42.二者択一

「うそ……」


 気力と共に力が抜けてしまったのか、傾き始めたアリシアを隣にいたフラルツが慌てて抱き留めるのが目に入る。


 アリシアとアルミロの得票差は僅か三票。二万人の投票でのたった三票の違いなのだが、残念ながら負けは負けなのだ。


「あっ!私、投票し忘れてる!フラルツ、貴方は投票したの?貴方はもちろん私を支持してくれるのよね?あとぉ……そうだ!エレナ!あの子もきっと……」


「アリシア様、立候補者は投票出来ない決まりになっております。それに、残念ながらエレナ様はラブリヴァの生まれではない。したがってこの国の者ではないとみなされ投票権が与えられないのです。それと同じ理由でレイシュア様方にも投票権はございません」


「そんなぁ……じゃあ、どうするのよ!このままアルミロが国王になっても良いって言うの!?アーミオン!!貴方っ、あいつがどういう政治を行なってきたのかその目で見て来たのでしょう!?

 ラブリヴァの民は官僚と呼ばれる一握りの獣人が贅沢をする為に居るんじゃないっ!そんなの間違ってる!

 私はみんなが幸せになればと思ったのに……この国のみんなが豊かな生活を送れるようにと思ったのに!!」


「アリシア、落ち着け! 落ち着くんだ!!」


 肩に置かれたフラルツの手を振り払おうと身を捩るアリシア。それを不味いと感じたアーミオンもどうにか落ち着いてもらおうと必死で呼びかける──が、その声は届かない。


「ちょっと!離してよっ!止めて!!は〜な〜し〜てってばっ!!

 フラルツ!貴方ドサクサに紛れて私の胸を触ったでしょ!助平!変態っ!」


 二人の懸命な静止のおかげで少しは落ち着きを取り戻したか、仕方なしに羽交い締めにしていたフラルツに向かい、事もあろうに痴漢行為の冤罪をなすりつける。

 アリシアを思っての静止ですら無碍にするのは、まだ動揺が治まりきっていないからなのだろう。


 本当に冤罪であればそんな言葉など無視すればいい。だが、馬鹿正直な感じのするフラルツはアリシアの策略通り慌てて手を離してしまう。目を逸らし、小さな声で言い訳をする姿は、見ていてかわいそうに思えるほど動揺していた。


「私に触って良いのはライナーツだけなのよっ」


 服を正しながら独り呟く彼女に、アルミロですら苦笑いを漏らす。

 しかし、続けて吐き出された言葉にはアルミロはおろか、フラルツもアーミオンも、成り行きを見守っていた実の父親セルジルですら凍り付く事となる。


「そうよ、選挙なんてする方が間違っていたのよ。後がつかえてるから手っ取り早く済ませば良いんだわ……そうよそうよ、何も悩むことなんて無かったんだわ。私はただ手持ちのカードを切るだけなのよ。

 レイく〜んっ、色々面倒臭くなっちゃったからアーミオンもジェルフォもちゃちゃっと倒してラブリヴァを乗っ取っちゃって〜」


 風上からのアリシアの声は良く通り、聞かせない方が良かっただろう他種族の代表者達の耳にも届いてしまう。


「おいおいおいおいおい、他にいくらでも手はあるだろう……」


 流石にそれは不味かろうと立ち上がり、両手を大きく交差させて『駄目だ!』と合図した時の事だった。



⦅思い通りに行かぬなら力を行使する、それでは其方が打倒しようとする過激派なる魔族共と何ら変わらぬのではないか?⦆



 マイクとは比べ物にならない、身体の芯にまで響いてくる威圧感のある声。

 本来は高いだろうと思われるよく通る声を巧みに操り、少しばかり低く聞かせる事で落ち着いた雰囲気を醸し出す。それは、その者をより崇高な存在だと感じさせるように計算された確たる技術だ。


 王宮前広場に集まった獣人達の視線を一身に集めたのは、突如として上空に現れた巨大な緑色の龍。

 蛇のように長い身体は幾重にも曲がりくねって空を埋め尽くしており、太陽を遮り、巨大な影を民衆へと落とす。その太さはここからでは正確には判らないが、軽く見積もっても二メートルでは効かないほどに、とにかく太い。


「ようやく現れたわね、風竜ルアン」


 見上げる事で揺れ動いた色の薄い金の髪。長いまつ毛を擁した薔薇色の瞳は、空に浮かぶ巨大な龍へと向けられていた。

 小さくも高い鼻と赤味の強い桃色の唇。感情無き人形のように、表情の無い美しい横顔から聞こえてきたリリィの呟きに一つの疑問を感じずにはいられなかった。


 今のところ本来の姿を見たことがあるのは火竜サマンサだけなのだが〈属性竜〉と言われるその姿は正しく “竜” であり、レッドドラゴンと同じく、武骨な蜥蜴に翼を生やした容姿をしていた。


 だが、今しがた現れた風竜は、サルグレッド王城のエントランスにあった彫刻のように長細い蛇に似た身体の “龍” なのだ。

 ギルベルトなどとは比べるのも烏滸がましいほど遥かに大きく、纏う威圧感も半端ない。容姿には疑問を感じるが、風竜を知っているララの記憶を取り込んだリリィが言うのだから間違いないのだろう。



 細長く赤い目が光る。それを合図に長い身体の全てが淡い緑色の光に包まれ、小さな塊へと凝縮して行く。


 程なくして二メートルの球体と化せば、光の霧散と共に姿を現した二人の人物。


 その一人は、先日風竜の社で会った白地に赤い縁取りがされた着物を着る九本もの尻尾を揺らめかせるキツネの獣人、玉藻。

 そしてもう一人の男こそが風竜ルアンなのだろう。



⦅アーミオン、私と玉藻はこの国の者と認識されておるのか?⦆



⦅は、はい……勿論で御座います⦆



 巫女である玉藻を従えた真っ白な着物をゆったりと着こなす人物。

 巨大な龍の姿を披露すれば自己紹介などせずとも、己が何百年もの永きに渡り信仰されてきた風竜そのものなのだと全員が理解する。


 それを裏付けるのが名指しで言葉をかけられたアーミオン。これ以上ない程に背筋を伸ばしての直立不動の姿勢、青白くなり果てた端整な顔からは血の気が引くほどに緊張している様子がありありと窺える。



⦅ならば我々は、この世界の悪に挑む闇の皇子レイシュア・ハーキースを掲げる王女アリシアを支持しようぞ。

 ラブリヴァの官僚が一人で百票と言うのなら、二千年の永き時を見守ってきた我等二人には二十万票ぐらいの権限はあろう?さすればアリシアの念願は適い晴れて次代の国王となる、それでよいな?⦆


⦅……お、お、恐れながらも選挙を管理する者として意見を述べさせて頂きますっ!

 ル、ルアン様、並びに玉藻様には我々ラブリヴァの民を導いて下さっている大恩があることは重々承知ではありますが……しかし!ま、誠に申し訳ございませんが、お一方一票とさせて頂きたく存じます!

 昨日一杯という投票期限は免除させて頂きます故、こ、公正な選挙を成立させるため、それで納得して頂けますと我々としても顔が立ちます。

 なにとぞ……なにとぞ、お聞き入れ下さいますようお願い申し上げますっ⦆



 それじゃあ選挙の意味無いじゃん!と突っ込みを入れたくもなったが、息も絶え絶えの疲弊した様子ながらも、自分達の崇める神である風竜に向かいハッキリと意見を述べたアーミオンには全身全霊を込めて拍手を送りたい。



⦅ふむ……其方は私に民と同じ立ち位置に在れと申すのか?長き二千年もの間、大森林フェルニアを守護してきたこの私に……⦆


⦅ルアン様……ルアン様の意に背く事がどれほど勇気のいる事かお分かりなのでしょう?それくらいにしてやらねばあの者が倒れてしまいます⦆


⦅む……其方に言われては考えを改めぬわけにはゆかぬな。ならば先の提案を引き下げアーミオンの申し入れ通りにする代わりに一つ、特例を設けてもらおう⦆



 玉藻の物言いに素直に従うルアンの様子に ホッ としたのも束の間、更なる無茶振り宣言に喉を鳴らすアーミオン。気の毒な姿がはっきりと見てとれ、ストレスで倒れやしないかと心配になる。



⦅此度の選挙は、現状維持を望むのか、改革を望むのかを選ぶ為のものだ。結果は既に出されているが、それを踏まえて今一度、己の心に問うてみよ。


 ラブリヴァに住む獣人達よ。其方等は今の生活に満足しておるのか?

 家畜や食物の世話だけで一日が終わりを告げ、それだけに生涯を捧げる。そんな生活に喜びを感じる者は少ないのではないか?


 一握りの裕福なる者達よ。其方等は足元ばかりを見過ぎて前を向いておらぬのではないか?

 ラブリヴァは広い森の中にある小さな国だという事を理解せよ。その中だけで足掻く己の姿を家畜小屋に住む牛と重ねてみるがいい。外には青々とした餌があるというのに、与えられた枯れ草を取り合うだけで満足だと言うのか?


 私は断言する。

アリシアの思い描く新しい世界には希望が満ち溢れている、と。


 力を手にした魔族は人間ほど温和ではいられない。侵略、蹂躙、略奪。このままこの土地に残れば、魔族に支配されし世界の片隅で虐げられながら細々と生きることになろう。

 しかし、今、少しばかりの痛みを受け入れ立ち上がる勇気が持てれば、勝利を共に勝ち取った仲間として、人間と対等なる立場にて暮らす事も夢ではない。


 さぁ、其方等はどうしたいのだ? 残り僅かな今という平穏か? それとも、永きに渡り続くだろう未来の平穏か?

 意見を変える者は私が認める。今この場で、その意志を示すがよい⦆



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