9.現れた強敵

 夜も深まる時刻、隣で転がっていたユリ姉が静かに身を起こした。


「来たわ」


 短く呟いた彼女の顔は既に戦闘モード。


「ケネットに知らせてくる。数はわかる?」

「八……かな、夜だし狼かも」


 答えながらも照明用にと五十センチ程もある炎をあっさり作ると宿場の周りに設置し始める。


 魔法で作られた炎は術者の意思で大きさや熱量がコントロール出来るので、たとえ木の側に置いたとしても燃え広がったりしないようにも出来る。勿論それをする為には才能も鍛錬も必要だ。


 生活魔法と呼ばれる一般的な火魔法は薪に火を付ける程度、実戦に使えるよう魔法の修練をした者でも拳大の火玉を飛ばせるのが精々なのだ。

 それより遥かに大きな炎を六つも作り出し、熱量までもを完璧にコントロールされている時点でユリアーネ・ヴェリットという人物が普通の冒険者とは一線を画す存在だと知れる。


 宿場を囲むように炎が設置されると、昼間とはいかないまでもかなりの範囲で視界が確保出来るようになった。暗闇の中という相手の土俵で戦わなくても済むのでそれだけでも戦闘が有利に進められる。


 ケネットに襲撃を伝えに行くと彼らも既に気が付いていたらしく、身支度を整えながらも視線を向けてきた。


「狼が八匹の予測だ、他の人は危険だから馬車に入っててもらおう。今回は俺も迎え撃つぞ」


「やはり狼か、了解だ。手伝ってくれるのは助かるが殿でサポートを頼む、一応俺達の仕事だから俺達がやる。ビル、クリス、乗客の避難を手伝ってやってくれ、終わり次第合流しろ」


 役割分担を確認して配置に着く。

寝ている人達を起こして回り、馬車の中に移動させている途中でソレは現れた。


 フサフサの灰色の毛を全身に纏わせ、白い牙を剥く厳つい顔には獲物を狙う金色の瞳が炎の光を受けてギラギラとしている。

 予測通り八頭いた犬型の魔物はハングリードッグより二回りは大きい全長一・五メートルの狼 《グラオヴォルフ》だ。


 避難の手伝いを終えたビル、クリスも合流し、護衛の四人が前に立つ。少し後ろには殿をまかされた俺を挟み、戦闘には参加する気がなさそうに馬車の前に座るユリ姉が万が一に備えて成り行きを見守る。

 唸り声を上げつつこちらの出方を探るようなゆっくりとした足取りで近付いてくる狼達。緊張の走る中しばしの睨み合いが行われたが、中央にいた一頭が走り出したのを皮切りに堰を切ったように一斉に走り出す。




 先陣を切って飛び掛かってきた奴をケネットが斬りつけるものの、剣の腹を的確に捉えた鋭い爪に弾かれた。即座に襲いくるもう一本の前脚、危うくカウンターを受けるところを既で転がり避けて事なきを得る。


 それを見て目を見開くクリス、今度は自分に迫る爪を腕に着けている小さな盾で防いだまではよかったのだが、予想以上の勢いと体重とで思わず後退る。


「クッ!!」


 奥歯を噛みしめ、持ち前のガタイの良さから生み出される力で踏み留まると即座に短槍を突き出し反撃を試みる。

 クリスを踏み台に飛び退いたグラオヴォルフはあっさり躱してみせると、すぐに次の一頭が走り迫っていた。『マズイ!』クリスが思った時には既に遅く、迫る爪を小盾を額に押し当てどうにか防いだものの勢いまでは殺しきれずに弾き飛ばされ地面を滑る。



 突進してきた一頭をギリギリで躱し、すれ違い様に剣を振るうサシャ。だが相手は身体能力では人間の上を行く獣、身を捻って躱され浅い傷を残しただけだ。

 しかし人間には、獣より優れた連携という強みがある。


「キャンンッッ」


 サシャに気を取られている個体の足の付け根にビルの剣が突き刺さる。

 地面に崩れ落ち痛みにのたうち回るグラオヴォルフ、その口からは獰猛そうな見た目とは裏腹な可愛らしい鳴き声が上がる。


 だが戦況をよく見ていたビル、別の角度から走り寄る狼気付くとトドメをあきらめ横薙ぎの一閃を放った。

 大口を開けて宙を舞うグラオヴォルフ、ビルの剣は鋭い歯で噛まれ受け止められてしまうが、そのまま捻りを加えると力技で態勢を崩させ地面に叩きつける。


 タイミングを見て走り寄ったケネットの剣が頭に突き刺さった。


『やっと一頭』そう思って倒した狼を見つめる一瞬の隙を狙い横から飛び掛かってくる別の個体。慌てて剣を引き抜き迎え撃つが何せ人間と同じくらい大きな図体、その体重は鍛え抜かれたケネットより重く、勢いの乗った爪にあっさり弾かれてしまう。

 だがそこはベテランの戦士、その衝撃を受け流し今度は弾き飛ばされる事なく姿勢を戻して逆に追い打ちをかけた。


 赤い血を撒き散らす後ろ足、傷を負い動きの鈍った個体へと近くにいたビルが素早く斬りかかる。やられまいと牙を剥き剣に噛み付こうとするが、分かりきった反応に付き合うはずもなく剣の軌道を逸らして喉元を切り裂いた。


「やらせるかっ!!」


 そのすぐ後ろからビルを目掛けて飛び掛かる一頭、そうはさせじと体当たりしたケネットが間一髪で吹き飛ばした。しかし空中で身を翻して体勢を立て直すと、着地するや否や今度はそのケネットを目標に定めて飛び掛かかる。


「ガルルッ!」


 矢のような勢いで迫る爪、剣を両手持ちにして盾代わりにすれば、その隙を狙い澄まして走り寄ったビルの剣がグラオヴォルフの横腹に深々と突き刺さる。



 少し離れた場所ではサシャに狙いを定めた三匹が見事な連帯を見せていた。どうにかこうにか避けながらも僅かな隙間に剣を振るってはみるものの、息つく暇もない波状攻撃の前では牽制にもなりはしない。


「サシャ!」


 慌てたクリスがサシャと入れ替わるように身を滑らせその場に割って入る。


 盾を上手く使い狼の顔を叩き伏せると、間髪入れずに飛び掛かってきた個体の首元に短槍のリーチを生かしてのカウンターで突き立てる。


 だがそこに飛び掛かってくる三匹目。その背後で体勢を整えたサシャはクリスを躱して剣を突き出した。

 傷を負ったグラオヴォルフは痛みのあまりキャンキャンと地面を転げ回るが、その姿は隙だらけ。それを逃さず突き出された短槍が喉元を射抜いた。




「来るぞっ!!」

「グォォォォオォォオォッ!」


 俺の叫びにかぶせるように戦場と化した宿場に響き渡る野太くも低い声。暗闇に支配される森の中から放たれた聞く者の身体を震わすような咆哮が注目を集める。


「新手だと!?」


 気を取られた瞬間を狙いケネットに襲いかかる一匹のグラオヴォルフ。咄嗟に構えた剣を盾に噛み付かれるのだけは防げたのだが、勢いまでは殺しきれずに押し倒されてしまう。

 追い込んだ獲物を狩るべく振り上げられた前脚、だがその先に光る鋭い爪が血に染まることはなかった。


 すれ違いざまに放った一閃が胴と首とを分かつ。


「あいつは俺がやる!」


 ケネットの横を駆け抜けた俺は、未だ闇に包まれたままの咆哮の主へと先手を放った。



ギィィィンッ



 金属音にも似た甲高い音と想像とはまるで違った無機質な手応え、あわよくば一息で片付けたかったがそうは問屋が卸さない。弾かれ後退しながらも闇を睨みつける俺の前、炎から放たれる光の中に黒くも大きな塊がゆったりとした足取りで歩み出る。


「グルルルルッ」


 巨体に見合わぬ小さな顔には暗闇に映える赤く塗りつぶされた細い目と、敵意と共に剥き出される鋭く尖った無数の白い歯。全身は短めの濃い茶色の体毛で覆われており、胴よりも長い両の手には十五センチもある爪を四本も生やして威嚇するように硬い音を鳴らしながら何度も開閉されている。

 見た目からして気圧されるその大きさは体長二・三メートル、見るからに筋肉質な肉体は横にも大きく、まるで毛の生えた一枚の壁のようだ。


 奴の名前は《グランオルソ》熊型の中級モンスターである。



『モンスター』とは空間に漂う瘴気がかたまって出来る “魔石” を核とし、そこに更なる瘴気が集まることで生み出される魔物。

 集まった瘴気の量、質により精製される魔石の色が異なり、それによって生み出されるモンスターの強さが変わるのが特徴だ。


 同じ “魔物” に分類される “獣や害獣” とは全く異なる存在で基本的に獣より遥かに強く、絶対数は少ないものの討伐が困難とされている。


「よりによって熊かよ……」


 グランオルソの圧倒的な存在感に当てられ膝を突いたまま愕然とするケネット、それは未だ戦闘中でありながらも戦意が失われたかのように見えた。


 自分でも手に余るとは感じつつも『俺がやらねば!』と意を決して再び斬りかかる。だがそれに合わせて振り上げられた長い腕、予想外の素早い動きであっさり弾かれてしまった。

 硬い感触は奴の爪、刃を返し再び斬りかかるものの一歩も動くことなく余裕で対応しやがる。


「やるじゃないかっ!」


 ぼやきながらも大地を踏みしめ、体重を乗せて放った渾身の突き。しかしこれも軽々と右の爪で弾き返すと、今度は俺の真似をして窄めた左の爪を突き出してきた。

 無理やり身体を捻り地面に手を突きつつも回避には成功したのだが、そこに、手程は長くないものの鋭く尖った爪の生えた足が襲いかかる。


 慌てて転がり逃げて素早く身を起こすと、切っ先を向けようとした──が、その時には既に間近までグランオルソが迫っている。

 予想外の俊敏な動き。鞭のようにしなる両手の先にあるナイフのような二つの爪、右から左からと交互に襲いかかるそれは斧が打ち当てられたかのように強く重い衝撃を残し、吹き飛ばされないよう防ぐだけで精一杯。


「このヤロ!」

「グルォォッ!」


 呟いた次の瞬間、片足を軸に器用に巨体を捻ったグランオルソの回し蹴りが的確に俺を捉える。

 一拍の間を置いてやって来た凄まじい衝撃、腕を交差させるのと同時に後ろに飛んだのだが、受け流せると思ったのがそもそも間違いだった。


「くぅぅっ」


 筋肉の塊とも言える二・三メートルの巨体から繰り出される蹴りは未だかつて味わったことのないほどに強烈で、高い崖からの飛び降りを腕で着地をしたかのようなありえない衝撃が全身を揺るがす。


 地面を滑り、青い顔で呆然とするケネットのすぐ横まで吹き飛ばされた。ズキズキ と痛む腕、たった一度の攻防で悲鳴を上げる身体。しかしこのまま『勝てる訳がない』とふてくされて寝ている訳にはいかない。


 拒否を訴える身体を無視してすぐに起き上がると、どう攻めたものかと迷いながらも “攻めなければ勝てない” と、余裕をみせるゆったりとした足取りで迫るグランオルソに向けて闇雲に斬りかかってみるが、長い爪を剣のように使いあっさり防がれてしまう。


 対応力の高さに苛立ち、続け様に真横に一閃するが軽々と飛び退き距離を取られる。


(こいつ……!)


 お返しとばかりに俺を真似て長い爪を交互に振り下ろしてくるので、早くて重い攻撃を捌くのに必死になる。幾ばくかの交差の末に跳ね返す反動を利用しバックステップで距離を取ると、追い討ちをかける事無くただその動きを目で追うだけのグランオルソ。


 自分からは攻めてこない巨体を不思議に思いつつも乱れた呼吸を整えつつ攻め方を考えて睨み付ける。

 巨体の割に動きが素早く、対応も正確で一撃も重い。おまけに手が長いので槍を持った手練れを相手にするかのように戦いにくい。


 爪を開いたり閉じたりしながら早くかかって来いとばかりの余裕のある態度に苛つくが、どう攻めたらいいかの答えが出てこない。


「グルルッ」


 その唸り声は『次は何をしてくるのだ?』と笑っているように感じられた。


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