5.セイレーンの二人
見るのも嫌そうな顔でティナが目を細めるのは女性として正常な反応なのだろう。しばしば物語にも出て来る《オーク》という種族は残忍で獰猛、女性と見たら種族を問わず盛りつく言わば女性の敵と言っても過言ではない忌避される種族なのだ。
陸にいたセイレーン族五人を狙い森から現れた五体のオーク。その狂気から守る為に飛び出したのは良いが、肝心の守るべき相手に勘違いされ剣を向けられる悲しいジェルフォ。
振りかざされたレイピアを手にした斧で軽くいなすと、女の脇をすり抜けて行く。
「お前の相手はまた後でだ、リオネッサ!」
「なにっ!?」
ラブリヴァの近衛騎士の名に恥じぬ体捌きで長身女達を後にすると、最初から標的としていたオークの一匹へと斧を振り下ろした。
それと同時に別の場所から高らかな声が上がる。
「消えて無くなれ、豚公!」
己の力を信じ醜き存在を消し去ろうと掲げた右手から目下練習中の雷龍を解き放つと、あろうことか迸る稲妻が水へと伝いティナを中心とした湖に雷撃が走る。
「くぁはぁっ!?」
「ひぁぁあぁ」
湖に浮かびながら雷魔法を使ったのが運の尽き……近くに居たのは同時に飛び込んだモニカと雪だった。
突然の湖からの攻撃に成す術なく感電し短い悲鳴を上げて身体を硬直させてしまう。
やらかした本人も当然のように同じ運命を辿りプカリと浮かび上がるとそのまま動かなくなってしまうので困ったもんだ。
だが、三人と時を同じくして湖に飛び込んだにも関わらず、難を逃れた乙女が一人。
その時には既に風魔法に身を包み湖面スレスレを標的へと向かうエレナの横を解き放たれた雷龍が通り過ぎると、オークの一匹が断末魔の悲鳴すら上げる間も無いままに黒焦げになって動きを止める。
「はぁぁっ!!」
すぐ側に居たはずの仲間が一瞬にしてあらぬ姿へと変貌を遂げてたじろぐオーク。隙だらけの一体に肉薄すれば緑色の淡い光を纏ったフォランツェが股下から頭上へと通り抜け、背を向けて半回転したエレナの突きがもう一体の喉元を捉えた。
「ブモォブモモッ!!」
「ぬぉぉぉっ!」
斧同士が火花を散らしてカチ合い、ジェルフォの筋肉が唸りを上げて膨らむと拮抗していた筈の巨体を押し返し弛んだ腹を切り裂いた。
「ブモモモォォォッ!」
「ふんっ!オークなぞに……負けてられないんで、なっ!!」
再び斬り結んだ斧同士、顔面を捉えたジェルフォの頭突きで怯んだ隙を突いて斧を持つ右手を叩いて落とさせるものの、怠慢そうな見かけに反して闘志は衰えなかったようでオークの左手がジェルフォの喉を狙い素早く伸ばされる。
しかし、大振りな動作と見て取ればしゃがみ込んで軽々と避けると、お返しとばかりにジェルフォの斧が喉元を引き裂き赤い血が噴水のように噴き出した。
「グルァァッッ」
傷口に手を当て苦しそうに捥がくオークの背後に回るとトドメとばかりに脳天へと叩き込まれたジェルフォの斧。
「なっ!?」
しかし、力無く倒れ行くオークが視界から消えると同時、腹と胸に細い槍では到底空かないような大きさの風穴を三つも空けられたオークが動きを止めて立ったままでいるのを目にして驚きを露わにする。
「エレナ様……守るべき姫君にそうも活躍されては私の存在が霞んでしまいます」
「はい?私は守ってもらわなくても大丈夫ですよ?それよりオークはモンスターではないのですね、残念」
魔石集めが今の
下僕である筈のオークを片付けた獣人二人を見て口が開いたまま唖然とする長身女と、未だにへたり込んだままでいる金髪のセイレーンと思しき女二人。
「レイさ〜〜んっ!」
そんな二人を尻目にすぐ横を通り過ぎ宙を飛んでこっちに向かってくるエレナは、小さな風の絨毯に乗り、目を回して湖に浮かぶティナとモニカ、それに雪の回収作業をしていた俺の首へと抱き付くとご褒美のキスを強奪した。
「えへへっ、頑張ったらご褒美、ですよね?」
「しょうがない奴だなぁ」
風魔法を操りモニカ達を引っ張り上げたのを横目に確認すると、ティナを出し抜いたのに肝心の魔石が手に入らなかった帳尻合わせをするつもりだと分かりつつもご褒美のキスをして頭を撫でてやった。
「ティナは後でお仕置きだな、モニカと雪は大丈夫そう?」
「うん。このままでも問題無いけど、起こしますか?」
「無事なら一先ずそのままにしてあっちを片付けよう」
離れる気のないエレナと容体を確認してくれたサラを連れてセイレーン二人の元に向かえば、歩き出した俺達を見て我に返った長身女が何処か疑問を感じながらも手に持つレイピアを俺へと向ける。
「止まれ! 何故獣人王家がここに居るのか知らないが魔族とつるんで我らを襲うとは貴様達には恥というものが無いのかっ!
だが、残念ながら姫様は逃させてもらった。貴様等の犯行は穴だらけだな」
こっちは後かなと闇魔法で身体を縛ると、構わず近寄りすぐ横を通り抜けようとしたところでようやく違和感に気付いたようだ。
「何だこれは……身体が、動かぬ!貴様ぁ、私に何をしたのだっ!?くぅぅっ!動かぬっ動かぬぞ!?」
口まで動かなくしようかとも思ったがそこまでしてはなけなしの信用を完全に損ないそうだ。
この魔法便利だなと思いながらも地面に倒れたままの金髪の子と視線を合わせる為にしゃがみ込むと、まだくっ付き足りないのか白い耳を揺らしたエレナが俺の背中に覆い被さってくる。
呆然とその様子を見ていた彼女だったがとうとう自分の番なのだと引攣った顔を左右に振り、地面に尻を擦り付けながらも必死になって後退りを始めるので、左の足首に巻かれた小さな貝殻の連なった可愛いアンクレットが目に入った。
「嫌っ!お願い、します。許して……お願いっ、お願い……」
「止めろ!チェルシアに手を出すなっ!私が……私がお前達の欲望の全てを受け入れる。だからそいつには手を出さないでくれ!私は何をされても構わない、頼むからその子は見逃してやってくれ……」
苦虫を噛み潰したような顔ではあるが我が身を犠牲に仲間の助けを求めるのはなかなか出来ることではない。壮大に勘違いをしたままの二人に悪戯心が湧いたので ニコニコ とご機嫌で顔を並べるエレナをおんぶして立ち上がると長身女の青く澄んだ瞳を覗き込んだ。
「チェルシアが助かるなら何でもするの?」
身体は闇魔法で縛ってあっても唇を噛み締め視線だけは逸らした長身女、だが再び向けられた顔は感情を押し殺したのか一切の表情のない整った顔だけがそこにあった。
表面上だけかもしれないがそれだけの感情のコントロールが出来ることに凄いなと思うと、チェルシアはそんなに重要な人物なのだろうかと別の疑問も湧いてくる。
「いいだろう、彼女を助けると約束するのなら一切の抵抗はしないと誓おう。煮るなり焼くなり好きにするがいい」
「そうかそうか、その件は約束しよう。サラ、彼女を頼む」
相当慌てていたのだろう。派手に転んだ時に膝も擦りむいたのだろうが痛々しいのは顎の傷、見てるこっちが痛いと感じてしまうほどの擦り傷に我慢ならずサラにお願いすると『あんまり意地悪しないのよ?』と聞こえそうな視線を残してゆっくりと通り過ぎ、尚も後退って逃げようとするチェルシアの前でしゃがみ込むと手をかざした。
「ヒィッ!…………へ?」
傷口が白い光に包まれると軽い傷など立ち所に無くなってしまう。
魔力光に釣られて自分の膝が治っていくのを目の当たりにしたチェルシアは訳が分からず キョトン としてしまい、必死になって逃げようとしていたことすら忘れてしまったようだ。
呆気に取られているのは長身女も同じだったようで、闇魔法は解いたのに身動きすら忘れて立ち尽くしている。
「彼女は助けたぞ?次はお前の番だ。なんでもするって言ったよな?」
「あ、あぁ……」
“助ける” の意味が違っただろうが、そんな事は知ったことではない。
理解が追い付かないのだろう長身女が自分の番を悟り緊張から喉を鳴らしたところで精一杯の悪い笑顔を浮かべて顔を近付けると、肩を指で突つきながら鼻が着く程の至近距離で俺の欲望を静かに口にしてやった。
「一緒に昼飯を食ってもらおう」
「そうだ、食ってもらおうっ」
復唱したエレナが面白かったのか少しばかりの笑い声を漏らしたサラとは違い、覚悟していた言葉とはまるで違う事を言い渡されて益々理解が追い付かない長身女は ポカン と固まったまま動かない。
「返事はどうした?セイレーン族随一の剣の使い手、近衛隊長のリアネッサ殿?」
背後から肩に手を置いたジェルフォを見上げて キョトン とする様子にチェルシアがようやく我に帰ると、投げ出していた足を折りたたみ地面に座り直して二人分の疑問を口にした。
「それだけ……ですか?」
「それ以上に何かして欲しかったのか? そういうのは怪我を治してくれたサラにお礼を言ってからにしような。
コレットさん、聞いての通りだ。湖で遊ぶ前に飯にしよう」
△▽
戦いの得意ではないセイレーンでは珍しく剣を手に戦うリアネッサは有名らしく、面識の無かったジェルフォでもレイピアを見た瞬間にピンと来たらしい。
敵意の無いことを理解したチェルシアの助言もあり俺の命令通りに一緒に昼食を摂る事にした二人に改めて自己紹介をすると、あっさり誤解も解けて警戒心が無くなったようだ。
「私の早とちりとはいえ助けてもらったのに失礼な事をした。どうか許してほしい」
「ごめんなさい」
素直に謝罪を口にして頭を下げるセイレーンの二人。
ここは獣人を中心とした亜人達の暮らす大森林フェルニア、人間の町に魔族が居れば忌避されるように俺達人間もここでは排除されるべき存在だとは理解しているので特に気にしてないのだが、そんな俺達とは違い別の意味でご立腹なのはティナに気絶させられたモニカだ。
「そんな事はいいのよ、そんな事はっ」
「痛いっ、モニカ痛いよ。ごめんって謝ってるじゃない」
頬を膨らませて何度もティナのほっぺを摘む様子にサラが宥めに入るが、いつもなら「いいよ」と軽く許すのに珍しいなと聞いてみると、フラウの魔石を食べた時の感覚を思い出してなんとも言えないもどかしさがまだ身体の中に残っている感じがするのだと言う。
これはケアが必要だとモニカを呼び寄せ膝の上に乗せると人目も気にせず力一杯抱き付いてくるので首が絞まって苦しかったのだが、それでモニカの気分が晴れるならとしばらくそのままでいた。
「レイ君、書く物持ってない?」
手渡された紙に見たことのない字で何やら書き始めたアリシアは封筒まで要求してくるのでララが鞄から出して渡すと、丁寧に折り曲げられた手紙らしき紙を中に入れてリアネッサに手渡す。
「貴女を近衛隊長と見込んでお願いするわ。それをセイレーンの族長に渡して欲しいの」
「密書、という事でしょうか?」
「そんな大仰なものではないけど、まぁそうね」
二人のやり取りを聞きながらエレナを見ていると視線に気が付き目が合ったのだが、俺が何を言いたいのか分かったらしく ニコリ と微笑むと鞄から紙を取り出しサラサラと何やら書き始める。
「小さい頃に教えてもらいましたからね、私だって書けますよ」
エレナが見せてきた紙にはアリシアが先ほど書いていたのとそっくりな字で一文書いてあるが、これはこの森で使われている亜人達の共通の文字らしいので人間である俺には当然の如く読めなかった。
「そっか、エレナは賢いな。それで、何て書いたんだ?」
「えっ!?これ、ですか?」
頬に手を当ててニヤニヤし始めたエレナの顔を見ればなんとなく想像がついてしまったが、聞いてしまったものは最後まで聞かなくてはなるまい。
「私の名はエレナ、レイシュア・ハーキースのお嫁さんです、って書きました。エヘヘッ」
セイレーン二人が目を見開いて驚く中、俺の嫁達は「あぁ、やっぱり」と呆れた顔をしていたのは言うまでもない。
だがそんな行動すら可愛いと感じるのは彼女を愛するが故の事だろうか。
△▽
湖を気持ち良さげに泳ぐ人魚姿の彼女達は美しく、なんと言ってもチェルシアの本に書かれていた通りの白い貝殻で覆われた弾けんばかりの豊かな胸から目が離せない。それに気付いた嫁達全員に「スケベ」と仲良く順番に耳打ちされたのは男として仕方の無いことだと自分に言い訳をしつつも素直に頭を下げておいた。
「やりましましょうか?」と嬉しそうに聞いて来たコレットさんに丁重に断りを入れつつ、ようやく心の整理が付き始めたのかと少しばかり安心しながらみんなの元へと歩いて行く彼女の後ろ姿を眺めた。
△▽
フェルニアには無いエアロライダーを好き放題乗り回して散々一緒になって遊んでいた癖に、他の皆が心配するといけないからと夕食前には帰って行ったチェルシアとリアネッサ。
もしも彼女達が人間の前に姿を現せば、たちどころに捕獲され首輪が付けられてしまうだろう。
恐らくもう二度と会う事も無いだろうと思うと寂しさを感じながらも、強欲が過ぎる人間という種は罪の塊なのだと実感してしまったのだった。
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