22.ワールドオブリリィ①薔薇色の扉
跪き、死人のようにやつれた頬にそっと手を触れてみれば、柔らかく プニプニ としていたあの肌が嘘のように感じられる。食い意地が張っていてよく汚していた口の周りも張りが無く、魅惑的だった桃色の唇も今は色を失っている。
「リリィ、今迎えに行ってやるからな」
彼女の心を取り戻す事を改めて強く決意すると隣に立つサラを見上げて頷き合った。
するとリリィの体が僅かにだけ浮き上がったかと思いきや滑るかのように移動し寝ている場所を変える。
「リリィと同じように魔法陣の中心に頭を向けて横になりなさい」
言われた通りに俺とサラとリリィとで等間隔に寝転び、両手を伸ばして二人と繋がる。
サラも左手は俺と、右手はリリィと手を繋ぎ、三人で寝転びながら輪を作った。
「この魔法陣は身体の代謝を抑える効果もあるわ。時間がかかっても肉体は死にはしない、だからリリィを必ず連れ戻しなさい。いい?必ずよ」
膨らんだルミアの魔力が一瞬にして魔法陣に飲まれると柔らかな淡い光を放っていた文字が光を強める。
背中に感じる暖かな力。その力が全身を包み込めば人肌のお湯に身を浸すような心地良い感覚を覚えて心が鎮まっていく。
「期待してるわよ」
声を合図に強まる光、思わず目を閉じれば急速に意識が遠退いて行った。
▲▼▲▼
瞼の裏には魔法陣の光が焼き付いていた。だが暫くするとそれも収まり真っ暗になる。
目を開けても暗さは変わらず、先ほど居た地下室とは違う場所だとは理解できる。
床に描かれていた魔法陣も消え去り、辺りは暗闇だけが存在する場所。見覚えのある場所のような気もするがそれが何処だったのか思い出せず、まぁいいかと諦めた時にようやく隣に居たはずの二人が居ないことに気が付いた。
「サラ?居ないの?サラっ!」
暗闇に響くのは俺の声のみで、リリィの心の中に入ったのだから彼女が居ないのは分かるがサラまで居ないのはおかしく思えるものの返事がない。
手助けをしてくれるはずのサラが居ないうえに真っ暗で何も見えないのは不安だ。どうしようかと悩んでいれば何処かから人の声が微かに聞こえてくる。注意深く耳を澄ますと……俺の名を呼んでいる?
「サラ〜?俺は此処だよっ!何処にいるの?」
「ここよ!ここっ!」
大声を張り上げ再び耳を澄ますと、かなり小さいながらもサラの声が聞こえてくる。だが辺りを見回そうともそれらしき人影は見えない。
声の感じからして少し距離がありそう。暗くて見えないだけかと思い、覚えたての光魔法を使ってみようと試みるが魔力が集まる気配が無かった。
ここはリリィの心の中、つまりは精神世界なので魔力を生み出す肉体の無いこの場所では魔法を使う事が出来ないようだ。
「サラぁ、どこぉ?」
仕方なく再び呼びかけると「ここだってばっ!」と返事が返ってくる。
何故怒り気味なのかと多少イラつくが、サラの言葉からは俺が見えていて俺だけがサラを見つけられていないように感じた。
すると俺のブーツに ポンポン と何かが叩いているような小さな衝撃が来る。
釣られて見下ろせば悲鳴と共にうずくまる銀の髪をした小さな人形のような物。目を疑ったが確実に動いていたそれは生き物である事は確実だ。
「ちょっ、待って!ダメー!!」
しゃがみ込んで分かったのは服を着ていないということ。体を隠すようにうずくまった人形が顔をあげると、それこそがサラだった。
「え!?サラ……なのか?」
手のひらサイズの人形のような小ささに驚きはするものの、心細さすら覚える暗闇でのようやくの再会。
「きゃーーっ!いやっ!やめてやめて駄目ーーっ!ちょっ、ちょっと待ってよ!!待ってったらっ、いやーーーっ!!!!」
一先ず確保と手を伸ばせば、そんな喜びを無に返すかのように激しい抗議の声。
小さな声だが必死の様子に理由を考えてみると、このまま持ち上げてしまえば服を着ていなので全てが丸見えになってしまうからなのだろう。
気が利かなかった事に心の中でゴメンと告げると、それが伝わったかのように涙目で見上げてくる。
ポケットからハンカチを取り出しかけてやれば、それをマントのようにして羽織る。
小さなサラが乗りやすいように地面に手を置き彼女を待つと、片手でハンカチマントを押さえながらもう片方の手で俺の親指を掴み「よいしょっと」と声を出しながら手に乗って来る。
その様子を眺めていると足を上げた際にハンカチマントから白い太腿が顔を覗かせ、思わず「おぉっ!」と心の中で歓喜が漏れ出す。
すると真っ赤になった顔を膨らませて俺を睨んでくるではないか。まるで俺の心を詠むルミアのように心の声がダダ漏れ……いや待てよ、ここは精神世界、サラはこうなると説明していたではないか。『そういうことか?』と心の中でサラに尋ねてみると コクコク と頷いているが一つの疑問が浮かんでくる。
──なんでサラは俺の心の声が聞こえるのに俺はサラの心の声が聞こえないんだ?
「多分リリィさんの心の中に入る際の私達の割合の問題なんじゃないかな?一人の心に何人も入り込むのは拒絶される危険性があるから一人分の精神の枠を二人で分けた。それが説得役のレイが九割で案内役の私が残りの一割って感じになってるんじゃないのかな?だから私がこんなに小さいんだと思うわ。
ねぇレイ、私が裸なのも貴方の所為だと思うんだけど、私の事、そんな目で見てたの?」
え?どゆこと?特にそういう妄想をしたことはないけどなぁ……まぁ、さっきの太腿は眩しかった!ってこんな事考えてるとまた怒られるか。
案の定またぷぅっと頬を膨らませるので心が詠まれるって不便だななんて思ったりもした。って、それもダダ漏れなのか!?
「もぅいいわっ。レイ、たぶん貴方がイメージすれば私は服を着られると思うの。服を着た私を想像してみてくれる?」
サラの服をイメージする?んーいつも着てる服はこんな感じだったかなと思い出してみる。
ハンカチマントの中を覗き微笑みを浮かべたサラ、するとおもむろにハンカチマントを開くのでドキリとさせられた。しかしそこに在ったのは俺のイメージ通りのいつもの格好、ってことはだよ……俺の想像した通りのサラになるってことなのか?
「ちょ、ちょっと……悪戯はやめてよ?ねぇ、聞いてる、ねぇ……ねぇ、レイってばっ」
イメージ、イメージ、俺の得意分野だな。魔法もイメージが重要、一緒だな。
──フフフッ、よし、見てろよ?
サラの姿が俺のイメージ通りにパッと変わる。
海で見た白い涼しげなワンピースに同じく白い帽子、大きなの花のついた可愛いミュールを履いたサラに大変身だっ。
──こ、これは……楽しいかもしれない!
「ちょっとぉ、私で遊ばないでもらえませんかぁ?」
「え?ダメ?次が本番なんだけど、もう一回だけならいい?」
「ねぇ、レイが考えてる事分かるってもう忘れたの?」
「じゃあオッケーだよな?なっ?」
「もぉ……恥ずかしいんですけどぉ?」
照れる素振りを見せるサラを『可愛い!』と思えば、それを詠みとった顔が赤に染まる。その隙を突いて再びイメージを固めるとサラの容姿が魔法のように瞬時にすげ変わる。
ゆったりとした膝丈の白いワンピース、靴を履いてない代わりに背中からは三対六枚の純白の翼が生えている。俺がイメージしたのは物語に出て来る天の遣い、どうせならとその中でも最高位だとされるセラフにしてみた。
「空は飛べないのか?」
開いたままの鳥の羽根のような形をした真っ白な六枚の翼を動かして見せるが、目を瞑り必死になっていても足が宙に浮くことはなかった。
「う〜ん、無理みたいね。そんなに残念?」
「少しだけだよっ。それより耳は動かないのか?」
にやけるのを止めきれない俺の視線を辿り、手を頭に当てた途端にハッとする。
どうやら心の全部が全部だだ漏れってわけでもないらしい。だがサラの頭に付いている耳の事を意識した途端に俺の心は伝わってしまったようだ。
──そう、俺がイメージしたのはただの天使ではない。俺の欲望を形にした猫耳天使なのだ!
頭の上に生えている薄茶色の毛の生えた猫耳を摘み唖然としているサラを目の高さまで持ち上げる。
何処からどう見ても完璧にイメージ通りの仕上がり、サラ、最高に可愛いよっ!
「もぉっ!遊ばないでって言ったのにぃ……言うこと聞かないとダメだニャンッ」
片手で体を支えつつ、空いたもう片方の手で握りこぶしを手首で曲げて猫のポーズを取る……サラも意外とノリが良い。
──やっべー!超可愛い!!
全力で抱きしめたくなる思いだったが、そんなことをしたら今のサラはプチっと潰れてしまうので我慢するしかない。
するとサラは顔を赤らめ俯いてしまった。なに?どうした??
「も、もう一回言ってくれない?」
「は?……耳は動かないのか?」
「ち、違う、それじゃなくて……その、か、可愛いって……」
あぁ、そっちなのね。コレットさんもルミアも俺の心をよく詠んでくるが、心の声がだだ漏れっていうのには……慣れないなぁ。
「サラ、超可愛いよ!」
ますます赤くなった頬に手を当て、眩しいばかりの内腿を擦って モジモジ し始める。可愛いと言われただけで赤くなっちゃうようなウブなサラは俺が作り替えた姿だけじゃなく中身も超可愛いな。
そんなサラを眺め続けて心が満たされてきたのか、やるべき事をフト思い出される──そうだった、遊びに来たわけではないのだ。
「なぁ、見た感じ何にもなさそうだけど、これからどうするんだ?」
「そ、そうね。私も分からないからレイの好きな方に行きましょう」
未だに顔の赤みが抜けきらないサラの要望に従い俺の肩に乗せると、人の耳を手摺りのように掴んで立っている。むぅ、サラの愛らしい姿が見えなくて不満だし、歩くと揺れるだろうけど大丈夫なのだろうか?
「いいから行くのニャ〜」
意外にもノリノリのリップサービスだけで我慢するに留め、何も見えない真っ暗闇の中を目標も無しに歩き始める。
「ここはリリィさんの心、きっとそのうち何かが見つかるニャ」
「な、なぁ……意外と猫耳気に入ってたりする?」
「す、少しだけ……レイが可愛いって言ってくれたしね!ここに居る間だけでもレイの好みに付き合ってあげるのニャ、感謝するのニャッ」
鈍感な俺でも分かるくらいの照れ隠しに『サラって可愛いなぁ』などと思っていれば、サラの顔が再び赤くなり頬に手を当てているのが視界の端に僅かに見える。
──俺の心、ダダ漏れ注意報発令中!!
ならばと、ソレを逆手にとることにした。
『サラって可愛いなぁ』
『銀の髪も綺麗だなぁ』
『サラの足はスラッと細くて素敵だなぁ』
『サラをギュッと抱きしめたいなぁ』
──などなど、頭の中で褒めちぎってみれば狙い通り思いが伝わったらしく、肩の上という不安定な場所なのに「やだー、もぉ」とか呟きながら身悶えして本当に落ちやしないか心配になってきた。
そんなイチャラブをしながら歩みを進めていれば、ぼんやりとだが大きな灯のようなものが見えてきた。一先ず初めて現れた目標物に向かい歩みを進めると黒い霧が晴れて行くかのように徐々にハッキリと見えてくる。
「ありゃなんだ?すっげーでっかい木だよな」
「なんだか光ってるね、あれが心の入り口なのかもしれないわね」
現れたのは仄かに光を放つそれはそれは大きな木だった。遥か上の方には天を覆うかの如く枝葉が広がり、それを支える幹も何メートルあるのか分からないくらいに太く、根元には幹の太さに見合うような太い根が枝分かれして黒い地面へと入り込んでいる。
何処かで見た光景のような気がしてならなかったが思い出せないまま、モヤモヤとした気持ちながらも遠巻きに歩いて回るものの特にこれといって目立つものは何も見当たらない。
「たぶんこれが心の中心へと向かう入り口だと思うんだけど……何か感じるモノはない?」
自分の心に聞いてみるが特に気にかかる部分は何もない。だが仕方なしにそのまま見て回っていると、サラが言うように何となくだが気になる場所がある。目を凝らせば奥の方、根と根の間の暗闇の一角、他と変わり映えのない場所なのに引き寄せられるような妙な感覚を覚えて近寄って行った。
「なぁアレって……扉じゃないのか?」
そこに在ったのはピカピカに磨き上げられた薔薇色の扉、リリィの瞳と同じ色をした俺の背より低い小さな扉は紛れもなくこの精神世界の深層へと続くものだろう。
これより先に進めばリリィの心が見えてしまうのだと思えば胸がドキドキしてくる。だけどこの先に行ってリリィを連れ戻さないと肉体と共に心まで死んでしまう事になる。
手を伸ばし、そっと扉に触れると静かに開いていく。これはつまり入ってもいいって事か?
ルミアもアルも心の中に入れなかったと言った、この扉が開かなかったって事なのだろうか?
「覚悟は決まった?」
開いた扉の先は再び真っ暗で先が見えない。
大きく一つ息を吐くと心を決めた。
──リリィを取り戻す!
「サラ、行くぞ」
「ええ、行きましょう」
意を決した俺は肩に乗る小さなサラと共に扉の中へと足を踏み入れた。
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