個性ですからね。それも含めて受け入れてあげないと、一緒になんていられません」


 エレナの言葉が耳に入るが「そういうものかな?」と思う程度。でもたったあれだけの事でイライラするなんて、俺は相も変わらず心が弱いんだろうな。


 一人で先頭を歩くとトラップが作動し、風切り音と共に真横から矢が飛んで来る。そんな事にも苛立ちが募り朔羅を振りかざすと、それだけで矢は床に転がった。

 すると今度は簡単に叩き落とされた事にイライラとして来て、イライラがイライラを呼びどんどん膨れ上がって行き、もうなんでイライラしていたのか分からなくなってしまった。



「レイさん」


 飛んできたエレナは俺が朔羅と白結氣を抜身で持っているにも関わらず、そんなのは目に入らないとばかりに気にせず俺の前に回り込んでくるので、顔には出さなかったが滅茶苦茶焦った。


 胸に顔を押し付られ両腕で頭を抱きかかえられると、柔らかな感触の向こうに トクンットクンッ という彼女の鼓動が聞こえてくる。その音は妙な安心感を呼び、俺の心へと拡がって行くようだった。

 こんなことがこの場で出来るのは、ルミアから貰った指輪と共に修練を重ね、空を飛ぶことが出来るようになった彼女だけだ。

 だがそれだけでは無い。その能力に加え全てを包み込んでくれる母親のような、人を思いやる優しい心が有って始めて行動に移せたのだろう。


「エレナ、危ないからみんなと一緒に……」

「レイさんは寂しかっただけですよね?」


 俺の話を聞く気が無いのか、一歩先の暗闇の中から、いつ魔物に襲われるとも知れないこの場所で言葉を続けた。


「私達がちょっと意地悪したから怒ってるのではなくて、何時も誰かと一緒に居たのに急に独りぼっちになってしまったような、そんな感じがして寂しくなってしまっただけですよね?


 でも大丈夫ですよ。


 レイさんの傍には、レイさんが愛する人がこんなにもたくさんいるじゃないですか。

 もしも……もしもですよ?皆さんがレイさんの事を嫌いになって離れて行ってしまったとしても、私は絶対に傍にいます。レイさんが「お前なんか嫌いだ」って言っても傍にいます。何があっても死ぬまで離れることはありません。


 だから、安心してください。レイさんは決して独りぼっちじゃありませんよ」


 そうか、俺は寂しかったのか。


 みんなに見捨てられたような気がして、一人で勝手にそう思い込んで、不貞腐れて、それでイライラしていたんだな。


 王都で捕まって牢屋にいた時のあの孤独感。あんなのは二度とゴメンだ。

 それなのにちょっとした事で拗ねたりして、これじゃあみんなが俺の事を見限っても文句は言えないな。


 独りは怖い、独りは嫌だ。


 みんなと……愛する人達とずっと一緒に居たい。


「ねぇ、あれってズルくない?」

「ええ、ズルいわね」

「抜け駆けですよねぇ」

「一人だけ良いカッコして、点数稼ぎよね」


「えっ!?そんな事言っちゃうんですかぁ?

私、皆さんの為にレイさんの機嫌治そうと……機嫌、治そうと?あれれ?これって抜け駆け、なの?

 そ、そんな事よりですねっ!今、良いところなんですっ!静かにしててくださ……ひゃぅっ!?」


 朔羅と白結氣を手放し、痛がると分かりながらも感情のままに力強く抱きしめた。

 戸惑いながら抗議の声を上げるエレナ。それを無視して思い切り胸の感触を味わう。


 無言のまましばらく堪能したあとでようやく解放した。向けるのは、出来うる限り最高の笑顔。


「ごめん、エレナ。ありがとう」


 何時もの笑顔でニコリと笑うと、もう一度 ギュッ と俺を抱きしめてから身を離したエレナは、みんなが立つ方へと飛んで行き「ズルっ子エレナ」とボソリと呟いたティナの隣に降り立つと、若干の苦笑いを浮かべて俺を見た。


「みんなごめんな。こんな俺だけど、一緒に居てくれるか?」


 恥ずかしくなり頭を掻きながらみんなを見回すと、アルとクロエさんが呆れた顔をしていた。


「お前、いまさら何言ってんだ?」

「右に同じなのです」


「今に始まった事じゃないでしょ?アンタのその性格くらい知ってるわよ」


 リリィも呆れた顔をしているが、一緒になった今、何処となく嬉しそうにしてるのがよく分かる。


「お兄ちゃん、私達、夫婦なのよ?一緒にいるに決まってるじゃない。別れたいって言っても離さないよ?」

「くゎっ!ここにもズルっ子が居た!一人だけ夫婦とかズルいわっ!私の結婚式、まだなの!?」

「ティナ〜?おじ様は半年後って言ってらっしゃらなかったかしら?きっと私もその時よねぇ……半年はモニカの一人勝ちになる、ズルいわね」

「ティナさんも、サラさんも、結婚とか別に良いじゃないですか?そんな区切りが無くても、私達はみんな、レイさんと共に在るのですっ」

「エレナ、アンタはカッコよく決めたつもりだろうけど、そのデレ顔なんとかなさいよ。締まらないわね」

「そ、そう言うリリィさんだって、キリッ としてるつもりかもしれませんけど、内心 デレッ としてるのが滲み出てますよ?隠してても私には分かるんですからねっ!」

「なにぉぅっ!エレナのくせに、生意気だわっ!」


 わんやわんやとする妻と婚約者達は、俺の小さな癇癪など気にもしていない様子。

 臆病な俺は ホッ とし胸を撫で下ろすと、彼女達の元気な姿を目にしたことで乾いた心が潤って行くのがよく分かった。



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