黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

父と娘

 その時の俺は彼女を抱え、必死になって名前を叫び続けていた。


 腹から流れ出る暖かな水、彼女の生命とも言える赤い液体は俺の腿を伝い地面に吸われ消えて行く。 その生暖かい感触は十年以上経った今でも鮮明な記憶として残っており、目を瞑れば当時の様子が克明に思い起こされる。


 俺のために身を呈した彼女は、致命傷となる深い傷を負い、どれだけ声を枯らそうとも返事はなかった。



 すべては力を得たばかりの慢心が招いた結果、傲りは過信を生み、慎重な判断を退ける。



 『たら、れば』を考え過ぎるのは良くない事ではあるものの、次に失敗しない為の反省をするには良い糧となる。

 しかしその代償として最愛の妻を失うのは、愚かを通り越して痴れ者としか言いようがないだろう。一番大切なモノを差し出して己が成長出来たとて一体、何が残るというのか……


 妻とは長き人生を歩んで行くためのパートナー。互いに寄り添い、支え合って生きて行くために契りを交わした最も大切にするべき人物だ。その人をないがしろにしておいて自分だけのうのうと生きる、改めて思うが最低な男だな、俺。




「ちょっと!連れて来ておいて勝手にフラフラ歩かないでよっ。私が変な輩に襲われたらどうするつもりなの!?」


「ごめんごめん、少しだけ昔を思い出しててさ」


 当時の面影など残さずすっかり復興したゾルタインの町。アレ以来、苦い思い出の地には足を踏み入れる勇気がなかったのだが、買い物との口実で俺の大切な人を道連れにやってきた。


 己の愚かさを噛み締めていた俺の前で仁王立ちするのは、太陽に輝く金髪を揺らした金眼の美少女。

 背は高くないものの道行く者が二度見するような人目を惹くプロポーション、今年十五になる彼女は立派な大人へと成長していた。


「けどさ、俺から一本取ったご褒美でここまで来たんだから、この町にいる奴に襲われた程度じゃ返り討ちが関の山だろ?」


「それは、その……そうかもしれないけどさっ!それでも実の娘が暴漢に襲われたらとか心配にならないわけ!?」


 うんうん、怒った顔も可愛いよ?ほら、鼻の下を伸ばした奴らが遠巻きに眺めてる。でも大丈夫、ちゃんと魔力探知で君の周囲百メートルの人の動きは全て把握してるから。

 もし……もしも、少しでもおかしな動きをしようものなら、お父さんの素晴らしい魔法でお灸を据えて二度と変な気を……。


「痛いって!いきなりなんだよぉ」

「何だ、じゃないでしょ?また変な妄想して……自分で言っといてアレだけど、暴漢なんて簡単に処理出来るし、そろそろ過保護、止めてくれないかな?」


 いや、そうだけどね……そうなんだけどね?そうは言われてもやっぱり心配じゃん?


「お父さんのおかげでナンパはされないわ、せっかく話しかけられても何故か逃げるように去って行く。

 王宮に来る男なんてお父さんとコネを持ちたくて寄ってくる奴しかいないし、このままじゃ私、行き遅れになっちゃうよ?」


「大丈夫、貰い手がつかなかったらお父さんのお嫁さんに……」

「実の娘を嫁にするアホがどこにいるのよっ!」

「そ、そんなっ!昔はあれほど『将来は父様のお嫁さんになる』って言ってたのにっ」

「小さい子の幻想と現実をゴッチャにすんなっ!」


 肩で息をする美少女、うーん、それだけで絵になるなぁ。おまけに頭に生える三角の耳が可愛さを増し増しにしている。


 彼女が人目を惹く理由は見目麗しい娘、という事に加えて未だ物珍しさが消えない獣人なのもある。

 人間と獣人、そして魔族が共存するようになり徐々に人目に触れることの多くなった彼女達だが、調停する側の目の届かぬところでは粗末な扱いを受けることもあると耳にしている。


 全ての祖は同じ人間、今を生きる対等な仲間として認められる日が少しでも早く来ることを願うばかりだ。


「えーっ、俺は本気だったのになぁ」

「私は八番目なんて嫌、一番に愛してくれる人としか結婚しませんよーだっ」

「何言ってんの?一番愛してるに決まってるだろ?」

「じゃあお母さんは?お父さんはお母さんより私を愛してるって言うの?」

「俺は皆を平等に愛すると誓って結婚したんだ、もし順位を付けるとすればお母さんもお前も一番なんだよ」


 これ見よがしな溜息を吐く愛娘だが、そんな姿でさえ可愛いと感じる俺は親バカなのだろう。だが愛しき人が産んでくれた愛しき者、自分の子供のことを大切に思わない者など居はしない。

 そんな彼女ももうお年頃、良い人に出会い恋に落ちる頃合いなのだ。この娘が幸せになってくれれば……あ、やべ。男連れてきた事を想像したら腹の底からドス黒いモノが!ヤバイヤバイ!苛々してきたぞ!


「ただでさえ世界で一番強くて一番カッコいい男が父親だから他の男が霞んで見えるっていうのに、浮ついたこと言われたら本当に行き遅れちゃうでしょ?」

「えっ!お父様と結婚したいって言った!?」


「言っとらんわ!!!」


 一撃で消え去る黒い感情、この娘との触れ合いは俺の癒しだ。


 国の舵取りという未だ慣れない仕事を押し付けられて早十年、こうして王宮を抜け出し日頃のストレスを発散するのもたまにはいいだろう。

 だがこの町に来たのは過去をより鮮明に焼き付け道を違えないよう気を引き締めるため。あの時の失敗は最愛の人を失うという俺だけの問題であったが、今の俺が舵を間違った方向に切ってしまえば “国民の幸せ” というとてつもない大きなモノを奪ってしまう可能性がある。


 皆の努力で作り上げてきた幸せを俺が潰すわけにはいかないのだ。


「まぁまぁ、その話はおいおい深めるとして、取り敢えず飯食おうぜ?」

「これ以上深まらないから!これで終わりだからっ!」


 怒ってないくせに怒り続ける娘の腰に手を回し、恋人のように寄り添い歩き始める。

 道の真ん中で漫才のような掛け合いをしてれば注目したくもなったのだろう、向けられる視線は多かったがそんなものは気にしていられない。なんたって今の俺は王様、見られることには流石に慣れた。


「ちょっ、今!私の胸触ったでしょ!?」

「えー、触ってないけど、そういう冤罪ふっかけるなら本当に触っておこう」

「うそ!?ばかっ、こんな所でやめてよ!帰ったらお母さんに言いつけてやるんだからっ!」

「うんうん、分かった分かった。家に帰ったらいっぱい触ってあげるからね」

「違う!そうじゃないでしょっ!誤解を招く事を堂々と言わないで!!!」


 娘とのスキンシップほど幸せな時間は他にない。この些細な幸せを永遠に守っていけるように明日からより一層頑張ることにしよう。

 でも今は……大好きな娘と大好きな唐揚げを食べに行く!




 この物語はこの俺レイシュア・ハーキースの軌跡。田舎の村に産まれて冒険者となり、国王に祭り上げられるまでの長い長い冒険譚だ。



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