6.シルフの遣い

 気分転換にと半日遊んだ湖のほとりでキャンプ。ティナと風呂から出たところで結界に張り付く淡い光が目に入って立ち止まると、俺の視線に気が付いたティナが何気なく近寄って行く。


「綺麗な羽根。すっごく可愛いけど、これも魔物なの?」


 敵意というか邪気みたいなものは感じられないので俺では判断出来ないが、こんな所にいるのは魔物ぐらいしか居ないだろうと思いながらも結界の三歩手前で立ち止まったティナの背後からお腹へと手を回し肩越しに覗き込むと、四十センチ程とびっくりするくらい小さいのにメリハリのしっかりした成人女性の姿を形取る生き物が俺達と同じ目線で結界に両手を付いている。


「本当だ、可愛いな」


 どうやら言葉が分かるようで頬に片手を当てて照れた素振りを見せる小さな女性の背中には、片翼が彼女の身長ほどもある仄かな光を発する二対のトンボ羽根のような物が生えているのだが、不思議なことに宙に浮かんでいる今でも羽ばたきをしておらず、まるで空中に立っているかのように見える。


「ねぇ、この子は魔物なの?」


 その言葉で眉間に皺を寄せて頬を膨らますと、腰に手を当てて空中に仁王立ちをし プルプル と首を横に振る姿に俺自身も魔物ではない気がして来たのだが “魔物が魔物です” と自己紹介しないように “魔物が魔物ではありません” と言っているだけかも知れないとの疑いが晴れる要素が見当たらない。


 安全を期すならばこのまま見てるだけなのだが『開けて』と言わんばかりに結界を コンコン とノックする様子を見る限り中に入りたがっているのが分かる。


「あら?シルフ族じゃない。ここは水も綺麗だし、彼女達の住処にもなっていたのね」


 どうしたもんかと悩んでいる所に登場したのは、俺達人間よりかは遥かにこの森について知っている頼れる義理母様。

 アリシアを指差し目を丸くしたシルフへと近寄り蒼い目を結界に映しながらもその姿を覗き込むと、あたふたと慌てた様子で何もないはずの空中に正座をし、丁寧に頭を下げるので今度はこっちが驚いてしまう。


「レイ君、彼女は魔物じゃないから大丈夫よ。中に入れてあげましょっ」


 両手を胸の前で組み、キラキラとした羨望の眼差しをアリシアへと向ける彼女を見ていれば、これだけ感情を前面に出す魔物などいないだろうなと納得出来る。


「一人だけなの?まさか迷子じゃないよね?」


 結界に触れて手招きしてやると、不思議そうに首を傾げながらもゆっくり伸ばした手が結界をすり抜けるとくりくりとした丸い目を見開き驚いている。


 さっきまで行く手を塞いでいた結界が通り抜けられる事を理解した彼女は、目の前にある透明な壁を一足飛びで越えると頭上で組んだ両手をピンと伸ばし、合わせたつま先を軸にして駒のようにクルクルと回わって見せるので、新緑の葉っぱを連想させる鮮やかな布が幾重にも織り成した蕾のようなスカートが遠心力で花が咲いたように広がると共に、背中の羽根が緑色をした優しい光を振りまいた。

 見事なダンスを披露し終わり、足を交差させて空中に立つと片腕を振りながら丁寧なお辞儀をしてみせる。


 三人で拍手をしていると何事かと見に来たサラ達もシルフの姿を見て驚いたところで、ライナーツさんの姿を目にしたシルフが口に手を当てて再び目を丸くする。


「獣人王家……の、旅行?」


「まぁ、そんなところよ。それより貴女一人だけなの?」


「え?あ、はい。水浴びついでに散歩に来たんですけど、見たこともない灯りがあったので気になって見に来たんです。それより、さっきから甘くて美味しそうな匂いがしますけど……」



 一先ずお茶でもと焚き火の側にみんなで移動したところで彼女の体に合うサイズのティーカップが無いことに気が付き、予備のカップを取り出すと土の魔力を込める。


「えっ!?嘘っ、貴方人間なのよね? 凄い凄いすごぉ〜〜いっ!!」


 一つのカップを三つの小さなカップへと作り変える様子に手を叩いて喜ぶと、今度は俺が踊り出しそうな程に褒めちぎってくれるので気分が良くなりティースプーンを取り出すと再び土魔力を込めて三つの小さなスプーンを作り出した。

 彼女用のカップに合わせて作り直したソーサーに乗せて紅茶を差し出せば、恍惚とした表情を浮かべて香りを楽しんだ後で一口飲んで満足気に頷いている。


「こんなに美味しいお茶は初めて飲んだわ。香りもすっごく良いのね」


「さっき言ってた甘い香りの正体はコレよ、食べてみる?」


 アリシアが手にしたのはエレナが焼いていたクッキーの一つ、当の本人はお風呂で居ないようだが母親とはいえ勝手に食べるのはよろしくないだろうと思いながらも嬉しそうな顔をしたシルフを見てしまうと口には出せなかった。


 割ってあげたほうが良いのかと思っていると、自分の顔より大きなクッキーを座っている机の上に置いた。

 すると驚くことに、呼吸をするかのように至極自然に練られた風の魔力でクッキーを八個に分けたかと思いきや早速とばかりに手に取り口へと運んでいくではないか。


 手で割った時には出てしまう ポロポロ とした粉が落ちてない事に、風の魔法に長けると言われる種族だけの事はあるなと手足を使うように躊躇なく魔法を使ったシルフに感心したのだが、よほど気に入ったのか、口一杯に頬張ったままで残りのクッキーを片手に立ち上がり、リズムを取りながら小躍りし始めるので苦笑いが溢れてしまう。


「なぁ、そういえば名前聞いてなかったな」


 ピタリと動きを止めたシルフだったが口の中はクッキーで一杯で喋る事は出来ないようだ。持っていたクッキーを置くと ポンッ と手のひらを叩き、ソレ!とばかりに俺を指差してくる。


 慌ただしい小さなお姉さんへと、先に自分達の紹介をし終わったところで風呂の扉が開いてエレナが姿を現わす。

 すると、三人目の白ウサギを目にして三度固まったシルフを横目にタオルで髪を拭きながらこちらに近寄って来きて首を傾げた。


「随分可愛いらしいお人形さんですけど、いつのまにこんなの買ったんですか?紅茶まで出して本格的なお人形遊びしてますね。

 食べるのは構いませんけど、せっかく作ったクッキーなので無駄にしないでくださいね」



「私はお人形じゃなーーーいっ!!」



 人形呼ばわりされてショックだったのか固まったまま パタン と可愛らしい音を立てて後ろに倒れたシルフだったが、怒りを露わにすぐに飛び起きたので、ただのお人形だと思っていた物が動いた事に目を見開くエレナ。


「うそぉ!?なんてリアルなお人形っ!そうか、これはお人形ではなくゴーレムなんですねっ!?」


「ちっがーーうっ!お人形でもゴーレムでもないのっ!どこからどう見てもシルフでしょう!? 見える?この美しい二対の羽根!お人形さんならまだしも、ゴーレムなんて失礼極まりないわっ!!あんなのと一緒にしないでくれませんかっ!?」


 小さな手を目一杯振り回して机の端ギリギリまで詰め寄ると全力で怒りを体現する。

 その姿に一歩退いたエレナが俺へと視線を投げて来るので、彼女の言っていることは正しいのだと頷いてやった所でようやくコレがシルフ族という生き物なのだと認識したようだ。


「ごっ、ごめんなさい。シルフって初めて見たもので誤解しちゃいました。私はエレナと言います、そんなに怒らないで、ねっ?ねっ?」


「んっ、いいのよ分かれば。私も怒ってゴメンね。

 皆様、自己紹介が遅れました、私の名はヘルミと言います。ご覧の通りシルフ族の者ですが、まさか獣人王家の方が三人も居るとは驚きました。

 貴方がたは人間のようですが悪い方には見えませんね。どういった経緯で一緒におられるのか知りませんが、こんな異色の組み合わせでどちらまで行かれる予定なのですか?」


 再び正座したヘルミは何事も無かったかのように紅茶のカップを手に取ると、見惚れるほどに凛としていた顔を至福の顔に早変わりさせ、香りを存分に楽しんでから口へと流し込んでいる。

 さっきまで怒り心頭といった感じで怒っていたのに手のひらを返したと言う表現がドンピシャに当て嵌まるヘルミの急変に “個性が強い” という印象を受けたのは致し方ないだろう。


 俺達の目的を言って良いものかどうか返事に困っていると、フェルニアに着いてからリーダーのように仕切ってくれる頼もしいアリシアが代わりに答えてくれる。


「フェルニア一周の旅よ。ねぇヘルミ、私の会った事のあるシルフの中でもずば抜けて美しい貴女を見込んでお願いがあるんだけど、聞いてくれないかしら?」


「ずば抜けてとか、そんな事……ないこともないけどぉ……」


 サラ達にも勝るとも劣らないほど整った顔に背中まで伸びる緩いウェーブのかかった金色の髪には小さな白い花のカチューシャ。

 シルクのような透明感のある布に包まれたそれほど大きくはない胸だが女性らしさを主張するには十分で、引き締まったウエストがその下にあるぷっくりとしたお尻をより一層引き立てている。


 あからさまなお世辞だったが、事実、人間と同じ大きさになったヘルミが町を歩いていれば誰もが振り向くだろうという程に綺麗な女性だ。

 クネクネと体を揺らして褒められた事を素直に喜ぶヘルミとは対照的に『ちょろい奴』みたいな事を思っているだろう悪い顔をしたアリシアが彼女には見えないように横を向いて鼻で笑うのでティナと二人して顔を見合わせてしまった。


「シルフ族の集落が近いのなら案内してくれない?出来れば族長に挨拶をしておきたいのよ」


「大丈夫大丈夫っ、シルフ族で一番美しいヘルミちゃんにまっかせなさいっ!」


 大きくはないが形の良い胸を突き出し力強く叩いて見せる姿に、アリシアが悟ったようにヘルミがチョロいと言うのが全員共通の認識となった。




 彼女には大き過ぎたはずのエレナお手製クッキーを丸々一枚 ペロリ と平らげ立ち上がると、パンパン と蕾型のスカートに付いた食べカスを払う。


 すぐ近くだからと言われてキャンプもそのままに、二人だけの時間が減る事に不満を訴えるティナの頭を撫でると夜闇に包まれた森へと足元を照らす為の光玉を四つほど放ち光量を調節した。


「うわぉっ!あっかる〜いっ!」


 光玉の直ぐ側まで飛んで行き指で突つこうとするので、危ないからと配慮して光玉をギリギリ手の届かない所に動かしたのだが、それが気に入らなかったらしい。


 不満気に頬を膨らますと再び近寄り触ろうとする。突つかれる直前に再び光玉を移動させると カカカカカッ と音が聞こえてきそうなコマ送りで振り向き『この野郎!』と頬に書かれた驚きとは明らかに違う顔で目を見開き威嚇するかのような視線を向けてくるので、少しばかり負けず嫌いな俺にも火が付いてしまった。


 ヘルミが寄れば光玉が離れる。光玉が離れればヘルミが寄る。幾度となく繰り返される終わり無き戦いにムキになって集中していると、肩で風を切りながら俺の横を通り過ぎて行く金髪が目に入った。



スパーーンッ!



 一瞬にして熱が冷めるが時既に遅く、地上三メートルまで飛び上がると手にした白い物が唸りを上げて宙を走り、ようやく光玉に触れた事で勝利の笑みを漏らす小さな頭を寸分違わず直撃する。


「さっさと案内せんかっ!私は眠いのよ!!」


 それなら寝てれば良いのにと思ったところに ギロッ と睨まれてしまったので冷や汗を垂らしながらも両手を上げて降参を示すと、早く行けとばかりに顎で クイッ と森の奥を指した。


 ハリセンのクリンヒットをもらって目を回し クルクル と螺旋状に回転しながら地面へと落ちたヘルミを拾い上げると、見兼ねたサラが小さなオデコに指で軽く触れただけで パチッ と目が開いた。

 その直後に目の前へと飛び上がると、ゴミ虫の如く叩き落とされた事など記憶から抜け落ちたかのように腰に手を当てて不敵な笑い声を漏らしながら俺の鼻先へと指を突き付けてくる。


「私の勝ちの……よ、う……だ?」


 殺意すら孕んでいそうなほどに棘のある視線に気が付いたのは動物としての条件反射だろうか。

 人形のようにピタリと動きを止めること三秒、それ以上は何も言わずに俺の右肩に静かに座ると、人の耳たぶを断りも無しに手すりの代わりにして掴まると言葉も無いままに『行け』とばかりに人差し指の立てられた右手を暗闇の支配する森へと振りかざした。


「フンッ!」


『解れば良いのよ』と言いたげなララの鼻息に ビクリ と身体を震わせて反応したヘルミ。


「んっ!……んーっ!」


 青い顔で二度、三度と腕を振り『早く進め』と指示を出してくるので乾いた笑いが漏れたのだが、そこは突っ込むことなく、リリィと同じく不機嫌そうにしているティナの手を引き夜の森へと散歩に出かけた。



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