序章 旅の始まりは波乱と共に

0.闇に囚われた天使

 暗い……真っ暗だ。



 気がつくと僕は、深い闇の中に居た。

そこは見渡す限り何も無い、ただ闇だけが拡がる場所。


 真っ暗闇の中に一人きり。でも、不思議なことに怖くはない。



 ここはどこだろう?



 どうしたものかと再び見回すと、灯りのような光がぼんやりと見える。 あれ?さっきはなかったような……

 何はともあれ唯一の目標。夜闇に揺らめく炎に集まる虫の如く、吸い寄せられるようにして歩き始める。



 あれは……なに?



 どのくらいの時間そうしていただろう?灯りに向かって黙々と進んで行けば、徐々に強さを増してくる光。更に近付けば、黒い霧に隠されていた途方もなく大きな光る木が聳え立っているのがハッキリしてくる。


 村の森にも木は沢山あるけれど、こんなにも大きな木など初めて見た。

 それに、光る木! アルやリリィに教えたらきっと驚くぞっ!


 高揚した気持ちを受け動きを早める僕の足。気が付けば、地面との境目など分からない暗闇を蹴りつけ駆け出していた。


 幼馴染と始めた修行ではすぐに足が重たくなるのに、全力で走り続ける今は少しも辛くない。息が切れるどころか疲れた感じすらしない、不思議には思いながらも止まることのない足。

 そうこうしている内に視界の全てを埋め尽くした巨木は既に壁と化し、根元まで辿り着いてみれば、これが根なのかすら分からなくなる。


「大きい……」


 全身から淡く優しい光を放つ巨木は真っ直ぐな幹を天まで伸ばし、その枝葉は闇に霞んで見えやしない。

 森に生える一般的な木より更に高い位置から枝分かれする極太の根っこ。小ぶりな山を築く様に拡がるそれは一本一本が家よりも太く、無数に枝分かれし複雑に絡み合いながら黒い地面へと吸い込まれている。


 あまりの凄さに全てを忘れ、見たこともない壮大な姿に魅入っていた。




 見上げ過ぎて首が痛くなりかけた頃、根っこの奥の方から感じる妙な違和感。


 誰か……居る?


 確かに感じる人の気配に誘われ吸い寄せられるように近付けば、両手を拡げても到底届かない大きさの洞窟のような穴がある。恐らく根は光を放っていないのだろう、幹から降り注ぐ光の届かない根と根の隙間は真っ黒な闇に覆われていた。

 入り口には他とは明らかに違う細い蔓のような根が何本も垂れ下がり、僕が穴に入るのを拒んでいるような感じがする。


 それはあたかも、木で造られた檻のよう。


「ねぇ、誰か居るの?」


 行く手を塞ぐ鉄格子のような根に掴まり中を覗き込む。目を凝らしてみるものの光の無い洞窟の奥は少し先ですら暗くて何も見えず、僕の声にも返事が無い。


 これが無ければ……


 無理矢理通ろうと身体を差し込むが、手足だけならまだしもそこから先は入り込めない。余裕で握れるほどの細い根に『もしかしたら簡単に壊せるかも知れない』と思い、目一杯の力を込めて拡げようと試みた。



「ふぬぬぬぬぬっ!」



 まるで本物の鉄のようにびくともしない木製の鉄格子。押して駄目なら引いてみろと、蹴ったり叩いたり噛み付いてみたりもしたのだが、息が切れるほどにあらぬ限りの力を振り絞ろうとも僕の力では動く気配がカケラもない。


 おかしいなぁ、確かこの中に居る気がしたんだけど……



「……だれ?」



 不意に聞こえた消え入りそうな声。

心の奥底まで染み込み身体の隅々まで響き渡る音色は心地の良い鈴の音のようであり、耳障りの良い透明感のある声は一度聞いたら忘れられない不思議な魅力を持っていた。


 端的に言えば “綺麗な声” 


 その声の持ち主は僕の凝視する暗闇の奥からゆっくりと姿を現す。


 金色の縁取り刺繍の入った清潔感のある白い服。そこから覗くのは、一度も陽に当たった事が無いのではないかというほどに真っ白い肌だった。

 少しだけ波打つ金の髪は膝まで届くほどに長く、人形の様に整った顔には碧く澄んだ宝石のような瞳。優しそうな丸い目は見ていると吸い込まれるような感じさえしてきて僕の目を釘付けにする。


「あ、えっと……そのぉ……」


 少し手を伸ばせば届いてしまうほど近くまで来てようやく歩みを止める少女。見た事がないほど綺麗な容姿に心が奪われ、咄嗟に言葉が出てこない。

 今まで意識した事がなかった “女の子” として認識してしまい ドキドキ と鼓動が高鳴るのが自分でもよく分かる。だが、そんな僕の気持ちを知らない彼女は不思議そうな顔で小首を傾げ、僕が返事をするのを待っている。


「ぼ、ぼ、ぼ、僕の名前はレイシュア。

あの……君は?」


 意を決して声を絞り出すと作り物の様に表情の無かった彼女の顔が パァッ と音が聞こえるかのように明るくなる。両の掌を胸の前で合わせてにこやかに微笑めば可愛さが二倍にも三倍にも感じられて顔が熱を帯び、早まる鼓動が激しさを増す。


「そう!あなたがレイシュアなのねっ。私はエルシィよ」


「僕のこと知ってるの!?」


 一度見たら忘れようとしても忘れられないほどに可愛い女の子。だから断言出来る、今会うのが初めてのはずだ──にも関わらず僕の事を知っていたかのような彼女の言い回し。近隣とすら交流のない極々小さな田舎の村、そこに住む僕にとっては疑問にしか思えない発言だった。


「ええ知ってるわ。だって私はずっと貴方を待っていたんですもの」


 待っていたの意味が理解出来ずに首を傾げる僕。だがエルシィは満面の笑みを携え、身体の中まで透けてしまいそうな碧い綺麗な目で見つめてくる。

 その意味を尋ねようとすれば、耳を疑うような言葉が可愛らしいエルシィの唇から紡がれる。


「私ね、ずっとここに閉じ込められてるのよ」


 閉じ込められてるって、誰に?悪い奴に捕まっちゃったの!?それなら助けなきゃ!!


 その言葉は衝撃だった。

こんな真っ暗で何も無く、誰もいない所に一人きり……僕ならきっと泣き叫んで助けを求めることだろう。


「でもね、夢を見たの。大人になったレイシュアが、私をここから出してくれる夢を!」


 大人になった……僕?それは一体いつの話なのだろう?僕はまだ五才になったばかり……当然大人になるのはまだ大分先の話。それまでこの子はずっとこのままここに居るつもりなのだろうか?僕と年の変わらないこの子はこんな所に一人きりで寂しくはないのだろうか?


「僕が大人になったらって……それまでエルシィはここから出られないの?」


 さっき檻を壊そうとして失敗したばかり。他に誰もいない事を思えば今エルシィを助け出すのは無理だと理解できる。 僕にもっと凄い力が、こんな檻など簡単に壊せるくらいの力があれば……そうすれば、こんなところに居なくてもすむのに……。


 今までも、そしてこれからも、ずっと一人ぼっちでいるエルシィが可愛そうに思えてきて、急速に沈んでいく気持ちと共に僕の視線は黒い地面へと落ちていく。


「そうね、きっと今はまだ、出られないと思う。でも大丈夫!もう少しの辛抱だものっ。それまでここで大人しく待ってるわ。

 だから……」


 悔しさと申し訳なさで格子を握りしめる僕の手、それを柔らかな感触が優しく包み込んだ。ハッ!と視線をあげればすぐ目の前にある満面の笑顔。


 エルシィが僕の手に触れている……


 たったそれだけの事で暗い気持ちなど吹き飛んでしまい、思い出したかのように鼓動が早くなり、火が出るかと思うくらいに顔が熱くなったのを感じる。



 すごく、すごく、ものすっごく可愛い!!



「だから、大人になったら必ず迎えに来てね。約束よ?」


 引き寄せられていく自分の手を他人事のように眺めていると、到着した先はエルシィのツルスベほっぺ。彼女の手と柔らかな頬とでサンドイッチされた僕の手がエルシィの顔を包み込む。


 目を瞑ったまま動かない彼女はどこか嬉しそうで、されるがままの僕も母さんのほっぺに触れた時に感じる安心感とは違う、心が暖かくなるようなほんわかとした心地良さを覚えてずっとこうしていたい思いに駆られる。


「うん、必ず迎えにくるよ。必ず君を……」


 こんな檻など簡単に壊せるような凄い力を手に入れてやる……なるべく早く!


 強くなる決意を胸に固めると同時、両の目が再び開かれ透き通るような碧眼が顔を覗かせた。

 こんな場所に一人きりで待たせる彼女を少しでも勇気付けようと口を開きかけたとき、強烈な目眩が襲いかかり格子にもたれかかる。


「約束よ?レイシュア」


 朦朧とする意識の片隅、膝が地面に打つかる感触と共に聞こえた気のするエルシィの穏やかな声。

 だがその直後、聞き返す間も無く僕の意識は完全に闇に飲まれ……消えてしまった。


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