28.夢の終焉(前編)
「鞄の用意が出来たそうなのです、テーヴァルのところに行くのです」
クロエさんの眠たげな紅い眼がまっすぐに俺を突き刺す。決して忘れていたわけではない。俺達はこの時が来るのを待っていたはずだった。
しかしそれが告げられた瞬間、ハンマーで頭を殴られたような強い衝撃が走る。この十日余りの楽しかった日々がなんだか夢の中の出来事のような、そんな気がしてしくる。
眠りから覚め、現実へと帰る為の鐘が鳴り響く……
テーヴァルさんは俺が来るのを待っていたようだ。部屋まで案内してくれたクロエさんは俺を残してお茶の用意をしに戻って行く。
「約束の物がようやく出来上がったよ。待たせてしまってすまなかったね」
目の前のテーブルに置かれた小さな皮の鞄はシンプルなデザインで一見すると普通の鞄にしか見えない。しかし蓋を開けると底が見えずに闇が広がっており普通ではないのが一目瞭然だ。
物を入れる時は蓋を開けて中の闇に入れたい物を当てるだけ。出すときは、出したいものを想像しながら手を入れるだけで掴み出せるらしい。でも何を入れたか忘れてしまうと永遠に取り出せなくなるので注意が必要との事だった。
一通りの説明を受けると紅茶を口にする。ここから去ると冒険者の俺には紅茶など飲む機会はほぼほぼ無くなるだろうな。ぼんやりと琥珀色の液体を眺めていればそんな事が頭を過ぎる。
「おや?浮かない顔だね、気に入らなかったかな?」
心配そうな顔で俺を覗き込むテーヴァルさん。
「すみません。鞄は俺好みのシンプルな物ですごく気に入りました、ありがとうございます。ですが俺がこの鞄を手にしたということは、俺達がこの屋敷に居る理由が無くなったという事。なんだか寂しく思えて来ただけです」
ふむ、と顎に手を当てると何かを考えながら座り直した。
「君はこの屋敷に居たいのかい?」
真っ直ぐに見つめてくる銀色の瞳。
どうなのかな?たぶん寂しく思うということはそういう事なのだと思う。
「自分自身、よく分かりません。ただ、俺には俺のやりたい事があります。それに向けて歩いて行かなくてはならないのは解ってる。解っているけど、ここでの日々は余りにも魅力的すぎた。覚めたくない夢から覚めてしまった、そんな気分なのです」
「貴族の世界とは僕も含めた庶民からしたら、おとぎの国のようなものかもしれないね。フカフカのベッドで目覚めるとそこには世話を焼いてくれるメイドがいて、食堂に行けば暖かいご飯がいつでも食べられる。何をするにも不自由は感じず、望むものは与えられる。好きな事をし、好きな時間に眠る。君にはこの家がそんな世界に見えたんだろうね。
だが、考えてもみたまえ。我が主人ランドーア・カミーノは悠々自適に遊んでいただけだろうか?書斎に篭り彼は一体何をしていたのだろう?趣味の読書でもしていたか?では、クレマニー・カミーノはどうだろう?そこにいるクロエ・シンプソンは?」
諭すような喋り方にこの人が何を言いたいか分かった気がした──俺達は子供で、そして客だという事だ。
この貴族の屋敷での子供は、大人に守られ働く事をせずとも何不自由ない暮らしが保障されている。その上俺達はティナお嬢様を助けたとされ、大切なお客様として輪をかけてもてなしを受けていた。
誰しもが楽な方へと逃げようとするのは仕方のない事。当然のようにそれが魅力的に見えており、ただ終わりを惜しんでいたというだけのこと。
俺の理解が及んだ事を見透かすと フッ と優雅に笑い、紅茶のカップに口を付けるテーヴァルさん。
「君はまだ若い。聞くところによるとお嬢様を助けたのは冒険者となって、たったの一週間だったそうだね。自分達の家で時期が来てやっと巣立ったと思ったらもっと良い巣を見つけた、といったところだろうね。
居心地の良い場所から再び飛び立つのは少しばかり勇気がいるのかもしれない。けれども大きく育った小鳥は餌はもらえないんだよ。自分の力で生きる糧を得なければ死んでしまうんだ。その為の強さを手に入れないと、ね?」
おっしゃる通りです。
寄り道は終わり、俺達はこれからなんだ。ここから強くならないといけないんだ。
「ありがとうございます」
優しく背中を押してくれたテーヴァルさん、お礼を言ってから席を立つと彼の暖かい眼差しに見送られて部屋を後にした。
数日を過ごした仮染めの自室部屋に戻ると何故かリリィとアルが居座っていたので丁度良い。俺へと向いた二人の視線に返事を返すようにさっき貰ったばかりの鞄を叩いてアピールをする。
「とうとう完成したのね、おめでとう」
「俺のよりカッコイイじゃないか?交換しろよ」
この野郎、素直におめでとうと言えんのかっ!ニヤニヤするアルはシカトして今後の相談をせねば。
「中古品の返品は出来ません。それでだ、これからどうする?だいぶ日にちも経ってるし、いい加減戻らないとミカ兄に怒られそうだが?」
「そうね、遊んでばかりじゃダメだとは思ってたわ。あーあ楽しかったのになぁ。あと二ヶ月くらいここに居ない?」
やめてー!冗談でも俺の弱いハートがグラグラ揺れるから勘弁だよリリィさんっ!
「二ヶ月の滞在なのです。かしこまったのです」
クロエさんっ!わざとですよね?俺が弱ってるの知っててわざと言ってますよね!?
「私としましては長期滞在でも全然構わないのです。むしろウェルカムなのです」
「じゃあ半年くらい居座りますか〜」
「待てコラっ!帰るぞ、明日帰る!」
「今すぐお帰りなのですね、お帰りはあちらからご自由にどうぞなのです」
腰を直角に曲げ恭しくお辞儀をしながら部屋の扉に向かい手を差し出すクロエさん。明日って言ったはずですが!?今すぐとか鬼かっ、この桃色メイドはっ!
バンッ!
勢いよく開かれた扉の向こう、愕然とした表情で俺達を見回すティナが口に手を当て立ち尽くしていた。
「レ、レイさんっ、いまっ!……今、明日帰ると言いましたか?」
大きく見開かれた薄紅色の瞳が涙に濡れていく。表情もみるみる崩れ、今にも泣き出しそうだ。別れを惜しんでくれているのがよく分かる。
俺もティナと離れるのは辛い。だが明日を逃すと、このままダラダラと居座り続けてしまうだろう。それではダメだとさっき叱ってもらったばかり、テーヴァルさんの好意を無駄にする訳にもいかない。
「ティナ、俺達は明日ここを出てベルカイムに戻る。俺もティナと別れるのは辛いけど、たった四日の距離だ。会おうと思えばすぐに会えるよ」
薄紅色の瞳にみるみる涙が溜まり、溢れ出た滴がティナの頬を濡らす。俯き嗚咽を漏らす姿にどうしていいか分からず、ゆっくり近寄り頬に手を当てた。
ビクッ! としたものの涙でくしゃくしゃになった顔を上げて俺を見て来る、こんな時なんて言えばいいんだろう。かける言葉も分からず、ただティナの濡れた瞳を見つめていればか細い拳が俺の胸を叩く。
「どうして帰るの!?ここでだって冒険者は出来るわっ!ベルカイムじゃなくったって、ここで冒険者すればいいじゃないっ!……お願い、ウチに居てよ」
「ミカ兄が俺達の帰りを待ってる。ミカ兄がベルカイムを拠点にしている以上ベルカイムに帰らないといけない、此処には居られないんだ」
悲痛な面持ちでフルフルと首を横に振り俺の意思を否定しようとする。けど、これは譲れないところなんだ。ごめん、ティナ。
俺の胸に顔を埋め、離さないとばかりに抱き付いて泣きじゃくるティナにそっと手を回して抱きしめ返す。
「私、レイさんの事が、好きなのっ……好きで好きでたまらないの……離れたくないっ!お願い……側に居てよ……お願いよ……」
メラニーさんの時とは違う強い想いの篭った言葉が胸を打つ。
ティナとならもっと深い仲になりたいとは思う。だが、身分違いの俺達がハッピーエンドを迎える事はないだろう。ティナを抱きしめる腕に思いを乗せて少し力を込め、小さなティナの存在をもっと強く感じる。
「俺もティナが好きだよ……でも、俺にはやりたい事があるんだ。俺は冒険者として、もっと強くなりたい。あの洞窟から逃げ出したとき、正直俺はもうダメだと思った。けれど結果としてミカ兄が来て助けてくれた。
俺は全然弱いんだ。だからティナを、弱い人を助ける事が今の俺には出来ない。それが悔しい。だから、俺は困っている人を助けられるようにもっともっと強くなりたいんだ。あの日のティナを俺自身が助けられるように、ティナみたいな酷い目に遭う子を救ってあげられるように……だから、俺は行くよ」
俺の足りない言葉でどれだけの思いが彼女に伝わっただろうか?ただ俺の腕の中で泣きじゃくるティナはとてもか弱く感じ、このままここで守っていてあげたくなる。
でもきっとこのままではお互いに良くないような気がする。俺は俺で強くならなくちゃいけないが、ティナもティナなりに強く生きて行かなければならないと思う。
旅立ちは明日と決めた。だから今はこのままティナを感じていよう。今日だけは……
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