幕間②──木漏れ日の下で

 碧く澄んだ水を溜め込んだ湖の対岸、鬱蒼と茂る森の方から優しい風がやってくる。

 暖かな日差しが降り注ぐ午後、小さな丘の上に立つ大きな樹の影で横になっていると程良い木漏れ日が降り注ぎとても心地良い。


 何も考える事なく微風に揺れる葉っぱを眺めていれば全身の力が自然に抜けて瞼が降りてくる。梢から聞こえる小鳥達の軽やかな歌声が、俺の荒んだ心を癒してくれる。


 平和とはまさにこの事なのだろう。日常の喧騒を忘れ自然に身を任せていると、永遠にこの時が続けばいいのに……そんな思いに駆られる。

 怒りも、絶望も、憎しみも、悲しみさえも無い世界はどんなに素敵なことだろう。



 寝転ぶ俺に近づいてくる足音、この歩き方はたぶん彼女だろう。近くまでやって来たかと思ったら急に足音が消える、寝てるから気が付いていないと思っているのだろうな。


 少しすると瞼越しに影が指した。


「ばぁっ!」


 聞き慣れた声に目を開ければ、ふわふわの絹糸のように細い金の髪を垂らし中腰で覗き込んでいる、満面の笑顔のリリィがそこに居た。

 手のひらを大きく広げて両頬にくっ付けている。なんのつもりだか分からないが可愛らしい。


「なぁんだ、気が付いてたの?つまんないっ」


 悪戯の失敗に気が付くと、太陽のように眩しい笑顔に少しだけ残念そうな色を浮かべる。

 白く細い指で垂れ下がる髪をすくい耳にかける仕草は思わず目を見張るほど美しく、俺の鼓動を跳ね上げた。


「何してたの?」


 隣に腰を下ろすと、輝くルビーのような薔薇色の瞳で柔らかな視線を向けてくる。

 木漏れ日に照らされるリリィは物語の中のお姫様のように美しく、それに見惚れているとどんどん鼓動が加速して行く──どうしたんだろ?子供の頃からずっと毎日顔を合わせているはずなのに、こんなことは初めてだった。


「別に……昼寝してただけだよ」


 自分の気持ちを隠すため素っ気なく答えたが、高鳴る鼓動が抑えきれず声が上擦ってしまう。思いを悟られぬよう、何気ない言葉を吐き出し呼吸を整えようと試みる。


「そっちこそ、こんな所に来てどうした?今日は買い物に行くって言ってなかったか?」

「何かめぼしい物見当たらなくってさ、すぐ帰ってきちゃったの。それで気分転換に散歩」


 湖から駆け上る微風に吹かれ、顔に掛かった髪を左手でかきあげる彼女。その仕草にまたしても目を奪われ見惚れていると、可愛らしい耳にサクランボのピアスがぶら下がっているのが見えた。美しい金色の髪に紛れる真っ赤なピアス、瞳とお揃いの色で良く似合ってる。


「それ、今日買ったヤツだろ?気に入った物、あったんじゃんか」


 意外そうな キョトン とした顔。最近ハマっている街履きの靴を探しに行って思わぬ物を見つけて来たんだろうな。


「よく気が付いたわね。可愛いでしょ?これ」

「ああ、似合ってるよ」


 俺が気が付いたのって……そんなに意外か?

女性の変化に敏感、ではないが、鈍感でもないつもりだぞ?つもりな、つもり。

 でも鈍感って思われているなら、たぶんそういうことなんだろう。


「ここ、良い場所ね。私もお昼寝しようかな」


 すぐ隣で寝転ぶと、大きく息を吐きだし動かなくなった。瞳を閉じ木漏れ日を浴びながら横になる姿は、さながら眠り姫のようだ。


「何かあったのか?」


 その様子に違和感を感じ、横顔に聞いてみる。


「大丈夫……なんでもないわ」


 目を瞑ったまま答えるが、ほんの一瞬だけ表情に陰りが見えた。だが、彼女が口にしない以上、そこから先には踏み込まないのが礼儀なのだろう。



 二人並んで寝転び、束の間の平和な一時を満喫する。彼女の悩みは何かと想いを巡らせるも答えに行き着くはずもない。

 そっと横顔を覗くと新しいピアスが光を蓄え仄かに紅い輝きを放っていた。


 ふと思考の迷走が止まり別の答えへと辿り着く。


 彼女はピアスに出会えたことには満足している。でも、ピアスと出会えたという “幸運” は、靴が買えなかったという “不幸” がなければ訪れなかったはずだ。

 つまり、“不幸” があるからこそ “幸運” が訪れるということか?そう考えると世知辛いこの世界も案外悪くないように思えてくる。



怒りを覚えるから、笑うことができる

絶望するから、希望が持てる

憎むことがあるから、慈しむことができる

悲しいことがあるから、喜ぶことができる



 勿論、負の感情など少なければ少ない方が良いだろう。けど、負の感情が無ければ同時に、正の感情も無くなってしまうのではないだろうか。感情の無い人などもはや人とは呼べないモノになってしまう気がする。

 そんな考えに辿り着くと、これからの旅路の中で待ち構えているであろう様々な困難に立ち向かう勇気が湧いて来る。


 でも今は、この安らかで幸せなひとときを満喫しよう。明日からまた、大切な仲間の手を取り共に歩んで行くために。


 ふとリリィを想い、考える。


 感情の起伏の激しい彼女は、俺より落ち込んだり悲しんだりする。でもその分嬉しいこと楽しいことがあった時には、俺が感じるよりも遥かに多くその感情を感じているんじゃないだろうか?だとすればお得な人生を歩んでるなぁ、なんて思ったりした。


「リリィ、晩飯何食べたい?」


 反応が無い……あれ?寝ちゃったか?


 起き上がり顔を覗き込むと、無防備な寝顔を晒している。本当に寝てしまったみたいだ。


 ぷっくりした見るからに柔らかそうな頬っぺを指で ツンツン してみる。

 案の定 プニプニ とした柔らかい感触、楽しくなり調子に乗って突ついていると

「……ん……レイ」

名前を呼ばれて ドキッ とする。


 このままかわいい寝顔を見ているのも良いが、そろそろ戻らないと夕食の時間が遅くなってしまうので他の奴らに何を言われるか分からない。


「こら、起きろーっ」


 頬っぺたを両手でつまみ引っ張ってやった。マシュマロのように柔らかく スベスベ の肌はいつまでも触ってたいと思える。目が覚め俺を睨みつけて来るので プニプニ 頬っぺを ムニムニ と揉んでやる。


「あにすんのよぉ」


 抗議の言葉も俺の頬っぺたムニムニ攻撃の為はっきり喋れていない。


「そろそろ戻らないと夜飯遅くなるけど、今日は何食べたい?」


 少し考えた素振りを見せたかと思ったら、ここぞとばかりにひたすら ムニムニ していた俺の手を叩いて退かす。


「何でも良いの?」


 小首を傾げて考える仕草が可愛らしくほっこりしてしまう。

 答えが見つかった彼女は、右手の人差し指をピンと立てた。


「さっき買い物行った時に良さげなご飯屋さん見つけたの、ソコ行って見ない?」

「あぁいいぜ、そこにしよう」


 もっと二人の時間を満喫したかったが早々に諦め、重い腰を持ち上げ立ち上がると手を差し出した。


「じゃあ、行きますかっ」


 手を引いた直後にバランスを崩すリリィ、咄嗟に伸びた逆の手が腰へと回り、地面に吸い寄せられる彼女を抱き留めた。ダンスの決めポーズのように覆い被さる形、さながら王子様がお姫様にキスをするシーンのよう。

 すぐ目の前ある薔薇色の瞳には俺が写っている、だがその奥に居座るのは一体誰なんだろう……アルか?それとも別の男なのか?


 自分の心に嫉妬の風が渦巻いたことに驚いてしまう。生まれてから十五年、ほぼ毎日顔を合わせていたにも関わらずさっきまで女性として意識した事などなかったというのに……今は自分一人だけのモノにしたいと感じてる。


 このままリリィの全てを奪ってしまいたい。

細く柔らかな美しい髪も、煌めく薔薇色の瞳も、白くて柔らかな肌も、魅惑的な桃色の唇も。

 ぜんぶぜんぶ奪い去ってしまえたのなら……この欲望を満たせたのなら……。


 邪な葛藤を胸に腕の中に閉じ込めていれば白い肌がみるみるうちに赤色に染まって行く。その状況に耐え切れなくなったのか、身を捩り逃げて行くリリィ。


「大丈夫か?」


 一歩離れた所で明後日の方向を向き、わたわたと慌ててる普段からは想像も出来ない彼女。背後から抱きしめたくなる衝動を抑え、今は堪える。あと一歩でも踏み込めば歯止めが効かなくなりそうなので、一息吐いて心を落ち着けた。


 異性として意識したのはつい先程、嫌なら嫌とハッキリ言う彼女が何も言わないって事は満更でもないらしい。

 でもこの先に進むのはもっとじっくり好きになってからでも遅くはないだろう。付き合ってもいないのに押し倒す野獣になるのは俺の矜持が許さない。


 遠くを見つめるリリィの背後、無防備な脇に手を入れ肌を堪能する。これくらいのスキンシップ、いいよな?


「ひゃぅっ!ちょっ、ちょっと……あははははっ、やめ、やめてぇ。あは、あはははっ、くす……ぐったい、から、うはぁっ。やめてぇぇぇ!」


 肌と反応を楽しむ至福のひととき。だがやり過ぎれば逆ギレされるだけなので名残惜しくもすぐに解放する、余は満足じゃ。


「くすぐったいじゃないのっ!」


 素早く身を翻して睨み付けてくる。頬を膨らます仕草がなんとも言えず可愛いらしい、病みつきになっちゃうぞ?


「くすぐってるんだから、くすぐったがってくれないと困る」


 腰に手を当てドヤ顔の俺、それに呆れた表情を返すリリィ。


「さっきのお返しだ」

「さっき?」


 キョトンとし小首を傾げる姿はやはり可愛い、さっきの勢いでキスしなかった事を少しだけ後悔した。


「俺が寝てる時に驚かそうとしただろ?」

「あぁ……今頃!?ってか、あれ未遂で終わったじゃない」


「遊んでないで行くぞ」


 苦笑いに笑顔を返し何はともあれ歩き始める。


「あっ、ちょっと。待ってよぉ」


 髪を揺らし慌てて横に並んだリリィの小さな手、それを握れば再び頬を染める。

 気の強いいつものリリィらしくなく、女の子を感じさせる様子が嬉しくなって、いつもなら揶揄うところを敢えて口には出さず気付かぬフリをする。


「どんな飯屋なんだ?」

「えっ!?ん、んとね……」


 慌てる様子は予想出来ていた。だが、口籠もったのを不思議に思い横を見ると、笑顔でウインクしながら人差し指を桃色の唇に当てている。


「着いてからのお楽しみっ!」

「なんだそりゃ」


 この平和な一時がいつまでも続くようにと願いつつ、新しく発見した想いを繋いだ手の中に握り締め、みんなが待つ町へとゆっくりと歩いて行った。


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