44.懐の深さ

「さっさと掴まりなさい」


 いつになく上機嫌なルミアの小さな手を取り指を絡めて繋いでやると、その手に視線を向けた彼女が一瞬だけ見せた照れたような顔を俺は見逃さなかった。


「何よこれ、とうとう私に惚れた?」


「前から惚れ惚れしてるよ、知らなかった?」


 まるで初々しい恋人のように微笑み合うと、その様子を笑顔で見ていたサラも同じように反対の手に指を絡める。


「私も惚れ惚れしてますわ、先生」


「あらあら、モテモテね。でも残念、先約がいるのよ」



 みんなに行って来ると告げた次の瞬間には転移の浮遊感に襲われており、久々の感覚に胃が逆流する思いだった。


「えっ?えぇぇえぇっっ!!レイ!?何でっ?どうしてっ?あっ……」


 テーブルに座り一人でのんびりお茶を飲んでいたシャロは突然現れた俺達に驚く。

 椅子から立ち上がろうとして床に足が付く前にバランスを崩せば、見るからに痛そうに机で顎を強打したのちに、椅子と共に後ろにひっくり返って派手な音を立てた。


「いぃっったぁ〜い………」


「アクロバティックな歓迎ありがとう。そんなのはいいから私にもお茶を頂戴、早く」


 自分の心配はしてくれないのかと涙を浮かべて恨めしそうに見ても、シャロ弄りが大好きなルミアにはご馳走にしか見えないだろう。

 仕方なしに寝転んだまま椅子に座るという不思議な格好のシャロに手を差し伸べ起こしてやり、服についた埃を払ってやるとようやく笑顔を見せた。


「俺達ちょっと他で用事があるからルミアの相手は頼んだよ」

「なっ!?お茶くらい飲んで行けばいいじゃないっ!そんなに急ぎなの?」

「聞きたい事もあるし戻ったらゆっくり話そう。取り敢えずやること終わらせて来るわ」


『一人で置いていかないで』そういう顔をしていたが、説明が面倒だったので救いを求めるように伸ばされた手は見て見ないふりをしてサラの手を取り扉へ向かう。

 背後からはルミアの不気味な笑い声が聞こえていたが、聞こえなかった事にしてそのまま家を出た。


「あの人、良かったの?」

「シャロ?大丈夫大丈夫、ちょっとからかわれるだけだよ。それより早く帰って来てやった方がよっぽどシャロの為になるだろ。ってことで、面倒だから飛ぶぞ」

「えっ?ちょっ、ちょっと!」


 有無を言わさず膝裏に手を滑り込ませて抱き上げると、人通りのない路地から真っ直ぐ上空へと飛び上がる。

 エアロライダーで向かっても良かったのだが、関係ない人に見つかると時間を食う。今回はなるべくなら避けたいが、流石に目的のアレク一人だけに会うというわけには行かないだろうな。




「ねぇ、ちょっと飛び過ぎじゃない?これじゃあ何にも見えませんけどぉ?」

「え!?う、まぁ、そうかもしれないな」


 いくら王女であるサラとはいえ門を通らず侵入すれば不審者として見られてしまう。そこで自分を中心に風の結界を張りバレにくくしておこうと思って調整していたのだが、そっちに気を取られて上昇し過ぎたようで気がつけば雲の中にいた。


「ほら、ここなら二人っきりで誰にも見られないだろ?」

「抜け駆けしたとティナに怒られても知らないんだから……」


 重力に任せて自然に落ちて行く結界の中で口付けをすると、口では否定的な事を言いながらサラの方から舌を絡めて来るのでそれに応えて少しだけ二人の時間を楽しんだ。



 サラの指示で何事も無く無事に降り立った先はアレクの部屋のバルコニーだと言う。

 開け放たれた窓に隠れるようにコソコソと部屋の中を覗くサラには笑えて来るが、その顔は子供のような笑顔でかつてないくらいに楽しそうだ。


「誰もいないみたい」

「そうみたいだな」

「うふふっ、なんだか悪い事してるみたいね」

「う〜ん、サラからしたら自分の家だけど、ちゃんと門から入ってないから不法侵入になるのか?」

「うっそ!」


 二人で隠れてコソコソ話していれば扉が開けられ誰かが入って来る。

 もちろん誰かと言ってもここはアレクの部屋、本人以外が普通に入って来てはそれこそ大問題だ。


 いくつもの書類が束になって所狭しと置かれた重厚感溢れる高そうな机の僅かな隙間に腰掛け、何か考え事でもしているかのようにぼんやりと虚空を見つめていたが、ふとこちらに視線が向けられた。


「誰かいるのかい?」


 俺達が居るのは開け放たれた窓の外、隠れ潜む者にとって風上とは体臭や物音が部屋へと吹き込む風に乗って入り込んでしまう為に不利な立ち位置だ。

 ふとした時に仄かにしか匂わないが、甘い香りのする香水を付けている時点でこの隠れんぼはサラの負けが決まっていたと言えよう。


『バレちゃった』と小さく舌を出して姿を晒そうと立ち上がりかけたサラの肩を捉まえると唇に人差し指を当てて喋るなと合図を送り、鞄から獲物を取り出すと身体強化までして ニッ と口角を吊り上げて見せた。



 窓の外に視線を向けるアレクとは反対の扉側と、奴からしたら正面となる部屋の奥に風魔法で手のひらほどの玉を作る。当然そんな事をすれば感づき、視線を逸らした所で全力ダッシュした。


 同じように二つの風玉を作ったアレクは相殺すべく自分に迫る風玉に向けて放つが、自身に迫る俺への反応は遅い。

 身を屈めて背後から近付き、机の上の書類は乱さないように注意しながら振り返ろうとしたアレクの首元に一本の箸を突き付けると、負けを認めて両手を挙げたのでチョンチョンと突ついてやった。


「チェックメ〜イト。フェイクは戦闘の基本だぜ?これが本物の戦闘ならお前はあの世行きだぞ、次期国王殿。

 でも風魔法への対処は早かったな、護衛が俺を阻止出来れば助かっていたかもしれない。ギリギリ合格点ってところか?」


「そうか、忙しい中言われた通りに訓練は欠かさなかったのだがな。それでもまだまだ修練が足りないようだ、心しておくよ、レイ」


 襲って来たのが誰なのか分かったのは大したものだと普通に褒められると思う。だがアレクを抑えた俺とほぼ同時に、俺の首筋へとクナイと呼ばれる隠蔽性に優れた十センチ程の刃物を当てた女が現れた。


「そんな物を持ってれば本気で仕留める気にはならないよ。けど、チェックはあんたも同じだろ?」


 殺気など微塵もなかった俺に違和感を感じ、これが遊びなのだと判断したのにわざわざ俺達の遊びに参加してきたのは護衛としてのプライドがあったからか?


「そうかい?」


 サラは気付いてない様子だったが、俺達がバルコニーに降り立つ前から監視していたのは知っていた。

 こいつの事を試して見たくなったという理由もありつつアレクに仕掛けたのだが、冷静な判断の出来る良い護衛のようだ。

 だが、リリィには敵わないが俺も割と負けず嫌いな口、わざわざ背中を晒した理由はこいつを誘き寄せる為でもあった。


 風魔法で宙に浮かんでいるアレクに突き付ける箸の片割れを動かし護衛の首筋を撫でてやると、クナイを引っ込めつつ笑い出した護衛役の女。


「クククッ、良いねぇ。良いよ、アンタ、気に入った。あたしは男が好きだけど、その中でも強い男が特に好みなのさ。あんたを見てると身体の芯がゾクゾクするねぇ。どうだい?ちょっと本気でヤリ合ってみないかい?」


「止めとけよ、お前じゃ勝てない」


 アレクから離れて振り向けば、そこに在ったのはこぼれ落ちそうなほどに立派なお胸様。

 褐色の肌で出来た張りのある膨らみは首で結ばれた布に包まれてはいるものの、そのお姿の半分以上を晒しているので底の見えない深い谷間の全てが露わになっている。


「なんだい?アンタも好きだね。そっちの勝負でも負けるつもりはないよ?」


 丸みを帯びた輪郭の顔に赤い瞳の美女は、癖のある長い前髪を横に流しているのが特徴的だ。

 肌の露出の多い服は胸を覆う布を見れば分かる通りで、膝丈の黒いズボンらしき物は太腿を覆いはしているものの半分近くが抜いてあるデザインなのに加えて作られている生地がレースのように透ける素材で出来ており、パンツが見えないかとドキドキするが残念ながらその部分だけは普通の布だった。


 肩より少し上までの金の髪には申し訳程度に小さな白いプリムが乗せてあるので、ただのイケイケのお姉さんではなくコレットさんと同じ護衛メイドなのではと推測する。


「アンナっ、止めなさい!はしたないですよ!」


 隠れるのは止めたサラは ツカツカ と音を立てて足早に寄って来ると、力強く俺の腕を取り『これは私の!』と珍しい主張をし始める。


「何さ、減るものでもあるまいし、少しだけ貸してくれても良くない?」


「少しも良くありませんっ!!」


「良くなくても姫様だけのモノじゃないんだろ?他の娘ともパンパンヤリまくってんだからあたしが借りても同じだろ?一回くらいでなんの文句があるんだ?」


 こんなに力が有ったのかとびっくりするほどに腕を抱きしめるのは構わないが、怒りで拳を握り締めると肩を震わせ始めるサラ。

 かつてないほどの怒りように心配になり顔を覗き込むと、片方の唇の端が耳に届くかと思うほどに吊り上ってヒクヒクしており、それと合わせてこめかみに立つ青筋が痙攣を起こしていた。


「やべっ、からかい過ぎた」


 世界最大の王国サルグレッドは三国戦争の折に他の全ての王国を解体し、今となっては武力、経済力共に他の都市に追随を許さない唯一無二の王国となった。

 世界を統べる国と言っても過言ではない国の頂点に立とうとしている次期国王は、王女と言うには余りにも酷い顔と成り果てた妹を見ても微笑んでいるだけが、どうやらそんな姿ですら彼にとっては可愛いと思えるほどに溺愛しているようだ。



「ア〜〜、ン〜〜、ナぁぁぁっ」



「じ、冗談だよ? ほら、可愛いお顔が台無しだ。落ち着いてっ、落ち着いてっ」


 最早女の言葉などは耳に入っておらず、拳を振り上げたサラは俺の横を飛び出し、ヒラリと身を躱す護衛メイドを追ってアレクの執務机を中心に部屋中を駆け回り始める。



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