28.その名はウェーバー
正直、浮き輪というものを侮っていた。これほどまでに気持ち良いものだとは思ってもみなかったのだ。
現在地は陸から三十メートルくらい沖になるだろうか、海の上だ。いや、浮き輪の上だ。
ランに教えられた通りに浮き輪の真ん中に空いている穴の中にお尻をすっぽりとはめ込み全身を浮き輪に預けた格好で波に揺られて漂っていると、母親に抱かれて寝かし付けられているような ユラユラ とした優しい揺れに包み込まれて、なんとも言えない心地良さを与えてくれる。
上を向いていると流石に太陽が眩しいが、貸してもらった麦わら帽子を顔に乗せるほど深く被っているので何も問題はない。
このままだと寝てしまいそうだな……だがここで寝ると、気が付いた時には遥か彼方まで流され周りに陸が見えないなんて状況に陥りそうで怖い。
目を瞑ったままされるがままに波に揺られてボーっとしていると、唯一の同伴者である胸の指輪がスルリと滑り落ちて俺の首にかかる鎖を引っ張る。
待てコラと手に取り眺めてみれば陽の光を反射してキラキラと輝いていた。
ユリアーネ……何であの時会えたんだろう?
あの時見た彼女は光の粒子で出来ていた。以前とはまるで違う容姿、なのにソレがユリアーネであると俺には認識出来た。触れる直前で消えてしまった彼女は、俺の心が作り出した幻だったのだろうか?
黒い波に飲まれておかしな方向へ進もうとしていた俺を止めるために俺の良心が作り出した幻、そう考えた方が自然だろう。
彼女は死んだのだ……俺の腕の中で。
だがあの時、ユリアーネの身体が光の粒子に変わって消えていったのを俺はこの目で見ている。アレは一体何だったのか……疑問は尽きないな。
ルミアなら何か知っているのだろうか?
あの占い師の言葉に従うのならこの町での目的は後一つ。封印石とかいうものを探さなくてはならないらしい。それが終わったら家に帰ろう。
アルの傷は癒えただろうか?リリィは生きる気力を取り戻しただろうか?エレナは……放ったらかしにしてるから怒ってるだろうな、帰ったらちゃんと謝らないと。
あぁ、その前にカミーノ家に寄らなくてはいけない。ティナとモニカは仲良くやれるだろうか?二人を見届けたら帰ると言ったくせに俺との婚約なんてものを発表したサラはその後どうするつもりなのかな?
アリサは砂漠に行くと言ったが、あの時わざわざ言う必要はなかった筈だ。アレはワザと俺に聞かせたように思えた。それとも、あのペレという魔族に俺が殺されると考えたから気にせず言ったのか?
やっぱり怒ってるんだろうな。話しすら出来なかった……謝罪も出来ないまま、魔族と人間という隔たりの元に対立しなくてはならないのだろうか?
フラウと共に宿に戻って来てからカウンターで聞いたのだが、アリサはなんとこの宿に泊まっていたそうだ。しかも驚く事に俺達と同じ四階、つまり隣の部屋に居たと言うのだ。偶然とは恐ろしいものだ。
ザバッ!
大きな揺れが来たときには浮き輪の端に誰かが捕まっていた。そいつは俺が摘んでいた指輪をじっと見つめると帽子の隙間から俺の顔を覗き込んでくる。
「それ、誰の?ユリアーネ??」
明け透けに聞いてくる姿に思わず笑ってしまった。コイツには遠慮というものはないらしい。だがそれが彼女の良いところであり、手っ取り早く仲良くなるための最良の方法でもあると学習させられた。互いに空気を詠み合い恐る恐る近付くよりは、全てを曝け出してありのままの姿で歩み寄った方が早く深く仲良くなれる。
帽子に手をかけると顔が見えるようにと浅めにかぶり直し、間近に構える海の色と同じエメラルドグリーンの瞳を見つめた。
「あぁ、亡くなった妻なんだ。俺はフラウと会った時、彼女の幻のを見た。それよりお前、結局水着に着替えたんだな。それ、どうしたんだよ?」
服のままで海へとダイブした筈のフラウは、知らぬ間にピンクのビキニを着ていた。弾ける様な豊かな胸が浮き輪のすぐ隣でプカプカと浮かんでいる。
泳いでいれば水着の方がよくなるだろうから服が濡れる前に買いに行こうって言ったのに……。
ニヘラッと笑うフラウを呆れた顔で見ていると、何かが俺の頭をペンペンと叩く。今度は誰だろうと思い首を回せば大きな魚の尾ひれがそこにあった。
「へ?」
水中から生える青味がかった水色の綺麗な尾ひれはどんな巨大な魚なんだろうと興味をそそられる。しかし魚とは得てして人間に近付いたりしないもの……何故コレはココにある!?
その魚体を遡っていくと途中から突然、人間の肌へと成り代わっている……んんっ!?
意味が分からずそのまま更に遡ると、悪戯が成功したような屈託のない笑みを浮かべて勝ち誇るフラウへとたどり着く。
「なに!?」
──フラウが魚に食われてる!?
慌てて水の中を覗き込もうと体勢を変えた時、バランスを崩した浮き輪がひっくり返り海へ。
そこで目にしたモノは魚に食いつかれているフラウ……ではなく、腰から下、つまり下半身が魚体へと変わっているフラウ本人。
──こ、これはまさか……本で見た人魚ってやつか!?
人魚は獣人の一種だが非常に個体数が少なく絶滅したとさえ言われている種族だ。でもさっきまでフラウには普通に足が在ったぞ?どこかの馬鹿兎のように変身出来るって事か?
驚きを隠せず海中でまじまじとフラウを見つめていると、見てくれと言わんばかりに優雅に泳ぎ始める。
流石は人魚と言ったところなのか、空中を舞うように踊り続ける姿に見惚れていると息が出来ない事に気が付き慌てて海上へと顔を出す。
「びっくりしたぁ?ねぇ、ビックリしたよね?」
すぐ隣に顔を出し満面の笑みで答えるまでもない事を聞いてくる。ビックリしない方がおかしいだろ!本当に悪戯好きなんだな、こいつ。
腕を抱きしめ俺を見つめるフラウ。ドキドキするから止めてくれるかな……おっぱい当たってるし!
「おぉぃっ!!」
「良いじゃんっ、減るもんじゃないんだしぃ」
不意に目の前いっぱいにフラウの顔が広がったと思ったら柔らかな感触が唇を襲う。かと思いきや少しだけ顔を離し、すぐ間近でエヘッと微笑むフラウ。
確かに減るものではないが、そういう問題ではないだろう……。
彼女との初めてのキスは潮の味だった。
ユリアーネに似た雰囲気を持つフラウ、だがユリアーネと違うとは分かっていながらも欲望に流されて彼女を求めそうになったとき、俺の耳に シュイーーン という聞きなれない音が飛び込んできた。
「お〜にぃ〜ちゃ〜〜んっ!」
白と水色の小舟のような乗り物に乗り飛んでいるかのような凄い速さでやって来たモニカは、俺達の横を通り越した途端に ギュインッ と急旋回して動きを止める。それに合わせて弧を描いた波が立ち上がり、キラキラと宙を舞う水飛沫に小さな虹が掛かった。
「なんだよ、それ!?」
「カッコいいでしょ?ウェーバーって言うんだって〜、二人乗りの魔導車らしいよぉ。楽しいんだからっ!お兄ちゃんもこういうの好きでしょ?」
イメージ的には足の無い馬に跨るようにして乗るウェーバー、馬の胴体部分が小舟と化したと言った方がいいのかな?手綱が来る場所には横に飛び出した棒のような突起物があり、それを握って操作するようだ。
魔導車という事は風魔法で少し浮いているのか?
「トトさま!コレはすごくすごく楽しいですよ!一緒に乗りませんか?」
二人乗りなのでは?とも思ったが乗れればいいやと頭の隅に片付けモニカの後ろに乗り込み腰に手を回す。
「ひゃぅぅっ」
可愛らしい声がしたので何だろうと覗き込むと、モニカが頬を赤らめていた。
それならばと手を這わせてスベスベのお腹を堪能し始めれば クネクネ と身を捻り逃げようとするので、楽しくなってしまいついつい触り続けていると ペシッ と手が叩かれる。
再び覗き込めば雪が呆れた顔して見ている……しまった、忘れてた。
「トトさまがエッチなことは知ってました。それはカカさまと二人だけの時にしてください。今は駄目です」
六歳児に怒られシュンとしながらも改めてモニカの腰に抱き付けば シュォォッ と小気味良い音を立て始める。
浮き上がったのだろう軽い浮遊感、かと思いきや次の瞬間には、つかまっていなければ振り落とされたであろう勢いで急発進をした。
──何これ!滅茶苦茶楽しいじゃんっ!!
シュイーーンっという独特の音を立てつつ海の上を物凄いスピードで疾走する俺達のすぐ真横、海面直下をフラウが一緒になって泳いでいる……このスピードで泳げるって人魚も凄いなっ!
「行くよぉっ!掴まっててね、お兄ちゃん!」
少し高い波に向かい更に加速、すると波を飛び台にして空中へと躍り出た。心地良い浮遊感と共に空を進むウェーバー。乗馬でのジャンプのように、それでいて滞空時間はソレの比ではないほどに長い。まるで鳥にでもなったかのような感覚、だがそれも長くは続かず ドゥッ という音と鈍い衝撃と共に着水すると再び海上を走り出す。
「ひゃっほ〜っ!モニカ最高!!」
「いぇ〜いっ!」
「あははははははははっ」
気持ちの良い風とジャンプする浮遊感、旋回する時のなんとも言い難い圧迫感も含めて全てが楽しい。
乗馬とはまた違った楽しさがあり、これはどこで買えるんだろうなどと思ったりもした。
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