10.長い夜の終わり

 レイがグランオルソを攻めあぐね、それを目の当たりにして勝機が見えないとケネットが愕然とした。初めて目にするモンスターとの攻防を呆然と見つめるビル、クリスだが、少し離れた場所ではグランオルソの圧倒的な存在感故に誰にも気付かれないまま生死の攻防が繰り広げられていた。

 一人離れていたサシャに残りのグラオヴォルフ三匹が狩りやすい獲物と見定め襲いかかっていたのである。


 後退しながらも飛びかかる一匹を躱したかと思えば、息つく間もないままに次の一匹がそこに飛びかかる。直ぐさま飛び退いて避けるが、またしても次の一匹がそこに飛び込んで行く。

 先程と同じ三匹の波状攻撃、横に転がりなんとか避けるものの、起き上がる間も無いままに次が飛びかかる。


 苦楽を共にしてきた仲間はすぐそこにいる。しかし、必死になって避ける事に集中し過ぎて声を上げて助けを呼ぶ事すら頭から抜け落ちていた。


 執拗に襲いかかる爪と牙、地面を転がり避け続けるが埒が明かない。

 このままじゃ駄目だと意を決して全身のバネを利用し飛び起き上がるが、当然そこにもグラオヴォルフが襲いかかる。


「ふんああっ!!」


 剣を盾に喰らい付く牙を防ぎ、なんとか受け流したものの次はもう目の前。膝を突いた不安定な姿勢ながらも『何もしないよりは良い!』と出たら目に剣を振るうが空を切るだけ。

 それでも牽制にはなったようで、出鼻を挫かれた一頭は飛びかかる気満々で踏み込んだ脚の方向を変えた。


 僅かな時間で立ち上がったと同時に飛びかかってくる次のグラオヴォルフ。

 身を捩り剣を使って受け流そうとするものの、鋭い爪が体に刺さるのは辛うじて防げただけで弾き飛ばされ再び地面を転がる。


「サシャ!」


 今になってようやく気が付いたケネット。その声でビル、クリスも視線を巡らせ慌てて駆け出す。



 身体を起こせば目の前には既に灰色の巨体。咄嗟に出た手は首元を狙って開かれた下顎と首とを押さえ、飛びかかられた勢いを利用して地面に背を付けつつ腹を蹴り上げ投げ飛ばす。

 後転して体勢を戻したことにより次が来るまでの僅かな時間を稼ぐことが出来た。


 そこに飛びかかる別のグラオヴォルフ。大きく開かれた口、白く尖った無数の歯の並ぶ赤い洞窟へと剣を差し込めば血飛沫を撒き散らして後頭部を突き破ったまでは良かった。しかし立て膝という不安定な姿勢、相手の勢いに負けて剣を持って行かれてしまった。


 サシャの都合などおかまいなしに迫る三匹目、剣と共に戦う気概まで奪われ『ここまでか』と抗う為の腕が下がりかけたまさにその時、地を蹴り飛びかかる直前で突然方向が変わる。



「うぉぉぉぉおぉぉおおぉっっ!!」



 鬼神のような覇気を撒き散らして全力で走ると自分に向かって来るグラオヴォルフを剣を使って受け流した──しかしケネットの目はそこを向いていない。

 目指していた筈のサシャの目の前を通り過ぎると、反対から迫っていた一匹を怒りに任せて蹴り飛ばす。


「キャンンンッッ」


 痛みに身悶えしながら空中を舞うグラオヴォルフ。そんな結果よりなにより死地に置き去りにしてしまったサシャが気にかかり、土煙を上げて全力でブレーキをかけると形振り構わず彼女の元に滑り込んだ。


「すまん!無事か!?」

「遅いわ、バカ……」


 助かった事に緊張の糸が切れて力なく答えるサシャではあったが、見た目には大きな怪我はなく、無事なことにホッと胸をなでおろすケネット。

 続いて到着したビルが援軍に躊躇していた一匹に斬りかかるものの横っ飛びで避けられてしまう。


 ケネットの蹴りを喰らいフラフラと立ち上がったばかりの一匹にクリスが盾で殴りかかる。そんな状態でも俊敏な動きを見せ躱されてしまったがそこは想定内、反対の手に持っていた短槍を突き出すとグラオヴォルフの身体を飛び出した鮮血が炎の光に照らされ赤く煌めく。


「キャゥン!キャンンッ」


 地面に身体を擦り付けて痛みを訴える銀色の獣、その姿は普通の犬と同じで脅威は感じられない。そこに飛び込んだクリス、暴れ回る胴を一突きにしてトドメを刺せばサシャを追い詰めていた脅威は消えてなくなった。




 グラオヴォルフ最後の一匹は四人に増えた獲物をそうそうに諦め、馬車の前に一人で座るユリアーネに狙いをつけて駆け出した。


「ゲームオーバーだね、レイ」


 一人呟きながらもゆったりとした動作で立ち上がると、腰に下げる愛刀・白結氣しらゆきを抜いた。

 

 レイの持つ刀の刃長が六十センチに対し、同じ反り刀ながらも太刀と分類される白結氣しらゆきの刃長は九十センチと段違いに長い。鏡にもなりそうなほど磨き上げられた刀身は淡く光る白いもやを纏い、ほとんど乱れのない真っ直ぐな刃文と相まってとても美しい。


 その刀身が緑色の光に包まれた時、ゆっくりと走り出すユリアーネ。


 真っ直ぐ向かって来るグラオヴォルフの横をすり抜けざまに白結氣を振り抜けば、身体を真っ二つに切り裂くと同時に刀身と同じ大きさの緑の刃が飛んで行く。


 その直後、確かにそこにいた筈のユリアーネの姿は消えて無くなっていた。



▲▼▲▼



 どう攻めたものかと迷う俺へとグランオルソの巨体が肉薄し、長い腕が肉を穿つ為に空気を切り裂く。


「!!」


 先程の攻防より素早い動きに焦りを感じつつも何とか防ぐに成功、しかし続く二撃目は耐えられずに片膝を突いてしまった。

 再度襲いかかる爪に防御の狙いを定めたその時、淡い緑色の光が視界に入り込んだ。


 重い衝撃をもたらす筈の太い腕が意思を得たかのように肉体を離れて宙を舞う。

 それに続く赤い液体、状況が理解出来ずに唖然としているすぐ横を一陣の風が通り抜ければ、もう一方の腕も自由を手に入れ暗闇へと旅立って行く。


「え?」


 次の瞬間、グランオルソの額から淡い光を放つ刃が顔を覗かせた。

 断末魔をあげることすら出来ずに動きを止めた数瞬の後、その巨体が光に包まれると、バラバラになった光の粒子が空気に溶け込むようにして消えて行く。


 完全に姿を消したグランオルソの居た場所には、地面に転がる黄緑色の魔石と、感情の籠らぬ目で俺を見つめる抜身の白結氣を持ったユリ姉が残っていた。



 グランオルソが消え行くときになってようやく何が起こったのか理解する。

 風魔法で作られた刃が俺に迫っていた腕を切り飛ばし、グランオルソの横を駆け抜けると同時に残りの腕を切り捨てたのだ。そして、背後から白結氣を突き立てトドメを刺した。


 まさに一瞬、まるで見えなかった……


 光明を見出せないまま散々苦戦した相手を一瞬で圧倒する……同じ師を仰いで五年、俺自身強くなったつもりでいたのだが、果たしてこの人に追いつくことが出来るのだろうか。


 俺が遅れて状況を理解すると、それを待っていたかのように口を開いた。


「レイ、貴方の役割はなんだった?」

「俺は……殿で、四人の補佐を……」


 いつもとは違う淡々とした口調で語るユリ姉。

 ケネット達も無事だったようで四人揃って近付いてくるが、空気を察して少し離れて立ち止まる。


「馬車に居る人達を守るため、貴方達は戦いに臨んだ。その中でレイの役割は要である殿、最後の砦だったよね?その貴方が勝算も無しに飛び出してどうするの?」


 穏やかながらも戦いの最中のように琥珀の瞳には真剣な色が見て取れる。俺の間違いを正そうとしているのは火を見るより明らかだった。その姉弟子の視線を受け、今の戦闘の何がおかしかったのか、ユリ姉が何を言いたいのか考えながら自分の行動を思い起こして行く。


「俺は……俺がグランオルソを殺らなきゃって思ったんだ。それで……」


「リーダーは誰だったの?レイがリーダーだったの?レイはケネット指示の元に戦いに臨んだんじゃないの?

 この馬車の護衛であるケネット達が思い切り戦えるように貴方が居たんじゃなかったのかな?貴方が勝手に飛び出したことで殿を務める人が居なくなったわ。結果、貴方が守るはずの人達が死ぬ所だったのよ、その重大性が分かってる?相手に勝っても守るべき者を失ってしまったら、それは『勝ち』と言えるのかしら?」


 ユリ姉の視線が馬車近くに転がるグラオヴォルフに向けられたのを見て理解する。ケネット達の撃ち漏らした一匹をユリ姉が倒してくれたんだ。

 俺がやるはずだった “馬車を守る最後の砦” の役割をユリ姉が代行してくれた。もしもユリ姉が居なかったら……馬車は襲われ、その中に逃げ込んだ皆は食い殺されていたのだろう。


「それぞれの役割をしっかりこなさないと勝てる戦いも勝てなくなる。パーティーにはパーティーの戦い方があるわ、その事を忘れないで。

 一人じゃ無いんだから仲間を信じて戦って、いい?」


 知らず知らずに落ちていた視線を戻せば琥珀の瞳は先ほどと変わらず俺を見ていた。


 今回の戦い、俺は何をしたんだろう?

ユリ姉の言う通り自分の役割を放棄し、そうまでして倒そうとした敵にも惨敗した。あのまま戦い続ければ殺されていた可能性だってあった……何もしていない、何も出来ていない。


 いやむしろ、余所者の俺がパーティーという集団戦を掻き回しただけじゃないだろうか。


「グランオルソに臆す事なく、迷わず挑んだ事だけを見れば良かったと思うわ。自分より強いと分かってて戦いに行ったでしょ?でもまだ経験が足りなかったわねぇ。

 レイ、もっともっと強くなりなさい。守るべき人達を自分の力で守れるように」


 感情のなかった美しい顔に柔らかみが付け足され、いつもの優しいユリ姉の顔へと戻る。


「貴方の愛する人を、その手で守れるように」


 綻んだ顔でケネットを見て呟けばサシャの頬が少しだけ赤くなる……守るべきもの、か。


「あーぁ。私も守ってくれる彼氏が欲しぃなぁ、なんて……ね?」


 星空を見上げてひとりごちるユリ姉、炎の灯りで照らされる横顔は赤みを帯び、心なしかはにかんだように見える。

 綺麗な立ち姿に見惚れていれば、チラリと横目でこっちを見た気がして慌てて目を逸らした……今の視線は?もしや俺がユリ姉を守れって?無理むり、俺じゃ何年後の話だよって、ね。


「じゃあ俺が守ってやろうか?」


 ケネットがほんわかとしてきた空気を打ち破ると、にこやかだったサシャの顔が ピシッ と音を立てて固まる。だが直ぐに プルプル と震え出したかと思えば、先ほどの照れた顔とは打って変わり般若の顔へと変身を果たす。


 本気なのか冗談なのかは分からなかった。しかし、すぐ隣で怒りを露わにする恋人の事など露知らず、決め顔でユリ姉の返答を待つケネット。その首にサシャの腕が力強く回されると、折れてしまわないかというくらいおかしな曲がり方をする。


「ちょぉ〜っと顔貸しなよっ。今後について相談しようじゃないか。ほらっ、こっちに来い!」


 首を固められ身動きが取れず、なす術なく引きずられていくのを皆で笑いながら見守る。


「ビル、クリスっ、私達ちょ〜っと話しがあるからその間見張り、よろしくねっ」


 視線だけで振り返り後ろ手を振るサシャを「あ、あぁ……」「ごゆっくり」と見送る護衛の残り二人。

 一体どのような話し合いがされるのかは気になったが、笑い溢れる楽しいモノとならないのは火を見るよりも明らかだ。


「さてぇ、馬車の人達を出してあげなきゃねぇ」


 チンッ という小気味いい甲高い音と共に白結氣しらゆきが鞘に収まると、馬車に向かいゆっくりと歩き出したユリ姉の隣に並び一緒に行く。


 もう夜中だが明日も予定通り出発せねばならない。

 反省することは多々あるがそれは俺の問題、みんなを安心させて、早く寝よう。


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