29.宴
「レイシュア様、お代わりは如何ですか?」
冷たい態度の昼間とは打って変わり、にこやかに微笑むセレステルが注いでくれるのはレッドドラゴン秘伝……とは言いつつもサラマンダー達が作ったのだろうが、葡萄のかわりに林檎を発酵させたワインを更に何年も熟成させて造った『カルヴァドス』という、ウィスキーと同じく綺麗な琥珀色をした甘い香りの漂うお酒。
「うっは〜っ!喉が焼けるみたいに熱いのが堪りませんなぁ〜」
「ね〜っ!ちょっとキツイけど癖になる味よね」
「ちょっとぉ?二人共飲み過ぎよ?」
「たまにはいぃ〜じゃないのさっ、ほらっ、サラも グイッ と行っときなさい?」
ワインなんかより遥かにアルコールが強いというのに、その豊潤な香りに誘われて小さなグラスとはいえ何杯かお代わりしたエレナとティナは、まるで恋人のように肩を寄せ合い、おつまみにと出された苦味の強いチョコレートを食べさせ合っているのだから酔っ払いもいい所だろう。
世話焼きのサラが呆れる隣では何が楽しいのか分からないがずっと笑いながら彼女を見つめるモニカがおり、少し離れたところでコレットさんの膝を枕に眠りに就いた雪の姿がある。
「はいはい、これでいいでしょ?モニカもそれ以上飲むのは止めなさいね、明日辛くても知らないわよ?」
渡されたグラスを煽り一息で飲み干すと水の入ったコップを手に取りモニカに押し付ける。
確かサラもそんなに強いわけではなかった記憶だが今日の彼女は顔色一つ変える事なく酔っ払ったみんなの面倒を見てくれている。
「この酒を飲んでもケロっとしてるなんて銀髪ちゃんはイケる口だな。どうだ?俺の女にならないか?」
「おい、親父に言われたろ? 死にたいのか?」
「負けちまえ負けちまえ、お前も俺みたいにボッコボコにされればいいんだよっ」
あの後ノンニーナとアリシアに加えてなぜかご指名のララを従えたギルベルトは、会談をすると言って闘技場を後にした。ギルベルトを疑うわけではないが諸手を上げて信用するほど知った仲ではないので、ララがアリシアの側に居てくれれば俺も安心出来て好都合だ。
一方の俺達はと言うと、セレステルの提案によりクラウス、トパイアス、レジナードのレッドドラゴン三強共々夕食へと誘われ、その後に飲み会へと雪崩れ込みこの惨状に至るというわけだ。
「話には聞いてましたが実際に見るとレイ殿の凄まじさが身に染みて分かるというもの。戦闘能力も抜きん出ていますが
「ハッ!俺は骨まで染み渡ったぜ?たかが十五歳のガキが竜化ブレスを止めるどころか消し去っちまうなんて、俺の二百年返せよ馬鹿野郎」
太く変わり果てた指で器用にグラスを摘み、大きく裂けた口の中に液体を放り込むと隣に待機するサラマンダーの前に突き出す。するとさも当然とばかりにお代わりが注がれる。それが此処での彼等の関係、主人であるレッドドラゴンと奴隷とも言える立場で全ての世話を焼くサラマンダー達。
物申したい気持ちでいっぱいになるが種族間の関係に俺一人が何か言ったとて容易に変わる筈が無い事くらい理解は出来るので我慢するしかない。
「大丈夫大丈夫、例え族長ぐらい生きてても少年には敵う感じがしなかったよ。お前が弱いんじゃない、少年が強過ぎるのさ」
闘技場と同じく垂れ下がる銀の髪を指で遊ぶ女を膝に乗せたレジナードがあけすけに笑うと、皮肉めいた顔でそっぽを向くクラウスが「ちげーねぇ」とボソリと呟いた。
大森林フェルニアの全域に言える事らしいが一部を除いて机や椅子といった文化がないらしく、此処では床に敷かれた幾何学模様の絨毯が机の代わりとなり、個別に置かれた座り心地の良い毛皮に胡座をかいている。
膝に乗る朱色の髪をいつもの癖でついうっかり撫でると、寝ていると思っていた幼い顔がくるりと回り赤い瞳に見つめられた。
「ごめん、起こしちゃった?先に部屋で休むかい?」
「いえ……眠かったのは嘘ではありませんが、こうしてるとなんだか緊張してしまって……でも、心地が良いのでご迷惑でなければ此処にいても良いですか?」
雪とはさして年の変わらないリュエーヴは付き合わされた酒の席で眠そうにしていたので膝を枕代わりに貸したのだが、退席させた方が良かったかと今更ながらに後悔するものの本人が嫌でないのなら良しとしよう。
微笑みを返事の代わりに、もう一度髪を撫でてやると嬉しそうに横を向いてそんなに寝心地が良いとは思えない太腿へと手を添わせる。
「おいおい、両脇に居る女には目もくれず年端も行かない幼女を気に入るとは、美人ばかり連れてると変わったモノが欲しくなるものなのか?」
「クラウス様!それはレイシュア様に対して失礼ですよっ! レイシュア様はリュエーヴの事を愛でていらっしゃるだけでレジナード様のように侍らせているのとは訳が違いますっ」
「何だ、普段とは違うお前の態度と言いやけにそいつの肩を持つな。どういう心境の変化だ?そいつに抱かれたくなったのか?」
「なっ!?」
白い肌を一瞬で染め上げたセレステルが拳で床を思い切り叩くと、騒がしかった部屋に静寂が訪れ全員の視線が彼女へと集まる。酒が入り、口が軽くなったのか、角でも生えて来そうな怖い顔で凝視する彼女にクラウスも言い過ぎた事を悟るが後の祭りだ。
「私がレイシュア様に抱く想いは尊敬です!憧れです!
まだ若き人間がレッドドラゴン三強だと持て囃されるトパイアス様を完膚なきまでに叩き潰し、怒りに周りの見えなくなったクラウス様をもねじ伏せた。これほどの力を持つ方を敬服せずして誰を敬慕せよと言うのですかっ!?
良いですか?私は世界で一番強いとされるレッドドラゴンの中にあってレッドドラゴンでない者、つまり出来損ないなのです。ただでさえ女だという事で引目があるのにその能力すら満足に与えられぬ私に価値などあるはずがない。そんな私が最強より更に強い方に心惹かれて何の問題がありましょう」
「つまりさ、セレステル。君が何と取り繕うとも少年に心を奪われた、それはつまり獣人や人間で言うところの “恋” ってやつなんじゃないのか?うだうだうだうだと長ったらしく言い訳してないで素直に抱いてくれって言ったらどうなんだ?」
「っっ!?レジナード様!私はっ!私はそんな……」
呆れた顔で酒を煽るレジナードに寄り添いクスクス笑う彼の取り巻き三人に見られて視線を泳がせたセレステル。その顔は何か葛藤のようなものが感じられるが不味い方向に走らない事を祈るばかりだ。
だがそこへ意地の悪い笑顔を浮かべた二人が音も無く忍び寄るのは酔った上の悪戯なのか、はたまた女のカンが働いた上での対処行動なのかは俺には解りかねる。
「セレステルちゃ〜ん、レイは私達のモノなんだからおイタはだめだめよぉ?」
「そうですっ、今夜は私と寝るんですからねっ!渡しませんよって、あら?この感触はティナさんより小さくありませんか?」
「ん?あっ!本当だ……ふふふふふっ」
今日知り合ったばかりの人の胸を遠慮もなく揉みしだくのは酔った勢いだと信じたい。
微笑みながらセレステルの胸を揉み続けるエレナと何故か勝ち誇った顔で彼女の顔を下から覗き込むティナのダブルパンチで一瞬昇天したように生気が抜けて首が後ろに倒れたセレステルだったが、次の瞬間には失礼極まりない二人に怒りが沸き起こったのか、目くじらを立てながらも気を遣いながら丁寧に二人を引き離したのは見習いたいくらいの素晴らしい自制心だと言えよう。
「分かりました。お二人の言われる事はもっとですから私も本心を包み隠さず曝け出しましょう。
私に下心があったのは事実です。しかし、それはレジナード様の言われた抱かれたいとかそういった類いのモノではありません。
率直に申し上げます。レイシュア様、私を鍛えてもらえませんか?」
予想だにしなかった唐突な展開に話の発端であるクラウスは驚きのあまり目を見開き、今まさに大きな口へと放り込もうとしていたトパイアスの酒は狙いを外れ、時が止まったように固まってしまった自身を汚す事となった。
「それは構わないけど、俺達は明日ここを出るかも知れないし何日か居座るかも知れない。それを決めるのはアリシア達だから約束は出来無いぞ?」
「はいっ!レイシュア様のお時間の許す限りで構ません!ありがとうございますっ」
片手で顔を覆ったレジナードは深い溜息を吐き切ってから顔を上げると、満面の笑みを浮かべるセレステルへと苦笑いを向けた。
「それが君の本心かい?
我々レッドドラゴンは世界最強の種族だと誇りを持っている。それなのに君は俺達ではなく人間であるその少年に指導してほしいと願うのか?」
「レジナード様、レジナード様は本気で戦えばレイシュア様に勝てると思われますか?」
それだけで言いたいことが分かったようで「ハハハ……」と乾いた笑いをすると酒を一口飲み込み、ゆっくり「いや」と呟いた。
「ならば、レッドドラゴンが更なる飛躍を遂げるよう、皆でレイシュア様に教えを乞いましょう!」
コッ、ゴロロロロッ
「姉貴っ!何言い出した!?」
「おいおいおいおい、まさかお前だけじゃなく俺までこいつにご指導されちゃいなとか言ってるのか?」
トパイアスの手からグラスが落ちたのを合図に、火にかけられた二人が『冗談じゃない!』と顔に書き記して身を乗り出す。
だがそんな二人とは裏腹に涼しげな顔でトドメを刺しに行ったセレステルの方が口だけなら上手なようだ。
「私はレッドドラゴンが未来永劫最強の種族であり続ける為に恥を忍んでレイシュア様にお願いしているのです。それを一族を代表する三強と謳われる方々が個人のちっぽけなプライドの為に拒否なさるのはどう言うわけなのでしょう?
レッドドラゴンという種族に誇りを持っておられるのであれば今は耐える時、トパイアス様は本気で戦って勝てなかったのでしょう?そのトパイアス様に勝てないクラウス様がレイシュア様に敵うはずがありません。
と、言うわけで明日から四人でレイシュア様にご指導願いましょう。
異論は、ありませんね?」
力無く口を半開きにして返事も出来ない二人に人差し指を振りながら勝利の笑顔でウインクする姿に、流石のレジナードも反論の余地など無いようでただただ乾いた笑いを浮かべるだけだ。
ただ、彼女の両隣でそのやりとりをじっと見つめていた二人は訝しげな顔のままで話を聞き終えると、お互いの顔を確認し合い二人して頷いていたのがものすごく気になった。
▲▼▲▼
マシュマロより弾力が強くも、とても心地の良い感触が顔を包み込んでいた。
聞いているだけで安心を得られる規則正しく響く小さな音と、ゆったりとしたリズムで頭部を上から下へと移動する優しい手の動きに意識が戻る。
「ん?……朔羅?」
人はそれぞれ声や魔力の波長が違うように生まれ持った身体の匂いにも違いがあると思う。少なくとも俺の嫁達からは異なる匂いが感じられ、不思議な事にまだ夢の中でしか会う事叶わぬ朔羅も例外ではなく彼女だと分かる匂いがする。
「なんだか、久しぶり?」
顔を上げた時は優しい笑顔だったのにその一言でぷっくりと膨らんだ頬だったが、その雰囲気からは怒っている様子は感じられない。
「僕は身体を成長させる事に全力を注いでいるんだ。レイシュアの方から来てくれなきゃ逢えるわけないだろ?」
「ごめんごめん。逢いたかったよ、朔羅」
心地良いクッションに再び顔を埋めると今度はぎゅっと抱きしめられる。
「でも、ようやく闇の魔力を使いこなせるようになってきたね。これで僕が実体化出来る日もずいぶん近くなった。レイシュア、嬉しい?」
「本当かっ!?」
驚いて上げた顔の先にはその反応だけで満足そうに微笑む朔羅の顔があり、彼女の真っ黒な瞳を覗き込むとゆっくり頷いてくれる。
誰にも邪魔される事のない夢の中の二人だけの時間も魅力的ではあるが、それはそれ。
また一人増える事でみんなはいい顔をしないかも知れないが、俺の半身とも言える愛する朔羅を紹介したいという願望は強いし、朔羅にも俺の愛する人達と仲良くなってもらいたい。
「うじうじしてるアイツと違って僕は力が溜まったらさっさと実体化するよ……」
もうすぐ朔羅が実体化出来るようになると聞いて心が浮かれて一人でにダンスを踊っている気分になっていれば意味深な呟きが聞こえてくる。
「え?なんの事? アイツって、誰?」
微笑む朔羅は身体が少し沈み込むほどフカフカのベッドで俺を抱えたまま半回転して上下を逆転させると、腰に馬乗りになり指を絡めて両手を押さえ付けられた。
見下ろされる黒い瞳に吸い込まれそうになるが、重ねられた唇の熱さに我に返る。
「ここでのレイシュアは僕だけのモノ、僕だけを見てよ」
息のかかる距離で囁く朔羅の声はとても心地良く響き、先の言葉の意味は気になるが今はいいやと思えてしまう。
返事の代わりに今度は俺の方から唇を重ねると二人だけの愛の時間が幕を開けた。
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