43.決断する心

  穏やかな口調でありながらも力強さを感じさせる風竜ルアンの言葉は、集まった全ての獣人の心に染み込んでいった。


 目を瞑り、己と向き合う者。

 腕を組み、周りを伺う者。

 仲間内で意見を交わす者。


 反応はそれぞれであったが、一貫して真摯に受け止め考え込んでいる様子。



⦅其方らの知らぬ間に機は熟し、逃れられぬ選択を迫られし時は、今。 私の意見は先に述べた通りだ──が、それを強要するつもりは毛頭ない。

 其方らの代で血を流すのか、それとも、血を流すのが怖いと怯え、子の代に押し付けるのか……いずれにせよ、血が流れるのは確定事項なのだ。それを理解した上で選び直した答えが沈黙とあらば、それが其方らの結論なのだろう。

 心弱き我が子等よ。一時の平和を、存分に謳歌するがよい⦆


 ただ次代の国王を決める選挙から一転、突然現れた “神” から獣人の未来を決めろと宣告を受けてから十五分あまり。その間、身動ぎすらせず、自分を信仰する民を空から見下ろしていた風竜ルアンと、その巫女である玉藻。


 しかし、誰一人として手を挙げることはなく、意見を変えるとの声も挙がらなかった。


 これを国民の総意と受け止めた風竜ルアンは、自分の役目は終わりだと言わんばかりに踵を返すと、玉藻を従え、自分の社がある方角へとゆっくり高度を下げ始める。



「!? アリシアっ!」



 獣人王国ラブリヴァが奉り、崇める、風竜ルアンが自分を味方してくれる、それは否応無しに期待を高めた。



──しかし、風竜の威光を持ってしても変わらなかった国民の総意



 それに脱力し膝を突いたアリシアは、気を失ったかのように倒れ始めたところを再びフラルツに抱き留められた。


 開ききった蒼い瞳は光を失い、瞬きすらしない。名前を呼びかけ覗き込むフラルツですら映しておらず、頬を叩かれても反応がない。


「お母さん……」


 心配そうに母を見つめるエレナ。すぐにでも駆け寄りたいのだろうが、今は大事な公務の最中。それを理解している彼女は膝の上で拳を握り締め、逸る気持ちを押し殺している。



 闇竜ヴィクララの住処で出会い、ミアとの別れに心が沈んでいたのを癒してくれた。

 それ以来、長いようで短い旅路の中では、明るい性格が故にムードメーカーとしてみんなを和ませてくれていたアリシア。


 そんな彼女が放心するほどショックを受けているのならば、なんとかしてやりたいとは思えど、この国で権力ちからを持たない俺には選挙の結果を覆らす事など出来ない。

 ましてや彼等の神の発言でも変わることがなかったのだ、いまさら誰が何を言おうとも結果が変わることなどないのだろう。



 無力感に奥歯を噛みしめ、エレナの拳に手を重ねたときだ。


「どきなっ!」

「はいはい、ちょっとごめんよ!」

「邪魔だ!通しなっ」


 それまでヒソヒソと話し声はあれど、はっきり聞こえるほどの大きな声を上げる者など誰一人いなかった。

 だが、広場に集まった二万もの獣人の海を掻き分け前に出て来た集団が近衛と揉め始めれば、アーミオンがすかさずそれを制す。


「どけよっ!役立たずのでくの坊が!!」


 包帯でぐるぐる巻きの近衛が足蹴にされているのが見えたが、アレはおそらくジェルフォではなかろうか……。元、とはいえ近衛隊長であり王国最強の戦士を蹴り倒すとは、集団とは斯も恐ろしいものだと知った。


 騒ぎに気付いた風竜ルアンが足を止めて振り返る。視線の先には、設置された小さなお立ち台に登る一人の女。

 彼女の背後には、肩幅に足を開き、軍隊のように姿勢良く立つ二十人もの獣人が一枚の壁のように整列していた。その全ては女性のようだが、全員、手を後ろに組み微動だにしない姿は遠目に見ても畏怖すら感じさせる。



⦅あー、あー、これで聞こえてんのか?⦆



 発言の許可を得て〈マイク〉を受け取ると、青ざめた顔で成り行きを見守っていたジェルフォに向けて刺すような冷たい視線で確認をとる。

 震える小鹿のように、怯えながら首を振り続けるジェルフォの姿など初めて見た。彼に押された裏切りの烙印は、それほどまでに肩身が狭い思いを強いているのだろうか?


⦅自警団 〈ブラッディー・ローズ〉の頭張ってるランシリアだ。知ってる奴はコンニチワ、知らない奴はどうぞ夜露死苦!

 まぁ挨拶なんざどうでもいい。この国始まって以来の国王を決める選挙なんてものが、アタシ等の運命を決めると言われて動揺してる奴等がほとんどだろ?なぁ?

 それはアタシも同じさ。

 魔族との戦争?何を馬鹿げたことをと思うのが普通だろさ。でもそれを、我らが風竜様が推奨するとなっちゃぁ話は変わってくる⦆



 ランシリアと名乗ったトラの獣人が話し始めれば、ヤジの一つも出て騒然とし始めるかと思いきや、二万もの人々が彼女の言葉に黙って耳を傾けている。



⦅風竜ルアンっ……様、アンタに確認したい事がある。アンタは魔族が攻めてくると言っが、それは嘘じゃないんだな?⦆



 自分達の神に恐れを抱かない胆力は凄いと思う。信仰心がないと言えばそれまでなのだろうが、こういった田舎の国では珍しい人だ。


 不敬な物言いに怒るかと思った風竜ルアンも特に気にした様子はなく平然としている。巫女である玉藻同様、威圧感は半端なかったが、どうやら懐は深いらしい。



⦅もちろん嘘や冗談の類ではない。

考えてもみよ。人間が蔓延る今の世で、獣人同様肩身を狭くしている魔族が力を得たら何をする?自分達の生活を豊かにするべく行動するのはごく自然なことであろう?そして急激な発展は歪みを生ずる。

 温和とされる人間ですら己の欲望を満たすためなら協定を破り、獣人を狙ってこの森まで侵入するのだ。大森林フェルニア奥深くまで入り込み、捕らえた獣人を人間に売り払うような魔族が、ここに住う者達を放っておく訳がなかろう。

 魔族が世を支配するようになれば、いずれこの森は蹂躙され枯れ果てる。その時こそが、この森で生きる亜人達の最後であろうな⦆



 上空に浮かぶルアンへと視線を向けていたランシリア。少しのあいだ俯き、何かを考えていたようだったが、民衆へ向き直った顔には迷いが感じられなかった。



⦅アタシは、どっかのアホの支持するアリシアが気に食わなかった。だから、あえて反対勢力であるアルミロに票を投じた。けど、私怨で投票していいような軽い選挙じゃなかったと少しだけ後悔している。

 おいっ、レイシュア・ハーキースとやらっ!こっちに来な!⦆



 突然の呼び出しにびっくりするものの、何かを変えてくれそうな雰囲気に行かないという選択肢はない。

 メンタルに難ありの俺を心配してくれる嫁達の頭を撫で、バルコニーから飛び降りる。


 沢山の視線を一身に浴びて多少ビクつきながらもランシリアの元までゆっくりと歩いて行くが、一番強い視線は彼女自身から発せられていたモノだった。

 頭のてっぺんから足の先までじっくりと舐め回すような視線。品定めが終われば満足気に頷くが、それが何を意味するのかはよくわからない。



⦅ん〜ん、人間のくせに良い男だね。何か、こう……心の奥底から湧き出すような、熱い衝動を感じるねぇ。どうだい?今夜アタシの家に来ないかい?たっぷりともてなす・・・・よ?⦆



 虎の獣人だけあり、細められた目は獲物を狙うハンターさながらだ。ゾクリとしたものが背中を走るが、以前のコレットさんからの視線に比べたら可愛いものだ。


「ランシリア!?何をっ……」


 青い顔のジェルフォが大きな声を上げたが「黙れ!」とすぐさま鋭い恫喝が入る。 あまりの剣幕からか全身の毛が逆立ち、包帯の間から出ていた片耳が頭に倒れ伏して太い尻尾も股の間に入り込んでしまった。

 いくら四人・・で声を揃えられたとはいえ相手は女性。気が強そうではあるが、ジェルフォがそこまで怯えるのは少し不思議だった。



 腰に手を当て見下ろすランシリア。引き締まった身体には余分な肉は少なく、見えている腹部には女性らしからぬ筋肉が顔を出しかけている。かと言ってムキムキかというとそうでもなく、晒されている腕も脚もかなりの筋肉を内包しているようだが、程良く残された脂肪が女性らしい柔らかな肌感を作り出していた。


 なんと言っても一番女性らしさを感じさせるのは、ちょうど目線と重なる豊かなお胸様。その下側半分だけを覆う布地の少ない下着のような服は、深い谷間を更に深くするように豊富な肉を寄せ集めている。

 惜しげもなく見せつけるソレが男性の視線を集めるのは必然で、薄く焼けた小麦色の肌が彼女の魅力を際立たせる。


 目は切れ長でキツイ印象を受けるが、整った顔立ちは美人だと言えよう。明らかに年上ではあるが、お誘いを受ければ誰しもが喜んで受け入れるだろう魅力的な女性。


 だが一つ、文句を言うならば、マイクを使って公然とナンパしないで欲しい。


「お誘いはありがたいが俺には妻達がいるんでね、申し訳ないがお断りさせてもらうよ」


 もともと長身のランシリアが膝の高さほどのお立ち台から見下ろせば、大人と子供程の身長差が生まれてしまうのも仕方のないこと。

 だいぶ上から俺の目を覗き込んでくる灰色の瞳。数秒、無言の時間が通り過ぎるが、その間、周りはとても静かで、俺達のやりとりをジッと観察していたようだ。



⦅ふんっ。顔が良いから遊んでるかと思いきや、案外堅いこと言うんだね。それはアタシの気を惹くための演技かい?⦆



「どうとでも思ってくれていいさ。誘いには乗らない。 そんなことの為に呼んだのか?だったらみんなのところに帰るけど?」


 大声をあげ豪快に笑い始めたランシリアが俺の肩を何度も叩く。いつの間にか並べられていたもう一つのお立ち台に引き上げられると、民衆に向き直り肩を組まれた。

 拘束するつもりはないようだが、それにしても力強い腕。女性に肩を組まれたのは初めての経験だが、特に嫌な感じはしない──が、柔らかなモノが押し付けられている部分は気になってしかたがない。



⦅アタシはこの男が気に入った。もちろんこんな場所で宣言するんだ、男として気に入ったのは否定しないが、それだけじゃないのは察しろよ?⦆



 俺の顔を見てこれ見よがしに舌舐めずりをするのはいったいどんな意味があるのか説明を求めたい!



⦅だからアタシは風竜の意見に賛同し、この男と運命を共にすると言った王女アリシアに鞍替えする。

 魔族と戦う?上等じゃねぇかっ。ラブリヴァのすぐ近くまで入り込むようになった人攫いに怯え、たいした楽しみもなくただ生きていくより、一か八か、自分の信じた者の元で戦い パーッ と散るのも悪かない。

 どうせいつかは尽きる命なんだ。だったら、次なる子供達の未来が良いものになる可能性にかけてみたい⦆



 ランシリアが票を移すと言った時点でアリシアの当選が決まる。もちろん逆の者がいればその限りではないのだが、今のところ誰も名乗りをあげていない。


「ランシリア……」



⦅五月蝿い!黙れっ、でくの坊!さっきも言った通りこれは獣人の未来を見越しての選択だ。決してお前の嘆願を受け入れたわけでもなければ、ましてやお前のしでかした暴挙を許した訳ではない!!⦆



 一声発そうものなら十倍になって返される。たった一言『言ってくる』と告げなかっただけで、それほどの怒りを受けたのかと哀れんでいれば、不意に腕を掴まれた。


 ランシリアと同じ銀の髪から生える黄色と黒の虎縞の耳。冷や汗を垂らしながら苦笑いするジェルフォを睨みつけ、俺と同じ歳の頃だろう若い女が、広くないお立ち台に足をかける。


 肩に回されたままの腕が俺を引き寄せれば、自分が女の子にでもなったような奇妙な感覚がする。

 三人で立つには狭い場所、身体が密着するのは必然。初対面の男だというのも気にもせず、美女二人にサンドイッチにされてちょっとドキドキ。


 忙しなく動くトラ耳、左右色の違う金と銀の目が興味あり気に俺を見る。さっきまで凍りつくような冷たい視線をジェルフォに突き刺していたというのに、上目遣いに覗き込んでくる顔はまぶしい笑顔で満たされていた。


 だが、マイクを受け取ると、覇気が満ちた戦士のように凛々しい顔へとすげ変わる。



⦅大森林フェルニアに暮らす七種族において、最も気高きラブリヴァの国民よ!私達はこれまで平穏を求めるあまり、同胞が連れ去られるのを見て見ぬふりをしてきた。だが、残された家族に植え付けられた心の痛みは計り知れないものだろう。その者達に向かい『仕方がない、我慢しろ』と誰が言えるのだ!?

 皆も知る元近衛隊長ジェルフォは、娘である私にすら何も言わず姿を消した。家族を失う辛さは分かっていたようで分かっておらず、本当の痛みは実体験した者にしか理解出来ないのかもしれない⦆



 今、ジェルフォの事を父親だって言ったよね?イケメンのアーミオンといい、この娘といい、美形の家系で羨ましい限りだ。


 彼女の行動からしてもしやと思い、未だ腕を回したままでいる女性に視線を向ければバッチリと目が合う。ニヤリ と意味深に微笑むランシリア。どうやら俺の考えは間違っていないようで、彼女がジェルフォの嫁であり、この娘──ツィアルダの母親のようだ。



⦅しかし、死んだものと思い込んだ父は生きて帰って来た。私にとって……家族にとって、これほど嬉しい事などない。 だが、父は言った。自分は幸運だった、と。

 一部には新しい家族を得て幸せな人生を送る者もいる。でもそれは、本当に僅かしかいないらしい。大半の者は人間にペットとして飼われ、ストレスの吐口や、性奴隷、玩具としてゴミのように扱われ死んで行くのが関の山だと言うではないか!

 私は自分がそうなるのも、自分の子供がそんな扱いを受けるのも、甘んじて受け入れるなどとは冗談でも言えない。だからチャンスがあるのならば、そんなくだらない世の中をぶち壊してやりたいと思う⦆



 感情を表すように振られる手。実体験を伴うツィアルダの言葉は人々の心に響いたようで、頭から生える多種多様なケモノ耳の全てが彼女に向けられ動きを止めている。



⦅強要はしない。だが、我々ブラッディーローズはアルミロの支持を撤回し、アリシア姫を支持することをここに宣言する。

 背後に並びし幹部二十名は、今まで散々コケにしてくれた魔族に牙を剥くため、ここにいるレイシュア様と共に戦うっ。


 立ち上がるべきときは今だ!


 自分自身のため、未来の子供達のため、愛する家族のためにっ、我等と共に悪の根源である魔族供と戦う勇気のある者はその拳を高く掲げよ!!!!⦆



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